002-8
規則がもたらすモノに関して述べよう。それは簡単に言えば安定である。規則、ルールを決めることにより、集団に安定をもたらす。無法状態であれば、安定など存在せず、それこそ集団という群でなくなり、個が自由を闊歩することになるだろう。
規則が縛るものに関して述べよう。それは簡単に言えば自由である。規則、ルールを決めることによって自由は制限され、行動が制限される。人は我慢を強いられて、ストレスを蓄積させることになる。
ならば、規則は必要か、不必要か。答えは簡単だ。規則という存在が生まれたのは『必要』とされたからである。なればこそ、僕達は集団における行動によってルールを作らなければならなくなった。
故に規則を作る。しかしながら、これが酷く難航することとなる。一週間を迎える、今日七日目。僕達は何となくでいつも通りに集まる。けれども、とうとうこれに爆発する人間が現れた。誰か? 僕か? 違う。
ならば、誰か。後藤か? 檜山か? 違う、違う。小堂か? 紫香楽か? 違う、違う。そもそも、私立六道高等専修学校に置いて、ルールの大切さを理解している人間など極々限られている。それこそ、生徒会長や風紀委員長ですらルールを理解していない人間が務めたりしているくらいなのだ。
そう、ここで爆発したのは一般以上の学力を持ち、一般以上の常識を持つ彼女だ。神威? 違う。あいつはそんなことを気にもしない。ならばこそ、彼女の名前を勿体ぶらずに述べるとしよう。ブチギレちゃったのは――『菊池 裕子』
生徒じゃない、先生だ。そりゃ、そうだ。こんな無法状態でルールを作ろうなんて提案をしてくる賢い人間は先生くらいしか存在しない。何故、こんなことになったかと言うと――
『どぉぉぉぉぉしてっ! 君達は時間を守らないんですかっ!』
そう、全員が集まったのは昼の十二時。別に時間とか決めていなかったし、先に来た人間も適当に座り、適当に雑談をして、適当にパンを食べたり、適当にイチャイチャしたり、挙句には殴りあいを始める連中まで。無法地帯だ、おぉ、なんという無法地帯。
『と・く・にっ! どうして、空洞くんは委員長なのに、皆を止めないんですかっ! リーダーなんでしょ!』
『えぇぇぇ……僕、嫌だって言ってたじゃないですかぁ……』
『嫌も、何も、ありませんっ! 先生は一人でっ! 朝八時からっ! 一人で待ってたんですよっ! 普通に決めるべきことでしょう! どうして、一週間も経った今、朝の集まりもテキトウで、大浴場の時間もテキトウなんですか! 昨日、女子が風呂に入っている時間に男子が入ってきたんですよ!』
『……誰だよ、入ったのー』
『あたしよん』
『ほら、女子じゃないですか……』
『野母君は男子ですっ! と・も・か・く! 決まりごとを決めなさい! 早く、早急に! 今すぐに! さぁ! ハリー! ハリーです!』
そういうことになった。
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「えー、では、ルールを決めたいと思います。我こそはルールと思う方は手をあげてくださいー」
テーブルの上でぐぃぃぃっと伸びをしながら全員に尋ねる。ほぼ、全員の手が上がっていた。いかんいかん、間違えた。
「あ、すまんすまん。我こそはルールの案があるという方は手をあげてください」
その瞬間、全員の手が下がる。なんという連帯感。後、俺がルールだと全員が思いすぎだろ……我が強すぎる……
「拙者、提案があるでござるよ」
「おっ、小堂。何だ?」
「うむ。拙者が提案するのは「カップルぼくめ」」
「はい、そこまで、ペナルティでーす」
女子の一人が座らせて、後ろに引き摺っていく。
「離せ、離せーっでござるっ! 拙者、カップルなど許さんでござるっ。麻呂に彼氏が出来たことが拙者、気に食わないでござるよぉぉぉぉっ」
「「「「「えーっ!」」」」」
女子の何人もがいきり立つ。
「だれだれ?」「えっ、男子だよね?」「えっと、六択?」「そうよね、彼女持ちの那賀島は除くし」「えっと、後藤はなし」「シスコンだもんねー」「野母ちゃんもなし」「えっと、誰かなー」「まさか、委員長?」「あ、あるかもー。だって、なにせ祥子ちゃんがあれだけ騒ぐんだから」「ぎゃああああああああっ! 何を言ってるでござるか! 何を言う気でござるかーっ!」「てへぺろー」「おい、棒読みじゃねぇか花畑」「だって、結構周知の事実じゃない?」「……そりゃあ、まぁ」「……ぱちぱちぱち、まろさん、おめでとう、ございます」「神威殿、ありがとうでおじゃる」「……末永く、お幸せに」「幸せなんて許さんでござる! 拙者と同じ穴の狢の麻呂一人が幸せなんて絶対に許さないでござ!」「結局、誰?」「猿渡あたりでもなさそうだし……」「渡辺でもなし」「矢来ちゃんじゃない?」「えっ、嘘!?」「マジで!?」「私、矢来ちゃんならイケたのに!」「矢来ちゃん、どういうこと!」
「ひ、ひぃっ! ば、ばれましたっ! ど、どうしましょう、委員長さぁん」
すたたたと僕の背中に隠れてきたのは矢来 棗。身長は一四〇センチ台。男子で最も低く、女子の最小である檜山とどっこいの身長である。特徴は肩まで伸ばした髪、男というには余りにも女らしい容姿。細身の身体つきは男の娘と呼ばれている。言いえて妙である。
「僕に頼るなよ……」
「だ、だって、こういう時に頼れって言われましたぁ」
「誰にだよ」
「公子さんですぅ」
「おい、麻呂ォォォォッ! 何で、僕がお前の彼氏の面倒を見なきゃいけないんだよっ!」
そこで徐に立ち上がる女子が一人。矢口 楓。ですますの口調であり、問題児の一人。顔は可愛らしいが、口を開けばろくなことは言わない。茶髪をツインテールにして、常に一眼レフのカメラを肩からかけている。異世界に来た時も標準装備だったのだろう、トレードマークのカメラが今日もあった。
「麻呂さん、さすがですの! 自分の彼氏に男を寝取らせるというその胆力! 痺れ、憧れ、崇拝いたしますの!」
「おじゃ!? 別にそんなつもりはないおじゃ! えぇい、皆のもの静まれ、静まれぃ! 付き合いはじめたのはこの世界に来るちょっと前でおじゃる! 言うタイミングが中々、無かっただけでおじゃる!」
「矢来ちゃん、何でよぉぉぉ……」
野母が地面をガンガンと叩いている。あ、こいつ狙ってたんだ。こうして一人の男の恋が終わった……
「まぁ、そういうわけで皆の衆、麿の男に余り、手を出さないで欲しいでおじゃるな」
近づいていった矢来の身体をぎゅっと抱きしめて、桃色空間を作り出す。矢来が「うわぁ……ふかふかでいい匂いだぁ……おかーさん」と小声で言っていた。麻呂、それでいいのか……。いや、他人のことなんてよくわかんねーけど。
「あー、でも、こうなったら男子の残りなんて限られてくるねぇ」
「まさか、渡辺まで考慮しないと行けないとは……」
THE・普通女子代表の横溝と渡会が溜息を吐いている。この状況下で彼氏を作ろうと頑張るなんてお前らアグレッシブ過ぎだろ……ちなみに横溝と渡会、同じような髪形をしているせいか仲がいい。横溝の方が若干、吊り目気味で、渡会が垂れ目である。
「えっ? いや、俺、好きな人としか嫌だし……」
別にモテているわけでもなく、褒められているわけでもないのに渡辺がクネクネと身体を動かして照れている。なんて、阿呆な奴だ……
「ふむ、では委員長、私などどうだろうか? 弓道をしているから、それなりに引き締まるとこは引き締まっていて、中々にお買い得な女子だと思うが、いかがだろうか?」
法理が尋ねてくる。何故か、水筒で水を飲んでいた紫香楽が噴き出していた。隣に座っていた、日本人形のように黒髪を伸ばした御伽 夜の顔面にかかっている。無表情がデフォルトの御伽が若干、怒っている。いや、まぁ、怒るか。
「……駄目、です」
「おや、神威さん。何故だろうか?」
「……とに、かく、駄目、です」
「ふむ……しかしながら、余りうかうかしていると私も余りモノになってしまうのでね、それは困る」
「……そらくんは女に興味ありません」
今度は水を飲んでいた檜山が水を噴き出す。隣の席の仙道にかかっていた。無言で仙道はアイアンクローをしている。そして、明らかに騒ぎ出す女子数名。その中でも新聞部部長、大きな丸めがねで顔の表情が殆ど口でしかわからない多々良が「スクープッ!」と叫ぶ。
「神威さん! 本当ですの! マジですの!? リアルBLですの!? わたくし大勝利ですのぉぉぉぉぉっ!」
「やっだぁん、空洞ちゃん、それなら、そうとあたしに言ってくれればいいのにぃん」
「……野母さんも、駄目、です」
「な、なんでよぉん、神威ちゃん、あたしは心は乙女でも、身体は男よぅん」
「……そらくんは、男に、興味、ありません。男にも、女にも、興味ない、です」
そして、とうとう、僕が水を噴きだす。カラカラに渇いた喉を潤して一言、文句をつけようと思った矢先に爆弾発言が来た。
「お、おいっ、げほっ、げほっ! ふざけるなっ、神威! 僕だって人並みに性欲はあるぞ! 適当なこと、言うなよっ……」
「……でも、そらくん、ひとりみで、ひとりだけ」
「僕、一人が何だよ……」
「……花畑さんの、部屋、いってません」
僕がジロリと花畑達を見る。花畑 嗄。知念 一輝。田中 由の三人グループだ。知念と田中はメイクをしていなかったら中の下くらいの顔だが、いつもは中の上に位置するというメイクの魔術師二人組である。
「おい、どういうことだ」
「な、なんのことかなー?」
「そ、そうそう、委員長、後ろめたいことないし」
「全然、無いよ。うちら、全然悪いことしていないし」
僕がそっと溜息を吐いて、尋問する先を変える。
「後藤、どういうことだ」
「性欲が溜まった。だから、ヌイてもらった。それだけだ」
「ハァァァァァッ……」
溜息が大きく漏れ出る。後藤が素直に認めたので猿渡や北村を見る。
「で、でも、お互い合意の上だし」
「そうそう、あれだ。問題ない、問題ない」
「問題、大有りだ、馬鹿たれ共……お前ら、こいつら、三人が妊娠したらどうするつもりなんだ」
「大丈夫だ、俺は口でしてもらっただけだ。妹を裏切れん」
「十分、裏切ってるよ、馬鹿野郎」
「何ィ……?」
後藤ががっくりと片手で膝をついている。北村と猿渡も片腕を折っていて暇なのはわかるが……二人はロックゴブリンに遭遇した結果、片腕を折られた。だから、暇を持て余して、宿屋に留まっているストレスをヤルことにヤッテんじゃねーよ。無論、後藤も含め全員レベルは1にはあげているので、仲間ハズレというわけではなく、単純に療養である。
「ピルもコンドームもねぇんだぞ……」
「だ、大丈夫、外だし、してるし……」
「そ、そうだぜ? なぁ?」
男子二人が顔を真っ青にしてお互いを見つめている。
「馬鹿、大差ねぇよ……今後は何かしらの方法を考えろ、最悪、口でやってもらえ、その辺りは後藤の方が賢い」
「つまり、妹を裏切ってない……?」
後藤が再確認とばかりに尋ねてくる。
「いる。誘導するな、どう考えてもアウトだろ」
「違う、愛は無い!」
必至に言い募る後藤。すげぇな、こいつ、堂々と宣言しすぎだろ……妹さん、聞いたら泣くぞ……
「けどさぁ、それじゃあ、うちら満足できないわけじゃん」
「なら、ペッティングでいいだろ。何も最後までしろって言ってるわけじゃねぇんだよ。お互いが満足できる方法を、危険が無い方向で見つけろって言ってるだけ」
「はぁーい」
僕は再び席に座り。話は終わりとばかりに次に進めようと。
「……待って、ください」
神威が手をあげる。もう、嫌な予感しかしないが、指名をしないわけにはいかない。溜息を吐きながら指名する。
「……では、そらくんは、どうやって、処理して、いるんですか」
「……ノーコメントだ」
「……学年一の、秀才な、私は、わかりました」
「……言ってみろ」
「……そらくんは、いんぽてん」
「勃つわ! 何で、その結論になるんだよっ! もっとあるだろ!」
檜山はヤンキーだが、この手の話題が苦手なせいか耳を掌で何度も叩き、あーあー、聞こえないー、何も、聞こえないーと言っている。少しは見習え……
「……おかしい、です、ほかに、はっ!」
何かに気づいたのか、僕を見てくる。
「……一人よりも、二人、ですよ?」
「おい、黙れ、いい加減、黙れ」
