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unhuman  作者: イナゴ
41/51

041

アパートを出ると、エマはとりあえず『コンビニ』に向かった。

『コンビニ』には何でも売っている、とリュウギが言っていた覚えがある。

いや、いおだったかもしれない。

そもそも聞いたのは『何でも売っている』ではなく、『とても便利だ』であったかもしれないが同じことだろう。

便利だ、と言うことは、何でも売っている、からに違いないからだ。

ともかくエマは、近くのコンビニに向かった。

道順はわかる。

迷うことはない。

リュウギと一緒にそこに出かけた。と言う記憶はないのだが、なぜか道順ははっきりとわかるのだ。

目の前に、立体地図が浮かび上がっているように、わかる。

しかしエマはそのことに驚かない。

これが自分の能力だと理解しているからだ。

異能の力。

これもまた、エマがヒトではない証だった。

店内に客はいなかった。

レジで手持ち無沙汰にしていた店員が、来客に顔を上げる。

びりっと電流を感じたかのように店員の体が揺れ、それから、エマから目を離せなくなったようだった。

店員の視線を張り付かせながら、エマは店内を見て回る。

見つめられていることを、気にしたふうはない。

ここに来るまでに、もう嫌というほど、そのての視線は浴びてきた。

すれ違う人、道行く人、エマの姿を見た全ての人が、その美しさに心奪われ、目を奪われていたのだから。

一通り店内を見て回った。

食材はある。

しかし何を買っていいのかわからない。

考えれば、エマは料理を作ったことがない。

(呑気なものだな)

頭蓋に楔を打ち込まれたような痛みがはしった。

(全く呑気なものだ。自分が置かれた状況を理解しているのか?)

声が響くたび、ずきずきと頭が痛む。

顔をしかめながら、エマは顔を上げる。

(聞いていた通りだな。確かにこいつはバカだ)

眉間のしわが深くなる。

不幸にもエマの視線の先には店員がいて、彼は今、青ざめている。震えてさえいた。

(八つ当たりはいかんな)

うるさい!

頭の中に響く嘲笑に、心の中で罵声を返すと、怒りもあらわな足取りで店を出て行った。

エマは周囲を見渡す。

不審な人物は見当たらない。

どこにいるの?

(わかるだろ)

頭に響く声には、いちいち嘲りの響きがある。

エマは思わず忌々しげに舌打ちして、それから意識を集中する。

目の前に、この町の地図が浮かび上がってくるような感覚があった。

その地図のある一転に、赤い小さな光が点る。

そこに男がいることがわかった。

鳥の目になって、はるか上空から町を見下ろし、点にしか見えない男の姿を見つける――過去の映像を思い出しているように、そんな映像がはっきりと浮かんでくる――その一方で、現実として目の前に広がっているのは町の景色――だが意識の乖離に、エマが戸惑うことはなかった。

ただ鳥の目となって、俯瞰した町の中に見つけた、男の居場所に対しての確信は、絶対的なものだった。

・・・ええ、わかる。

(来な。待ってるぜ)

