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「ねえ、どうして誰にも会わなかったのかしら?」
寮内の見学を終えて、自室でお茶をされているお嬢様が不思議そうにおっしゃいました。たしかにこの広い寮の中、一階のエントランスホール、食堂室、喫茶室、娯楽室、そして中庭と、どこへ行っても私たち以外の姿はなかったですが、それは意図的なのです、お嬢様。
「ねえ、マーサ、どうしてかしら?」
お嬢様、不用意に小首を傾げてはいけません。耐性のある私ならまだしも、初対面のマーサさんは息をするのも忘れて見惚れてしまっています。
「………………」
マーサさん、カムバック……しないので仕方ありません。私が代わりにお答えしましょう。
「お嬢様、こちらは王族専用の寮でございますので、お嬢様と第二王子のギルバート殿下しか入寮されておりません」
そのお顔、やはり気づいていらっしゃらなかったのですね、お嬢様。
ちなみに職員たちは悪魔の言いつけで、事務室と控え室から出てこなかっただけで、気配はしておりましたよ。
「殿下はすでに二階にある自室に入られておりましたので、見学中、誰にも会わなかったのでございます」
「……セレナ」
「はい」
「私は王族ではないのだけれど」
存じておりますよ。
「お嬢様の婚約者の悪魔……」
「あくま?」
しまった。本音が。
「んんんっ。失礼しました。お嬢様のあくまで素晴らしい婚約者、レオポルド様が準王族でいらっしゃいますので、お嬢様も学園内で準王族待遇を受けられることになっております」
四大公爵家の筆頭サターニー家の次男にして、王国一の魔力を誇る大魔法使い。母親が現国王陛下の実妹のエリーゼ様、つまり国王陛下の甥であり、王子殿下方の従兄弟に当たられる準王族。身分も実力も最高ランクな上に、中性的な美貌という嫌味なハイスペック。しかしすべての美点を凌駕するほど、最低最悪な性格の持ち主。その現代に降り立った悪魔が、私、バーン子爵家次女セレナの幼なじみであり、私の敬愛するカーター伯爵家長女アンお嬢様の婚約者、レオポルド・サターニーなのです。
「そんなこと……よいのかしら……」
お嬢様は憂い顔もお美しいですが、心配は無用でございます。
「国王陛下のご意向なのです」
嘘ですけど。
「陛下の?」
「はい。この王族専用寮にはもう何年も男性しか入寮されていません。しかし来年度、隣国から王女様が留学していらっしゃる予定になっています。そのときに不備があってはならないので、女性であるお嬢様に一年先に入寮していただいて、住み心地の確認をしてもらいたいと、国王陛下からのご依頼なのです」
実際は悪魔が陛下を脅して、そういうことにさせたのですけど。
本当に恐ろしいことに、悪魔の魔力は王城くらいの大きさなら消失させることも可能らしいのです。それで陛下も悪魔のお願いという名の脅迫には頷かざるをえないのです。
「まあ、そうだったの。私はラッキーなのね」
お嬢様の穢れのない笑顔が、復活間近だったマーサさんをまたノックアウトしてしまいました。耳まで真っ赤ですよ、マーサさん。
「マーサさん。あとはお嬢様と二人で見て回りますので、そろそろ、ご自分のお仕事へ戻ってください」
マーサさんはお嬢様専用コンシェルジュですので、本当はここにいるのも仕事のうちですけれど、あまり時間がないので出ていってほしいのです。すみません。
「……はい。では失礼します」
マーサさん、恨めしそうな顔してもだめですよ。この部屋にたどり着くまでの間、どれくらい、マーサさんの平常心待ちで時間をロスしたと思っているのですか。お嬢様の美しさは暴力的ですから、気持ちはわかりますが、マーサさんのペースに合わせていたら、お嬢様が入学式に遅刻してしまいます。
「応接室も素敵だったけれど、こちらもセンスがいいわね」
先ほどまでいた応接室はダークグリーンとゴールドを基調にした部屋でしたが、となりの居間兼勉強部屋はナチュラルブラウンの落ちついた家具の中、淡いパープルにゴールドの刺繍が入ったカーテンがアクセントになっています。
「もしかして、セレナがインテリアを?」
「いえ、こちらは学園で雇った女性のインテリアコーディネーターが整えたとうかがっております」
