その時、々を越えて
半年前、僕はそんな風になるとは露ほども思わなかった。いつもその場所にあったものと、少しばかり離れ離れになるだけだと、そんなふうに気軽に思っていたんだけど。一度離れてしまうと戻れなくなって、そのまま疎遠になって……。
これ以上の事を考えるには、僕の先を歩いていた君の事を思い起こす事としよう。僕は君とあまり共通する話題がなかったように思う。
それでも、あくまで付き合ってくれた君に対して敬意を払って、「誰か」について考える時、共通する話題といえば……阿鼻叫喚の恐怖に対する一体感だろう。
最近は、細かな意義を探るための旅として、恐怖に向き合う事がある。嫌な事、不快な表現、大量にあるけれど、向き合うほどに小さな部分に原石を見いだしていける。それに関して、君の見る世界の深い淀みに対する笑い……つまりは、不条理を愛する心……とはやはり対極にあるのだろう。だから、語り合う時にはどうしても、何ともぎこちなくなってしまう。気を遣わせて、ごめんなさい。
言葉をなくして、声をなくして、ただ向かい合う時に、識者たちの中に紛れている愚者である時に、僕が幸福だったのは、彼らの好きを垣間見て、それらを「好き」と感じる事ができた事。それが、実際には幻想であったか否かは別として。
その時、々を超えて、僕の「好き」を認知する機能も、「好き」を表現する機能も死んでいった。