Lv.9 誰のための席替え
接吻【せっぷん】
接吻は口づけ、キス、チュウともいい、愛情表現のひとつ。
人が自分の親愛の情、その他を示すために唇を相手の額や頬、唇などに接触させる行為。
「そ、そして、キ、キスの一種であるディ、ディープキスは、ロマンスまたは性的な!?せ、性質を有し、一方の者の舌が他方の舌に触れ、通常、く、口の中に入るキスである。ししし、し、舌を使ったキスは、唇、舌、口などの接触に敏感で性感を高める部位を刺激する。この行為は快感を与え、非常に愛撫で、性感を催……!せ、性感んんんん!?」
うわあぁ、と持っていてた携帯を地面に投げつけた。
あの日あの場所であの時間、脳内でエンドレスに繰り返される、抹消したいのに消えない記憶。
――くちゅ。
そんな最後の音が鳴り終われば、呼吸が苦しくなった私の唇から離れたのは麻生君の唇。
声を出すことも忘れて、ただ呆然と目の前にある整った顔を見つめていれば、今までのその行為を味わうかのように麻生君の舌先が自分の唇をなぞって。
『………気持ち、良かった?』
そう言った麻生君は、例えるなら母親に知らない事を聞く子供のように純粋な顔をしていた。
……ような気がしないでもないが。
それはあくまで子供だから可愛いのであって、ヤツがそんな顔をしたって可愛くもなんともない。
第一、純粋な顔をしたところでヤツのした行為は純粋どころか、い、いかがわしい行為なわけで、付き合ってもいないクラスの一女子にそんなことをするなんて犯罪だと思う。
しかしあの時、動揺し過ぎて自分を見失っていた私は、ヤツに怒るどころか、ヤツの問いかけに素直?に、良くわからないキャラクターで返してしまったのである。
「き、気持ち良くはなかったっす。せせせせ接吻とは呼吸が出来ないものでござるな。」
「……大丈夫、そのうち慣れる。」
「いやいやいやいや!絶対慣れないっす、慣れたくないっす。」
「………………私バカじゃん!本当バカ!殴ってやれば良かった!!ああああもおおおお!うわああああん!」
「音葉!!うるさいわよ!何時だと思ってるの!近所迷惑でしょうがっ!」
「お母様!違うの!私は悪くないの!」
「いいからさっさと寝なさい!最近突然奇声を上げたり………。思春期なのは理解してるけど、少しは落ち着きを持たないと奏君に嫌われるわよ。」
……嗚呼、人生は無情である。
ちなみにあれから私は麻生君の顔をまともに見ていない。
見たくもないし、見る気もない。
見るとヤツの、し、舌の感触が生々しく思い出されて発狂しそうになるし、目を合わせるとヤツが性懲りもなくキ、キスをしようと迫ってくるのだから合わせるわけにはいかない。
なのに休み時間の度に引っ付いてくるのだから、学校に私の安息の場所はなく、あえて安らげると言えば授業中とトイレの時のみ。
(授業中が安らぎって私ヤバくない?……まあ、ヤツと席が遠いだけマシだと思わなきゃ。じゃなきゃやってられないよ。)
そう、席が遠いだけマ……シ………。
「……先生、このくじ引きには、なにかこう…そう、作為的なものを感じます。よって私はくじ引きのやり直しを要求します。」
勢い良く手を挙げ立ち上がろうとすれば、そんな私の腕を隣から伸びてきたヤツの手が、痛いくらいガシリと掴んでそれを制した。
今日突然、なんの予告もなく、前触れもなく。
教室に入ってきた担任が開口一番に席替えをすると宣言した。
ここまでは良い、ここまでは良い、が。
なぜ狙ったようにヤツが私の隣で、これまた狙ったように楓君と美和ちゃんの席が遠いのか。
ちなみに私が窓際の列の一番後ろで、不本意にも隣が麻生奏、楓君と美和ちゃんもまた隣同士で教室の扉側の列の一番前とその隣。
