彼女に悪役令嬢は無理でしょう
「ベリーヌ嬢、君がアリシアへしてきたことの罪は明白だ。生まれてすぐに成立させられた君との婚約は破棄させてもらう!」
王子の美貌にふさわしい麗しくも厳しい声で宣言だったが、その周囲の人間は真っ青だ。
おそらく彼がここまで馬鹿な仕業をするとは思ってもいなかったのだろう。
それはそうだ。
傍観者で完全に他人事でしかない地方貴族の娘である私ですら「これはない」と絶句するほどの愚行で言いがかりなのだから。
取り巻きである彼らにとっては、これから出世や社交の頼りとするはずの大黒柱が取り返しのつかないぐらい腐りきっていたとようやく気が付いたのだ。
名指しされたベリーヌ嬢はきょとんとして、目を見張っている。何を言われているのか分かっていないのだろう。
ここにいる人間の99%――いや王子以外の全ての人間が彼女の無実を確信していた。
「おいマジかよ」
「ああ、私ちょっと殿下に憧れてたのに……」
王子の婚約破棄宣言に失望の声が渦巻いた。
私からすれば王子の変貌も衝撃だが、聡明だったはずの彼をよくここまでたらしこめたものだと庶民出身のアリシア嬢に逆に感心する。
やっぱり身分の壁を飛び越えてこの学院に入学できるほど頭がいい女性はたらし込みの技術もケタが違うわ。
そのどこか誤った尊敬の視線を浴びる彼女、アリシア嬢もまた慌てていた。
この学院卒業パーティーが始まってからずっと勝ち誇っていたアリシア嬢。
彼女がずっとイジメられていたと名指しで非難していた大公の息女ベリーヌが、王子の呼び出しによって侍女に連れられて現れるとその手にしていた扇をポロリと落としたのだ。
庶民出身で王子や位の高い男性とばかり仲良くなる彼女は女友達など誰もいない状況。
間違いなくアリシア嬢はベリーヌ嬢のことを「王子の婚約者」としか知らされていなかったのだろう。
初めてその姿を目の当たりにして衝撃を受けたようだ。
慌てたように「あれは間違いだったかも」「別にこの場で言わなくても」と王子の袖を引いている。
だがアリシア嬢にすっかり骨抜きにされている王子にはそのぐらいでは通じない。
というかその程度で話が分かってくれればこの場はなかっただろう。
「安心しろアリシア嬢、これまでにあなたがされた嫌がらせやイジメ――いや階段から突き落とすなどすでに犯罪行為だな。それらについてはしっかりとベリーヌ嬢に償わせる。あなたという証人もいるのだからいまさら言い逃れはできないだろう」
力づけるように肩を抱き、そっと震えるアリシア嬢の頬に手を添える。
「本当にベリーヌ嬢が嫌がらせをやったと思っているのだろうか、あのスカタン王子は?」
「そうなんでしょうね、本当に頭がお花畑になっているわね」
思わず口をついて出た不敬発言に、隣の少女が深く頷いた。
はっとして口を隠すその姿からは私同様、あまりの事態に勝手に本音が洩れたようだ。
顔はどこかで見覚えはあるが、名前はちょっと出てこない。そんな浅い間柄がツッコミしながら茶番を見物するにはちょうどいい。あまり親しいと下手をすれば不敬罪に連座されかねないからだ。
「だいたい初めて会った時から泣いては自分の好きなようにするばかり。こっちの都合などお構いなしのベリーヌより、こちらのアリシアの方が何倍も頭が良い。それに比べ物にならぬほど女性らしく民の心が分かるのだから私にふさわしい」
婚約者に対してこれまでの鬱憤をぶつけるが、周りの反応は冷ややかだ。
「そりゃ女性らしさを比べればアリシア嬢の方が上でしょうし、民の心も頭の良さだって今比べたらそうよね。でもそれが自慢になると思っているのかしら。むしろ私がアリシア嬢の立場なら恥ずかしいわ。しかし本気でベリーヌ嬢がアリシア嬢を階段から突き落とせたと思ってるんでしょうかね?」
「恋しい女性の言葉を鵜呑みにしたいのが殿方でしょうが、さすがに……」
他のパーティー出席者はどう考えているのかとそっと周囲を窺う。
