トマス・アクィナスとコナン・ドイル。
マトリョーシカを三つくらい開けた後に、一番小さいのが出てくるじゃないですか。君と僕の差はそれの一番大きいのと小さいのくらいのもので、凹凸で、考え方も正反対だったから、正直仲良くなれるのかなって思ったんだよね。
苦しい時に滑稽に、真剣な話を柔らかく、のんびりと幸福の中で生きることを学んでいた君は、僕から見ると異形にしか思えなくて、それでもなんとなく触れ合うと、驚くほど鋭かったり、驚くほど胸を打ったり。
人生の中でも素敵な出会いだと思うんだよね、こういうの。
マトリョーシカの両端を拾い上げて思うのは、そういう新しい知見の連続の、楽しみだった。君との会話って楽しくて、でもすごく億劫だった。後にはどっと疲れが来るのに、妙な楽しさも不思議とこみ上げてくる。
超越者と向かい合うことをしない君の強さは、有限の中にある。瞬間を切り取り、学校では教えられないこと全部を信じて、陽気に、一年でも二年でも、楽しくたくさんの出会った人と過ごして。
一方僕は、余暇の全てを調査に充てて、余暇の多くを研究に充てて、特定物ドグマが無くなって途方にくれたり、楽しいことの全てが個人で完結していて。
僕の世界は小さい。マトリョーシカの最後の奴だ。トマス・アクィナスが最後の最後に感じた、人生を賭した研究の虚しさって、なんだったんだろうね。
君なら、何色の研究と名付けるのかな。
素直な気持ち、伝えられているかな?上手くまとめられなくて、ごめんね?