苛々としながら、背もたれに深く寄りかかる。なんて、馬鹿な会話を昼間っからしてんだ、僕達は。こんなことになったのは、そもそも誰のせいか。そう、悪いのは奴らだ。よし。
「麻呂、矢来。別れろ!」
「ござる!」
「おじゃ! 横暴おじゃ!」
「そうですよぉ! 僕と公子さんは愛し合ってるんですからぁっ!」
ぎゅぅぅぅぅっとお互いに抱きつきあいながら反論してきた。めんどくさい……そこで一人の男子が立ち上がる。
「どう考えても、おかしいだろ。俺を思い出せよ! 俺が居るだろ! 俺も独り身だぞ!」
「……あ」
渡辺だった。
「忘れていたのなら、許そう! さぁ、俺はどうやって処理してるんでしょーか!」
「……つぎ、すすめましょう」
「どうして、空洞にはそんな質問して俺には質問しないんだよっ!」
「……だって」
神威がいつもの口調で優しくそっと告げる。
「……意味、ない、でしょう? わかりきって、いますよ、皆」
さらさらさらと渡辺が灰になった。いや、そんな風に見えただけなんだけど。
「いい加減にしなさぁぁぁぁいっ!」
「うぉっ」
そこで堪忍袋の緒が切れたのは菊池先生だった。いや、まぁ、皆でルールを決めると話し合っていたのにいつの間にか猥談に変わっていたら、そりゃ、ブチギレもしますわな……いや、でも、僕が悪いんじゃないし……そんな事を思っていると、ギィンと睨みを効かせてぼくを見る菊池先生。
「空洞くんが上手にまとめないから、いけないんですよ!」
「いやいや、待ってくださいよ。どう考えても馬鹿なことを言った、小堂が」
「あ、蝶々が窓の外に居るでござる」
「窓無ぇよ」
「……しまったでござる」
「それでも、あなたなら止められたでしょう!」
「無茶、言わないでくださいよ……」
「まったく、早く決めなさい」
「うぃーっす」
適当に返事をしたのか再び睨まれた。しかも今度は目じりに涙を潤ませている。ハァ、まぁ、よくわかんねーけど、頑張りますか。
「んじゃ、真面目にサクッと終わらせるか」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「っと、こんなもんだな」
二十分くらいを経て、ルールを出し尽くす。これから、要らないものを消していく。先生が「こんなに簡単にできるなら、最初からしてよぉ……」と机に突っ伏しながら呟いているが、まぁ、いいだろう。放置して。
「一つ、喧嘩に武器は使わないこと。一つ、自分より弱い奴に殴りかからないこと。一つ、喧嘩を売るなら自分より強い奴に売ること。一つ、口で勝てないからって暴力を振るわないこと。一つ、暴力を振るわないからって、口撃しないこと。一つ、朝の八時半までに大部屋に集まること。一つ、朝の報告会で無駄口は『なるべく』慎むこと。一つ、他人の恋愛に首をつっこみすぎないこと。ただし、少しなら可。一つ、帰ってきてから、手洗いうがいはきちんとすること。一つ、封印されし邪竜の右腕については誰も触れないこと。一つ、避妊具がないのに性交しないこと。一つ、人の性を笑うな。一つ、お風呂は基本的に男女別でわかれること。夕方の五時から七時までは女子。七時から八時までは男子。八時からは混浴可能。ただし、八時以降に入り他の人間とバッティングしたくない人間は委員長までに申し出ること。一つ、人のパンを食べるな。一つ、だったら、パンに名前を書いとけ。一つ、渡辺、あたしの水筒の口の周りを舐めないで。一つ、完全に言いがかりだろ! 一つ、委員長はBLであること。一つ、賛成。一つ、ただし委員長は受けである。一つ、それは無い。表出ろ。一つ、ホモはあたしの所まできなさい。ただしノンケでも間違って食べた場合、責任は問わないこと。一つ、絶対にやめろ。一つ、夜は少人数での外出は禁止すること。一つ、飲酒禁止。一つ、それは無理。一つ、駄目に決まってるでしょ! 皆、高校生なのよ!? 一つ、ルールを守って楽しく決闘でござる。一つ、ガッチャでおじゃ! と、まぁ、これだけ集まって」
俺はニッコリと微笑む。
「殆ど、却下」
「「「「「「「「ですよねー」」」」」」」」
クラスの何人もがわかっていたかのような反応。わかってたんなら、言うなよてめぇら。
「だが、まぁ。幾つか、採用するのがあるな。まず、喧嘩に武器は使わないことと、自分より弱い奴には喧嘩を売らないことだ。罰はどうする?」
「ん? タコ殴りでいいんじゃね?」
「採用」
檜山の案を採用して、強い奴が弱い奴に喧嘩を売った場合と武器を使って喧嘩した場合は全員から殴られるという罰が決まる。
「んじゃ、次に朝の八時半に大部屋に集まる。これも採用な、時間はこのままでいいか?」
「八時四十分までじゃ駄目?」
「田中、その十分に何の意味があるんだ」
「布団との格闘時間」
「却下だ。八時半。別に会議中は寝てていいから」
「はーい」
こうして、八時半に集まることにする。罰は朝食抜き。ただ、この罰が普段から不健康な生活を送っている奴らに効果があるのかはわからない。
「んで、風呂は男子と女子代表が交代で上がったことを報告するでいいだろ。別に今更一人で入りたい奴なんていないし」
「だ、だけど、混浴がぁ」
「おい、矢来、いちゃつくなら部屋でやれ。駄目なら別れろ」
「う、うぅぅっ、公子さぁぁん」
「おぉ、よしよし、委員長は鬼でおじゃ」
何で、こんなに私利私欲に満ちた条件が通ると思ったんだよ。一見、時間をきちんと区分しているが殆どカップルのための時間じゃねぇか……勝手に一人で浴場に行ったり、時間を守らなかったら監視つきで性欲がなくなるほどのトレーニング。何人かが「鬼」と呟いたが、知るか。どうせ、大体は北村、渡辺、猿渡用のルールだしな。
「禁酒に関しては制限という形で」
「何を言っているの空洞くん!?」
先生が驚いたような目で僕を見ている。
「いや、先生。こんなことを言うのもあれですけど、禁酒にしたら先生も飲めないわけですよ?」
「な、なんでよぉ……」
「そりゃあ、そうでしょう。生徒が我慢しているのに、一人だけアルコール摂取だなんて……まぁ、未成年は飲みすぎは注意させますけど、それこそ、この状況、飲んで忘れたいこととかありますよ」
「……わかった。ただし! 飲みすぎは皆、駄目よ!」
何人かが歓声があがる。いや、これ、単に飲むのを我慢したくなかっただけだろ……どんだけ、酒が好きなんだよ、菊池先生……
それから避妊に関して、言い聞かせる。言っても無駄なような気がするが、言わないよりかはマシだろう。後、僕のBLに関して言った奴に関しては全面却下した。文句が出たが受け付けない。野母なら推奨したら全員が押し黙った。おい、お前らの大好きなBLだろうが。
「あー、最後に夜間外出。まぁ、これに関して、僕は止めない。ただし、誰も助けない。全部、自己責任だ。けど、心配させたくないのなら、誰かに告げるくらいはしておけ。こんなもんかな」
「く、空洞くん、幾らなんでも少ないと思うのだけれど……もっと細かく」
「先生、それは無理ですよ」
「何でぇ?」
僕は後ろを向いてくださいと菊池先生に促す。仙道や北村、檜山。右を向いてくださいと花畑や後藤、猿渡。左を向いてくださいと野母、御伽など。
「ね? 無理でしょ?」
『ぅおいっ!』
何人もが睨みつけてきた。おい、お前ら、僕は事実を言ったまでだ。何で、心外とばかりな顔をしているんだ。
「……まぁ、あまりルールが多すぎてもね。困るし、わかったわ」
渋々納得する先生。流石、先生、あっさりと諦めた。それでいいのか、聖職者……
「……ねぇ、ソラ。覚えきれない場合はどうすればいいわけ?」
「仙道、後で紙に書いて渡してやる」
「……ごめん、恩にきるわ」
「ほんとにな……」
なんで、五、六個のルールを覚えきれないんだ。興味なさすぎだろ、こいつ……
「あぁん! 委員長、大切なルールを忘れているわん!」
「なんだよ……」
もう、この時点で嫌な予感。というか、僕の予感って基本的に嫌な予感しか働かないよな。いい予感って今まで、あったのだろうか。
「禁止されている男子同士の恋愛を解禁するべきよぅん!」
「一生、禁止してろっ!」
「野母さんに賛成ですの!」
「そもそも、禁止した覚えはねぇよ!」
「だったら、なんでホモのカップルが出来ないなんて信じられない!」
「……お前らの言い分はわかった。けど、な。野母、いい加減、諦めろ……」
「諦めきれないわよん……」
がっくりと肩を落とす野母。気持ちはわからないが、それでも納得してくれ、無差別に男子を襲うような真似だけは、マジで勘弁してくれ……
「んまぁ、気長に待つとするわん」
「そうかよ……」
溜息を吐きながら、次に進める。皆が集まるというのは何も、偶然ではない。探索班の振り分けと前日の探索結果の報告を行うのだ。
「さて、昨日の探索なんだが……一斑はどうだった?」
前日、組んでいた一般に尋ねる。班長というものは決めていないが翌日に報告する人間は大体決まっている。基本的に報告という言葉が理解できる頭を持つ人間だということ。
「……特に、何も、ありませんでした……ゴブリンが、三匹、出た、くらい、です」
「カードキーは?」
「……ない、です」
「そうか、次、二班」
次々と報告を受けるが、新しいカードキーについては無いようだ。それでも各班、ゴブリンを数匹倒している。僕達も昨日の青い奴以外に倒してはいるが、カードキーを落としたのは青い奴だけだった。怪我人も居るので、大体一班六人から七人という形になる。
そう考えれば、赤い奴は一発で落としたし。初めて遭遇した緑の化け物も一発で落とした。小堂は『リアルラック強すぎでござる……』と言っていたが、僕の運がいいわけではないだろう。もっと、他に理由がありそうなのだが、よくわからない。
「さて、僕達の班だが青い奴を倒すことに成功した。理由はよくわからないけど、口の中、槍が刺さって死んだ」
「おざなりでござる……」
「まぁ、皮膚はアホのように硬かったが、口の中はそうじゃないということじゃねぇかと考えている。後、カードキーが出た」
歓声に近いざわつき。まぁ、カードキーが出るたびに生活が豊かになっていくのだから、仕方ないことだろう。僕としては居心地がよかろうが、どうでもいい。ただ、帰るために必要なものだという認識程度である。
「魔法屋……って名前なんだが、おい、お前ら、なんで、そんな風に興奮してやがんだ……」
「そりゃ、そうでござるよ……魔法なんて興奮必至の代物」
「そうか? 僕としてはこれで帰れるのなら……」
「おじゃ、委員長は魔法について、勘違いしているでおじゃ」
「魔法ってことは何でも出来るんだろ? なら、現実に」
「ハァァァ、まったく、駄目でおじゃるな、委員長」
イラッとする。どうしようか、このまま聞いてみるべきか? いや、聞かないという方法もあるが、まぁ、聞こう。
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「魔法、それはファンタジーにお馴染みの言葉でおじゃる
「大体、考えられる数は幾つかあるでおじゃるが
「主にわけるとしたら三つでおじゃるよ。
「攻撃、補助、回復でおじゃろう。
「その中でも更に区分わけという形でわけられるが
「大体、この三つが主流と思ってもらって間違いないでおじゃ。
「攻撃。これは言わずもがな、攻撃のための魔法でおじゃる。
「陰陽で言うと木、火、土、金、水。四属でいえば火、水、風、土
「まぁ、他にも光や闇、雷や氷と言った、多種多様に作られているでおじゃる
「人の数だけ、存在する、と言っても過言ではないでおじゃる。
「次に補助魔法。いわゆる、エンチャットやら、デバフと呼ばれたり、
「召還などといった魔法でござるよ、戦闘を補助する魔法、そのまんまでおじゃるな
「最後に回復魔法。これはそのまま。けれども種類は体力だったり、魔力だったり、生命力だったり、怪我を治したり、状態異常を治したりと文字通り『回復』の魔法でおじゃる
「ありがちなのは光属性と相性がよかったり、水属性と相性がよかったりと言ったことでおじゃるな
「それで、委員長が帰るといった方法は『送還』と呼ばれる魔法が必要になるでおじゃろう。そもそも
「そんな魔法が存在するのかすら怪しいでおじゃるよ
「えっ? 呼び出せたのだから、帰せる?