エマは男の元に向かった。

その場所は初めて来る場所ではなかった。

先日の事件があった場所だ。

リュウギが一度死に、そしてヒトとしてではなく蘇った場所――。

そこに、あの時と同じように、黒尽くめの男が立っていた。

その男の正体を、エマはもう知っている。

先日の男と同じだ。

彼女の血を流し込まれた、人間の成れの果てだ。

彼自身が望んだのか、そうでないのかは知らないが、人間であることを捨ててしまった存在だ。

エマは男をじっと見つめる。

「ママが恋しくなった?」

エマは嘲笑する。

「何だ、それは。挑発のつもりか?」

男は冷静だった。

エマのほうがカチンと来る。

「気の短いやつだな。そうカッカするな」

さらには気付かれてしまう始末である。

「一体何なの!」

エマの一喝にも男は動じることなく、ただ一言。

「わかるだろ」

問われてエマはさっと怒りを収めた。

この男も前の男と同じ用件で、ここにいるに違いない。

エマに組織に戻るように命じ、そして従わないときは実力を行使するために、ここにいる。

「答えは同じよ。私には組織に戻る気は一切ないわ」

「それならそれでいい。俺は気にしない」

怪訝な表情のエマに、男は言う。

「事情が変わってな。お前はもう用無しということだ。俺の仕事はお前を処理することさ」

『処理する』という言葉を、エマは正しく理解した。

それは『この世から処理する』――つまり『殺す』と言うことだ。

エマは薄く笑った。

「無理ね」

「ほう。なぜ?」

「あなたは私に『処理』されるからよ」

エマは男の口調を真似る。

それを聞くと、男もまた薄く笑った。

「リュウギを待たせているの。さっさと終わらせてもらうわ」

エマを制するように、男は左腕を、彼女に向かって突き出した。

いぶかしむエマ。

男は右手で左手首をつかんだ。

んむ!と、男の口から漏れた声は、苦痛の声にも気合の声にも聞こえた。

左手首をつかむ男の右手に力がこもる。

左手首が伸びた?と思う間もなく、左腕がずるずると引き抜かれる。

引き抜かれているのは、腕そのものではない。

腕の中身、と言えばいいのか、腕の芯、と言えばいいのか、肩口までの骨が、血肉を纏い付かせたまま、ずるずると引き抜かれたのだ。

男の表情は苦痛に歪んでいるが、ついに全てを引き抜く。

左腕は力なくだらりと垂れ下がり、手首がなくなった腕の先から、ぼたぼたと血を滴らせていたが、それもすぐに止まる。

男はまるで剣でも持つように、引き抜いた左腕の骨を右手に持っている。

いや、確かに剣だった。

こびりついていた血肉が落ちると、そこに現われたのは、歪な形の刀身だったからだ。

柄が、左手首そのものということが、笑うに笑えない悪い冗談のようだった。

エマには言葉もない。

唖然とするばかり。

棒立ちのエマは、男にとっていい的だった。

男はすばやく一歩踏み込むと剣を振るった。

危ういところでエマは飛びのいた。

鋭い切っ先が目の前を走る。

男は満足気に笑う。

エマは男の嘲りを感じたが、今はいちいち気にしている暇はない。

それに男のその慢心は、必ず付け入る隙を生む。

だがそれを待つつもりはなかった。

それ以前に勝負をつける。

男は右腕を力なくたらし、手に握る剣の切っ先は、地面すれすれで宙に浮いている。

左腕はもちろん、だらりとたれている。

痛みはないようだが、当然使い物にはならないだろう。

それが男の敗因だ。

エマは男と対峙しながら、ゆっくりと右へ右へと移動していく。

男の左側面――死角の方へ。

男とて、エマの意図には気付いているだろう。

しかし動こうとはしない。

目だけでエマの姿を追う。

それは慢心ゆえだろうか。

男の油断でしかないのか?

