1話 アイツと私
冬の寒さが染みる2月の午前8時、キャンパス内にヒール音が響く。向かう先は本館から数百メートル離れた別館。
幾つもの部室を両脇に過ぎ、暇人の集う『和み同好会』の扉が開かれた。
「おはようございま～す♪」
「おほぉ！ 奈南殿！ おはようございます！」
「今日も麗しい姿だ……ジーザス……記念に一枚……」
「おはよー奈南さん！ 室内を冷え冷えにしておいたよ！」
「奈南様、本日の軽食はこちらになります」
「わーい！ チョコチップクッキーだ～みんなありがとうございます～♪」
猫撫で声の感謝に同好会の男達は照れた。内心愉悦に浸りクッキーを貪るオタサーの姫。彼女は古賀峰奈南19歳。
衣服越しでも余り肉が目立ち、縦にも横にもデカい。腰丈まである黒髪は艶やかにまっすぐ伸び、異性ウケの仕様である。
そしてなにより、各所をトリミングすれば美人ではある。
「ほら～みんなも食べましょう～？」
「おほぅ！ ありがたき幸せ！ 怜殿もどうですかな？」
吉田部長の視線先には一人のロン毛メガネ。部屋隅でモニター画面に噛り付き、ヘッドホンとコントロールを手放さない。小柄で根暗オーラを放ちぶかぶかのジャージ姿、基本的第一印象は近寄り難い。
「……」
「おふぅ！ 集中してるみたいですな！ 怜殿の分も取っておきましょう！」
「吉田部長はいつも優しいですね～」
「ほっふ！ いやはや照れますな！」
談笑し学期末試験の結果発表前まで時間を潰す中、彼女は温厚に平常心を演じるも、内心は下唇を噛み締めていた。
今までモテ人生を謳歌し、チヤホヤされるのが当たり前な日々。同性の妬ましさすら幸福の1つ。
しかしロン毛メガネこと柳家怜は例外。初対面時の会釈以降、今日までコミュニケーションは片手で数えられる程度。消極的な性格という問題ではなく、彼女自身に関心がない素振り。
古賀峰奈南は19歳にして初めて由々しき事態を経験。モテ人生終了にはまだ早い、必ず在学中に夢中にさせてやる。内秘める決意を心に刻み込み、彼女は貪欲にモテを手放さない。
試験の結果発表に安堵を浮かべる昼休み、学食で定食を3つぺろりと平らげ、食後のパフェを欠かさない。デブの鏡である。
帰宅前の挨拶に部室へ寄るも、ロン毛メガネ以外不在。
「あれ～みんなは～？」
「……」
一対一の状況化でさえ平常運転を貫き通す無関心っぷり。古賀峰奈南の口角が苛立ちを見せるも、心は清々しいほどに穏やかだった。
幸いな事に明日から2か月間春休み、息抜きにはピッタリな長期休暇。
「……また新学期にね～じゃあねぇ～」
1学年目は様子見、2学年目から本気を出す程に余裕な彼女。夢中になる柳家怜を妄想し、心がほくそ笑む。
「アンタ。コイツにそっくり」
「……え？」
柳家怜の指差すモニター画面には、鏡餅のようなデブのオカマキャラ。ゲーム内屈指のデブキャラであった。
「っ……」
「ぷ……ウケる」
未経験の立ち眩みを覚え、無自覚で部室を去る太い足。
足取りが重い中、通路窓に映る姿がデブキャラと重なり、ようやく我に返る。
『コイツにそっくり……ぷ……ウケる……』
脳内で繰り返される柳家怜の言葉。湧き上がる芽生えが花を咲かせ、彼女の原動力が爆発。
「絶対に……絶対にアイツを見返してやる！」
ゆるぎない決心を胸に抱き、彼女の春休みがスタートした。
不摂生だった食事改善・あらゆる運動・精神統一のルーティン・異性を落とす関連書物の熟読・ファッションセンスの研磨・言動と所作の徹底的改善。
自由を全て捨てた春休みが終わり、桜舞い散るキャンパス内では新入生とサークル勧誘で大渋滞。ただ古賀峰奈南だけは構わず我が道を行く。
「すげぇ美人……とにかくすげぇ……」
「モデル？ あれってモデルだよね？」
「はわわわぁ……」
「尊い……うぅ……」
語彙力欠如の声が続々上がるも、一切耳に入らない。たった1つの目的を果たす為、春休みを捨てた代償を見せつける為。
「おはよう」
「……」
部室では返事皆無の柳家怜が定位置でモニター画面とにらめっこ。以前の彼女ならば引き下がったが、今は自ら接近を試みる。
意思疎通を遮断するヘッドホンに優しく触れ、今度は甘く囁いた。
「お・は・よぅえ？！」
「……」
語尾が馬鹿になったのには理由があった。ヘッドホン装着にもかかわらず、ワイヤレスイヤホンを装着していたからだ。柳家怜の防御二段構えに古賀峰奈南は揺らぐも、鍛え上げた足腰で踏み留まる。
「……なに？」
「え？ あ……こ、こほん！ おはよう！」
「はよ……」
予期せぬ短い返事後、ヘッドホンを取り返し再装着、再度視線がモニター画面に。
「ま！ ちょ、ちょっと！」
「……だからなに？」
「あ、明らかに変ったのにリアクションも無いの？」
「……」
頭先からつま先を見渡す眼鏡越しの視線。身を庇いたくなる衝動に駆られるも、彼女は精神統一で我慢。
「……変わらな……以上」
「な！？ も、もっとあるでしょ？！ あ！」
デブ時代に比べ可動範囲が広がり、慣れない感覚がテーブル上の濃厚はちみつティーと接触。見事なまでに柳家怜のジャージへ着地、ほんわりと甘い匂いが漂う。
「ご、ごめんなさい！」
「……べとべと……気持ち悪」
不快感を顔に出し、せっせと脱衣を始める柳家怜。
「ちょ、ちょっと！？ いきなり着替えないでよ！」
「……別にいいじゃん」
「よ、よよくないよ！？ へぁ？！」
彼女はモテるとはいえ男性経験はなく、本や映像などの媒体越しの情報のみがインプット。つまり実際の脱衣場面は父親と弟しか知らない。
動揺のあまり取り乱すも、突き付けられた現実が眼に焼き付き、目が離せないでいた。
「……なに」
「ぱ、パンツにブラ？！」
「……はぁ？」
ロン毛メガネの柳家怜は、まごうことなき女性。覆らない現実に膝から崩れ落ちる古賀峰奈南であった。