「甘いでおじゃるな、委員長
「呼び出しても帰す必要がないことなど多々とあるでおじゃろう
「しかも、建造物にレベルが存在するように魔法にもレベルがあると考えるのが普通でおじゃる
「レベルⅠ如きでクリアなど夢のまた夢でおじゃるよ
「そもそも、帰る方法を自らに頼ろうなどおごがましいでおじゃ!
「えぇ……? その台詞はカッコ悪い? 祥子はうるさいでおじゃ
「何が、他人に答えを委ねるな! でおじゃるか!
「こ、こほん。さて、続きを話そうかの
「麿の予想では、先日の青いゴブリン。ロックゴブリン
「このゴブリンは物理耐性特化だと思うでおじゃる
「ほら、ポケ○ンでもあるでおじゃろう? ノーマル攻撃は効きにくいと
「素手で殴ればいいわけですね、わかるでござるじゃないでおじゃ! えぇい、先ほどからうざいでおじゃ!
「こほんこほん。ま、まぁ、素手でやったところで勝てるわけでもなかったでおじゃ。事実、格闘タイプが岩タイプに強いって納得がいかないでおじゃるしな。
「そういう時こそ、魔法でおじゃるよ
「攻撃方法に魔法があれば、硬い相手にもダメージを与えることができるのが通説でごじゃる
「物理耐性と魔法耐性は別物でおじゃるからなぁ
「えっ? 理解できない?
「まったく、委員長は馬鹿でおじゃるなぁ……
「おじゃっ!? お腹の肉を抓むでない! セクハラでおじゃ!
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「もぅもぅ、委員長さん! 僕の彼女さんなんですよぉー」
ポカポカと痛くも痒くもない殴り方で矢来が僕を殴ってくる。やりすぎではない、問題もない。
「まぁまぁ、テレフォンパンチはそこまでにして、して、どうするでござるか?」
「まぁ、酒場にいきがてら、魔法屋らしきものを解放だけして、まずは昼食をとって各自、班分けで行動しよう。方針は各班で話し合えばいい」
「あ、待ってくれ、委員長」
「ん、どうしたんだ、北村」
「実は、骨折治った」
僕は眉間をぎゅっぎゅと押さえて、こいつが何を言っているのか考える。骨折したのはつい先日の話である。けれども、何を言った?
「あのな、北村、骨折は一ヶ月くらいかかるんだぞ? そう簡単に治ったら、病院なんて要らないだろ……」
「いや、俺に言われても知らないけど、猿渡や後藤も治ってるみたいだぜ?」
「……何でギブスしてんだよ、てめぇら」
「あ、いや、驚かせようと思って」
「そんなサプライズ、必要ねぇよ……んじゃ、三人とも今日から大丈夫なんだな?」
顔を見るとそれぞれコクリと頷いている。まぁ、問題ないだろう。別に骨折の治りが早い人間は早いし、そもそも素人判断での骨折だ。腕がプランプランしてても折れてなかったのかもしれないし……現実逃避気味だけど、納得しよう。
問題は骨折が早く治ったことよりも、動けるか、動けないかだ。戦力として立てるのなら使うべきだろう。それに、何時までも室内でストレス溜めていたら後藤の奴もいつ暴れだすかわかったもんじゃねーし。
「そういやぁ、後藤、珍しく、ここまで大人しかったな」
「妹と離れ離れになったという事実で一週間は夜鳴きしていた」
「聞きたくねぇよ、男子最強……」
さりげない事実に耳をふさぎたくなる。
「まっ、部屋のベッドを使って、色々と作っていたから、暇を潰してただけなんだが」
「適応しすぎだろ……んで、何を作ってたんだよ」
「妹の木製フィギュア。一週間、掛かったぜぇ」
「……」
ぶれない愛が素敵だと思った。お前、本当にどんな残念さを醸しだしてんだよ、それだけ手先が器用で喧嘩が強くて、イケメン寄りなのに……
「後藤くんはねー、イク時にね『雅ィィィィ、雅ィィィィィッ!』とか叫ぶのを辞めてほしいよー」
「は? じゃねーと、無理だろ」
花畑と後藤が会話しているのを聞いて、僕は現実に戻ったら後藤家長女の後藤 雅(13)に警告をしておこうと思った。切実に思った。流石に雛ちゃん(小学生)の方じゃないだけマシだと思……いや、思わない。どっちにしろアウトだ……
「んじゃ、とりあえず、行くか。準備が必要な奴はさっさと部屋に取りにいって、十分後に出発」
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扉は十八ある。内、一つは最初のお姫様が入っていった木製の扉。それを除くと全部で十七存在する。木製の扉はまるで、違う世界のように目に見えない堅い何かで覆われている。小堂曰く「目には見えない力」が働いているそうなので、どうにも出来ないらしい。槍で突いても只、手が痺れるという空しい結果に終わった。
さて、話は変わるが解放された扉について話そう。その内、利用しているのは七つ。一つだけ用途がわからないと言われている扉がある。
教会。
その扉の本質を知っているのは唯一、僕だけである。そして、願うなら二度と利用などしたくもない。いや、してはならない。けれども、だ。僕は間違いなく利用する時が来ることをわかっている。目を逸らしている。人は簡単に死ぬのだから。それを知っているのは、この場所で唯一、僕だけでしかない。
誰も、知らない。命の危険はあったと思っている。それでも全員が生き残っていると『思い込んでいる』のだから。忘れているのだ、消えているのだ。剱山 剣花、椿 英雄、野原 楠男というクラスメイトが確かに居たことを。
僕はメモ帳にて、居ることを知っている。そして、それが街に定期的に復活するゾンビの少女と、ゾンビの少年達であることを知っている。
この世界がどれだけ残酷なことをしているのか。この世界がどれだけ簡単に人が死ぬのかを、伝わらない、誰にも。理解しない、誰も。能天気に生きている。それが僕の直感の原因だ。僕は二度と、教会を利用しない。二度、と教会を使わない。例え、忘れることで立ち直ることが出来たとしても。
それでも、忘れては駄目なのだ。忘れちゃ、駄目なのだ。例え、クラスメイトのゾンビが目の前に現れて、それを忘れるための唯一の方法だったとしても――その方法だけは取ってはならない。魂の救済、魂の石、魂石のブレスレット。
僕が右手に嵌めた銀色のブレスレット。顔も思い出せない、今は思い出すら心の中にない。けれども、確かに居た少女の形見なのだ。きっと、剱山という少女は僕を責めるだろう、死んだ彼女の生き返りを殺して、クラスメイトはこの世界に適応するためにレベルを上げた。レベルゼロからレベル1へ。僕はそれを見ていた。止めることもなく、見ていた。
止める術もなく、止められる訳もなく、止める理由を探すこともなく。生き返りを見殺すことによって、生き残りを選んだ。
友達も要らない。恋人も要らない。選ぶことが苦痛だから、選びたくなどないから。けれども、僕は選ばざるを得なかった。けれども、それはきっと、選ぶなんて高尚な行動ではなく、只、時間切れによる強制的な選択。選ばなかったことにより、出た結果でしかない。止めることも、止めないこともしなかったのだ。
「聞いていますの! 委員長!」
紫香楽アリアが酒場の丸テーブルをドンと叩きつける。集まった面々は矢来、在原、紫香楽、田中、法理、三浦である。一つの班に男子が二人集まるのは当たり前で、メモ帳を切って作った籤による抽選結果である。無論、紙は貴重な資源なので毎回再利用をしているが、そのせいでくちゃくちゃになったり、ところどころ破れていたりする。
ともあれ、これが本日のぐるー……パーティーらしい。ちなみに僕が班やグループと呼んだら、小堂が「委員長! パーティーでござるよ、パーティー!」と騒ぎだしたので強制的に呼ばせられている。班でいいじゃねぇか、二文字だぞ、二文字。何でも、様式美であるらしい。様式美、大好きだな、てめぇら。
「まずは魔法屋ですわ!」
紫香楽が今日の方針を言う。何でも魔法屋に行きたいらしい。僕としては酷い混雑が予想されるので、三時間くらい経ってからの方がいいような気がするが……基本的に夕方の六時までに酒場に帰ってきて点呼を取るのが通例となっている。これに関してもルールで新しく決まった。
考えれば朝は全員で朝食を取り、夜も全員で晩飯を食べるってどこか規則正しすぎる集団ではあるよな。今日は集まりが悪すぎたので朝昼兼用であるが。
僕は干し肉とサラダ(味付けなし)をむしゃむしゃと食べながら飲み込む。
「けど、混むぞ? 小堂の班や麻呂達の班も行くだろうし。それに、今、前衛三十四人、後衛一人なんだから、後衛志望とやらは魔法を覚えるんだろ……? なら、せめて後衛が居る僕達の班が後になった方がいいんじゃね?」
クラスメイト三十四人前衛である。槍と剣のオンパレードである。戦国時代、三国時代でもこんな話、聞いたことないですよ、と歴史オタクである三浦が嘆いていた。つまり、それだけヤバイらしい。敵には遠距離の攻撃があるのも存在として考えられるので、なるべく弓の数を増やしたいが、武器屋にて、弓は売ってない。弓矢は売っているくせに、弓は売っていないのだ武器屋に。
意味がわからない。詐欺にも程がある。知念や田中のメイク術並の詐術である。けれどもどういうわけか法理だけ、弓が用意されていた。
僕達が使っている武器は何故か、レベルが一になると配給される。配給される場所は武器屋で剣か槍が置いてあるのだ。初期装備というものらしいが、意味がわからないし、理屈じゃないそうなので聞くのをぐっと堪える。また、長い話になりそうだ。僕も昨日、槍を失ったので武器屋を除いたら普通に新しく穂先の錆びた槍があった。本当なら破壊不可の耐久力無限装備であるべきらしい。そんなのあるなら武器屋の意味ないじゃん、とか言ったら、いい武器は高い攻撃力があるでござる。耐久力無限の武器なんて火力なんてクソみたいな仕様でござるよ、と言っていた。
つまりは武器に攻撃力があるらしい。攻撃力? なにそれ、と思ったが。これまた長い話になりそうだったので軽くつまんで聞いたくらいだ。攻撃力が高ければ化け物与えるダメージが大きくなる、そうだ。つまり、バットと釘バットみたいなものかと聞けば「ま、まぁ、あながち間違いじゃないでござるが……」と微妙な顔をされた。釘バットはヤバイ、あれは人間破壊兵器だ。ちなみに釘バットには二種類あり、釘のどっちを埋め込むかによって破壊力は異なる。
「まぁ、魔法屋に行ったとして、後衛とか補助とか考えなきゃいけないわけだろ?」
「あら、委員長。少しはわかってきましたのね」
うむうむと遥か高みから見下ろされるようでイラッとする。なんだ、こいつ……
「まず、そうですわね。後衛と前衛をはっきりと決めておきましょう」
「まぁ、そこら辺は僕より紫香楽の方が……」
「だから、何度も言ってるでしょう、委員長! アリアと呼べと!」
「なんでだよ……」
「委員長に助けられた恩をわたくしは忘れていませんわ! 特別に許可してさしあげるのですからさっさとお呼びなさい!」
何故か、下の名前で呼ぶように命令される。おかしい、恩を売って、これほどまでに堂々と仇で返されている。
「別にいいだろ……」
「よ・く・あ・り・ま・せ・ん・わ! アリアが嫌なら、アリア様と呼びなさい!」
人、これを恩仇と呼ぶらしい。
「……とりあえず、さっさと進めろ紫香楽」
「まったく、強情ですわね!」
「どっちが」
呆れて溜息を吐く。何故か怒る紫香楽を全員が菩薩のような顔で見ている。
「それでは後衛を考えましょう。後衛希望は誰が居ますか?」
