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unhuman  作者: イナゴ
39/51

039

車内は静かだった。

誰も口を利かなかった。

いおは口が利けなかった。

一体これはどういうことだ?

誘拐?

拉致?

なぜ?

「あ、あの・・・」

声が震える。

これは明らかに恐怖からのものだった。

「ど、どこに行くんですか・・・?」

間の抜けた質問だった。

車の行き先以前に、聞かなければならないことはあるのに。

誰も何も答えなかった。

「あ、あの・・・」

体の芯が凍り付いていくようで、震える小さな声を絞り出すのが、やっとだった。

「ど、どうして、私、なんですか・・・」

こんな目にあわなければならない理由など、ない。

わけもわからず拉致されて、どこかに連れて行かれるなんて。

「な、なぜ、私なんですか・・・」

涙が出てきた。

声を上げて、泣きたかった。

「なぜ、とか、どうして、とか聞かれるのは嫌いなの」

車内に初めて、いお以外の声が流れた。

それは、いおの右隣に座る、他ならぬ、いおをさらった張本人――あの美女だった。

「は、はい・・・」

いおは頷いてしまう。

しかし、相手側にまったくいおを無視し続けるつもりではないとわかって、ほんの少しだけ気を強く持てる気がした。

「あ、あの・・・ど」

うして、と言いそうになって、慌てて別の言葉を捜す。

「あなたは、あなたたちは誰なんですか?・・・どうして、私を・・・?」

どうして、と結局、口にしてしまった。

しかし女性は、それをとがめることはせず、

「そうね。私たちはあなたを知っているのに、あなたは何も知らない。これは不公平ね」

そして、女性は名乗る。

「私はエリザベータ」

いおの左隣を示し、

「そっちの子はナジャ」

いおは、その少女を見た。

赤銅色の髪を持つ少女。

かなりの癖毛だった。

髪型がうまく整っているとは言いがたい。

印象としては、ぼさぼさである。

だがそれが、彼女――ナジャの持つ、野生の獣が放つような、どこか近寄りがたい雰囲気とうまく溶け合っていて、似合っていた。

ナジャの眉も、髪の毛と同じ赤銅色で、しかし瞳は東洋人のように黒く、肌はエリザベータと同じに、磁器のような白さを持っていた。

ガムでも噛んでいるのか、口をもぐもぐとさせている。

いおの視線に気付いているだろうに、こちらを見ようともしない。

「助手席にいるのが、ケント」

身を乗り出して「よろしく」と、いおに挨拶した彼は、人の良さそうな青年だった。

もちろん、見かけだけだろう。

そうでなければ、今ここにはいない。

彼は東洋人に見えた。

日本人かもしれない。

もしそうなら、ケントという名は、剣人と書くのだろうか?それとも健斗?

