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 まだ話すことが多いのでしょうか。睡眠不足に違いない兄様が自分用のコーヒーを淹れにキッチンへ立ちました。

 私は目が覚めてから、ずっと気になっていた魔力ノートを開きます。


『セレナに会いたい』


 私も会いたい。それを伝えられないもどかしさと切なさが、むなしく胸に広がります。

 そして、どれほど目を凝らしても、ページをいくらめくっても、それ以上新しい書きこみはありませんでした。ラウルはノートに文字を書くことすら困難な状況なのでしょうか。ラウルのことが気になります。


 兄様がコーヒーのよい香りと一緒に戻ってきました。コーヒーは苦手ですが、コーヒーの香りは好きです。心が落ちつく気がします。


「どうした、セレナ?」

「ラウルからの書きこみが少なくて」


 兄様が黒い魔力ノートを見て、それから短くため息を吐きました。ラウルに何かよくないことが起きたのでしょうか。怪我、病気、懲罰房……悪い想像ばかりしてしまうのは心が疲れているからでしょう。


「あー。これから話すけど、ラウルは元気だから心配はいらない。そんな顔するな」

「どんな顔ですか?」

「こんな顔だ」


 私を笑わせようと兄様がおかしな顔をしたのに、涙腺が刺激されてしまうのは、私があまりにも感傷的になっているからでしょう。


「せめて笑ってほしいんだが」

「兄様」


 ごめんなさい。そう心で謝って微笑もうとしたのですが、うまく笑えませんでした。鼻の奥がつんとして、目の奥がじんとして、胸の奥がきゅっとしているのです。


「セレナ」


 私の感傷が伝染してしまったような兄様の声に、申し訳なさでいっぱいになります。


「兄様、もっと面白い顔をしてくれなければ笑えません」


 涙の気配を無視して、笑顔を作りました。それなのに目が潤んでしまうのをとめられなくて、私は自分の感傷に振りまわされている不甲斐なさに、もういっそのこと思いきり泣いてしまいたくなります。


「セレナ、涙を我慢する必要はない」


 兄様のやさしさが涙の栓を抜いてしまいます。


「ひどいです、兄様。泣きたくないのに」




「小さい頃はセレナを泣かすのが楽しかったんだけどな」


 泣いている私を見て、兄様が漏らした言葉が、夜の空気にとけていきました。




 涙が心の澱をいくらか流してくれたのでしょうか。涙が引くと、いくらか胸が軽くなった気がします。


「さあ、もういいかな?」


 コーヒーのおかわりを取りに立った兄様が、私用にミルクティーを淹れてきてくれました。香りまで甘いミルクティーはやさしい味がします。


「兄様、泣いたらすっきりしました。話の続きをお願いします」


 聞く体勢に入った私を見て、兄様は口角を少し上げてから話し始めました。


「そうしようか。まずは今回のことだが、あの場に居合わせたギルバート殿下と護衛騎士以外の目撃者はいなかった」


 王族専用寮と学園をつなぐ道だった上に、刺客との接触がわずかな時間だったので、誰にも見られなかったのでしょう。


「護衛騎士たちには前回同様、箝口令が敷かれている。昼日中に王立学園内に刺客の侵入を許したという不名誉なことは、騎士たちも口にしたくはないだろう。それから刺客を追ってはいるが今のところ何の手がかりもない」


 変身魔法を駆使する刺客を捕まえることは困難を極めるでしょう。どうやって捕獲するつもりなのか、門外漢の私には想像もつきません。


「レオポルドの攻撃をまともに受けた刺客は大怪我を負っている。そのせいでまともに身動きが取れないのか、あるいは怪我を隠してすでに国外へ出たのか、何もわかっていない。一応国境守備隊に刺客の存在は通達してあるが、刺客を発見するのは難しいだろう」


 国全体には特殊な結界が張られているので、転移で国境線を越えることはできません。しかし国境を通るのに、それほど煩瑣な手続きは必要ない上に、厳しい審査もないのです。国から発行された旅券を提示し、目的を申告すればいいだけなのです。国内に入ることができた刺客にとって、出ることはもっと簡単でしょう。


