表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
unhuman  作者: イナゴ
51/51

051

壁には、強く叩きつけたような血の跡。

その下で背を向けて、ナジャが横たわっている。

その背中は赤い。

真っ赤だ。

今もその赤色が、徐々に濃さを増していっているのが分かる。

呼吸が浅くなっていく。

息が苦しい。

「ナジャ・・・」

力ない足取りで、エリザベータはナジャに近づいていく。

糸が切れたように、エリザベータは膝から崩れ落ちた。

ナジャの体を抱きかかえようとして、まるで鉛を詰め込んだような、ぐにゃりとした重さに、鳥肌が立った。

体の向きを返させるのも、重労働だった。

ナジャの体は、首元から血でべっとりと濡れていた。

赤く染まっていないところはない。

胸には穴が開いていた。

歪な裂け目。

(嘘よ)

目の錯覚――。

まやかし――。

エリザベータは視線を上げて、ナジャの顔を見た。

ナジャの白い顔は、髪の色が赤銅色ということもあって、赤の中から浮かび上がっているように見えた。

「ナジャ・・・」

返事はない。

「ナジャ・・・」

閉ざされた瞼が開くことはない。

「ナジャ、起きなさい・・・」

返事はない。

「ナジャ、目を開けて・・・」

閉ざされた瞼が開くことはない。

「ナジャ・・・」

「ナジャ・・・」

「ナジャ・・・」

「ナジャ・・・」

「ナジャ・・・」

「・・・」

「・・・」

「嘘よ・・・」

「こんな・・・」

「こんなことありえない・・・」

「こんなこと・・・」

「だって私たちは・・・」

死なないのに。

死ぬはずがないのに。

ナジャは・・・。

・・・そんなはずはない。

そんなはず、あるわけがない。

エリザベータはナジャを強く抱きしめる。

こうすればきっと鼓動を感じることが出来る。

静かだ・・・。

静かだ・・・。

何も感じない・・・。

鼓動を感じない・・・。

自分自身の鼓動さえ消えていくようだった。

(ナジャ・・・)

(ナジャ・・・)

(目を開けて・・・)

(お願い・・・)

「う」

その声は誰のものだったのか。

(ナジャ・・・)

(ナジャ・・・)

(ナジャ・・・)

(生きて・・・)

(お願い・・・)

光が生まれた。

その光はエリザベータの中から生まれた。

決して強い光ではない。

だがその光は、大きく大きく、まばゆく輝く。

やがてその光は、エリザベータごと、ナジャを包み込む。

しかし、その優しくまばゆい光を見たのは、ナジャの深い深い闇の中に沈んでいた意識だけだった。


      *******


ナジャを抱えてエリザベータが外に出たときには、もうエマとリュウギの姿はなかった。

静かに待っている男たちの元に向かう。

白衣の男――ケントが駆けて来る。

「エリザベータ様。ナジャ様は・・・」

「大丈夫。眠っているだけよ」

「そうですか。良かった」

ほっと安堵の息を漏らすケントに、エリザベータの口から意識せず言葉が漏れた。

「ありがとう、ケント。ナジャの心配をしてくれて」

「いえ。当然のことです」

答えつつもケントは、エリザベータの態度に驚いていた。

そのままケントは、エリザベータの後ろに控えて、彼女についていく。

黒服たちのもとにつくと、エリザベータは彼らの一人――イザクに命じた。

「もう用は済んだわ。イザク、車を出して」

「はい。エリザベータ様」

イザクは恭しく頭を下げ、白のRVに乗り込む。

他の黒服たちも、ぞろぞろと黒のリムジンに乗り込んだ。

イザクは、自分が連れてきたいおのことなど忘れたように、彼女には声もかけなかった。

それはエリザベータとて同じで、彼女はそっとナジャを後部座席に寝かせると、その隣に座った。

ケントも同じだった。

後部座席のドアを閉めると、助手席に乗り込む。

いおに声をかけることはしなかったし、見向きもしなかった。

いおは、ただ惨めだった。

一体何をしにここまで来たのか。

兄に会い、真実を確かめるためではなかったのか。

しかし兄には何も問いただせず、ただ去っていく背中を見ていることしか出来なかった。

そして今は、まるで透明人間にでもなってしまったかのように、誰もいおに声をかけようとも、見ようともしない。

存在を否定されているようだった。

ここには、いおの居場所はなかった。

彼らの誰もが、

『お前は何も知らなくて良い』

そう告げているかのようだった。

それでも――。

それでも、いおは――。

真実を知りたかった。

リュウギはなぜエマと出合い、ヒトではなくなってしまったのか――。

美香子はなぜ殺されなければならなかったのか――。

本当にリュウギが殺したのか――。

エリザベータはなぜいおを選んだのか――。

自分はなぜ、リュウギのヒトではなくなった恐ろしい姿を見ても、兄の後を追うのか――。

リュウギの真実。

エマの真実。

美香子の真実。

エリザベータの真実。

いお自身の真実。

――真実を知りたかった。

いおは、発車しようとするRVのボンネットに力強く両手を置いた。

さすがに車に乗る三人は、いおの存在に気付いた。

ゆっくりと、エリザベータが降りてきた。

何も言わず、ただじっといおを見つめる。

いおもエリザベータを見返した。

目を逸らさない。

「私も――」

それは決断の――決意の声だった。

「私も連れて行ってください!」

エリザベータはいおを見返す。

いおは目を逸らさない。

睨みつけるように強い視線を、エリザベータに向ける。

ふっとエリザベータが笑った。

「後悔するわよ」

「しません!」

後悔なんかしない。

決めたのだ。

「そう」

エリザベータは、いおに手を差し伸べた。

微笑を浮かべながら。

その微笑を見たとき、なぜかいおはエリザベータの手を握り返すことを躊躇った。

この手を握り返すことは、今まで過ごしてきた日常からの決別を意味する。

そのことを知って、躊躇したのかもしれない。

だが決めたのだ。

真実を知る、と。

いおはエリザベータの手を握り返した。


〈了〉


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