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エントランスホールではすでに旦那様と奥様、そしてかすみ草の花束を抱えたラインハート様がお待ちでした。
「入学おめでとう、アン。制服がとっても似合ってるわ」
笑顔の奥様。
「本当、お母様? あまり着たことのない形だったから不安だったの」
体のラインを拾わない少々野暮ったいデザインの足首までの長さのワンピースは、今年から新しくなった制服です。昨年までは体のラインがきれいに見えるふくらはぎまでのワンピースでしたが、お嬢様の露出を気にする悪魔が、権力を駆使して変更してしまったのです。下着が透けるのを防ぐために、夏服も冬服も色がネイビーなので、夏場は暑苦しいことでしょう。
「アン、今日からアンのいない生活が始まると思うと……」
涙目の旦那様。
「お父様、私もさびしいですわ。でも週末も長期休暇も帰りますわ」
週末は悪魔が予定をびっしり組むでしょうし、長期休暇は花嫁修業と称して公爵邸へ拉致する計画を悪魔が立てていますが、私が言うことではございませんね。
「アン、入学おめでとう。これからは毎日会えるね」
かすみ草の花束をお嬢様に手渡されるラインハート様。
「お兄様!! 私がかすみ草の花束をほしがっていること、ご存知だったのね!!」
ラインハート様がお嬢様から熱烈なハグと頬へのキスを贈られて身悶えております。ラインハート様、そこまでデレられると、せっかくの美形が台なしです。お嬢様、せっかくのかすみ草の花束がラインハート様の背中でピンチです。早めに私に渡してください。
そしてお嬢様がとろけるような笑顔を浮かべていらっしゃるのを、たまたま下りてきたギルバート殿下が目撃されたようです。殿下、鼻の下、めちゃくちゃ伸びています。口も開いています。とてもだらしないお顔になっていますよ。そしてそれをちょうどチューリップを買って戻ってきたらしい悪魔に見つかって、ものすごく睨まれています。今にも攻撃魔法をくり出しそうな悪魔。殿下の後ろの護衛騎士たち、殿下を悪魔から守る気ありませんよね?
チューリップの花束は兄様が背中に隠していますから、お嬢様は気づかれていませんね。サプライズは成功しそうです。
「アニー!!!」
悪魔はお嬢様をアニーと愛称で呼びます。そしてほかの人には、決して呼ばせません。たとえ実の親である旦那様であっても。悪魔は恐ろしいほどの独占欲の塊です。
「まあ、レオ様!!!」
悪魔の本性をご存知ないお嬢様は、悪魔の登場に大喜びでございます。
「遅くなってすまないね」
悪魔がかっこつけています。髪をかき上げるのうっとうしいからやめてください。それか切ってください。お嬢様にきれいだと褒められてからずっと伸ばしている胸の下まである長髪、マジでうざいです。
「お忙しいレオ様に来ていただけただけでもうれしいですわ」
お嬢様のその笑顔、反則です。まぶしすぎます。悪魔も直視できずに、旦那様の顔なんて見ています。旦那様は悪魔に見られて、居心地が悪そうです。
「実は仕事でもあるのだよ」
「そうですの?」
「ああ。まずその前に、伯爵、伯爵夫人、ご息女の学園入学おめでとうございます。それからラインハートも高等学園入学おめでとう」
悪魔がお嬢様の満面の笑み攻撃を避けて、お嬢様のご家族へ挨拶をしました。
「ありがとう、ございます」
旦那様、笑顔が引きつっていらっしゃいます。思いっきり。
「どうも」
ラインハート様、もう十六歳なのですから、もう少しポーカーフェイスを心がけられたほうがよろしいかと、お気持ちは重々わかるのですが、悪魔を睨むとあとが怖いですよ。それに不本意だったかもしれませんが、先ほど、悪魔のおかげでお嬢様から熱烈なハグアンドキスを受けられたばかりではございませんか。少しくらい態度を軟化させても罰は当たらないと思いますよ。
「まあ、レオポルド伯爵。今日はおいでいただきありがとうございます」
そうでした。悪魔は高等学園卒業を機に、公爵家で余っていた伯爵位を継いだのです。領地なしとはいえ、若干十八歳にして、旦那様と同じ爵位です。ちなみにそれで態度が大きいわけではありません。悪魔が尊大なのは元々です。
「魔法省の正装ですわね、レオポルド伯爵。とてもお似合いですわ」
「ありがとうございます」
奥様は悪魔の本性を知りながらも、お嬢様との婚約を心から望んでおられる稀有な方でございます。まあ、たしかに悪魔は魔法省の正装の濃紺のローブを着こなしています。地味な装いなのになぜか華やかに見えるのは、悔しいけれど、悪魔の見目が麗しいからでしょう。
「伯爵夫人も素敵ですよ。もちろん、アニーの次にですが」
流し目やめてください。そしてお嬢様、悪魔にポッとしないでほしいです。そのお嬢様の恥じらいを見た周囲の人間が赤面することになります。私もちょっと頬が熱いです。
