盲目の憧れ2
すいません、一身上の都合でショックのあまり更新するのを忘れていました。
007
「……ごめんなさい」
部屋の中にあった投擲物を軒並みすべて僕に投げつけた後、五分ほど発狂しながら僕を罵ったところで、さすがに村雨も我に返り、今は二人して部室の中を掃除している。
「いいよ。お前が発狂するはいつものことだし、それにちょうど顧問の先生から部室を片付けるように言われていたところだったからな。こうやってゴミの分別もできてちょうどいい機会だったよ」
もちろん実際にはゴミの分別どころか机とイス以外のほぼすべてがゴミに変わってしまったわけなのだけれど、また発狂されると面倒なので口にはしなかった。
村雨も今は薬を飲んで比較的落ち着いているが、またいつ暴れだしてもおかしくないのだ。
「ねぇ? この機会に聞いておきたいのだけれど、あなたの正体を知っているのはあたしとその女子小学生以外にはいないの?」
「ああ、それなら――」
――ガラガラガラガラ
と、僕が答えようとした瞬間、部室のドアが開いた。
「おい、久間倉、何だかすごい音がしたような気がするんだが――っておうおう!? こりゃまた派手にやったな」
白衣を着た褐色肌の女性が部室へ入ってくる。
年は二十代後半といったところで妖艶というか、大人の色っぽさをどことなく漂わせた人だった。そしてその人は部屋が大変な状況になっていることも気にせず、一番近いところにあったイスを軽くはたいてそこに腰を下ろした。
「えっと、あなたが顧問の先生ですか? すいません、これはですね、その……」
村雨は珍しく取り乱して言い訳をしようとする。
「村雨、この人は大丈夫だよ」
と、僕はあっけらかんと答える。
「え?」
聞き返す村雨。
「その人はこの学校の生物教師で僕の所属する壁新聞部顧問の醍孔美妃先生。そして――その人も僕たちと同じく『超人』だ」
008
「大丈夫なわけねぇだろ、はっ倒すぞ久間倉!!」
醍孔先生は脚を組みなおしながら不機嫌そうに言う。
「なんだか騒がしいと思って来てみれば自分の管理する部屋がガラスまみれってどういう状況だよ? 頼むからお前たちの痴話喧嘩ならよそでやってくれ」
実際にこの部屋で行われていたのは痴話喧嘩ではなく、村雨による一方的な暴力なのだけれど、一々訂正することはしなかった。
「それにお前らが授業サボってこんなところでイチャイチャしてるのがバレたらまた私の仕事が増えるだろうが。おい、久間倉。確か私は前に言ったよな? 超人関係のこと以外で私に厄介ごとを持ち込むなって。
私は、確かに、言ったよな? ああ?」
「すいませんでした」
僕としては反論したい気持ちがないわけではなかったのだけれど、ガンを飛ばしてすごんでくる先生に逆らうのはどう考えても、得策ではないと判断して、この場は素直に謝っておくことにした。
「久間倉君、この先生は『あなたのこと』を知っているの?」
村雨は問いかける。
「そうだよ。釈然としないけれど、僕は春休みに醍孔先生にお世話になってそれ以降、こうやって部室を提供してもらったり、度々協力してもらったりしているんだよ」
僕は掃除の手を止めずにそう答える。
「村雨類だな。組織から派遣されたことは聞いているし、君のことについても少なからず聞いているよ。私も一応あの組織に属しているからね」
そう言って醍孔先生は村雨に向き直って話しかける。
「とは言っても組織の指令に従っていたのは少し前まで。今では便利な奴隷ができたからな。わざわざ私が出張っていくことも少なくなったのよ。だからお互い面識がないのも無理はないわね」
『先生、生徒のことを奴隷呼ばわりするのはよくないと思います!!』という心の叫びは特に通じることもなく、僕たちはただただ手を動かして掃除を続けるだけだった。
「じゃあお前ら、掃除が終わったら二時間目からはちゃんと授業に出ろよ。またよく分からないことで他の先生からいちゃもんつけられたら面倒だからな」
醍孔先生は僕たちにそう告げると、そのまま部室を出ていった。
もちろん、あの人が掃除を手伝ってくれるなんてことは一切なく、僕と村雨はお互いに黙々と掃除を続けていた。
009
放課後、僕は村雨と一緒に下校していた。
一緒に文月ちゃんの家へ向かうためだ。
今朝教えてもらった住所へ向かってみると、そこには豪邸と呼ぶにふさわしい、大きな門に囲まれた立派な建物が立っていた。
「ふふふ……、私も昔はこんな家に住んでいたかしら。懐かしいわ……」
横の村雨が何だか鬱モードに突入しそうだったが、僕は構わず門の横にあるインターホンを押す。
『はい、どなたですか?』
インターホンからは少し年配の男性の声が聞こえた。
「えっと、僕は久間倉健人と申しまず。文月ちゃん……かれんさんに招待されてきたのですが」
よく考えれば、男子高校生が大した面識もない女子小学生の家を訪れるのはかなりリスキーな行為である。僕は珍しく隣に村雨がいてくれることを心底ありがたいと思った。
『久間倉様ですね。お待ちしておりました。今お迎えに上がります』
そう言うと、門が開き、玄関から執事服を着た年配の男性が歩いて来た。
「お待ちしておりました久間倉様。私は文月家の執事をしております菅野と申します。それではどうぞこちらへ」
菅野さんはそう言うと、僕を家の中へ案内した。
「久間倉さん、お待ちしておりましたわ!!」
僕たちが菅野さんに通されたのは応接間のようだった。
