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unhuman  作者: イナゴ
47/51

047

エリザベータは美香子を殺したのは兄だと言った。

そんなことはありえない。

しかし『あの』梁瀬リュウギだとも言った。

だとしてもありえない。

どんな姿になろうと、兄は兄――それだけは確かなのだから。

なぜあの時、そう思えなかったのだろうか。

その信念を持つことが出来なかったのだろうか。


兄は今、どこにいるのだろうか。

美香子にもう会えないと分かったとき、兄はどんな顔をするだろうか。


悲しみや怒りや不安――

そういった感情が、いおの中で渦巻いている。

心は整理できないままで、どこか現実味がない。

とぼとぼと歩く。

鞄を忘れたことに、ようやく気付いた。

「あ・・・」

どうしよう・・・。

焦る。

エリザベータにもう一度会える保証はない。

彼女のほうから、いおに会いに来なければ、会えない。

忘れ物だからと、親切に届けてくれるはずもないだろう。

笑ってしまう。

鞄の心配なんかしている場合じゃないのに。

ふと、景色に見覚えがあることに気付く。

この道を進めば確か・・・。

見覚えのある家が見えてきた。

吸い寄せられるように、いおはその家の前に立つ。

背の低い門扉。

玄関のドア。

表札には二人分の名前。

大木朝子。

  美香子。

何度か遊びに来たことのある大木家だった。

不思議な気持ちになる。

何でここにいるんだろう。

ぼうう、と立っていると、玄関のドアが開いた。

「いおちゃん?」

姿を見せ、声をかけてきた女性は、大木朝子――美香子の母親だった。

いおはすぐには答えることが出来なかった。

まるで、いおが来ることを知っていたかのように門扉を開けて外に出てくると朝子は

「入って。さあ」

と、娘の友人の手を引いた。

「あ、あの・・・」

強引に、いおは大木家の中に入れられた。

玄関の扉まで閉められては、いおとしても、もう外には出辛い。

廊下の上がり口にスリッパまで用意されて

「どうぞ。上がって」

と言われては尚更だ。

「・・・お邪魔します」

靴を脱いでスリッパに履き替えると、いおの戸惑った様子にはまるで構わず歩き出す朝子について行く。

リビングに通された。

「ちょっと待ってて。お茶の用意してくるから」

朝子はそう言うとキッチンに向かった。

いおはまだ戸惑いの中にいた。

確かに見覚えのある部屋だ。

ソファや、テーブルや、テレビや――その配置にも覚えがある。

ソファに座って右手を向くと、ガラス窓から外が見える。

それは外からも見えてしまうということだ。

それが気にならないのかと、以前尋ねたのだった。

カーテンを引けばいいだけのこと――そう笑っていたことを思い出す。

「別に立っていることないのよ」

朝子がトレーにティーカップを二つ載せて立っていた。

「あ、すみません」

「別に謝ることじゃないけどね」

微笑んで、朝子はトレーをテーブルに下ろす。

「紅茶でよかったよね」

「はい」

ティーカップ二つをテーブルに置くと、ソファーに座る。

隣を指し示し

「座って」

いおはおずおずと腰を下ろす。

朝子は小さく苦笑い。

「どうしたの。らしくないじゃない」

いおは戸惑っていた。

朝子――美香子の母親にどう接すればいいのかわからなかった。

それに今、この場にいるという事実にも、いまだ戸惑っている。

大木家にいる――この偶然に。

朝子はそれ以上いおに声をかけることはせず、視線を窓の外に向けた。

景色ではなく、朝子にしか見えないものを見ているような表情になる。


「何もする気が起きなくてね。

こうやって外を見ていたの。

そしたら、いおちゃん――あなたがやって来た。

家の前で立ち止まったあなたを見て、ああ、良かった――そう思った。

だってそのとき、私にはあなたが美香子に見えたんだもの。

本当よ。

目の錯覚とかじゃなくて、本当に娘に見えたの。

だから私、慌てて玄関に向かった。

扉を開けて――でもそこにいたのは、あなただった。

当たり前なんだけどね。

あの子は、やっぱり、もう・・・」

夕べ、警察から電話があった。

内容は信じられないものだった。

信じられないからこそ、病院に向かった。

そして娘の遺体と対面した。

「あの・・・」

いおは思わず声を上げていた。

朝子が泣き出してしまうのではないかと感じたのだ。

しかしそんなことはなかった。

いおを見返した朝子の表情は平静だった。

やせ我慢しているようでもなかった。

「何?」

「え、と・・・」

自分の早とちりに少し恥じ入りながらも、いおは言葉を継いだ。

「美香子の部屋へ行ってもいいですか?」

「え?」

「最後に見ておきたくて・・・」

その言葉が意外だったのだろう。

朝子は最初驚いた様子でいたが、やがてゆっくりと微笑んだ。

「ええ。そうして」

「それじゃあ、お邪魔します」

案内されるまでもなく、一人で行ける。

ソファから立ち上がったいおに、朝子は言葉をかけた。

「いおちゃん、もしあなたに必要なものがあったら、もらってやって」

美香子の形見になるものがあったら持っていってほしい。

朝子のその言葉に、いおは静かに頷いた。

「はい」

美香子の部屋は、いおの部屋と比べると狭かった。

机とベッドと簡易クロゼットで、部屋のほとんどを占めている。

手狭だからこそ、余計なものは一切見当たらなかった。

たとえば、雑誌とかぬいぐるみとかそういう類。

その点も、いおの部屋とは大違いだった。

この部屋の用途は限られてくる。

勉強するか眠るか、だ。

