盲目の憧れ3
010
「いい子だったわね、かれんちゃん」
一緒にマンションへ帰りながら村雨はそう言った。
「そうだな。でも正直あそこまで手放しに称賛されるとちょっと困ってしまうけれど」
「あら? それこそあの子は『見たまま』の感想を言っただけではないの?」
「『見たまま』ね」
あの子は僕のことを『王子様』と言った。
そしてそれは目が見えないあの子の言うなれば『妄想』が生み出したものでしかない。だから――
「――だから僕は文月ちゃんの手術が成功して目が見えるようになったらあの子には合わない方がいいと思うんだよ」
「あら、どうして?」
「そりゃあ……失望されたくないからだよ」
自分に憧れを持ってくれる誰かの期待に応えたい――そういった想いはきっと誰にでもあるのだろう。驚いたことにそれは僕の中にもあったのだ。
「もし文月ちゃんの目が見えるようになって今の僕の姿を見たら――きっと失望させてしまう。だから手術が成功したら僕はあの子には会わないつもりなんだ」
「そう。それは久間倉君の考えすぎだと思うけれど……まあ久間倉君がかれんちゃんに会わないでいてくれた方が私にとっては都合がいいのだけれど」
「――? 村雨、今何か言ったか?」
「何も。何も言っていないわよ。ええ何も。決してかれんちゃんがあなたに好意を持っているからそれを阻止しようとしているなんてことは全く思ってないわ」
……女心は難解なのに僕の彼女はとても分かりやすいから大好きです。
「まあ何にせよ、あの子の手術が成功するのを祈るばかりだよ」
そう言いながら、僕は帰り際に文月ちゃんが言った言葉を思い出していた。
「実は私、来週手術を受けますの」
文月ちゃんは先ほどの笑顔とは打って変わって暗い顔で僕に話した。
「手術って、目が見えるようになるかもしれないってこと?」
「ええ、そうです。アメリカで腕のいいお医者様が見つかりましたの。明日、出発いたします――だからその前に久間倉さんと村雨さんにお会いできてとても嬉しかったですわ」
そう言った文月ちゃんの顔にはやはり少し不安の色をはらんで俯いていた。
「それは……よかったじゃないか」
僕はそう答えた。
「ええ。でも不安もあるのです」
「不安って……手術が失敗するかもしれないってこと?」
「もちろんそれもあります。でも、もともと見えない目ですからね。正直なところ手術が失敗したところでそれほどのリスクはありませんの」
文月ちゃんはまた俯いた顔で答える。
「それなら、文月ちゃんは何がそんなに不安なの?」
「それはもちろん――『見えるようになる』ことですわ」
文月ちゃんはまっすぐ僕の方を『見て』そう言った。
「私は先ほど申し上げましたように『見えない』からこそ普通の人が見ることができないものが『見える』のです。でもそれはきっと――この目が『見える』ようになればきっと『見えなく』なってしまうでしょう。何となくそれがわかるのです」
「……」
僕は何も言葉を発することができなかった。
「私にとって『目に見える世界』はとても美しいのです。もちろん、そうでないものや気分を害するようなこともありましたけれど、それでも私はこの世界を心から美しいと思っているのです。しかし――私が皆さんと同じように目が見えるようになった時、『そこに映る世界』は今と同じくらい美しいのでしょうか?」
文月ちゃんは僕と目を合わせることはしなかった。
きっと『見える』彼女には分かるのだろう――僕がこの世界のことを美しいとはまったく思っていないということを。
それから僕たちは文月家を後にして帰路についた。
「久間倉君にとってこの世界は美しいと思う?」
唐突に隣を歩く村雨が僕に問いかける。
「さあね。この世界を美しいと思ったことなんてないよ。でも可愛らしい女子小学生を眺めることができる分、辛うじて僕の方が文月ちゃんよりも世界は美しく見えていると思うよ」
「……そう」
何か言いたそうな村雨はそれでも僕に何か言うことはなく、ただただ二人して黙ったまま夕暮れ時の帰り道を歩いて行くだけだった。
011
「『お世話になっております。文月かれんです。昨日は大変お世話になりました。
つきましては、先日お話いたしました通り本日日本を出発いたします。このようなことを頼んで大変恐縮なのですが、もしよければこれから空港までお見送りに来ていただけませんでしょうか? 村雨さんと久間倉さんに見送っていただければ私としてはすごく心強いです』
というLINEがかれんちゃんからが来たのだけれど、久間倉君はどうする? 私と一緒にデートがてら可愛らしい女子小学生の旅立ちをお見送りに行く?」
休日の朝からインターホンを鳴らされ、何事かと思って出てみればそこに立っていた村雨がスマートフォンのLINE画面を僕に見せながらそんな提案をしてきた。
「……村雨、僕は朝が何よりも嫌いだっていうことは伝えてあったかな?」
「伝えてもらってはいないけれど、もちろん把握しているわよ? 久間倉君のことで私が知らないことなんて何一つないわ」
「……そうか、それなら話は早い。お前は今インターホンを鳴らすことで僕の嫌いな朝を連れてきたわけだ。それが何を意味するか分かるか?」
「ええ、もちろん。久間倉君が人生で二番目に嫌いな目覚まし時計と同じくらい今私のことを憎んでいることは重々承知しているわ。でも――」
そして村雨はスマートフォンをポケットに戻しながら僕に言う。
「――久間倉君が昨日のことを気にしているようだったから伝えた方がいいと思ったの。それこそ、久間倉君に嫌われてもね」
「……お前は最高の彼女だよ」
「もちろんそれも知っているわ」
僕は村雨との会話を終えると、五分で支度を終え、家を出た。
「彼女との初デートにそんなファッションセンスのかけらもない服を着てくるあたり、やっぱり久間倉君って女心が分かってないのね」
デート開始五秒でダメ出しを食らってしまった。
「まあいいわ。ほら、早く行きましょう」
そう言って手を差し出す村雨の手を僕は渋々掴んで歩き出した。
僕は伝えなければいけないような気がしていた。文月ちゃんがこれから見るであろう世界のことを。
いいことばかりではない、けれどもきっと『見える』ことでしか『見えない』こともあるのだということを僕はあの子に伝えなければならない。
だってあの子はこんな僕のことを王子様と言ってくれたのだから――子どもに夢を与えるのはヒーローの役目だと相場は決まっているだろ?