当事者以外の下級貴族と視線を交わすが、誰もが「王子ご乱心」と考えているようだ。
その意見には賛成だ。
うん、王子はどこか静かな離宮でゆっくり休むといいんじゃないかな――ことによれば残りの一生ずっと。
重苦しい空気を引き裂くように、ひとりの男が王子達の前に進み出た。
「まさか我が妹のベリーヌがそこのアリシア嬢をイジメるのに加担したと本気でお考えですか殿下」
この場にいる者全ての疑問を口にしたのはベリーヌ嬢の兄君だった。
端正な顔は朱に染まり、拳は固く握られている。
「もちろん本気に決まっているだろう」
王子の声はこれまでは透き通った美声だと思っていたが、今は空虚さを感じさせる。綺麗に輝いていたはずの瞳が、濁ったガラス玉に変化している。
兄君はこれでは話し合いにならないと、王子の傍らにいる娘を視線で刺す。
「アリシア嬢は?」
「こ、これは……その、なにかの間違いで……でもベリーヌ様は悪役だし、いずれ国家に害をなすはずだから、シナリオの時期がちょっと狂っただけで……」
なにを言っているのか分からない。
「ふっ、婚約が破棄されて王家の権力に手が届かなくなったからと兄妹揃ってアリシアを責めるとは見下げ果てた奴らだ。おってベリーヌがアリシアを傷つけた罪状への沙汰は下す。それを待っていろ!」
パーティー会場の空気は澱んでいる。
これだけ自分が言い募っても一気に皆がベリーヌ嬢を責め、そしてアリシアと自分を褒めるという夢想通りにいかないのが気に入らないのか声を荒げる王子。
その怒りの対象となったベリーヌ嬢からは泣き声しか聞こえない。
うん、そりゃ彼女にとっては意味分かんないし、泣くしかできないよね。
「ふん、ろくな反論もできないのか」
そりゃそうだろう。
この場にいる全員の無言のツッコミが入る。
その空気に居心地悪さを感じたのか、王子とは思えない罵詈雑言を言い残すとさっさとアリシア嬢と手をつないで退場していく。アリシア嬢は顔をうつむかせて「おかしい、これってバグかしら」と意味の分からないことを呟いていた。
王子と顔を青ざめさせたアリシア嬢が去った後に残っていたのは嫉妬にかられ、庶民上がりの女性を階段から突き落とし、嫌がらせを重ねたという悪女のはずである。
しかし、それは――御年1歳のまだ「父しゃま、母しゃま、兄しゃま」以外は上手く喋れないというベリーヌ嬢であった。
王子と彼女の婚約にしても、ベリーヌ嬢が生まれた直後に政治的後ろ盾が欲しいと王妃から打診された政治的なもののはずである。
王子と顔を合わせたのもまだ数度。
もちろんベリーヌ嬢がこの学院に来たのは今日が初めてだし、アリシア嬢については顔も名も知らなかったはずだ。
「アリシア嬢はどうやって1歳の子供に突き落とされたのか聞いてみたいわね」
「それを信じる王子がいる方がもっと驚きよね」
王子とアリシア嬢が退場した後を、これから処刑場に引き出されるように青ざめて付き従う取り巻き達。
彼らに対する同情心はない。もっと上手く王子の手綱を握っていればアリシア嬢にあそこまでつけ込まれることもなかったはずなのだから。
あそこまで王子がおかしくなってるのはもはや「恋に狂った」ではすまされない。薬物による洗脳の疑いが濃い。
「これで王子派閥との縁も切れた。ベリーヌ、この汚名は必ず返上させてあげるからな」
「うみゅ、兄しゃま?」
抱きしめられたベリーヌ嬢は兄の胸でようやく安心できたのか、泣き止んだ。
「それで、おーじしゃまはどこですか?」
――どうやら悪役令嬢でイジメをしたという設定の彼女は、アリシア嬢だけでなく婚約者だった王子の顔さえも知らないようだった。
◇ ◇ ◇
後に「1歳児以下」というレッテルを貼られた王家のご落胤とその恋人が、どこぞの辺境でひっそりと短い一生を過ごしたという噂が流れた。
だが美しく成長したベリーヌ嬢やその家族や友人達にとっては関係のない話である。