「運転しているのが、イザク」

彼はケントのように、場違いな愛想の良さは持っていないようだった。

運転に専念している。

いおはルームミラー越しにイザクの表情を盗み見る。

濃い色のサングラスをしている。

それしかわからない。

これで車内にいる全員の名前がわかった。

当然ながら、いおの知りたい答えは、宙に浮いたままだった。

「あの・・・それで、どうして、私を・・・」

そろそろと声を出したが、やはり『どうして』と言ってしまう。

しかし今度も、エリザベータがそれを気にした様子はなかった。

「梁瀬リュウギ」

ちらちらと、エリザベータを盗み見ていた、いおだったが、エリザベータが口にしたその名前に、エリザベータの横顔を凝視してしまう。

「最近、あなたのお兄さんの身近で、変わったことは起きていない?たとえば、身元不明の怪しい女が現われたとか」

「どうしてそれを・・・」

としか、いおには言えない。

まったく面識のないエリザベータが、いおの名を知っていた。

ならば、その身近の情報を彼女が――彼女たちが持っていたとしても、なんら不思議はない。

そう考え付くほど、今のいおが冷静なはずもない。

「妹としては、気が気でないんじゃない。そんな女が、お兄さんのそばにいるというのは」

「あなた・・誰なんですか?」

「エリザベータよ」

「名前じゃなくて・・・」

「聞いてもがっかりするだけよ。エマと言うあの女の素性を知っている、と言うだけなんだから」

もちろん『それだけ』ではない。

しかし、今のいおにそれが分かるはずもない。

「え・・・?あの女の・・・?」

いおに向いたエリザベータの顔は微笑んでいた。

その微笑に、いおは引き込まれる。

見つめてしまう。

そういえば初めてエリザベータを見たとき、既視感を覚えたのだった。

あれはエリザベータが、エマに似ていたからだ。

磁器のような白い肌、非人間的なまでに整った顔立ち――。

「お兄さんの不幸は、あの女と出会ったこと。それはあなたにとっても言えることかも。もうお兄さんとは一緒にいられないのだから」

どく。

と、不規則に心臓が鼓動を打った。

一時に大量の血液が送り出されたかのようだった。

息が苦しい。

「それって、どういう・・・」

エリザベータは答えなかった。

静かな微笑をいおに見せると、ふいと視線を逸らし、再び正面を向いてしまう。

彼女には、問いかけに答える気などまるでないんだと、いおにも分かった。

それでも、もう一つの質問をする。

「エマ、さん。て、何者なんですか」

「一言で言えば『脱走者』」

エリザベータは、前を向いたまま答えた。

「そして、裏切り者」

それを聞いたところで、やはり、いおにはエマの正体が分かるはずもない。

相変わらず『身元不明の怪しい女』でしかない。

もっと詳しくエマの正体について問いただしてみたかった。

エリザベータは、それを知っている、と自分で言っていたのだから。

しかしつい先ほど――いおと言葉を交わし、目をかわしていたときのエリザベータと違い、今は彼女からは、硬質な気配しか感じることが出来ない。

それで、いおはエリザベータに言葉をかけることを躊躇っていた。

しかし、何とかして聞き出したい。

いおは、エリザベータの横顔に、じっと視線を注いだ。

エマの正体は知りたい――だが、考えてみれば、エリザベータと言うこの女性こそ、正体が知れない存在なのだ。

なのに、エリザベータには、エマに感じたような、『よくないもの』を感じなかった。

いつしか、エリザベータに注がれたいおの視線は、熱を帯びたように潤んでくる。

「だめだから」

強い非難をこめた声が耳元でした。

はっと我に返り、いおは横を向く。

「だめだからね」

いおを睨みつけて、ナジャが言った。

「な、何が?」

ぞく、と背筋に振るえを感じながらも、いおは言葉を返す。

じいぃぃぃっと、ナジャはいおの顔から目を離さない。

居心地が悪い。

「ん」

突然、ナジャがいおに向かって、こぶしを突き出した。

「な、何?」

面食らういおに、ナジャは突き出したこぶしをゆすって見せる。

「ん」

何を握っているのだろうか?

それを受け取れと言うことか?

いおは、ナジャのこぶしの下に、開いた手を差し出した。

ナジャがこぶしをあけると、小さな丸いものが、ぽとり、いおの手のひらに落ちた。

小さく丸められた銀色の紙だった。

これは何かとナジャに問いただそうとして、はっと気付く。

そういえば、ナジャはもう、口をもぐもぐさせていない。

噛んでいたのがグミキャンディなら、胃の中に納まったということだが、もし、チューインガムならば、味のなくなったそれを、どこかに捨てたということだ。

たとえば、銀色の包み紙に包んで丸めて。

いおは手のひらにある紙くずを見る。

まさかこれが・・・。

「え、えーと・・・」

困惑するいおから視線を逸らし、ナジャはそっぽを向く。

いおは再び視線を落とす。

この紙くず、一体どうすればいいのだ。

もちろん車内に屑箱などない。

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