すると、すっと尋ねた紫香楽と僕以外の全員が手をあげた。
「……多いですわね。けれども、まぁ、仕方ありませんわね」
そう、運動能力という面を見て、ここに集まる面子はどう考えても前で戦えるような身体能力を持ちえていない。在原も田中も三浦も矢来も運動音痴とまでは行かないまでも、得意だとはいい難いのだ。
「そうですわね……うち、一人が回復、一人が補助、二人が攻撃魔法、そして法理さんは弓でいいですわよね?」
「あぁ、私の腕前でよければ任せてくれ」
うんうんと頷く法理 矛盾であるが、先日、僕に矢が掠ったことを僕は忘れてなどいない。僕、いいと言ってないんだけどな……けれども、掠らせることはあっても、今まで一度も法理 矛盾は誰かに弓を射ったことは無かった。それどころか、結構な確立で化け物に命中させている。
だけど、誤射は怖い。魔法の危険性を聞くときに小堂が散々と言っていたことを僕は思い出す。今後は連携を重視して動くべきだと。魔法が入ることによって、今までのただ槍で突撃するだけの戦法はもう捨てるべきだと言われた。正論であるが、求めてくるレベルが高すぎる。
「なら、僕は魔法を覚えなくてもいいてわけか」
「このお馬鹿っ! 覚えるに決まっているのですわ!」
メンドクサイことにならなくて安心かと思っていたら、そんなことはなかった。挙句には馬鹿扱いされた。解せぬ。
「いいですの? 前衛でも戦闘の選択肢が増えることは間違いじゃありませんわ。使えないことと使わないことでは天と地ほどの差がありますわよ」
「……まぁ、言わんとすることはわかる。けど、そう簡単に覚えれるのか? それで、役に立つかもわからないのに時間をかけるよりも、もっと何か出来そうな気がするんだが」
「ふふっ、委員長。例えば、どういう事をしようというのかい?」
「えっ? いや、適当に紫香楽をあしらうために言った言葉だったから深い意味はないけど」
「あ・な・た・はぁぁぁぁ! まったく、わたくしの事はアリアと呼べと言っているでしょう! それに適当にあしらうとは何事ですか! わたくしはあなたの為を思って言ってさしあげていますのよ!」
「は、はぁ……恐縮ですー」
めんどくさくなってきた……それから懇々と紫香楽の説教(?)なるものが始まり、サラダは味付けが無いので苦い葉っぱの味しかしなかった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
適正というものがある。それは現実に帰った後にも嫌というほど聞くであろう言葉。それは聞こえのいい言葉ではあるが、早い話が才能の有無の判断であると僕は思っている。六道において大抵の人間が社会不適合者であることは今更、語るべき事柄ではないであろうが、異世界ではどうやら、社会に不適合であっても、魔法という存在に適合するようだ。つまりは魔法が使えるということである。
『いらっしゃいませ、魔法屋でございますじゃ』
そんな挨拶から始まった、魔法屋。些か、変な口調だが、空中に文字が浮かぶだけなのでどういう口調であり、どんな人物が言っていると過程しているのかわからない。紫香楽は『絶対にロリ婆ですわ!』と叫んでいた。それはロリータコンプレックスと呼ばれる幼女性愛のおばあさんという意味なのか? 孫可愛がりじゃね?
『魔法を覚えるにあたって、適正が必要なのじゃ。お客様の適正は何かのぅ? 何、まだ、判断していない、それは困ったものじゃ』
困ったのはお前だと、なんでこんなに演劇チックなんだよ。たかだか空中に浮かぶ文字の癖に話が長いと思った。いいから、用件をさっさと言え、と思った。
『では、適正を判断するとしようかのぅ……ムムムム、こ、これは!』
ちなみに何故、僕がこんなにも苛々としているかというとこの流れは七度目なのである。そう、七度目。同じような形で既に班員全員が適正を検査した。そして、殆どの面子が魔法を購入済み。魔法を購入ってなんぞ、それと思うかもしれないが、僕が一番、困惑している。
『お主は適正が無いっ!』
……流れが違うぞ? 壊れたか? 僕は班員を見ると、全員がマジマジと僕を見てきた。いや、待て、僕は何もしていない。僕は何もしていないんだ! だから、皆と同じように何か適当なのでいいから……
『適正が無いのじゃ! 帰れ、帰れ!』
空中に浮かぶ文字にイラっとする。もし、現実世界にこんなことを言う店があったのならクレーム必至間違いなしである。
「い、委員長、元気をお出しになって? こ、こういうこともありますわよ。そ、そう! 委員長は皆を纏められるではありませんの!」
「そ、そうだね! 委員長。何、気にすることはないさ。魔法なんてものは使えなくとも何も問題ないんだよ。ほら、私も購入していないわけだし」
「そ、そうですよぉ! 委員長さん。元気だしてくださぁい」
「あはははははっ! 委員長、適正無しだってー!」
「だ、駄目だよ、田中さん、笑っちゃ、ぷふっ、駄目だってばー」
「三浦さん、噴き出してますよ。委員長、何も悲しくありません。すべてはBLになればいいのです」
何だか、気遣いが痛々しい。むしろ田中や三浦のように笑ってくれた方が遥かにマシな感じである。そもそも、魔法を使いたいと思っていないので、メンドクサイことにならなくてよかったと安心しているが、これではまるで僕が可哀想みたいな感じで凄く迷惑である。
溜息を吐きながら、楽ならこれでいっか、と思い、足を別方向に向けようとした瞬間にその文字は浮かび上がった。演技的で、ふざけていて、それでいて僕に対する明らかなる当てつけであること。
『(い、言えんぞ、こ、この小僧が死霊術の適正があるなんて、絶対に言えん。王国で禁止されている死体を操る適正が非常に高すぎるのじゃ……しかし、数万人に一人の可能性である死霊術……しかも、かなり適正が高い……)』
「ネクロマンサー!」
紫香楽が喜ぶように手を挙げる。けれども、喜べなかった。喜べるわけなどなかった。何故、喜べる。僕は、クラスメイトを『使う』という方法を提示されたのだ、それは許されざる行為だ、許されない蛮行だ、絶対に使っちゃいけない。
死霊術? あぁ、なんだ、それ。意味がわからない。聞けばきっと想像するに容易いものかもしれないが。ネクロマンサー、それはどういう意味だろうか。聞けばきっと、心当たり、近いような言葉がわかるのかもしれないが、どうでもいい。
どうでもいい、ただ一つ。死体を操るという文言を、僕は絶対に許せなかった。まるで、僕だけが知っている真実に対する罰とでも言わんばかりに、その術に対する適正があると表示されているのだ。死体とは誰だ? 死体とは何だ? 答えは簡単だ、僕は今まで、死体として存在するモノを一つしか確認していない。
化け物は灰となって消える。けれども、クラスメイトの生き返りは死体として、その場に残り続けるのだ、再び、死体となるために。誰かの糧となるために。一人五十ポイント。一日六〇〇ポイント。それが、彼女達の存在する理由。
「……ッ!」
ガンっと僕は正面の壁を殴りつける。僕らしくない。衝動的な行動など、僕らしくもない。いつだって、冷静に冷徹に合理的が僕の信条ではないか。何を熱くなってる、そういう人間ではないだろう。そんな熱意を持っていないだろう。そんなことを思える高尚な人間ではないだろう。
臆病で、ちっぽけで、何もない、価値もない。そんな人間が何を怒っているというのか。怒って、何を誰に、どうしたいかも定まっていないのに、どうして、僕は壁なんかを殴りつけたのだろうか。理解不能、意味不明。
「委員長……?」
「……僕だけ、魔法が使えないのが悔しかっただけだ。何も問題ない。平気で、へっちゃらで、無問題」
「……」
「委員長、それはいいけどさ、拳、大丈夫?」
田中が僕の手を心配してくる。見れば壁を殴ったせいで、皮膚が剥けて、血が滴り始めていた。ジンジンと痛むが、問題も何もない。
「手、出して」
田中の言われる通りに手を出す。すると――
「えっと……我が声を聞け、水の精、癒しを与え、傷を治せ『アクア・ヒール』……って、これ絶対に言わなきゃいけないわけぇ?」
田中が嫌そうな顔で呟きながら誰かに尋ねる。意味がわからなかったが、包まれた掌が光を帯びて、微温湯の感触が傷を撫でる。すると、剥けていた皮が逆再生でもしているのか、傷口が小さくなる。そして、傷口は完全に閉じ、血液だけが僕の手の甲を汚していた。
「ん、さすが魔法……ゲームみたいだね。けど、委員長、どったの? いきなり、ブチギレて、お年頃?」
「そういう時もある」
「……ま、どーでもいいけどー」
田中は僕の手から興味がなくなったのか離し、壁に寄りかかる。
「さて、この後、探索と行くか」
「え、えぇ……けど、委員長、いいですの?」
「何が?」
「魔法、何も選ばなくて」
「あぁ、何か出ていたな」
そう、文字は更に浮かび続けていたのだ。けれども、僕は見る素振りもしない、演劇的な文章が流れていたが興味もない。最後に浮かび上がった文字『死霊術のヒントを購入しますか Y/N』という文字を選択もしないで、魔法屋を後にする。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
緑、赤、青。僕達が見た、化け物の種類である。その化け物は色が違えど、体格は一緒で。強さは違えど、見た目は酷似していて。名前は違えど、同じような存在だった。ならば、そう。ならば、だ。たまたま、振り返った時に見つけた、あの化け物。
目の先に居る、アレは何だろうか。化け物。確かに化け物だ、間違いない。違いない上に化け物以外でどう呼べばいいかわからないくらいには化け物である。下顎から生えた鋭い牙、手には大きな槍、身の丈は二メートルはあり、豚鼻をヒクヒクとならし、頭の上には見た目から想像できないようなチャーミングな耳が生えている。それでいて、二足で歩行しながら、人間と同じく衣服を着ている。ただし、衣服と呼んでいいのか。ジャラジャラと音が鳴る服。いや、あれは服なんてものじゃない。服ならば――身を守る必要はないのだから。
だからこそ、アレは鎧だ。間違いない。全身に纏う必要がなくとも、ジャラジャラとなっていて、全身の動きを阻害する鈍重さがなくても鎧なのだ。皮で出来た鎧。身を守るために、皮で出来、鎖で要所を繋ぎ、武器での攻撃を想定した防具。
「……ッ!?」
全員に緊張が走る。遠目に見えたそいつは明らかに異質だった。今までで見たこともない存在だった。豚でありながら、悪鬼。豚でありながら、人を喰らう牙を持つ悪鬼であろう。一目見ただけでわかる、話し合うことなど出来やしない、理解しあうことなど出来るわけがない、二足歩行で武器を使うからといって、意思疎通が可能であるとは限らない。
「……なぁ、アレと話し合うという提案を一瞬でも考えてみたんだが、紫香楽、どう思う」
「何とも、素敵な脳内ですわね。少なくとも、わたくしが知る限り、ファンタジーで歩く豚の化け物と意思疎通をして仲良くなれる展開なんて殆どありませんわ」
これで友好的接触の線を脳裏から消す。仮に同意が出たとしても僕は絶対に賛成をしなかっただろう。ダラダラと口から涎が落ちて、徘徊するかのような姿。そんなのと仲良くできるなんて僕は思えない。少なくとも、そんなのと仲良くできるなら、地元のヤンキーと仲良くする。地元のヤンキーと仲良くなんて出来やしないから、結論。仲良くなんてなれない。