くつろぐためには、もう少しスペースが欲しいし、無駄なものも欲しかった。

くつろぐための場所は居間なのである。

以前遊びに来たときも、いおは美香子と一緒に、ほとんどの時間を居間で過ごした。

机に置かれた一冊のノート――いおは、それを手にとってみる。

パラパラとめくる。

教師が黒板に記したことをしっかりと書き写している――授業態度の良さが知れるようなノートだった。

しかし書き込んである、という印象は受けない。

余白のほうが多いかもしれない。

文字と文字の間に隙間があるのだ。

一文字ぐらいは書けるほどの。

それに加えて、改行もずいぶんと間を空けて改行してある。

文字が連なって、何がしらの意味を持ち、文章が現れるといううよりは、一文字一文字が、ふわふわと浮遊しているように見える。

さらに言えば、美香子の文字は独特のバランスを持っていた。

丸い。

ひらがなもカタカナも漢字も数字も、丸い。

まるで異国の文字。

正直に「読めない」と言ったことがある。

それに対して美香子は「ひどいなあ」と頬を膨らませていたことを思い出す。

思い出――もう、積み重ねることの出来ない、思い出・・・。

いおは小さな微笑を、寂しく浮かべる。

「やっぱり読めないよ・・・」

「ひどいなあ」

声が聞こえた気がして、いおは振り向いていた。

誰もいない・・・。

いるはずがない・・・。

そうだ・・・。

もう・・・。


美香子は、いない。


二度と、会えない。


     ***


居間に戻ると待っていた朝子に礼を言った。

「ありがとうございます」

深々と頭を下げるいおに、朝子は微笑む。

「いえいえ」

いおが何も手にしていないことには、言及しないでおいた。

「それじゃあおばさん、私、これで失礼します」

「そう?分かったわ」

いおと朝子はともに玄関に向かった。

靴を履き終えたいおに、朝子はやはり聞かずにはいられなかった。

「・・・あの、いおちゃん。本当に良かったの。美香子との思い出に何か持っていっても良かったのよ。遠慮なんかいらないから」

「いえ、いいです」

いおから、躊躇いは感じられなかった。

「そう・・・」

朝子はそれが寂しくもあったのだが・・・。

「美香子との思い出なら、ここにいっぱいありますから」

胸に手を当て、微笑みながら、いおは言った。

朝子はこみ上げてくるものを、ぐっと堪えた。

今は涙を見せるわけにはいけない。

朝子にも、娘との思い出は、胸の奥にたくさんあるのだから。

「ありがとう、いおちゃん。あなたと知り合えてきっとあの子は幸せだったわ」

いおは、照れ笑いを浮かべようとして、失敗した。

涙が一粒こぼれる。

後から後から溢れる。

嗚咽の声が漏れる。

朝子は、そんないおを、優しく抱きしめた。


      ***


大木家を後にするいおの胸には決意があった。

エリザベータの言葉の真偽を確かめなければならない。

兄が美香子を殺したという言葉の真偽を。

でたらめに違いないとは思う。

口からでまかせの、根拠のない虚偽、だと思う。

しかしもし少しでも、その言葉に真実が含まれているのなら、その意味を知らなければならない。

エリザベータに問いただしたところで、徒労でしかない。

兄に会わなければならないのだ。

兄の口から、真実を聞かなければならないのだ。

兄に会わなければ。

しかしその居場所を知らない。

だがエリザベータは知っているはずだ。

でなければあんな戯言を口にするはずがない。

確信――直感が、いおにはあった。

都合よくエリザベータが現われてくれないだろうか。

希望はむなしく、エリザベータがいおの前に現われることはないままに、いおは家に帰り着いた。

結局、良い考えは思い浮かばなかった。

エリザベータから接触してくれなければ、いおには彼女に会う術はないのだ。

しかしそれでは困る。

兄に会えない。

兄の居場所がわからない。

――呼び鈴が鳴った。

来客だ。

いおはため息をついて玄関に向かった。

それどころではないのに。

扉を開けて、そこに立っているのが誰か、すぐには分からなかった。

黒のスーツ姿、短く刈り込んだ黒い髪、目元を覆い隠す濃い色のサングラス。

黒ずくめの格好の中で、肌の白さは際立っていた。

「イザク・・・さん?」

いおの驚きに構うこともなく、イザクは軽く頷いたあと、手に持っていたものを持ち上げて見せた。

「忘れ物です」

鞄だ。

いおの鞄。

もう取り戻せないだろうと諦めていた鞄。

「あ、ああ・・・どうも・・・」

鞄をいおは受け取る。

まさかわざわざ届けに来てくれるとは思わなかった。

「ありがとうございます・・・」

「ではこれで」

軽く頷いてイザクが立ち去ろうとする。

「待って!」

いおは叫んでいた。

こんな偶然を逃すわけには行かない。

「待って下さい」

イザクは再び、いおに向き直る。

何も言わずにじっといおの言葉を待っている。

「あの、イザクさんは、兄の居場所を知っているんですか」

「兄?」

「梁瀬リュウギです」

「ええ、もちろん」

イザクは頷く。

「そこに向かう途中だったのですよ。エリザベータ様があなたと会われたのは」

悪い予感がした。

エリザベータはそこで何をしようとしているのか。

「私をそこへ連れて行ってください」

なぜ?とはイザクは問わなかった。

「いいのですか?」

「はい」

「本当に?」

「連れて行ってください」

兄に会う。

兄に会って真実を確かめる。

そのことしか、今のいおは考えていなかった。

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