27
セドリック殿下が悪魔のこめかみからそっと唇を離します。
「楽になった?」
「少しは」
「ふふ、お前が少しということは、それなりに効果があったのだろうね」
「ふん」
悪魔がわかりやすく恥ずかしがっています。治癒魔法に効き目があったことを認めることの何が恥ずかしいのか、私にはさっぱりわかりません。
「ん?」
殿下と目が合います。何でしょうか。見惚れていたのがばれてしまったのでしょうか。
「セレナもしてほしいの? おやすみのキス」
「からかわないでくださいっ!!」
「からかってなどいないよ」
殿下が笑いながら私のこめかみにもキスを落としてしまいます。
「殿下!!」
「何? もう一回?」
「そんなこと言っていません!!」
「セレナ、相手にするな」
悪魔が助け船を出してくれます。今日は悪魔に助けられる一日のようです。
「早く、寝室に行くぞ」
助けてくれたわけではなかったのですね。悪魔はただお嬢様と早く同じベッドで横になりたいようです。感謝して損しました。
「ちょうどレジナルドたちも結界を張り終えたみたいだね。私もそろそろ下へ行くよ」
殿下が手をひらひらさせて部屋を出られると、入れ替わるように兄様が入ってきます。
「レオポルド様、今から結界を張りますので、もう少々お待ちを」
兄様が筒状の魔法具で部屋を見回します。
「サーチくらい、私がやる」
「レオポルド様、邪魔しないでください」
兄様は強いです。悪魔をひと言で黙らせて、となりの部屋へ移動していきました。
「なあ、セレナ」
「はい」
「今日は悪かったな」
「……はい?」
悪魔が謝るなんて、雨が空に向かって降りますよ。
「アニーが狙われていることがわかって動転していたんだ。それでセレナに睡眠魔法をかけるのを忘れた」
殊勝な悪魔なんて、まったく悪魔らしくありませんね。調子が狂ってしまいますよ。
「別にいいですよ。結界で守ってもらえていたわけですし」
「でも泣いていたろう」
「…………」
「セドリックに言われた。アニーを守るためにセレナを犠牲にするなと。もしアニーが自分のためにセレナがつらい目に遭ったことを知ったら、私を許さないだろうと。それか守られることを拒否するようになると」
「そんなこと……」
あるかもしれません。お嬢様はそういう高潔さをお持ちなのです。
「大丈夫ですよ。言わなければわかりません」
「そうだな」
「はい」
何だかしんみりしてしまったところへ兄様が戻ってきました。
「完了いたしました」
「ああ」
寝室に移動しようと立ったところで、ふと気がつきます。
「そういえばお嬢様には真実をお伝えするのですか?」
「まさか、お前はやっぱり馬鹿なのか」
本日何度目の馬鹿呼ばわりでしょうか。さっき鷹揚な心で悪魔の失態を許してあげたことをもう忘れてしまったのですか?
「刺客に狙われているなどと、アニーに話すと思うか?」
「思いません」
「防犯訓練だったということになった」
「防犯訓練ですか?」
「ああ、詳しいことはレオポルドに聞け。朝まで寝ないんだろ?」
悪魔が欠伸を噛み殺しながら、お嬢様を抱いて出ていってしまったので、私も慌ててあとを追います。夜の寝室に悪魔とお嬢様を二人きりにするわけにはまいりませんから。
ベッドに入るなり悪魔は寝息を立て始めました。よほど疲れていたのでしょう。
私は兄様から今日の騒動を対外的には防犯訓練だったと発表したと説明を受けました。お嬢様には明日の朝、悪魔が話す予定です。
「セレナ」
「はい」
どうしてもお嬢様のベッドのほうを見てしまいます。殿下の命令という形で同意させられてしまったわけですけれど、お嬢様が悪魔と同じベッドで眠られていることがどうしても許せません。耐えられません。苦行です。
「見ていたところで面白いことなど起きはしないよ」
わかっています。見ていても不愉快なだけですよ。私の大事なお嬢様がこんなにも早く、成人前に、結婚前に、悪魔と同衾することになるなんて。いえ、同衾という言葉はどこか淫靡でいただけませんね。悪魔とお嬢様はあくまで添い寝です。でも言葉を変えてみたところで事実は変わりません。これは悲劇です。
「セレナも聞いていただろう? 魔力が安定しない状態で、体をつなげるのは命取りだ。レオポルドはビビリなんだから、アン様を道連れに危ない橋なんて渡れない」
そういう問題でしょうか。私だって、悪魔がここで最後までいたすと思っているわけではないのです。もっともっと前段階の心配をしているのですよ、兄様。
