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私が過去に思いを飛ばしているうちに、お嬢様が悪魔にエスコートされて出ていかれました。もちろん過去を思い返しながらも、笑顔でお見送りしましたよ。
そしてギルバード殿下が復活されたようです。殿下は護衛騎士を四人連れて出ていかれました。ラウルは居残り組のようです。私たちは礼でお見送りします。
「セレナ、一緒にお茶でもどう?」
頭上からラウルのお誘いが降ってきました。騎士になったばかりのラウルと、お嬢様の入学準備に追われていた私は、最近ゆっくり会う時間がなかったので、とてもうれしいです。
喫茶室でお茶とお菓子をいただいて、中庭へ移動します。途中マーサさんに会ったので、ラウルを紹介します。
「私の婚約者のラウルです」
マーサさん、ラウルがイケメンだからって、見すぎないでください。ラウルが減りそうです。マーサさんは面食いなのですね。お嬢様はもちろんですが、悪魔にも時おりうっとりしていますし。
「初めまして。殿下の護衛のラウル・サイクロスです。以後お見知りおきを」
ちょっとよそゆきのラウルがかっこよすぎます。悪魔や殿下たちのような王子様的な容姿ではありませんが、ラウルは目元が涼やかな美形です。漆黒の髪にブルーグレーの瞳は一見すると冷たく感じますが、実際はやさしすぎるくらいです。基本的にへらへらしていて、いつでも誰にでもフレンドリーです。そう、ラウルは女性を勘違いさせてしまう系男子なのです。
「マーサ・カナディンです。アン様専属のコンシェルジュです。よろしくお願いします」
「カナディン家といえば、息子さんが騎士科にいらっしゃいますよね?」
「ええ。息子のクラインをご存知で?」
マーサさん、そんな大きいお子さんがいらっしゃったのですか? 二十代だと思っていました。もしかして後妻に入られたとか?
「はい。クラインとは何度か訓練で一緒になりました。俺、今年卒業したばっかなんで」
ラウルがよそゆきから脱皮しました。
「まあ、そうなんですね。それにしても学園を卒業されてすぐに殿下の護衛に抜擢されるなんて、優秀なんですね」
「そうでもないっす。今回の殿下の護衛は責任者のレオポルドが選抜したんすよ。俺、レオポルドと同級で、それなりにつき合いがあったんで、選ばれただけっす」
ラウルの口調が平民時代に戻ってしまいました。十四歳で父親のサイクロス伯爵に引き取られるまで平民街で育ったラウルは言葉が乱れがちなのです。そういう事情があったので、ラウルは学園の入学が二年遅れて、二つ年下の私や悪魔と同級だったのです。ちなみに学園の入学資格は十四歳から十八歳となっていて、入学が遅れること自体はそれほど珍しくありません。特に領地が王都から離れている令嬢などは、十六歳の社交界デビューに合わせて入学されることも多いです。
「運も実力のうちと言いますから」
悪魔と同窓だった私たちは間違いなく運が悪いと思います。
「あら、セレナさん、ごめんなさい。お茶が冷めてしまうわね」
マーサさん、すみません。私が無表情になってしまったのは、悪魔のことを考えていたからなのです。マーサさんの話が長いとか、ちっとも思っていませんからね。
「よかったら、マーサさんもご一緒にいかがですか?」
本当はラウルと二人っきりがいいですが、新しい職場の同僚との交流も大切ですよね。
「ありがとう。でも、まだ仕事が残ってて」
マーサさん、空気を読んでくれたのでしょうか。
マーサさんと別れて、中庭の四阿に落ちつきました。
「アンちゃんが戻るまで、セレナも休憩だろ?」
たしかに今日はお嬢様が戻られるまで、特別やることもないので頷きます。
「ねえ、ラウル。お嬢様をアンちゃんなんて呼んで、悪魔に何も言われないの?」
「言わせねえよ。最初、あいつはさ、俺に六つも下の嬢ちゃんを、カーター伯爵令嬢って呼べとか言ったんだぜ。社交の場でならともかく、普段からそんな長ったらしい呼び方、かったるくてできるかよ。だからさ、ちょっとばかし、あいつを脅したわけ。そしたらアンちゃんでいいってさ。魔女の薬茶でも飲んだようなしっぶい顔で。よっぽど俺にアンちゃんの名前を呼ばれるのが嫌なんだろうな」