「どうしますの、委員長」
「逃げたい」
「……ですわね。ほぼ、裸のゴブリンと違ってあの豚、オークは防具まで装備していますわ」
「けれど、問題が一つ」
「何ですの?」
「あの豚、気づいてやがる」
「……は?」
二足歩行のくせに前かがみになって、ふごふごと地面を匂いを探っている。そして、僕達の歩いてきた、足跡を辿っているのだ。背後を警戒していなかった。油断していた。時々、振り返る程度の警戒しかしていなかった。目はよくないのか、こちらから一方的に捕捉はしているものの、間違いなくつけられているだろう。
迂闊だった。ただし、言い訳をさせてもらえるのなら、僕達はゴブリンと呼ばれる化け物を遠目ながらに発見できるようになった。だから、こんな暗い場所でも背後を警戒しすぎるという事などなかったのだ。考えてみれば、どんな事情があろうと常に背後に警戒をするべきなのだ。錆びた武器で攻撃されても、不意打ちでも、打撲程度で済むという結果が僕達の警戒心を完全に奪っていたのだ。
そう、不意打ちで打撲程度の怪我で済むなんてありえないのに、僕達はそのことを頭の外から消していた。何度か不意打ちされて、物凄い衝撃が襲っても、軽い怪我で済んでいたからと言って、決して油断などするべきではなかったのだ。北村や猿渡は槍が効かないからと言って素手でロックゴブリンなるものを殴った結果、手首を折った。それは自業自得である。まともに槍さえ使えば、少し怪我をする程度の相手。それが赤を除くゴブリン達に対する僕達の評価だ。
ならば、アレはどうだろうか。直感的に悟る。あの化け物はあの赤い化け物と同等の力を持つ。青や緑とは比べ物にならない暴力の化身である、ということを。
「……」
背筋から一気に汗が流れ出る。一週間。たったの一週間、その過程で僕はいつから警戒心を緩めていたのだろうか。いや、警戒心を緩めたわけではない、ただ自責と自罰を言い訳にして思考を停止させていただけなのだ。
「……間違いなく、つけられている。このまま、宿まで引き連れて帰るわけにはいかないだろ」
「そうですわね、宿の前に張り込まれたら、出た瞬間、ざっくりなんて展開もありますわ」
「それよりも扉を開けて、入ってくるだろ」
「……わかりませんわよ? 宿や店の中にモンスターは入ってこれない。そんなルールがあるかもしれませんわ」
「都合のいい世界だ、まったく」
背負っていた槍を構える。紫香楽も腰にさした剣を抜く。鞘は一体どこからと思っていたが、こいつはこいつで行動していたんだ、何かしらの発見があるのだろう。僕は『それすら』も確認していない。
「矢来が使える魔法は?」
「え、えっとぉ、『エンチャット・風』ですぅ」
「……効果は?」
まぁ、速さ云々言っていたから大体、予想はつくけれども。
「風の加護によって、身体が軽くなるそうですよぉ」
「僕と紫香楽にかけてくれ」
矢来が現実で口に出せばちょっと恥ずかしいような台詞を口ずさむ。僕と紫香楽に緑の光が注ぐ。暗闇でのせいか、少し眩しい。しかし、あの化け物。これだけ、発光していながら気づかないのか?
「……ん、確かに身体が軽くなった気がしますわ」
「体調の誤差内じゃねぇか?」
確かに軽いと言われれば軽いのかもしれない。けれども、微々たるものだ。体調が普通から絶好調に変わった時くらいである。
「矢来は背後警戒。三浦と在原は魔法とやらで先制してくれ、五人は絶対に前に来るな。法理はいつも通りだ。紫香楽、行けるな?」
「だから、アリアですわ! えぇ、タイミングはお二人に任せますわ」
「「任せて」」
タイミングよく綺麗にはもる三浦と在原。僕はいつでもダッシュが出来るように槍を低く構える。ぐっと両足に力を込めて、前のめりに。在原が水魔法とやらを使え、三浦が土魔法とやらを使えるらしい。田中は水の回復魔法を使えると言っていた。法理は魔法を覚えられるそうだがポイントが足りないと購入していない。
「我が声を聞け、水の精『アクア・ショット!』」
「我が声を聞け、土の精『ストーン・ショット!』」
水の弾丸と土の弾丸が豚の化け物に向かって一直線に飛んでいく。それに続き、法理の矢が飛び――鏃と土が弾かれる。硬いっ……けれども、それがわかったのなら、好都合である。皮膚は硬い、鏃を弾く程度には。ならば、僕は初めから――
「行くぞ、紫香楽!」
「だから、アリアですわっ!」
結論から言おう。僕はいつだって、間違える。
Episode 三浦 数子
さて、私の人生というものをお話する時に常にかかせないのが顔の話です。何故なら、私は自分がブスであることを十二分に理解していますから。そんな私が六道という高校に進学することになった理由はありきたりでどこにでも転がっていて面白味も何も無い理由からです。単純にイジメられていたから。これにつきます。
そして、私の人生の転機というお話をするにあたって欠かせない人物が居るとするならばそれは私の彼氏である那賀島 夕君でしょう。そして、もう一人。皆が委員長と呼び、私も委員長と呼んでいる一人の少年。彼を少年と呼んでいいのか、それとも青年と呼んでいいのかは頭の悪い私ではわかりませんが、女子会という言葉があるように女はいつだって、自分を女子と呼ぶのですから、男はいつまでたっても子供。つまりは少年であるという事実から彼を少年と呼びましょう。
少し、話が逸れましたが、転機という意味では那賀島君の他に空洞 空君の存在を外すことは出来ません。恐らく、那賀島君に話を聞いても、同じことを彼は言うでしょう。いや、それは期待しすぎかもしれませんが。少なくとも、空洞くんの名前は出ることでしょう。
さて、そんな私ですが、自分のブスさ加減にいつも俯いていました。当然ですね。六道に進学した私は特に顕著にその傾向はありました。六道という学校は特殊な学校であっても生徒の『顔』の質は高かったのです。私基準ではありません、むしろ、私基準だったら、大抵の学校は美男美女揃いの学校になるでしょう。
そんな中でも異質が数人。一人は酷い火傷を……そういえば、彼女はいつの間にか居なくなっていましたが、いつ退学したのでしょうか。曖昧で思い出せません。しかしながら、その火傷をカバーする程度に残りが綺麗だったのは印象的でした。
数人の中でもトップクラス。それが私と那賀島君でした。那賀島くんは男子の中で一番ブサイクであるということを自分で言っていましたから。けれども、私は彼の顔が好きです。愛嬌があり、見ているだけで胸がドキドキするのですから。
さてさて、またまた話は変わりますが、そんな私ですから入学してずっと俯いたまま生活をしていました。まともに顔を上げられるわけありません。楽しそうに笑う声も、喧嘩でクラスの中が騒然とする時も、私は常に俯いていました。
そんなある日、私は出会います。いえ、那賀島くんではありません。空洞くんの方です。私は那賀島くんと知り合うよりも先に空洞くんと喋るようになったのです。私は彼に恋心があったかどうか、聞かれれば言葉を濁します。何故なら、それは恋心と呼んでいいのか非常にわからないものですから。もしかしたら、雛が親を好きになる、そのような感情が一番近いのかもしれません。
結論から言えば、那賀島くんと付き合うことになりますが、そこには紆余曲折あったと自分ながらに主張します。ただし、それはとても変ですが、普通のことだと思います。どこにでもあるような、大したことのない、ブスな女の子が男の子と付き合うに至って、告白されるまでの話です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
『あいたっ……』
壁際、端の端、廊下の隅。歩いていて、なんとなく思うのが、私に似合うのはこんな廊下の隅じゃないのかな、ということ。いやいや、私、いくらブスだからと言って何もそこまで卑屈にならなくても、と思う。いや、ブスが日向の当たる場所なんか歩いてんじゃねーよ、とか言われるくらいなら端を歩いた方がマシかな……そんなことを考えていたせいか、誰かとぶつかってしまった……どうしよう……
『ごっ、ごめんなさい、ごめんなさい!』
尻餅の体制からすぐさま前を向いて、両足をついたまま、頭をさげる。誰かはわからないけど怒らないでほしい。ブスとは言え、虐げられていいわけじゃない。だから、謝ってるから許してください……
『お、おいおい、いきなり土下座とかやめてくれよ……僕が土下座を強要させているようでとても困る……』
顔をあげるとクラスメイトの空洞くんが居た。その顔には明らかに困惑とばかりな表情。さすが、ジャパニーズ土下座。大抵のことは許されますね。
『そ、そうですか、それでは』
『あ、ちょっと、待て。あんた……確か、三浦だったよな』
『ひぃっ!? どうして、私の名前を!』
『いやいや、クラスメイトだから……』
呆れたように言う空洞くんですが、果たして何人が私の名前を言えることか。いや、推測するだけでも悲しい物事なのでやめよう。
『まぁ、いつも俯きがちで、声もあんまり聞いたことないから確証はないけどよ、とりあえず、三浦だったか?』
『そ、そうです……財布の中は三千円しかありません』
『僕がカツアゲするような人間みたいに言うなよ……違う、違う。これ、落としたぞ』
『あ、学生証』
拾ってくれたようです。よかった、無くしたら、苛められて盗まれたかもと言った被害妄想で一日悩む羽目になるところでした。
『うーん』
『ど、どうしたんですか?』
『いや、別に。よくわかんねーけどさ、俯いてたら人にぶつかるぞ、気をつけた方がいいんじゃね?』
『……』
正論を言われて黙り込みます。けれども、空洞くんにはきっとわかりません。空洞くんは顔は悪くないです。少し幼い顔立ちで、イケメンという程でもありませんが、普通に恋愛して、普通に彼女ができるくらいの顔を持っています。だから、わかりっこないです。ブスな私が俯くのは普通なのです。当然の権利なのです。義務なのです。
『関係ねーって雰囲気を晒してるな。ま、確かに、僕には関係ねーけど』
内心を言い当てられてドキリとします。どうして、わかったのでしょうか、顔を見ずわかった彼はエスパーでしょうか。なら、お察しください。
『けど、俯いて身を守っているつもりなら、間違ってるぞ? それだと、もっと大きな問題にって、こりゃ、大きなお世話だし、僕が世話を焼く義理もねーし、意味もねーか。じゃあな、三浦』
『え? あ、はい。さようなら』
最敬礼九十度のお辞儀で帰りの挨拶をしました。そんな私を見て、空洞くんは。
『だから、僕はそんな立派なお辞儀で送られるほど偉い奴じゃねーんだけど……』
けれども、空洞くんの言葉が耳に残ります。俯いているだけが身を守る唯一の方法なのに、私のような奴はこれが最前の方法なのに。頭を下げたまま、悪い頭で、私は考え込んでしまいました。余談ですが、この時、この体制で考え込んだせいで、菊池先生に「何かの罰ゲーム!? イジメ!?」と心配させてしまいました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
『い、いらっしゃいませー』
『三浦さん、声が小さすぎ、なんて言ってるか聞こえないよ』
『は、はい、ごめんなさい……』
