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ワンライ投稿作品

ラッキー・コンプレックス

作者: yokosa

【第91回フリーワンライ】

お題:

偶然が嫌い


フリーワンライ企画概要

http://privatter.net/p/271257

#深夜の真剣文字書き60分一本勝負

 ――もうやってられない。

 トランクスの上からスエットパンツ、汗ばんだ素肌にパーカーを着込んで、控え室を飛び出した。

「タケシどこへ行く!? もうすぐ授賞式だぞ!」

 怒声のようで悲鳴のようでもある声を振り切るように、弘江タケシは後楽園ホールの床を蹴った。

 普段のロードワークでは絶対にしないような、後先考えない全力を出し切る走りだった。現役を退いて長いトレーナーの足では追いつくことは無理だろう。それでも車やバイクを使ってくることも考えられた。歩行者の利点を活かして、タケシは車道を避けて遮二無二切り返して小径を駆け抜けた。


 彼は、人より随分と恵まれて育った。資産家の子弟として産まれ、学業も優秀だった。

 両親は勿論、誰にも吐露したことはなかったが、彼はそれを「運が良かっただけ」だと思っている。“偶然”金持ちの家に育ち、勉強すれば“偶然”ヤマが当たる――難しいことに挑戦しようとしても“偶然”優れた教師に当たり、労せずして収めることが出来た。

 やがて、彼はそれら一切合切を価値がないものとして忌み嫌うようになった。

 運が絡まないもの。実力だけを求められるもの。そういった道へ進むのは自然の流れだった。

 実力世界ならばなんでも良かった。ボクシングに決めたのは、最初に目に付いたからだった。

“幸いにして”運動能力も抜群に高かったが、それでもトレーニングを行うと着実に力をつけていることは実感出来た。心肺機能を高めるロードワークで初めて音を上げそうになった。生で試合を観戦した時、自分の能力を正確に測れる彼だから、その試合の勝者にはまだとても敵わないことを一目で理解した。

 彼は歓喜した。ようやく見付けた。偶然に頼れない、実力の世界を。

 ところが。

 プロテストをパスして最初の試合は、相手が足を滑らせた時に入ったラッキーパンチでのノックアウトだった。次の試合は明らかに実力が下の相手だった。その次は相手が減量に失敗して来た。

 トントン拍子でランクを駆け上がり、今日ようやくクラス最強チャンピオンとの対戦行われるかと思えば……チャンピオンは現れなかった。不戦勝だった。

 そしてタケシは控え室を飛び出した。


 タケシは荒く息をつきながら、顎を滴る汗か涙か定かではない苦い思いを拭った。

 体力はとうに尽きていたが、体の底で燻るものがあった。全力で闘いたい。ようやくそれが叶うはずだったのに。

 どこをどう走ったのか覚えていなかったが、商店街のアーケード前に立っていた。虫が光に惹かれるように、ふらふらと入っていく。

 一歩入った瞬間、これまで感じたことのない空気に触れた。一見平和そうだった商店街が緊張にざわついている。

 不自然な人だかりがあった。誘われるように人の輪に入る――そう思ったのは半分錯覚で、輪の方が広がってタケシを飲み込んだ。

 タケシは悲鳴を上げながら離れる人の輪に取り込まれ、そして取り残された。

 残ったのはタケシと、それに相対するように、凶悪な面相をした男が一人。男は口角から泡を飛ばし、包丁を握りしめていた。現在進行形の強盗現場に立ち入ってしまったようだった。

 珍しい不運を嘆きながら――タケシは呆然と立ち止まった。包丁の男に見覚えがあった。初めて観戦した、勝てないと思ったボクサー……初試合においてラッキーパンチで倒してしまったボクサーでもあった。デビュー前から新チャンピオン候補と目されながら、その試合以来身を持ち崩して引退したと、風の噂で聞いた相手。

 どうやら相手もタケシを認めたようだった。

「てめえ……!」

 刃を向けて突っかかってくる。憎悪に燃えた眼だ。

 体力はとうに尽きていた。が、タケシは、腹の底で燻るものが、一気に燃え上がるのを感じた。

 フッ――呼吸一つでファイティングポーズに入る。拳を握りしめる。巻かれたままだったバンテージが手の甲で突っ張るのが心地良かった。

 ジャブを相手の鼻先に送ると、流石に元ボクサー、瞬時に見切って突進を止めた。機先を制して右。浅い。腰を落とす。リングのようにはいかないが、商店街のカラフルなタイルを足下にしっかり感じる。

 プロボクサーの速さで包丁の切っ先が突き込まれてくる。元々右ストレートに定評があっただけに、その威圧感は尋常ではなかった。

 タケシはさらに腰を落とした。右肘を背中より後ろに引く。アッパーの体勢。だが、それはあまりに低く、打点は顎の遙か下の位置だった。

 しかしそれで良かった。タケシにはわかっていた。

 最初に行った試合が、視界にダブる。同じ相手、同じ右ストレート。あの時もそうだった。

 左足の踏み込みが――

 滑る。

 あの時はリングに飛び散った汗だった。今は光沢のあるタイル。

 あの時と同じように、男の顔が驚愕に歪む。

 何分の一秒か、何十分の一秒か、何百分の一秒か。タケシは確かに男の眼を見た。そこに映る、肩を逸らした自分の姿を。

 前のめりに体勢を崩した顎へ、ショートアッパーの打点が重なる。


「ありがとう、ありがとう」

 あまりの勢いに、感謝される側のタケシの方が恐縮した。

“幸運にも”死傷者はなし。

 酒に酔って暴れ出した元ボクサーを、“偶然にも”通りがかった現役ボクサーが叩きのめすという、“奇跡”の一幕だった。

「本当に、あなたがいてくれて良かった。私らラッキーだった」

 はあ、と感謝に生返事を返しながら、タケシは思った。

 そのラッキーは、果たして誰にとってのラッキーなのか。

 凶行を取り押さえてもらえたという幸運か?

 それとも……


 それとも、全力を出し切りたいという、自分の願いが叶う幸運ではなかったのか。

 でも、と考える。

 もしも、この偶然の産物から逃れられない運命なら、それもいいかも知れないと。

 こんなことがこれからも続くなら、その度に叩きのめしてやれる。

 それが誰にとってのラッキーかは、知ったことではない。



『ラッキー・コンプレックス』了

 何が幸運で、何が不運かは、人によって違うんだよ、みたいな。

 主に『はじめの一歩』。あとは『封仙娘娘追宝録』短編集でも屈指の凶悪さを誇る宝貝・凶鎖丸のエッセンスを添えて。不運じゃなく幸運だけど。

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