平然と悪魔を脅したとか言っていますけど、こういうとき、ラウルって何者って思ってしまいます。
「ラウル……あの悪魔を脅すって」
「そりゃあね、四年間もご学友ってやつをやってれば、互いの隠したいことの一つや二つ、知っちゃうわけ。不可抗力ってやつで。あいつはね、攻撃力に優れている分、防御力はいまいちなんだぜ」
まあ、それは少しわかりますけど。悪魔はお嬢様に自分からふれる分には正気を保っていますが、お嬢様からふれられると、とたんにどこか遠くへ旅立ってしまいますものね。
「その隠したいことって何?」
めちゃくちゃ気になりますよ。悪魔の弱みとか、私の大好物ですから。
「うーん。それは愛しのセレナにも教えられないなあ。男同士の秘密だからね」
「えー」
「セレナだって、アンちゃんのことで、俺に言えないこと、あるっしょ?」
「うん」
それはありますよ。もちろん。主従関係の守秘義務とかそういう問題ではなく、主に乙女の問題で。
「そういうこと」
ラウルがお茶を飲んで目を細めます。私も口をつけてみますと、とてもおいしいです。喫茶室で分けてもらった茶葉は、高級品のようです。お嬢様が飲まれるのだと勘違いされたのかもしれません。
「それにしても、マーサさんに私たちと同年代のお子さんがいるなんて驚いたわ」
年齢的に既婚者だと思ってはいましたが。
「ていうか、クライン、三男だぜ」
「へ」
「すげえ若く見えるけど、あの人四十超えてっから」
マーサさん美魔女でした。秘訣をご教授願いたいです。
「品行方正で温厚な子爵夫人。旦那の子爵は騎士で王都警備四番隊の隊長、上の二人の息子はどっちも文官で王城勤務、下の息子のクラインは寮生活中。別に生活に困ってるわけじゃねえとこ、レオポルドが口説き落した。アンちゃんの周辺に危険人物をおきたくないんだろ」
「そうね」
悪魔は過保護です。自分の至宝が誰かに傷つけられないように、盗まれないように、いつも目を光らせています。
その被害者が私たちです。私たちは私が学園を卒業した二年前に婚約し、今年、ラウルの卒業を待って結婚するはずでした。ラウルは庶子ですが伯爵家の一人息子なので、卒業後は領地へ戻って経営の勉強を始めるはずだったのです。ラウルの卒業を待つ間、私はサターニー公爵家へ花嫁修業のために侍女として上がりました。その半年後、悪魔の命令でカーター伯爵家の侍女にさせられました。我が子爵家はさほど裕福ではないので、侍女として働くのに異存はありませんでした。お嬢様は顔も性格もかわいらしくて、旦那様と奥様も使用人の皆様も親切で申し分のない職場でした。しかしそれはラウルの卒業までの約束でした。
昨年の秋のことでした。急に悪魔が「アニーと一緒に寮に入ってもらうから」と言い出したのです。それから「ラウルは領地へ戻る前に、人脈作りのために、数年は王都で騎士をするらしいから、ちょうどいいだろう」と言ったのです。
ラウルに確認すると「新米騎士では食べていくのが大変だから、生活が安定するまで少し結婚を待ってほしい」と言われました。サイクロス伯爵家は裕福です。一人息子の生活費を援助できないはずがありません。だから、私をお嬢様と一緒に寮へ入れるために、悪魔がラウルに何かしたに違いないのです。弱みを握って脅したとか、魔力で威圧して脅したとか。しかしラウルに訊いても「レオポルドは何もしてないよ。俺がレオポルドの脅しに屈すると思うかい」と言って笑うばかりなのです。
とにかく悪魔のせいで、私の結婚はお預けになったのです。
「これ、うまいわ」
ラウルがお茶請けのパウンドケーキを頬張って笑顔を作りました。私が心の中で思っていることが伝わってしまったのでしょう。空気を変えるようにラウルが微笑みます。ラウルに微笑みかけられると、私の心の棘が取れていくように感じます。
「すぐに一人前の騎士になるから」
やっぱり私の気持ちがわかっていたようです。でもどうして一人前の騎士になる必要があるのか私には理解ができません。領地経営に腕力は必要ですか?