小さな本屋でのアルバイト。高校生になってアルバイトをするというのは親との決まりごとでした。理由は簡単です、単純にお小遣いをあげられないから、自分でバイトしてとのことでした。お小遣いをもらえない理由も簡単です、六道に入学したからです。六道は他の学校よりも学費が高いのです。中流階級の私の家は四人兄妹で兄が三人いますが、三人とも学生です、その為、生活は結構圧迫しています。そんな中で私が六道入学です、余分なお金はないことでしょう。まぁ、両親が兄の方を可愛がっているとなんとなく思っているのですが、それは私の妬みも入っている主観でしかありません。
というわけで、アルバイトを始めました。そして、二ヶ月くらい経っていますが、未だに怒られます。同期の女の子は要領よくこなすのに、私は駄目です。ブスだから、お客さんの顔をよく見れないし、自身が無いからはきはきと喋れません。
そんな感じでバイト終わり。何人かで遊びに行くようですが、私には関係ありません。けれども、ああやって遊びに行くのを羨ましいと思います。溜息を吐きながら、帰り道にあるコンビニに入りました。
『……』
入って一歩。かつてないほどの衝撃でした。店員さんと目があったのに挨拶を返されるどころか、無視をされて、ちらりともこちらを見ません。いえ、別に挨拶が無いことに怒っているということではありません。けれども、あれは駄目でしょう。何故なら、そのバイト店員はカウンターの上で宿題をやっていたのです。
『……空洞くん?』
『……三浦か?』
誰かと思えばクラスメイトでした。しかも、ノートから目を離さずに書き続けています。すごいです、何を、どう育てばこんなことを平然と出来るのでしょう。
『……客ならいらっしゃいませ、客じゃないなら帰れ』
そして、あろうことか暴言。凄いです。普通のお客さんならブチキレて帰ります。けれども、私は普通よりも遥かにか弱い……いえいえ、広い心を持っているので我慢します。決して文句を言えないわけではありません。
とりあえず、私は店内をウロウロとして、何を買おうか迷います。新発売のスイーツ……ありですね! けれども、体重がちょっぴりヤバ目になってきましたので、我慢です。ゼロカロリーのゼリーです。それを二つ取って、レジへ。すると空洞くんは「くわっ」と目を見開きました。なんでしょう、凄く怖いです。
『……三浦。この世に僕が一つ許せないものがあるとしたら、それはゼロカロリーなるものだ。何故、ゼロカロリーの物を食べる。カロリーを気にするくらいなら、食べるな!』
凄い剣幕で怒られました。意味がわかりません。甘いものを食べたいけど、カロリーが高いのでカロリーの低いものを食べるという行動を取れば怒られました。理不尽です、意味がわかりません。
『あ、甘いものを食べたい時、我慢しながらゼリーを食べるんですよぉ』
『甘いものを食べたいなら、普通に甘いものを食べたらいいだろ』
『か、カロリーがあるんですよ』
『運動しろ』
『ぐ、ぐぬぬ……い、今、空洞くんは全世界の女の子を敵に回しました。こうなれば、決闘です。決着です!』
『ほぅ、いい啖呵だ。気に入ったよ。僕は自分より強い奴には弱くて、自分より弱い奴には強い人間だ』
『最低です!?』
『誰が最低だ、こらぁっ!』
ピッピッとそれでもレジを打ちながら、金額を告げる。私はお金を丁度出します。さりげなくコンビニの袋にレシートがいれられていました。いらないのに……
『そ、それじゃあ、またね、空洞くん』
『じゃあな』
まるで普通のお友達のように会話をしてしまいました。少しだけ、こんな変な会話でも少しだけ嬉しい私が居ました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、空洞くんとお話した私はちょっとずつ、人と会話をするようになりました。けれども、それは他人とは言ってません。家族です。別に家族内でハブられているわけでもないけれど、元不登校な私は勝手に負い目を感じて自分から壁を作っていたようです。だからといって家の事情が変わってお小遣いがもらえたりするわけではありませんが。
兄達と会話をするようになって、学校ではあまり、喋らないけれども、コンビニに行ったら空洞くんと少しお話する。そんなサイクルです。ただ、変わらないことがないわけでもないのです、バイトに行く時にちょっとだけお洒落なるものを取り入れようと試みました。兄達はそんな私を見て「好きな奴でも出来たのか?」と興味があるとばかりに尋ねてきましたが、否定しておきます。
ブスだけど、それでもやっぱり女の子ですから。お洒落くらいはいいですよね。誰に許可取るわけでもないですけれど、それでもやっぱりそれくらいの許可を何かに尋ねないといけない程度には私の自分の顔に対するコンプレックスは大きいのです。
けれども、やっぱりと言えばなんというか。ブスは背伸びをするものではないことを私は思い知りました。バイト先で男の先輩に。
『ブスなのに、お洒落頑張って恥ずかしくないの?』
真顔で普通に言われました。そこには悪意も何もありません。単純な疑問として尋ねられたのです。まるで子供が尋ねるように。いえ、悪意はあるのでしょう。去り際に笑い声が聞こえました。けれども、それ以上に私は自分に対して嫌になりました。
何を頑張っていたのだろう、と。
私はトボトボと帰ります。今日はコンビニによらないで、まっすぐに帰ろうと思いました。けれども、こんな日に限って、空洞くんは外で掃除をしていました。いえ、掃除はしていませんでした。箒とちり取りを持って、月を見上げていました。
それを見て、私はつい、笑ってしまったのです。
とても笑えるような気持ちじゃなかったのに。とても沈鬱とした気持ちだったのに。自分がブスでとても嫌だったのに。月を見ている空洞くんを見て、笑ってしまいました。何せ、空洞くん、シャツ裏返しです。内と外ではありません、前と後ろです。コンビニでの掃除の時、空洞くんはジャンパーを脱いで、エプロンをつけて掃除をしています。何度か見かけたのではっきりとわかりました。
『……空洞くん、シャツ逆だよ?』
『知ってるよ、なんだよ、そのドヤ顔、やめろ。僕が馬鹿みたいじゃないか』
『えっ……だって、シャツを裏返しに着るなんて、馬鹿じゃない……の?』
『三浦……言うようになったじゃないか』
ニコニコと笑顔が怖いです。
『見るか?』
『えっ? 何を?』
『どうして、僕がシャツを裏返しに着ているのかを』
『……うーん』
『いや、見ろ!』
エプロンをはずした先には『僕はロリコンです』と赤い何かでデカデカと書かれていました。まるでそれが模様のようで恥ずかしいです。もし、これがTシャツの文字だったとして、道を歩いていると逮捕されます。夏服なのでカッターからうっすらと文字が浮かび上がった瞬間、誰かが携帯電話を手にとることでしょう。
『くそっ……仙道の奴……』
悔しそうに呟く空洞くん。仙道。仙道さん? クラスメイトの仙道さんだろうか。そう思った瞬間、心に陰がささりました。やはり、空洞くんも顔のいい女子がいいのでしょうか。
『どうした、今にも死にそうな顔してんな』
『し、死なないですよ』
『そうか? 今すぐ、私を殺して! と羞恥にもだえるような顔だったが……』
『エスパーです!?』
私は驚きました。いや、まぁ、そんなに明るいものではありませんが本質的には似たようなものでしょう。
『空洞くん、私がお洒落をしたら、おかしいですか?』
『は? なんでだよ? どいつもこいつもお洒落に金かけてるだろ? 僕からしたら気が知らねーよ。お洒落とは無縁だからな……』
『で、でも、私はブスですよ?』
『ブスがお洒落しちゃいけないって法律があるのかよ』
『そ、そりゃ、ないですけど』
『なら、自分がしたいようにすればいいじゃん』
『……』
『でも、私みたいなブスがお洒落したら、ブスなのに可愛い恰好してるって言われます』
『言った奴が超絶イケメンで、女の子に困らず、芸能人のじゃにーなんたらみたいにカッコいいなら諦めろ。そいつにとっての価値観はもう治らないよ』
い、いえ。そこまでイケメンではありません。私なんかと比べたら遥かに顔のつくりのいい男性です。
『ただ、どこにでも居る程度のイケメン以下なら、こう言ってやれ。『え? お前、人を馬鹿に出来るほどカッコいいの? すげーわ、その顔で』と』
私は絶句しました。空洞くんはあろうことか、私に喧嘩を売れと唆したのです。こんな私に、喧嘩を売れと。俯いて、聞かなかったことにしろ、とも。忘れて逃げることにしろ、とも。慰めることもせず。唯、たんに喧嘩の売り方を伝授してきました。
『……そんなこと言えませんよ』
『なんで? 言われたんだろ? それに、そいつ三浦のこと見すぎだろ? そいつ三浦のこと好きなの? というか、可愛い恰好してるの?』
絶句。
『え、いやいや、そんな僕が酷いことを言ったみたいな顔をすんじゃねーよ。僕みたいな人間は他人のことなんざ、よく見てねーし、気にもしてねーからわかんねーだけなんだよ』
『……ま、まぁ。そうですね』
『えっ? 何でそんな哀れむような目をしてるの? おい、やめろよ、可哀想な子を見るような目で僕を見るなよ……』
『ふーん』
見てもらいたい人が全く気づかないで、どうでもいい人が気づくとは世の中皮肉なものですね。
『ただ、お前が頑張ってるってることを見ている奴が居るわけだろ? よくわからねーけど』
『いや、そんな良い話ではなかったような気が……』
『……うむ、僕は店内に戻る。よくわからんが、まぁ、アレだ』
『アレ?』
『他人を馬鹿にするような人間は基本的に打たれ弱いから上手い返しで一発でキレるぞ?』
空洞くんの言葉がよくわからずに頷きました。ただ、結論から言いましょう。
先輩に喧嘩をうった結果、本屋、クビになりました。けれども、何故か凄くすっきりしちゃいました。
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『あ、あの、三浦!』
屋上。呼び出された。最初は悪戯かな、と思ってましたが……男子が居ました。同じクラスの那賀島くんです。
『俺と付き合ってくれ!』
私はその時、まず思ったのが他の誰かが居ないことでした。キョロキョロと周りを見渡し、ドッキリではないかと確認してみましたがとりあえず見えるところには誰も居ませんでした。
『……えっと、ごめんなさい』
『えっ!? マジでか! ちっくしょう!』
『あ、違います、違います……『ごめんなさい、どうして、私なんかを好きになったのかちょっと本気でわからなくて』というごめんなさいです』
『あ、あぁ……そうだよな、急に、だもんな』
『ま、まぁ、そうですね。あまり会話したことないですし』
『あのさ、俺、夏休み本屋に結構、足を運んでいたんだ』
『……あー』
そういえば何度も那賀島くんを見かけた覚えがあります。けれども、その理由は単純に本好きかと思っていました。
『あのさ、俺、文学少女が好きなんだよね』
『あの、ごめんなさい。夢を壊すようで悪いですが、私、あまり本を読まないです……どちらかというと漫画ばかりで。戦国系の漫画しか読まないです』
『いやいや、待った、待った。そりゃ、文学少女が好きだけど。その、さ。三浦って、結構お洒落に気をつかってただろ?』
ぎゃーっ! 見られてましたっ! あの一件は軽くトラウマなのに! 今は別の場所でアルバイトをしていますが、当時は男の先輩をブチキレさせて、大変な目にあったのです。しかも全部の責任を私に押し付けてきた悪夢です!