「それにね、あの嫉妬の鬼のレオポルドが、私がアン様の寝室にいることを黙認している時点でわかるだろう? レオポルドは不安なのだよ」
「不安ですか?」
「ああ。怖いのだ」
「怖い?」
悪魔が何を恐れるというのでしょうか。人を恐れさせるのは上手ですが。
「自分が寝ている間に何かが起こることが」
「でも眠っていても高度な魔力探知ができるはずでは?」
「ああ、普段ならね。でも今日はどうだろうね。魔法熱の解明は進んでいない。だから何が起きるかわからないんだよ。幼い頃のレオポルドは魔法熱で何度も意識を飛ばしたし、何度も魔法が使えなくなった」
魔法熱は未知の病です。命を落とす人も少なくありません。
「だからね、今、アン様にかかっている睡眠魔法はかけ直してあるんだ。レオポルドが万が一死んでしまったら、アン様の睡眠魔法をとける人間がいないかもしれないからね」
「…………」
悪魔が魔法をかけたままで命を落とすことになったら、悪魔がかけた魔法が未来永劫とけない可能性があるということでしょうか。
「あくまで可能性があるというだけだよ。多分実際にレオポルドの命が尽きたら、かけていた魔法も消えるはず。でも王国でこれまでレオポルドほどの魔法使いがいた記憶がない以上、確実ではない。それでかけた保険」
それにしても、お嬢様に他人が魔法をかけるのをよく悪魔が許しましたね。私の生活魔法にすら嫉妬することさえありますのに。
「兄様がかけられたのですか?」
「いや、セドリック殿下だよ」
「殿下が?」
殿下はお嬢様にもキスをされたのでしょうか。胸がざわつきます。吐き気に似た嫌悪がせり上がってきます。
「セレナ」
「……はい」
「殿下は睡眠魔法が得意だ。目の前に手をかざすだけでかけられる。接触が不要だったから、レオポルドも許した」
ホッとしてしまった自分の浅ましさが恨めしいです。たとえキスだったとして、私に何を思う権利があるというのでしょう。
「セレナも殿下に魔法をかけてもらったね」
「……はい」
ぎくりとしてしまいます。兄様には魔力の痕跡がはっきりと見えているのでしょうか。
「普段の私なら気がつかなかっただろうけれど、さっきサーチの魔法具に映ったセレナを見て驚いたよ。目と額と唇に、殿下の痕跡が色濃い」
血の気が引きます。魔力持ちというのはその痕跡で行動をたどれてしまうものなのです。
「セレナ」
「……はい」
兄様の瞳がやさしくて、そのやさしさが私の心の疚しさを責め上げます。
「殿下は決して女性に本気で惚れたりしないし、国のためにならない女性と結婚したりしない」
そんなことは私だってわかっていますし、望んでいません。
「セレナをからかったのは気まぐれだ。そういう方なのだ」
そうでしょう。からかわれただけです。ただの暇つぶし。それくらい理解しています。
「それからセレナがもし心揺れ動かされたのだとしたら、それは魔力の影響だ」
「魔力の影響?」
「ああ。王族の魔力は特殊なのだ。魔力の弱い人間は王族の魔力にあてられる。酒に酔うように、魔力にも酔うことがある。酒に酔うと気持ちよくなるだろ、それと一緒だ。普段は殿下も制御されているが、今日は色々おありだったから制御が甘かったのだろう。だから忘れるんだ」
「忘れる?」
「ああ。忘れろ。殿下の魔力に揺らされて傷つくのはセレナだ。魔力に揺すられてしまうのなら、殿下との接触を避ければいいだけだ。幸いセレナと殿下は接触する必要のない関係だ」
「…………」
私の心は本当に殿下の魔力に惑わされていただけなのでしょうか。
「セレナ」
「はい、兄様」
「ラウルが心配していた。ラウルの真心を踏みにじるな」
兄様が汗を流しに行きましたので、私は明かりを落とした静かな寝室で、自分の心に向き合います。
恐慌状態だった私はセドリック殿下のあたたかい癒しに心を救われて、それからあたたかい治癒の魔力を受けて、殿下の心地よさに浸りました。しかしそれが愛であるかと問われれば、私は否やと答えるでしょう。
私にとって愛はもっと双方向のものなのです。
では殿下に感じた胸の痛みや鼓動が恋かといえば、それもまた違うでしょう。
私にとって恋とはもっと身勝手なものなのです。
私の知る恋も、愛も、そこにはラウルがいるのです。それ以外の恋愛を私は知りません。
では殿下へ向かうこの感情は何なのでしょう。この感情に名前をつけたくない自分の本心には気がつかないふりをして、私の知る唯一の恋を心に思い浮かべます。
セレナの長い一日がやっと終わりました。
こんなにも進みの遅い物語を読んでくださってありがとうございます。
次回はレジナルドメインの番外編の予定です。