「愛してる」
ラウルがこめかみにキスを落としてくれます。ラウルにキスされると、皮膚がピリリと喜ぶように反応します。胸もときめいて、怒りや不満が霧散してしまいます。
「お返しは?」
ラウルがさし出してきた頬へ私もキスを返します。誰もいないとはいえ、学園の寮内でこんなふうにすごしていてよいのでしょうか。その背徳感が私のドキドキを増幅させます。
それから私たちは互いを補給し合いました。別にいかがわしいことをしていたわけではありません。ぴったりとくっついて、言葉で愛を確かめ合っただけです。
甘い時間に満たされて、私とラウルは時間を忘れていたようです。
「あの、セレナ?」
お嬢様の声で我に返った私はラウルの腕から飛び出しました。
「お、お嬢様っ」
「ごめんなさいね。邪魔するつもりはなかったのだけど」
お嬢様は眉を下げた困り顔で少し赤面していらっしゃいます。
「申し訳ありません。お嬢様」
「ラウル様もごめんなさいね。でもセレナがいないと、何もできないのよ、私」
お嬢様かわいいです。お嬢様はそこに存在しているだけで万物の癒しですので、何もしなくていいのですよ。
「でも二人はこんなに仲がいいのに、なぜまだ結婚しないの?」
絶句です。
お嬢様がそれをおっしゃいますか。お嬢様のせいだとは言いませんが、いえ、お嬢様のせいでもあるのですよ。でもお嬢様を責める気はないのです。すべては悪魔の仕業なのですから。
「子供がたくさんほしいので、少し金を貯めてからと思っているんですよ」
ラウルがお嬢様用の答えを口にしました。
「まあ、ラウル様はとてもしっかりとしたお考えをお持ちなのですね」
お嬢様はラウルをキラキラの目で見ますが、ラウルはお嬢様の攻撃に強いのです。平然としています。だから悪魔にも強いのかもしれませんね。
「ありがとうございます。レオポルドは早く子供がほしいみたいですよ、なっ、レオポルド」
ラウルがこんなことを言うのは珍しいと思っていると、悪魔が近くにいたようです。気配を消して近づくとか、さすがストーカーは違います。もしかして転移で来たのでしょうか。
「よく言ってるよな、レオポルド」
電光石火で真っ赤になったお嬢様と、なぜか青くなった悪魔をラウルが笑って見ています。
「ア、ア、アニー」
いやいや悪魔、そこまで動揺しなくても。引きますよ、私が。
「は、はい」
お嬢様は動揺していてもかわいらしいです。小動物みたいで。
「その、それはだな」
「はい」
「決して、その、いかがわしいことを考えて、とか、おかしな意味ではなく」
それって自白ではないですか? いかがわしいこと考えていますって言っているようにしか聞こえませんよ。
「はい」
「……そう、アニーの子供なら、絶対にかわいいだろうなと、いつも思っているだけだ」
やっと言い訳を思いついた模様です。悪魔にしては遅いですね。ただお嬢様の子供がかわいいという意見には激しく同意しますけど。
「……私はいつか、レオ様に似た子供がほしいですわ」
お嬢様は純粋に子供がほしいだけですよ。真っ赤になって、何を想像しているのですか?
「アンちゃんがどっちも産めば問題ないよ。アンちゃんに似た子と、レオポルド似の子」
ラウルの言葉にお嬢様が頷かれます。
空気が甘ったるいですね。自分で作っている分には平気なのに、人のときは胸やけするのはなぜでしょう。というわけで、そろそろ空気をぶった斬らせていただきます。
「ところで、お嬢様は私を呼びにいらしたのでは?」
お嬢様がハッとした顔で私を見ます。ううん、かわいい!!
「そうだったわ、セレナ。レオ様が寮の説明をしてくださるのですって、私一人で聞いても忘れてしまうかもしれないから、一緒に聞いてくれない?」
「はい。ではお部屋に戻りましょうか」
「片づけは俺がしとくから、行っていいよ。ただアンちゃん、ちょっとだけ、レオポルド貸してね。男同士の話があるから」
「はい。では先にお部屋へ行っていますね」
赤面している悪魔のために、男同士の話などと、ラウルが助け船を出したことは、お嬢様には気づかれていない模様です。