第一章 私のセカイ1
物心ついた時、私に両親なんていなかった。
記憶の中にある親の顔なんて覚えているわけもなく、小さな頃から私は一人きりだった。
何があったのか、なぜ私には親がいないのか、周りの大人たちは言葉を濁すようにあれこれと理由をつけて私に考えさせないようにしていたのだと、今となって振り返る。
――お仕事で遠くに行っているから、いい子にしてなきゃダメだよ?
それがいつもの常套句だと気づいたのは、小学校に入学する一か月前のころだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「夏美~」
季節は春、少し肌寒くも冬の終わりを告げるように小鳥がさえずり、穏やかな風が木々を優しく揺らす。
四国を彩る大自然に囲まれ、豊かな恵みの恩恵を感じつつも、なぜかちょっぴりさびしい気持ちにさせるのは田舎独特の雰囲気がそうさせるのだろうか。
「ちょっと、夏美?」
ああ、こんなにもゆっくりと時間を感じるのは、やはり大自然の――――
「もうっ! 聞いてるの、夏美ったら!」
「うわわっ!」
「なーにが、うわわぁ――よ」
突然の声に思わず恥ずかしい声が意思とは裏腹に出てしまった。
「ど、どうしたの香奈?」
彼女は三神香奈――私の数少ない友達の一人であり、同じ中学校からの付き合いがある。
「どうもこうもないわよ」
そう言って彼女は私が座っている芝、隣へと腰を下ろし、風でなびく綺麗な黒髪をかきあげ、空を見上げる。
――絵になるなぁ
初めて会った時からきれいな女の子だとは思っていたけれど、高校に入学してからは特に美しさに磨きがかかっているのではないだろうか?
本人曰く――特に何もしてない、とのことだが真相は闇の中。
見えないところで努力をしているのかと思うと微笑ましくて、つい頬が緩むのが自分でも分かる。
「ちょっとちょっと、夏美すごい顔してるわよ?」
ふふ――と口元に手を添え、静かに笑う仕草も、どことなく気品あるお姫様のように見えてくる。
「ご、ごめんね」
「なんで謝るのよ」
こんなやり取りはしょっちゅうで、この何気ない会話こそが私の癒しの時間だった。
「それで、話なのだけど」
再び視線は空に向けられ、こころなしか少し寂しそうな目を見せる。
「私、届いたの」
「え――――」
何が届いたのか、内容を聞かなくても一瞬で分かってしまうことに少し胸が痛む。
「――昨日、役所の人が家に来ていたそうなの」
そういって鞄から見せる一通の白い封筒はくしゃくしゃに折られた痕が見え、宛名は文字が滲んで読める状態ではない。
でも、この歳の子供なら誰しも理解できる内容、簡単に言ってしまえば――召集書と呼ばれるもの。
もっとハッキリというと、あなたは兵士となりました――という内容だった。
「残念だけれど、明後日には東京に行かないとダメみたい」
衝撃だった。
ついこの前まで同じ学校で、同じ教室で机を並べて、一緒に勉強して、話をして、笑っていた人物が兵士となって戦場に行く。
そんな事実を受け入れなければならない世の中、ましてや高校に通う少女がいったいどこにあるというのだろう。
いや、それがこのセカイの法律だったのだ。
――――いやあああぁぁぁっっ!
「っ!」
急に辺りに響く女性の悲鳴に私は思わず背筋が伸びる。
「お願いですっお願いですから、この子だけは許してくださいッッ!!」
振り向いた視線の先――母親だろうか、自分と同い年くらいの少女を抱え、必死に黒いスーツの男性に訴えかける女性の姿が目に飛び込んでくる。
見てはならないはずなのに、目を反らしたい光景なのに、体が固まったように動いてくれない。
「私が、わたしがっ! 代わりに――」
「駄目です」
言葉を遮るように、男は何事もないようにただじっと母親の方を見ている。
「なんで――どうしてっ!!」
「ダメだっ奥さん、落ち着いて!」
今にも襲いかねない女性を周りの大人たちが必死に抑えている。
「今村美智子さん――あなたは国が定めた基準を下回っており、現場での行動にリスクを伴う恐れがありますので、不採用だと……三日前に通達していたハズですが?」
「現場……不採用ですって? ふざけないでよっ!!」
怒りは収まるどころか、増すばかりであり、目は血走ってとても女性であるとは思えないほど恐ろしい形相で男を睨みつける。
「ダメだってばっ! アンタも――そんな言い方ないだろっ!!」
周りの大人たちも押さえつけてはいるものの、一緒になって飛び掛かるには時間の問題と思えるほど、それだけに思う気持ちは一緒なのだろう。
「五年前のあの時も……私たち家族から大切な人を奪っておいて――まだ足りないっていうの?」
突然――母親はその場に力なく座り込み、さっきまでとは打って変わって落ち着きを取り戻していく。
「お願いです……わたしから、もう、とらないで――」
「東京へ行く便は明後日の朝、六時に空港へとお越しください――違反行為をすればどうなるのかは……お分かりのはず」
一礼した後、男は何事もなかったかのように颯爽とその場を離れていく。
「悪魔……人殺しっ! アンタたちなんかっ……アンタたちなんか……」
そのあとは、周りの人たちに抱えられてゆっくりとその場を後にする力なき後ろ姿を、ただ見ているだけしかできなかった。
「ねぇ、夏美」
「香奈……」
さっきの出来事が余程堪えたのだろう、顔からは血の気が引き、唇は細かく震えて、両手で体を押さえつけて怯えている友人の姿がそこにあった。
「夏美――わ、わたし」
大丈夫――――そう言えたならどれほど良かったか。
でも、その時の私はただ、黙って彼女の震える体を優しく包んであげることしかできなかったのです。