「まあ、まあ。ご馳走様。そうそう、伯爵、魔法省へ入られたばかりなのに、魔法道具課の主任になられたとうかがいましたわ。おめでとうございます」
「ありがとうございます、夫人」
魔法使いのエリートが揃う魔法省で、最年少主任だとか、さすが悪魔です。
「まあ、レオ様、もう主任になられたのですか? 素晴らしいですわ」
お嬢様、食いつきがよろしいことで。悪魔、お嬢様に褒められて、にやけがダダもれていますよ。
「ああ。それと、魔法道具課と兼任で、魔法騎士の職にも就くことになったんだ」
異例の兼務をさらっと言いやがりました。悪魔はその人並み外れた魔力を買われ、在学中どころか、就学前から、魔法省と魔法騎士団から熱烈なオファーを受けていました。悪魔は魔法道具を作るのが趣味なので、ずいぶん前から魔法省へ入ることを決めていたのですが、魔法騎士になれば、学園で寮生活を送られるお嬢様のそばにいられることがわかって、魔法騎士団へも籍をおくことにしたのです。
「まあ、魔法騎士ですか?」
「一応ね」
「まあ!! 魔法騎士といえば、誰もが憧れる職業ではありませんか。魔法力のみならず、騎士としての力量と志も必要とされる、大変なお仕事ですわ」
お嬢様、悪魔に志などありません。あるのは醜い下心のみでございます。
「それでね……」
悪魔がお嬢様のお目目キラキラ攻撃にやられて、言葉につまってしまいました。
「…………」
「レオ様?」
「……ああ、すまない。ちょっと寝不足でぼーっとしてしまったよ」
悪魔は息をするように嘘を吐きます。
「まあ、心配ですわ。これから私は寮生活ですので、今までみたいに、レオ様と一緒にはいられないのですよ。ですから、ご自分でしっかり健康管理なさってくださいね」
ああ、そうでした。お嬢様には悪魔もこの寮で一緒に暮らすのだということを内緒にしておりました。もちろん悪魔の意向で。それと、お嬢様、その上目遣いが、悪魔の生命力を削っているのです。
「……アニー、そのことなのだけど」
「はい」
「私はそこにいるギルバートの護衛に就くことになったから、この寮で一緒に生活することになるんだよ」
「!!!!!!!!」
お嬢様、驚きすぎて声が出ていませんよ。そして、殿下の存在忘れておりました。ずっと階段にいらっしゃったのですね。下りるタイミングを見失われたのですね。ご愁傷様です。
「アニー」
悪魔のくせに甘ったるい声、出さないでください。鳥肌が立ちます。
「……本当ですの?」
お嬢様、そんなに悪魔と一緒にいられるのがうれしいですか? 私たちは地獄ですけど。
「ああ、喜んではくれないの?」
お嬢様が喜んでいるのをわかっていて訊くのですよ、悪魔は。
「喜んでますわ!!!」
お嬢様が悪魔に飛びつきました。ハグ攻撃炸裂。悪魔、ついに昇天。お嬢様は気づかれていませんが、悪魔、白目をむいていますよ。このままだと悪魔死んじゃいますよ。悪魔が死ぬのはかまわないですけど、このままではお嬢様が殺人犯になってしまいますから、とめますね。
「お嬢様、殿下への挨拶がまだでございます」
旦那様も奥様もですよ。皆様、もう少し、自国の王子殿下へ気をつかいましょうよ。
「あっ」
お嬢様、やっと悪魔から離れたのはいいですが、殿下のこと眼中になかったって、顔に出しすぎです。放心状態の悪魔は放っておきましょう。
「ギルバード殿下。このたびはご入学誠におめでとうございます」
旦那様の挨拶、あまりに心がこもっていませんよ。とってつけた感半端ないです。
「おめでとうございます、殿下。アンのこと、よろしくお願いいたします」
「……ああ」
奥様の挨拶には深い意味ないですよ、殿下。顔が赤くなっていますよ。
「ギルバード殿下、挨拶が遅れてすみません」
お嬢様が殿下に礼をされました。
「……いや……か、まわない」
殿下が挙動不審なのはいつものことです。殿下は初恋のお嬢様のことが今でも諦められずにいるのです。そんな長年の片思いの相手と、寮とはいえ一つ屋根の下で暮らすことになるなんて、しかも思い人の婚約者の悪魔も一緒に、残酷ですわね。
「ギルバード殿下、これから二年間、よろしくお願いいたします」
はい、お嬢様の得意の笑みです。こういう笑顔の作り方を花が咲くというのでしょう、とか暢気に考えている間に、殿下、鼻から血が。
「……ああ」
殿下、せっかく下りてこられたのに、また二階へ戻っていかれます。まあ、鼻血がとまるまで移動はできませんものね。殿下のあとを護衛騎士たちが追います。その中に私の婚約者のラウルの姿も見えました。さっきは見えなかったので、途中で合流したのでしょうか。あっ、今、私にウインクしてくれました。私も鼻血出そうです。
「あら、殿下、忘れ物かしら」
どうやらお嬢様は鼻血に気づかれなかったようです。よかったですね、殿下。
殿下があまりにも不憫なので、お嬢様は殿下のお気持ちにはずっと気づかないでいてあげてくださいね。
誤字訂正しました。報告ありがとうございます。