005
現われた二人は、またしても白衣だった。
しかしナース姿ではなく、普段着に白衣を羽織っているだけだ。
医療カートを押すナジャにエマが身構えるより先に、ナジャの動きのほうが早かった。
エマはまたしても飛び掛ってきたナジャに四肢をがっしりと押さえ込まれてしまった。
それからのエリザベータの動きは、妙にのろのろとしたものにエマの目には映った。
カートから注射器を取り出す。
つかつかとベッドの傍らまで歩み寄る。
手加減なしにエマの腕を取り、無造作にぷつりと細く鋭い針を刺す。
吸引器を引く。
見る見る注射器の中は赤い液体で満たされていく。
自分の血が抜き取られていくさまを、エマは悪夢を見ているような気分で見ていた。
エマの腕から注射器を抜き取ると、今日はおとなしいのね――エリザベータはそういって、カートを押すナジャと部屋を出て行った。
それが三度繰り返された。
三度目も同じようにナジャに取り押さえられるエマに、エリザベータはさすがにあきれた様子だった。
そして四度目の今日――
エマは一切の抵抗をしなかった。
いつものようにエマから血を抜き取り、もうこの部屋には用のないエリザベータだったが、物足りなさでも感じたのか、エマに声をかけた。
「どうしたの。元気ないじゃない。こっちまで調子が狂うわ」
「勝手なこと言わないで。誰のせいだと思ってるの」
忌々しげな口調にも、エリザベータを睨む視線にも力が無い。
エリザベータは一つ肩をすくめて見せる。それから
「じゃあ、元気が出る話でもしましょうか」
「え?」
エマは疑わしそうにエリザベータを見る。彼女をまるで信用していない様子だ。
「お父様のことよ」
びくん、とエマの体がふるえる。
「お父様もこの建物の中にいるわ。察しは付いていたでしょうけど」
「お父様に合わせて」
叫ぶようにエマは懇願した。
対照的にエリザベータの声は冷たく響く。
「もう気にしていないのかと思ったわ。ずっと何も言わなかったんだもの。てっきりあの男の事は忘れたんだとばかり」
あざけりの響さえある。
エマはそれがエリザベータの挑発なのだと分かっていても、声を荒げてしまう。
「あの男って・・・。私たちのお父様なのよ」
「私たちの、――ね」
ぞくりとする冷たい声。
エマは戸惑う。
「どうしたの、エリザベータ。なんだかあなた・・・。変わった・・・?」
「・・・何も変わってはいないわ。何もね。――それより、ねえ、エマ。どうしてお父様がここにいるかは、分かる?」
「え?」
「お父様はあなたと一緒にここに来た。しかしあなたとは違い自分の意思でね。この意味が分かる?」
エマは答えなかった。
答えたくなかった。
エリザベータにも答えてほしくなかった。
その答えがエマの考えと同じだったときが怖かった。
この白い部屋でエマに出来ることといえば、ただ、考えることだけだった。
本当はそれさえ嫌だった。
何も考えたくなかった。
しかしどうしても考えてしまうのだ――Jのことを。
彼は今どこにいるのだろうか。
どうしてここにいないのだろうか。
この部屋で目覚めるまでは一緒にいたのに。
最後に覚えているのは彼の笑顔。
どこか悲しげな笑顔。
その笑顔を見ながら意識は落ちていって、そして目覚めたとき、なぜかここにいた。
そういえば意識が落ちる前に、Jが何か言っていたような気がする。
あれは何の言葉だったのだろう。
・・・謝罪の言葉?
「エマ。あなたはお父様に裏切られたのよ」
ぼんやりと、エマはエリザベータを見つめる。
「あなたは売られたの。あの男の身の安全と引き換えに」
「嘘よ」
嘘に決まっている。
そう信じているのに、エマの声は小さく震える。
呆然としているエマを見つめ、エリザベータは満足そうに微笑む。
「エマ。とりあえず、これからどうするか考えておいて。ここにとどまるか、それとも・・・」
エマにその声が届いているようには見えなかった。
しかしエリザベータは気にした様子もなく、ナジャを促すと、部屋を出て行く。
「また来るわ」
最後にそういって、ドアを閉めた。