つまりは、はじとはじなのである。
しかも楓君、先程、それこそHR直前までは確かに教室にいたはずなのに、いつの間にかその姿がない。
「……音葉、もう全員がくじを引いて新しい席をに移動して、ようやく落ち着いたんだ。俺の隣になって嬉し恥ずかしがってくれる音葉は可愛いけど、だからって周りを巻き込んじゃダメ。メッ、だぞ?」
「なにが『メッ』よ!私が聞き分けの悪い子供みたいな言い方はやめてくれる!?この席だってどうせアンタが何か仕組んだんでしょ!?それに楓君をどこにやったのよ!」
おもいっきり隣を睨めつけながら、力いっぱい怒鳴り散らす。
けれどそんな私の態度に、ヤツは心底驚いた顔をすると、大きく肩をすくめ、大袈裟に息を吐いた。
「この席になったのは偶然。……いや運命?楓は知らない。」
「運命なわけないでしょ!なに平然と嘘ついてるのよ。楓君のことだってアンタが何かしたってわかってるんだからね!」
「……じゃあ聞くけど。音葉は先生が俺みたいな一生徒のためなんかに不正を働くと思ってるの?聖職者である先生が俺みたいな一生徒をえこ贔屓すると本気で?それに俺が楓に何かしたって言うならクラスの誰かが目撃してると思うけど。」
「そ、うかもしれない、けど。でも……本当?嘘ついてない?」
確かに麻生君の言うことは正論だ。
よくよく考えてみれば、流石に教師に何かしてまで私の隣の席になろうとはしないだろう。
ならばこれは本当に偶然で、私が自意識過剰だったわけで。
「あの……疑ってごめんな、さ…「。俺はくじを引いただけ。ね、先生……?」」
「ん、ああああ!そ、そそそうだぞ松本!あ、麻生様、麻生君はただくじを引いただけ!ひ、人をすぐ疑うのはよくないことだぞ!」
「……どうして先生の声がひっくり返っているの?それに今麻生“様”って言わなかった?」
明らかにおかしい、齢30になったばかりの担任教師の挙動に片眉を寄せる。
そんな私の反応を意にも介さず、麻生君はまたしても担任に声をかけた。
「…先生、HRいつまでやるつもりなの。もう一時間目始まるけど?」
「そ、そうですよね!…じゃあみんな!この席で卒業まで仲良く頑張っていこうな!ではHR終わります!起立、礼!」
サラリと投下された驚愕の真実に、今度こそ私は椅子を蹴って立ち上がった。
「そそそそそ卒業!?先生!なんでもう席替えしないんですか!?」
「受験の年にいちいち席替えなんてしていたら、勉強に集中出来ないだろうという先生の配慮。……素晴らしい、な。」
「なにそれ!なんで!?なにが素晴よ!素晴らしいわけないでしょ!アンタ本当……バッカじゃないの!?」
何故か先生の代わりに答えた麻生君を怒鳴り付けている最中に、当の担任は教室からそそくさと逃げ去ってしまっていて、後日どんなに聞いても答えはおろか、目線さえ合わせてくれはしなかった。
それどころか、そんな私と担任教師のやり取りを見ていた他の先生達にまで、あまり(担任教師を)いじめてやるなとたしなめてくる始末。
(………なんてことだ。)
聖職者が聞いて呆れる。
日本、いやこの学校の行く末に不信感と不安を覚えたのは当然と言えよう。
そしてなんだかんだ言いつつ、いつも助けてくれる美和ちゃんなのだが、席替えの直後、その知恵を借りようと近づいたところ、その手にはぶ厚い封筒が握られていて。
今まで見たこともない爽やかな笑顔を浮かべ、「今月いろいろ物入りだったのよね。席ぐらい私のために我慢しなさい。」と。
たったそれだけの言葉で私の希望はブツリと切られた。
嗚呼、やっぱり人生は無情である。