006
エマはベッドの上で動かずにいた。
エリザベータが部屋を出る前に何か言っていたようだったが、聞いてはいなかった。
どちらにしろ、エマが次に取るべき行動は決まっていた。
Jに会う。
エリザベータの言葉など信じられるはずが無い。
信じられるのは、ただJの言葉だけだ。
だからJに会う。
会って直接確かめる。
そう決めたのに、体はなかなか動いてくれなかった。
ようやく腰を上げて、ためらいを振り切るように数歩を進み、扉の前に立つ。
鍵はかかっていなかった。
すんなりと扉は開いた。
もしかすると最初の日から、扉に鍵などかかっていなかったのかもしれない。
そう思い込んでしまっていただけで。
部屋を出ると、まるでエマを導くかのように、通路がまっすぐに続いている。
エマはためらうことなく、歩を進める。
途中、T字路や十字路があったが、エマは選択に時間をかけることなく、右に折れ、左に進み、まっすぐ進む。
彼女に迷いは無い。
彼女には見える。
彼女には分かる。
Jの元へと続く、進むべき道がどれなのか。
この道に先にJは必ずいる。
確かなその予感は、大きな強い力で、エマを捉え、引き寄せる。
エマは角を曲がり、そして立ち止まる。
かなりの幅がある通路。
窓は無く、右の壁も、左の壁も、床も、天井も、ただ白い。
一見それと分かる照明のようなものはないが、しかし陽の光の下にあるように明るい。
エマのいた病室と、受ける印象はなんら変わらない。
とろりとした白。
開放感はまるで無く、じわりじわりとそこにいるものを押し包んでしまおうとしているような、白。
その白色の中、ヒトの形をしたものが数体立っていた。
いや、正真正銘の、人だ。
黒い防護服で全身を覆って、彼らはエマの数メートル手前で、銃を構えている。
銃口は無論、エマに向けられていた。
「撃て!」
「エマ!」
悲鳴は無数の銃声にかき消された。
エマはよけることが出来なかった。
全身に銃弾を浴び、立っていられずひざを付く。
全身にうがたれた穴から、どくどくと血が流れ、エマの着ている白い患者服は、見る間に赤く染まっていく。
痛みよりも何よりも、体が重い。
打ち込まれた鉛の分だけ、体が重い。
血もだらだらと流れている。
全身から流れている。
「このくらいどうということはないでしょう?立ちなさい、エマ」
エリザベータの鞭打つような声。
エマは顔を上げた。
白く美しい顔には、赤いまだらが描かれていた。
エマの揺れる視界の中に、防護服たちの間を縫って、エリザベータの姿が映った。
右隣にはナジャが、左隣にはJが立っていた。
さっきの悲鳴はJが上げたものだった。
Jの顔は蒼白だった。
唇を震わせて、目に涙をあふれさせて、エマを見つめている。
「お父様」
安心させるようにエマは微笑んだ。
「健気ね」
エリザベータの声は、エマの神経を逆なでする。
「胸が熱くなるわ」
「エリザベータ!」
エマは叫ぶ。
血にぬれた顔は、鬼女の形相だ。
そんなエマを見て、エリザベータは満足げに微笑む。
「さあ、エマ。愛しのお父様を救い出しなさい。ここまで来るのよ」
エマは立ち上がる。
体からぼたぼたと血が滴り落ちる。
エマの足元はすでに血だまりだ。
眉はつりあがり、まなじりは裂け、両の瞳はぎらぎらと敵意をこめエリザベータを睨みつけている。
エマ・・・エマ・・・エマ・・・
自分を呼ぶ声が聞こえたような気がして、エマはふと視線を移す。
Jの顔面は蒼白なまま、唇を震わせたままだが、その震えが声になって、エマには聞こえた。
エマ・・・エマ・・・エマ・・・
「お父様」
エマの微笑みは弱弱しいものだった。
エマは真実を知るためにJに問う。
まるでここには自分のほかにJしかおらず、彼に甘えるような声で問いかける。
「お父様。あのね、エリザベータがね、変なこと言うの。お父様が私を裏切ったんだって・・・私を売ったんだって・・・嘘よね、お父様・・・」