人間界に憧れる魔王
「人間界行きてえ!」
「ダメです」
横幅10m、奥行き20mはあろうかという巨大な一室で、一人の男の叫びを傍らに立つメイド服を着た女が切り捨てた。
床から柱まで極上の黒曜石で作られた部屋は、上から吊るされた様々な意匠の施された真鍮製のシャンデリアによって照らされ、艶やかな光を反射させている。
部屋の奥にいる二人の正面には週に一度の報告会のために特注で作られた長大な机と客人用の椅子が並ぶ。
「なんでだよパイン!」
男は座っている豪華な椅子の左側の肘置きに両肘を乗せて、女に向かって身を乗り出した。
男にパインと呼ばれたメイド服の女、パイン=パイルはこめかみを抑えながらため息を一つ。
歳は、魔王より一つが二つ大きい程度か。
頭の先からつま先まで均等の取れたプロポーションを持つ彼女は、その一つの動きだけで知的でスタイリッシュな印象を受ける。
それから綺麗な眉をひそめて男に告げた。
「人間界では魔王様はどのように呼ばれているかご存知ですか?」
「いんや。知らない」
パイルから魔王と呼ばれた男は、あっけらかんと首を横に振った。
「『我々を死にいざなう悪魔』だそうです」
「いやいや。幸せを運ぶ天使だろ」
「少しは御自分のお姿を眺めてから言ってください」
そう言ってパインは懐から手鏡を取り出し、魔王に向けた。
「うーむ。何という美男子だ」
顎に手を当てて、キメ顔でのたまう魔王を呆れとも憐れみとも取れる表情で見つめ、パインは静かに問うた。
「魔王様、私良い眼科を知っておりますが、ご紹介しましょうか?」
「どういう意味だよ」
「口に出せとおっしゃるのならそう致しますが?」
「遠慮します」
魔王は静かにひれ伏した。