『その、さ。俺もお世辞にもカッコいいとは言えないし、ブサイクだってよく言われるんだ。だから、その、三浦がその……頑張っている姿見て、あ、なんか、カッコいいとか思っちゃったんだよね』
さりげなく同類認定です。こんな酷い告白があっていいものでしょうか。けれども、至極真面目に那賀島くんは私を見てきます。
『それから、ちょっと気になってたんだけど、三浦って可愛いなって思って』
『へあ!?』
生まれて初めて男子に可愛いと言われました。
『だから、お願いします、いや、お願いし申す!』
見事なジャパニーズ土下座だった。いや、まぁ、けど。私の脳裏に浮かんだのは空洞くんでした。けれども、空洞くんの台詞がついぞ脳裏に浮かんだのです。
【ただ、お前が頑張ってるってることを見ている奴が居るわけだろ? よくわからねーけど】
あなたはエスパーか。予言にも程がある。苦笑して、那賀島くんを起こします。よっぽど怖いのか目がうるうると潤んでいます。少し、可愛いと思いました。
『ブスな私でよかったら、お付き合いましょう』
『ぃぃぃぃやっほぉぉぉぉぉおおおおおお!』
屋上を走り回る那賀島くんを見て、馬鹿だなぁと思いました。ただ、その行動に少しだけ胸がときめきました。こんな私でこんなに喜んでくれるなんて。どれくらい、那賀島くんが我慢してくれるかはわかりませんが、彼女らしく頑張ってみましょう。
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『『ありがとうございましたっ』』
『おい、やめろ、おい。僕がキューピッドみたいな話をするな。お前ら二人の話を聞いて僕のどこにキューピッドの要素がある』
『ほら、迂遠的ですけど、私がお洒落した理由は空洞くんにあるわけですから』
『そうだぜ! 理由にちょっと嫉妬しちまうけどな』
『もうっ、夕くんったら!』
『おい、やめろ! 僕の席の前でいちゃつくな!』
学園祭の準備中、私は付き合うまでの過程を空洞くんにお話しました。そして、夕くんと共にお礼を言います。まぁ、私の場合、それだけではなく、空洞くんが居たからこそ、少しだけ前向きになれたのです。
『それってさぁ、別に、僕は要らなかったんじゃねぇか?』
『いえ、空洞くんがロリコンでよかったです』
『おい、三浦、表にでろ』
『きゃー! 夕くん、助けてー』
『数子は俺が守る!』
『……僕は弱い奴に強くて、強い奴には弱いんだぞ!』
『『だから、それは最低だって』』
『……』
もうすぐ学園祭。未だ一年で全員、てんでバラバラだけど。いつかは何となく皆で協力して大きなことが出来るんじゃないかな、って思う。空洞くんの周りには仙道さんや小堂さんが集まっている。タイプの違う二人。檜山さんとも後藤くんとも話している。
未だ退学者を一人として出していない。六道という学園において凄い奇跡だと言っても過言じゃない。けれども、その中心に彼が居る気がする。何だか、いつか大きなことが出来そうな気がして。けれども、それは未だで。とりあえずは今、やるべきことは夕くんと一緒にお化け屋敷を作ること。
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「避けろォォォォォォォォッ!」
あぁ、声が聞こえる。駄目だよ、空洞くん。そんなに大声出したら、いつもの空洞くんらしくないよ。あぁ、周りの景色がゆっくりと映る。飛んでくる槍がとてもゆっくりに見えるのに、身体動かない。避けられないことがわかる。
お腹が熱い。あぁ、刺さっちゃったんだ……やだなぁ、夕くん泣くかなぁ。泣くんだろうなぁ、痛いなぁ。田中さんが一生懸命、魔法を唱えてくれている。駄目、なんだろうなぁ、何となくわかる。私が覚えた魔法がとてもよわっちいように田中さんの魔法も大怪我を治せるわけじゃないのだろう。
駆け寄ってくる、空洞くんと紫香楽さん。あぁ、化け物を倒したんだ。凄いなぁ、二人は……紫香楽さんは空洞くんの事が好き、なんだよね。見てて丸分かりだもん。あと、法理さんも好きみたいだしね。空洞くんはモテモテだなぁ……
「ね、空洞くん」
「喋るなっ! 今、直ぐに止血するからっ!」
「無理……と、思う、な……あの、ね……夕く……んにね、げほっ、げほっ……大好きっ……ってつたえ……て……あと……だれも……せめない……で……って……」
「無理とか無茶とかどうでもいいんだよっ! 田中っ! 傷は防げないのかっ!」
「無理だよぉぉぉっ! さっきから何度も魔法を唱えてるけど、傷口が防げないのぉっ!」
「あはは、げほっ、げほっ、田中……さん……ありが、と……ね……」
痛いなぁ、痛いなぁ。
「これ、は……わた……しが、どん……くさかった……から……だよ?」
「違う、これは僕がっ! 僕が――!」
掌で顔を覆う、空洞くん。手を握ってくれる紫香楽さんと在原さん、治そうと必至な田中さん、声をかけてくれる法理さんと矢来くん。あはは、凄いなぁ、友達なんて出来ると思ってなかったのに。
空洞くんは否定するだろうけど、私は空洞くんのことお友達だと思っているよ。恋ではないけど、一方的な片思い。そして、今は近くにいないけど両思いの大事な人。誰も退学せずに三十六人一丸となって、やったこの前の学園祭、凄く楽しかった。三十六人? あはは、よくわかんなくなってきちゃった……あぁ、痛いな……ぁ……
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「ぐっ……」
酒場でテーブルを巻き込み倒れこむ。ふらふらと立ち上がりながら、僕は男子の一人を見る。その目は深い悲しみの色が浮かんでいた。殴ることを避けもせず、殴られることを重々承知して、僕は那賀島 夕を見た。
「委員長、あんたがいながらっ……どうしてっ、なんで、数子は死んだっ!」
「……僕が殺したようなものだ」
「ッ!」
再び、衝撃。膝をつきそうになるものの、こんなことで倒れこんで誰かに介抱されるなんて許されざる行為である。
「ち、違いますわ! 化け物が死に体で投げた槍が運悪く、三浦さんの腹部を――」
「だからっ、どうして、そういう事態になったって言ってんだよっ。もっと上手な戦い方があっただろう、逃げれただろう! どうしてっ、どうして数子が死ななきゃいけないんだよっ!」
「その通りだ、那賀島。僕が間違えた、僕のせいだ」
「ッ!」
ガンッ、ガンッと殴りつけられる。決して、人を殴ることが得意でない那賀島が、激昂している。僕はただ、為すがままに受ける。
「やめとけ、那賀島。それ以上は」
「ッ……」
後藤が現れ、那賀島を止める。静観を決めていたクラスメイト。事実、これは彼らなりのケジメのつけ方だ。当人達の問題には関与しない。例え、どんなに仲のいい相手であろうと味方をしない。
「う、うぁあああああああああああああああああああっ」
やり場のない怒りが、僕に向けられるべき正しき怒りが、木の床に向けられて、拳で何度も叩きつけられる。
「……あなたは、なにも、悪く、ありませんのに」
「……」
「委員長、傷、癒すから、顔を見せて……」
「いい」
田中の言葉を拒否して、僕は立ち上がる。フラフラ、と立ち上がり、酒場を出る。
「ちょっと、ソラ!? 幾ら何でも、この時間帯からどこに行こうって言うのよ!」
慌てて、仙道が僕の片腕を引きながら、店の中に連れ戻そうとする。逃げ出したかった、弱い僕は今はここに居られなくて、早く居なくなりたかった。
「……委員長、全員の食事が終わるまで待て無いのかい?」
「……あぁ、そうだな」
「ならば、皆、夕食を取ろう。それで宿に戻って英気を養うべきだ」
法理がテキパキと段取りを進めてくれる。ほら、見ろ。僕なんか居なくても十分じゃないか、どうして、僕がリーダーなんかをやっているんだ。やるべきじゃない、預かるべきじゃないのだ、他人の責任など。
けれども、今更、投げ出せば。檜山が襲われたことの意味がなくなる。それだけは嫌だった。これは贖罪だった。責任から逃れて、逃げ出した時、檜山に迷惑をかけた贖罪。それだけではない、きっと死んだ三人に対することを何か思っていたのだろうが、今の僕にはそれすらも思い出せない。
欠けていく。何かが欠けている。理由が欠けている。理由は足りていない。僕がリーダーを務める理由が足りていないのだ。いや、そもそも僕がリーダーたる理由もないのだ。何故、僕はこんなことを引き受けて、今も尚、続けているのだろうか。
気がつけば、全員が食事を終えていた。僕は目の前に出されたスープや肉を焼いたものに一切手をつけていない。食欲なんて、湧かないのだ。湧くわけがない。
「……」
化け物と戦った。三浦が死んだ。三浦の死体を置きっぱなしにして。僕達はノコノコと帰ってきた。誰も、戦える状況なんかじゃなかった。紫香楽 アリアも矢来 棗も在原 恵も田中 由も法理 矛盾も。誰もが、運べるような状況じゃなかった。明日、遺体をどうするか話し合おうと。それまでは矢来の学ランを着せて、ここに置いておこう。そう結論づけた。
僕はその会話を外で聞いていた。他人任せの他力本願。茫然自失のフリをして、僕は明日、会いにくれば彼女がどうなるのか、わかっている。僕が考えていたのは、明日の惨状。間違いなく起こりうる未来。那賀島が、生き返った三浦を見て、近づくのをどう止めるべきかと言う事だった。
人が死んだのに、クラスメイトが死んだのに。僕は、既に次のことを考え始めていた。明らかに僕のミスで殺した彼女のことよりも、既に生きている人間に目を向けていた。薄情だ、怜悧だ、冷血だ。それでいて、最低だった。
食事を見る。今の僕は落ち込んだフリをしているのだろう。殴られたのだって、きっと責任を感じているフリをしているのだろう。自罰的な思考だって、人間のフリをしているだけで、ぐるぐると自分を責め立てるこの思考ですら、本当なのか酷く怪しい。
本気なら、本質的なら。僕はもう、折れても問題ない筈だろう。むしろ、正しくある為には折れなければならないのだろう。なんだかんだ、理由をつけて立ち上がる。それは英雄ではない、勇者でもない、ただ、人間のフリをした人形。滑稽であり、醜悪であり、何も気づくことのない人形である。
「……そら、くん」
神威 撫子が居た。壊れた少女。僕が最も怖がり、理解が追いつかずに遠ざけていた彼女が今、僕の手を引いていた。
「……大丈夫です、か?」
「……あぁ」
「……そらくん、は、がんばってます。わたしも、みんなも、ちゃんとわかっていますから」
欲しかったのはそんな言葉じゃない。求めていたのは慰めじゃない。ただ、僕の咎を責める言葉を求めているのに。優しくしないでくれ。僕も優しくしないから。慰めないでくれ、僕も慰めないから。友達も要らない、恋人も要らない。ましてや、慰めや優しさなんてものは必要ない。そんな高尚な存在は空洞 空には必要ない。
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翌朝。懐中時計を見ると、時刻は八時であった。頭をポリポリとかきながら、寝ぼけ眼でベッドの傍を見る。
「……すぅ……すぅ」
待て待て、おかしい。何があった。神威 撫子がいつもの通り。いや、いつもの如く美少女として、存在していても文句はないが。寝ている場所に文句がある。何で、僕のベッドに潜り込んでいるのだろうか。僕は制服に乱れがないか、確かめる。どうやら、問題ないようだ。着たきり雀でかなり不衛生な制服ではある……が、何故かパンツ一枚で廊下にでて、部屋の中に制服を放置すると綺麗な状態でベッドの上に立てかけられているのだ。ただし、扉の外に三分のタイマーが現れる。カップ麺かよ。
これを知った時、女子の狂喜乱舞っぷりは半端じゃなかった。涙を流す輩まで居る始末だった。けれども、パンツ一枚、もしくは下着も洗いたければ全裸で一旦外に出るという行為は中々に勇気が居るもので、運悪く、一度、僕は女子の裸を見る羽目になる。その時、見たのは小堂だった。彼女はどちらかというとスタイルはいっちゃなんだが、ストーンと真っ直ぐに落ちるフォークボールのようなものだと誰かが言っていた。素晴らしく的を得た表現ではある。
『わ、わわわっ! こ、これは、き、着替えを、クリーニングしてるのでござるよぉ! せ、拙者、痴女ではござらんよ!』
『いや、わかってるから……というか、この時間帯は未だ、男子も二階をうろつく可能性があるから、少しは外を伺ってからにしろよ……幾ら、何でも油断しすぎだろ』
『ふひっ、裸を見られたのに、拙者、説教されてるでござる……』
自虐的に笑い、落ち込む小堂が印象的だった。と、それは今はどうでもいい。そんな理由で着たきり雀でありながらも、不衛生ではない制服でベッドに横になるのはいい。いや、僕の場合は昨日から洗ってないから、かなり汚いのだが……それに、あの豚の化け物を相手にしたせいで返り血も結構ついている。
「おい、おいっ……」
僕はゆすりながら、神威を起こす。
「……おはよう、ございます?」
「何故、疑問系なんだ。疑問があるのはこっちだ。どうして、お前がここで寝ている」
「……はて、何ででしょう」
「……」
「……夜這い?」
いや、僕に聞かれてもわかんねーよ。疲れたから、そのまま寝て、記憶がない。つまりは何も無かった筈だ。何も……って、愛おしそうに自分の下腹部を撫でるな!