いぶかしむ気持ちはあったが、エマはじりじりと動くのをやめなかった。

男はエマを目で追う。

体は動かない。

しかし視野角に限りがある以上、必ずエマの姿を見失う。

男もそれはわかっているだろうに――。

不審な気持ちを消せないままでも、しかしエマは好機を逃すつもりはなかった。

人間の目には、エマが消えたように見えただろう。

その動きを捉えることは、不可能だったからだ。

エマは男の首筋にざっくりと手刀を叩き込んで絶命させ、この面倒事を終わらせるつもりだった。

視界の隅に何かが映った。

それが何か考えることもなく、エマは倒れこむように身を反らせていた。

体制が崩れる。

追撃をかわすため大きく飛び退く。

跪いたまま、エマは男を見る。

男の左腕は、力なく垂れてはいなかった。

水平に持ち上がり、手首のちぎれた痕をエマに見せていた。

その傷跡は生木をへし折った後のように見える。

鋭い刃物の切っ先が、歪な楕円を見せている。

それは赤く濡れている。

ぽたりぽたりと滴が落ちる。

エマの血だった。

エマが飛び掛ってきた瞬間、男は使い物にならなくなったと見せかけていた腕を振るって、エマの喉元を切り裂いたのだ。

タイミングを計っていたのは、男のほうだった。

エマは男を睨みつける。

男の攻撃をかわせたのは、幸運というしかない。

もし、身動きしない男を不審に思わないまま飛び掛っていれば、エマの首は胴と離れ、宙を飛んで、ごとりと地面に落ちていたことだろう。

しかしそれでも首をざくりと切り裂かれたのだ。

人間なら致命傷である。

即死だ。

だがエマはヒトではない。

すでに血は止まっているし、切口も癒着し、再生が始まっている。

しかし喉元に当てた手にはべっとりと血がつき、腕の半ばまで真っ赤に染まっている。

「考えが甘いな」

男はニヤニヤと笑いながら、

凶器でしかなくなった左腕をぶらぶらと振って見せる。

体の中心に重い塊が生まれたのを、エマは感じた。

その塊がどろどろと溶け、体の隅々にまで染み込んでいくかのようだった。

不快だった。

こんな不快さを与えた男を許すことが出来なかった。


コロス。


ぎらぎら光るエマの目が、血を流し込まれたように、真っ赤に染まっていく。

男はうれしそうに笑う。

「そうだ、その意気だ。本気で来い!」

エマの姿が消えた。

刹那、男は飛び退く。

男がいた空間に、刃のような風が吹き上がる。

エマの手刀だった。

エマは身をかがめたまま、大きく踏み出す。

手刀を見舞う。

が、これもかわされる。

続けざまに攻撃を浴びせる。

反撃の隙を与えない。

だが男はそのことごとくをかわす。

男の顔に、やがて失望の色が浮かんでくる。

男の姿が消えた。

エマの手刀は虚空を貫く。

肩に激痛が走ったと同時に視界がぐらりと動く。

何が起こったのかを考える間もなく、一瞬宙に浮いたかと思うと、エマの体は背中から何かに激突した。

背骨の軋む音が聞こえるような強打。

息が止まる。

すばやく死角に入り込んだ男が、エマの腕を取ると力任せに振り回し、木に叩き付けたのだ。

エマの体を受け止めて、太い幹がしなる。

何が起こったか理解できないまま、しかしエマは体勢を立て直そうとする。

腹部が発火し肉が焼け爛れる――そんな感覚があった。

赤熱した石を胎に押し込まれたような激痛。

「ああ・・・っ!」

エマは悲鳴を上げていた。

男の剣がエマを貫いていた。

血が溢れ出し、エマの下半身が見る見る赤く染まっていく。

エマを刺し貫いたままの刀身を伝わり、血の滴がぽたぽたと落ちる。

「弱い。弱いな。弱すぎる。あの二人とはまるで違う。――何故だ」

エマに答えることは出来ない。

激痛に耐えるので精一杯だ。

男は冷ややかにエマを見つめる。

剣を引き抜いた。

血を吐き、エマの体はよろよろと前にのめる。

男はエマの後頭部めがけ、剣の柄頭を打ち下ろす。

めり込む勢いで男の左拳(すなわち剣の柄頭)が、エマの後頭部で、ご!と音を立てる。

びたん!

勢いよくエマの体が地面に叩きつけられる。

男は剣をくるりと半回転させ逆手に持つ。

エマを見下ろす冷ややかな表情を全く崩すことなく、剣をエマの背中に突き立てる。

刃を深く深く突き立てる。

まるで昆虫標本のように、エマの体は地面に縫い付けられた。

ごぼり。

と、エマの口から血が溢れ出す。

ごぼごぼと間をおかずあふれ続ける。

エマの苦悶の声だ。

苦痛の声を上げる代わりに、血を吐き続ける。

男の冷たい視線は変わらない。

それがかすかに変化したのは、エマの目に涙を見たときだった。

エマの目から涙があふれ続ける。

言葉を形作ろうと唇が動くのだが、口からあふれ出るのはやはり血だった。

男の表情が、絶望と呼べるものに変わる。

希望の全てを失った精気のない顔に。

「哀れだな・・・」

呟かれた言葉。

男は、刀身をさらにエマの体に沈めていく。

ごぼ。

と、新しい血を吐きながら、エマは声にならない声で叫び続けた。

助けて・・・助けて・・・助けて・・・。

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