「そして今回の刺客に、またラウルの姿が利用されたことが問題になった。セレナと殿下の噂を真に受けたお偉方が豊かな妄想をして、ラウルは一時身柄を拘束された」

「えっ!!」

「一時だ。もうすでに解放されている」

「妄想とは何ですか?」


 ラウルはどういう理由で拘束されてしまったのでしょう。


「聞いて気持ちのいい話ではないよ?」

「かまいません。お願いします、兄様」


 言いよどむ兄様に、続きを促します。


「……殿下に心変わりしたセレナ。セレナを自分から奪った殿下。二人を恨んだラウルが刺客に協力して、セレナと殿下の暗殺を目論んだ。そういう途方もない妄想だ」


 第三者から見た私たちの関係の行きつく末、なのかもしれません。もちろんありえない話ですが。


「まあ今回の場合はラウルが再訓練施設にいたことで、疑いは早々に晴れた。前回の刺客騒動からずっと、ラウルには監視がついていたから、刺客と接触していないことは明白だった。それ以前に依頼していたのではないかと、しつこく言うやつもいたが、殿下自身がセレナとの仲は誤解だとはっきりと明言したこともあって、うるさいやつも口を噤んだ」


 殿下の言葉で閉じた口が、殿下のいないところではまた開くのでしょう。黙らせられた鬱憤がラウルに向かないことを祈るしかありません。


「まあ、そういうことだ。ラウルの話はこれくらいにして、アン様のことだ。刺客の件は今回もアン様に伏せることになった」

「はい」


 気持ちを切り替えるために深呼吸をしました。ラウルのことは心配ですが、ラウルのためにできることは、私が元気になってラウルを待つことだけなのですから。


「レオポルドが考えた嘘をアン様は信じられている」

「私もその嘘を暗記すればよいのですね?」


 悪魔は嘘が得意ですから、お嬢様をすんなりと騙せたのでしょう。


「変身魔法を駆使してラウルになりすましたセレナのストーカーが、セレナを連れ去ろうとして学園に侵入した」

「待ってください、兄様。いくらなんでも私にストーカーなど、お嬢様でも不審に思われます」


 ストーカーというのは執着心の塊です。誰かを執着させるような魅力が私の中には見当たりません。


「アン様が信じられているのだから、問題ない」

「……はい」


 お嬢様は人を疑うことを知らないのですね。


「ストーカーに強く引っ張られたセレナは肘を脱臼し、さらにストーカーを撃退しようと、できもしない攻撃魔法をくり出し、魔力枯渇を起こして眠りつづけることになった。アン様は転移してきたレオポルドの姿を見て安心して、気絶されたことになっている」

「はい」


 私は自分の力量もわからずに魔法を使った間抜けの設定なのですね。さすが悪魔です。嘘の中でも私を貶めるのですから。


「レオポルドは転移後すぐさま攻撃魔法を放ったが、ストーカーは転移魔法が使えたため逃げてしまった。ストーカーはまだ見つかっていないから、十分に注意するようにと、アン様には話してある」


 かなり無理のあるストーリーだと思うのですが、お嬢様が納得されているらしいので、私は口裏を合わせるのみです。


「睡眠魔法をとかれたアン様は、この嘘の説明をレオポルドから受けたあと、ひどく泣かれた。セレナの通信具を自分が借りてしまったから、セレナが怪我をしてしまったのだと言われて」

「まあ」


 私の怪我はお嬢様のせいなどではないのに。

 たしかに防御魔法のかけられた通信具を身につけていたら、私は無傷だったかもしれません。しかし無傷のまま、きっと刺客に攫われてしまっていたのです。誘拐後はきっと魔法封じの魔法縄につながれて、通信具も取り上げられていたでしょう。そして私が殿下の恋人でも何でもないとわかったときに、私の命は散らされてしまったことでしょう。利用価値のない人質など、生かしておく理由などないのですから。

 今回私がこうして何とか助かったのは、お嬢様が壊れていない通信具をつけられていて、悪魔をあんなにも早く呼んでくださったおかげでしょう。私が通信具をつけていて、悪魔を呼んだところで、あんなにすぐ来てくれるはずがないのですから。


「アン様はセレナを心配するあまり、食事が喉を通らないご様子で、レオポルドが気を揉んでいる。朝になったら元気な姿を見せて、安心していただきなさい」

「はい、兄様」


 お嬢様にかけてしまった心配を思うと、胸が痛みます。


「それから、セドリック殿下に関する話だ」

「殿下の?」

「ああ。セレナが知っておかなければならない話があるのだ」


 私と兄様の真夜中の話し合いはまだまだ終わりそうにありません。


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