「……名前は空と、撫子で、空子で、いいですか?」
「やってない、やってないぞ。それに制服が乱れてないじゃないか……」
「……本当、です、残念」
しゅんと眉を八の字にする神威。相変わらず、こいつの性格がイマイチ掴めない。マジで、こいつは何をしにきたんだ。
「……あ、思い出しました」
「何だ?」
「……そらくんが、疲れて、いましたので、部屋まで、一緒に、きました」
「ん、そういえば誰かに手を引かれたような記憶が」
「……そして、そのまま、そらくんが、寝ましたので、私も、寝ました」
「待て、神威。そこがおかしい。何故、一緒に寝る必要がある」
さも、当然とばかりに言われて困惑する。おかしい、僕は文脈の間に隠された意味を必至に読み取ろうと試みたが全然、意味がわからなかった。
「……役得、です」
「得がねぇだろ……まぁ、けど、もうすぐ朝の会議だろ? 部屋に戻れよ」
「……?」
「いや、きょとんとされても、こっちが困る」
「……ここ、私の、部屋、ですよ?」
「どうして、僕を連れ込んだ! どれだけ問題解決の難易度を上げる必要があるんだよ!」
もし、僕の部屋ならば、大部屋が一階なので神威が一階を歩いても変ではない。むしろ当然である。けれども、二階ともなれば話は別だ。男子が二階から出てきたとなれば、無論『そういう』お話になる。
あれだけ恋愛云々に関して否定していて、さらには花畑のことを注意した手前にこの仕打ち。僕のあだ名はきっと「むっつり委員長」になってしまう。い、嫌だ。そんな不名誉は困るぞ、絶対に御免被る。
「……それじゃあ、手を、繋いで、行きましょう、そらくん」
「誰が行くかっ!」
「……ちぇー、です」
唇を尖らせて「残念」と呟く神威。こいつは本当に何を一体、考えてやがるんだ。僕の想像を絶していやがる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「おはよー、ソラ」
「うっす、ソラっち」
何とか隠密性を発揮しながら、僕は自分の部屋にたどり着いた。目的は制服とパンツのクリーニングだ。それにしても、このクリーニングに関して、一体、誰がやってるんだ? 小人でも居るのかよ。
「……あぁ、おはよう。それで、何で、いつまでもそこに居るんだ?」
「え? いや、ソラと行こうと思って」
「そーそー。ソラっち。さっさと準備をしろよ」
ちなみに僕は今、半裸である。
「いや、行けよ、あと三分くらい待たなきゃいけないんだぞ」
「いやいや、いいわよ。別に待っててあげるから」
「そーそー、だべってれば直ぐだろ?」
「……僕にも羞恥心と言うものがあるんだが」
ジロジロと二人から見られて、居心地が悪い。というか、この二人、見すぎだろ……何、飢えてんの? 北村のところに行けよ……
「……ぱ、いいから……てる……」
「あぁ……と、いうか、ぱん……から、もっこ……」
僕はボーっとしながらタイマーを見る。雑談すると言ったのに、二人で内緒話してやがる。すげぇな、こいつら……目が合った。
「げへへへへ」
「いい身体してんじゃねぇか」
「怖ぇな!? 急に!?」
「え? いや、ど、どうやってからかおうか思っただけよ!」
「そ、そうだぜ! 本音が出たとかそういうのじゃねぇから!」
「本音だったら、ドンびきだろ!」
何、言ってんだよ……本当に。チーンと音が鳴って、タイマーがゼロになる。僕は服を着替えて、再び廊下に出る。すると、タイマーがまた、カウントダウン。
「えっ!? ソラ、まさかノーパンなの!」
「ソラっち! マジかよ!」
「違ぇよ、シーツでフンドシ作ってるから……」
「何で、そのフンドシをクリーニングするのよ!」
仙道が滅茶苦茶キレる。えぇ……なんでだよ。
「そんなフンドシ使ってるなら、捨てなさいよ! なんなら、捨ててきてあげるから、いますぐ部屋に入って、とってきなさいよ!」
「ちょ、ミヨ姉、それはずるい!」
何で、僕はこんなことで怒られているのだろうか。そもそも、雑貨屋で針と糸があったから、出来たようなものである。同じくベッドシーツ製のパンツやふんどしはかなり出回っている。ただ、肌触りは微妙である。現代日本の縫製技術に敬意を表するばかりである。
騒ぎながら、三人で食堂を目指していると男子の一人を見かける。
「あ、那賀島じゃない」
「よぉ」
「おはよー、仙道さんに、檜山さん。委員長」
ふぁぁぁっと欠伸をしながら、伸びをしている。
「なんだよ、寝不足か?」
「うーん? なんか、いつもと違って人肌恋しくてさ」
檜山の質問に那賀島が答える。人肌、恋しい。まぁ、そういう話はあるのだろうな。僕にはよー、わかんねーけど。
「ふーん」
「なら、カズキーや嗄の部屋に行けばいいじゃない」
「ん、まぁ……それもそうなんだけど。俺はほら、恋人としか嫌って気持ちが結構あるから」
「あー、渡辺の奴も言ってやがったなぁ」
「ソラはそこら辺、どう思う?」
「別に愛がなくてもヤレばできる。避妊を忘れるな。おろすのにもお金が掛かるんだぞ」
『うわぁ』
何故か三人が責めるような視線で僕を見てきた。
「ソラがいいなら、あたしが相手をしてあげよーか? お姉さんがリードしてあげるわよ」
「み、ミヨ姉! 下品だぜ!」
「よくねーよ。困ってねーから」
「そ、そうなのか……?」
何故か檜山が尋ねてくる。お前、下ネタ苦手な癖にこういう話題振るなよ。めんどくさい奴だな……なんで、僕の時だけ、突っ込んでくるんだよ……そんなにからかいがいがあるのか? と、そこへ法理がフラフラと歩いてきた。
「お、おい、法理。大丈夫かよ、足元がフラフラしてるぞ」
慌てて駆け寄り支えると疲れたように笑っていた。
「あ、あぁ……委員長。すまない、少し寝不足気味でね」
「はぁ、あんま無理すんなよ。なんなら、今日は寝てろ」
「そう、させてもらえるかな……」
フラフラと来た道を戻っていく。時間を確認すれば八時半前。まだ、時間に余裕はあるな。
「悪い、法理の奴を部屋まで送ってくる」
「ん、じゃあ、遅れたら理由言っとくわ」
「まぁ、心配だしな。一人で大丈夫か?」
「あぁ、問題ねーよ」
僕は法理に近づき、片腕を取る。そして、そのまま支える。
「い、委員長?」
「肩、かしてやるよ。そんなフラフラだと、階段が危ないだろうが」
「ふふっ、すまないね。君はいつもそうだ」
「はぁ?」
「いや、何も。ただ、肩、貸してもらえるかな。返すつもりはないが」
「いや、そこは返せよ。僕が肩、貸しっぱなしだったら、どこにも行けないじゃないか」
「おっと、それはうっかりしていた……」
笑う法理。けれども、それは無理をして作っていることがアリアリとわかる。ゆっくりと歩みを進めながら、部屋へ法理を送る。
「……ふぅ、ありがとう」
「別に、僕らは全員、呉越同舟だろ」
「どうして、敵になるかな……そこは一心同体でいいじゃないか」
苦笑気味に笑う法理。そして、ベッドに横になり。それを確認してから、僕は部屋を出ようとする。
「なぁ、委員長」
「ん? なんだ?」
「君は死なないでくれ、君は死んだら駄目だ」
「はぁ? 当たり前だろ」
「君が死んだら、私が悲しい。覚えておいてくれ、空委員長」
「あ、あぁ……わかった」
まるで今際の言葉のように呟く法理。小堂辺りなら『死亡フラグ』と騒ぎたてるのかもしれないが、生憎、僕は死亡フラグなるものの種類を知らないし、そもそも信じてもいない。だから、この不吉な予感はきっと気のせいだろう。僕は法理の言葉を深く考えずに部屋を出た。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「さて、昨日の探索結果だがカードキーが一枚出た。これで、残りの扉のカードキーは七枚だと思う」
集まった面子を見渡す。これで、また一歩進んだと思うと喜びも一入なのだろう。けれどもそこで軽い違和感を覚える。違和感、そうだ。違和感だ。人数を数えてみる。三十と二人。つまり『三十二人』である。あれ、一人少ないと思ったが、僕は法理が部屋で休んでいることを忘れていた。何もおかしいことは無い。この他にも三人のクラスメイトが居たのだが、それを知っているのは僕だけだし、僕以外には存在しないだろう。それでいい、苛むのは自分だけでいい。
メモ帳を見るとそこにはハッキリと記入してある。部屋数は四十二であることを。大部屋、暖炉の部屋、食堂らしき部屋、倉庫。そして、一から三十八までのクラスメイトの部屋……いやいや、おかしいだろ。何を考えている、何を呆けている。
ありえない。ありえないことが目の前に起きている。簡単だ。三十七人の生徒と一人の教師。つまりは三十八人だ。その内、顔もわからない、思いでもうろ覚え、それでも確かに僕のクラスメイトだった存在が三人居る。それを差し引いても三十五人。
そして、僕が言った通り、三十三人しかこの宿屋には存在しない。つまり、消えている。消えているのだ、二人が。思い出ごと、名前もわからないような。
僕は慌てて、部屋を見る。一覧を見て、僕は見覚えの無い人間が二人居ることを気づく。二人とも女子で、どんな顔をしていたのか、どんな思い出があったのか、どんな人間だったのか、どんなことを話したのか、一切合切に記憶が無い。
『田中 由』『三浦 数子』
見覚えの無い名前。でも、確かに居たであろう生徒。僕は何が起きているのかわからない、何で忘れてしまったのかわからない。どうやって、忘れてしまったのか――それだけは、はっきりとわかってしまう。
教会だ。教会の効果だ。僕は同じようなことを一度体験している。忌むべき存在、あってはならない存在。教会と言いながら、救いをもたらさない。
死んだ人間に関する記憶を消す。
ゾンビという存在と戦えない理由を消して。戦えるようにするため。戦えない理由、顔見知りを攻撃するという嫌悪感を、記憶を消して行わせる。そして、それを救済と呼ぶクソッタレな場所。
どう考えても、この異常事態は『教会』が関わっていることを僕は知る。どこで、間違った。何を間違った? それすらも思い出せないまま、僕は呆然と皆を見つめてしまった。