菅野さんが部屋を去った後、少し待っていると文月ちゃん本人が応接間に入ってきた。
「やあ、文月ちゃん。今朝ぶりだね」
応接間に入ってきた文月ちゃんは今朝の制服姿とは異なり、余所行き用の服に着替えており、とても魅力的だった。(だが僕はロリコンではない)
「ええ、またお会いできて光栄ですわ。あら? そちらはお連れの方ですか?」
「はじめまして村雨類と言います。あなたのことは久間倉君から聞いているわ。『かれんちゃん』って呼んでも?」
「ええ、もちろんですわ」
文月ちゃんは目が見えていないはずなのに村雨の存在にすぐ気づいた。
「もしかして……村雨さんは久間倉さんの恋人さんですか?」
「ええ、そうよ」
村雨はすました声で答えたが、その横顔は少し緩んでいた。
「そうですか。素敵な恋人さんですね」
「ははは……、そうかな?」
純粋にそう言ってくれる文月ちゃんに僕はあいまいに返事を返す。(そのときの村雨の目は笑っていなかった)
「お二人とも本日はお越しいただきありがとうございます。また今朝は助けてくれて本当にありがとうございました」
かれんちゃんはスカートを少し摘まんでまるで貴族がそうするような品のあるお礼を僕たちにする。
「いやいや、そんなことは気にしなくていいよ。僕としては当然なことをしただけだし、それよりも君に怪我がなくて本当に良かった」
僕がそんな風に謙遜を返すと文月ちゃんは少し微笑んで先ほど菅野さんが持ってきた紅茶を少し口に含んだ。
「それでね、文月ちゃん。僕たちのことなんだけれど」
僕は本題に入ろうとする。
「それなら心配いりませんわ。私が久間倉さんや村雨さんのことを誰かに告げ口することなど絶対にありません。それについてはご安心くださいな」
「そうか。そう言ってくれると助かるよ」
そう言って僕も少し安心して出された紅茶を口に含んで『あれ?』と思い直す。
「文月ちゃん? 僕はともかく、村雨も『そういったこと』に関りがあるってどうしてわかったの?」
そう。先ほど文月ちゃんは僕だけではなく『久間倉さんや村雨さんのこと』と言った。なぜ、そこに村雨まで含まれているのか。
「あら? そんなの簡単なことですわ。あなた方お二人はまとっている雰囲気が本当にそっくりですもの。『見ていて』すぐにわかりましたわ。強いて言えば、少しだけ村雨さんの方が不安定で、久間倉さんの方はとても力強く感じますけれど」
僕たちの目の前に座るとてもきれいなその少女はすました顔でそう言いながらまた紅茶を少しだけ口に含んだ。
「お二人は本当にお似合いですわ」
しかもそうやってリップサービスを加えることも忘れなかった。
「かれんちゃん……何ていい子なの!?」
実際、村雨は最初の警戒心はどこへやら、あっさり篭絡されてしまったらしい。
「私、昔は目が見えていましたのよ。でも私が五歳の時に後天性の病で失明してしまいまして、今では目の前の明るさが辛うじて分かるくらいで、それ以外は何も見えなくなってしまいました。
もちろんはじめはそれなりに不便でしたけれど、でもかれこれ六年もこのような生活を続けていると、目が見えていた頃には見えなかったものが『見える』ようになってきましたの」
「目が見えていた頃には見えなかったもの?」
僕は問いかける。
「ええ、目の前にいる人の優しさとか、あるいはどんな人なのか。そういうことが何となく『見える』ようになってきたのですわ」
「それは……すごいな」
衝撃的な話だった。
もしそんな第六感のようなものを持っているのなら、それは僕の正体を見抜くくらいわけないだろうし、そもそも彼女の方が僕なんかよりよっぽど超人じみている。
「そんなにいいものではありませんわ。目が見えない人が第六感に優れるようになる事例は世界各国で報告されています。ですので、私のもそんなに珍しいものではありませんのよ」
「そんなことないよ。君にはきっと僕たちとは違う世界が『見えて』いるんだね」
それは決して気休めなんかではなく、僕の正直な気持ちで、素直にこの美しい少女を羨ましいと思った。
僕の隣に座っている村雨はこちらもまた何か思うところがあるのか、それでも何も言わず黙ったまま紅茶を飲んでいた。
「でも、この力を持っているからこそ、私はこんな目でも美しいものを『見る』ことができたのですから幸運ですわ。それに――久間倉さんのような素敵な方にも出会えましたし」
そう言ってほほ笑む文月ちゃんに僕は何といえばいいのかわからなくなった――だって、僕は文月ちゃんが思ってくれているほど高尚な人間ではないのだから。そして、そんなことはきっと僕自身が一番よくわかっている。
「あら? そんなに謙遜されることはございませんのに」
文月ちゃんは僕の方を見て今度はいたずらっぽく笑う。
「確かに久間倉さんは少しご自分を過小評価していらっしゃるようですが、私から言わせれば久間倉さんほど素敵な方もそうはいないと思いますわ――ですよね、村雨さん?」
「もちろんよ。なんと言ったって私の彼氏だもの」
当然話題を振られた村雨は即答した。
「ありがとう。でも、やっぱり僕は君が思っているほどいい人間じゃないよ?」
「ふふ、それなら今はそう思っていただかなくても結構ですわ。でも――私人を『見る目』だけには自信がありますのよ?」
そう言って文月ちゃんはまた僕の方を見ていたずらっぽく笑った後、少し顔を曇らせて
「実は私、来週手術を受けますの」
と、僕たちに向かって唐突にそう告げたのだった。
できるだけ早くアップします。