「そうなのね」
「はい」
本当はすべて悪魔のコーディネートですが、悪魔のくせに恥ずかしがって、自分がやったことを内緒にしてほしいとのたまったので、架空のインテリアコーディネーターまで捏造する羽目になってしまいました。しかもそのわりに、独占欲なのか、何なのか知りませんけど、自分の瞳の色の紫と、髪色の金でカーテンなんて作っちゃって、女々しいことですわね。
「あとは寝室ね」
「そうですね」
寝室は悪魔の力作ですよ。お嬢様はきっと驚かれます。
「なんてかわいいお部屋なのかしら!!」
やっぱり。ほかの部屋をシンプルに大人っぽく仕上げた分、こちらの部屋のかわいさが際立ちますね。お嬢様の喜びの声を聞いて、盗聴しているはずの悪魔もさぞご満悦のことでしょう。
「見て、セレナ。極々淡いイエローの壁紙、落ちついたピンクのカーテンとベッドカバー、家具はダークブラウンよ! まるで、あの部屋みたいではない?」
「はい、お嬢様。まるでレイチェルの部屋のようでございますね」
「なんて素敵な偶然かしら!」
お嬢様、これは偶然でも何でもございません。あの悪魔がお嬢様の愛読書『レイチェル愛の日々~青春編~』に出てきたレイチェルの部屋を忠実に再現したのです。
「あっ、それともインテリアコーディネーターの方もレイチェルファンなのかしら」
悪魔はお嬢様の趣味を知るために『レイチェル愛の日々』シリーズを熟読しております。
「とにかく最高の部屋ね。これでお兄様がかすみ草の花束をプレゼントしてくださったら、完璧なのだけれど」
レイチェルが入学式の日の朝、兄君からかすみ草をプレゼントされるシーンはお嬢様のお気に入りですものね。でも兄君のラインハート様でなければいけませんか? あの悪魔が自分でその役をやるつもりだと、悪魔の侍従をしている私の兄のレジナルドが言っておりましたけれど。
「お花はレオポルド様が持ってきてくださるのではないでしょうか」
とっくに用意していますし。
「そうよね、お兄様はお忙しいわよね」
ラインハート様はこの春、王立学園を卒業され、同じ敷地に建つ王立高等学園の騎士科へ進まれましたが、高等学園の入学式は明日なので、今日はお暇なはずです。何よりラインハート様はシスコンですから、万が一忙しかったとしても、今日のお嬢様の入学式には何としてでも来るでしょう。
「ラインハート様も式にはいらっしゃると思いますが」
「それなら、お兄様はかすみ草の花束を持ってきてくださるかしら」
悪魔が何で自分ではだめなのだと、嘆いている姿が目に浮かびます。ざまあみさらせですわ。でも悪魔に恩を売るのも悪くないので、訊いてさしあげましょう。正座して聴くがいいわ、悪魔。
「お嬢様はレオポルド様からではなく、ラインハート様から花束がほしいのですか?」
なぜここで顔を赤らめるのですお嬢様!! 見ているこちらが恥ずかしくなってしまいます。十四歳にしてその色気、末恐ろしゅうございます。
「かすみ草は、ね」
「といいますと?」
「レオポルド様からはチューリップをいただきたいの」
「チューリップですか?」
お嬢様がチューリップをお好きだとは初耳でございます。多分、悪魔も。
「そう。一昨日読んだ本にね、恋人からピンクのチューリップをもらうシーンがあって、それがとっても素敵だったの」
一昨日ですか、私が入寮準備でおそばにいない間に読まれたのですね。盗聴していても、盗撮はしていない悪魔も知らなかったのでしょう。
「チューリップには何か特別な意味があるのですか?」
知りたいでしょうから、訊いてさしあげますわ。
「ピンクのチューリップの花言葉は、愛の芽生えと誠実な愛なんですって」
あんな悪魔から誠実な愛がほしいと願うなんて、お嬢様は純粋すぎます。そして、憐れレジナルド兄様、きっと今頃、花屋へ走らされているのでしょう。いや、兄様では間に合わないから、悪魔自身が転移で花屋へ向かったのでしょうね。それで兄様はきっと、買っておいたかすみ草をラインハート様へ届けに走らされているのでしょう。
「お嬢様、そろそろエントランスへ下りましょうか。旦那様方がいらっしゃるお時間ですわ」
清らかな微笑みで頷かれるお嬢様。お嬢様がこの先も悪魔の所業に気づかれずに、純真無垢なままでいらっしゃることを私は切に願っております。