026
人間は死ぬと二度と生き返らない。
人間を特徴付けているもののなかに、相反する理性と感情――があるが、それらの大前提たる《生命》は、生か死の二つの状態しかない、ある意味単純なものだ。
そう考えると、不死に近いエマたちアンヒューマンは、きわめて複雑な存在なのかもしれない(いや、逆か)。
そのアンヒューマンの一人、エリザベータは、モニターを見ながら思案していた。
彼女がいるのは、エマのいる銀杏並木より1kmほど離れた駐車場だ。
そこに停まっているRVの車内にいる。
後部座席にもたれて、前面に設置されているモニターを見つめていた。
そこにはエマが映し出されている。
エマは、血まみれの一人の男を膝に抱いている。
梁瀬リュウギ。
エマが施設を逃れてからの第一接触者。
生年月日、血液型、元住所、現住所、交友関係――彼に関するデータは全て調査済みだ。
もちろん、エリザベータたち《組織》は、施設から抜け出した時すでに(いや、それ以前――そもそもの最初から)エマを監視し続けていた。
男に指摘されて、エマは初めて気付いたようだが、男の言ったとおり、確かに抜けている――迂闊だ、としか言いようはない。
その男も今は死体になっている。
処理する手間を作ってくれたことに舌打ちをしたくもなるが、問題はその男を殺した梁瀬リュウギだ。
彼は一度男に殺され、そして生き返った。
どういうことだろうか?
エマが梁瀬リュウギに対して、吸血行動を起こしたことは確認している。
だがエマが同じ行動を取ったもう一人の男――Jは生き返りはしなかった。
同じに思える二つの現象の差は何だ。
その違いは?
エマの行動が起点になったことはともに同じ。
エマが行為の対象としたのは、一方はJで、一方は梁瀬リュウギ。
これがそうなのだろうか。
そうならば梁瀬リュウギにこそ原因があると考えられるが、それはありえない。
《組織》が収集したデータに誤りはない。
梁瀬リュウギは正真正銘、ただの人間だ。
人間だった。
「どういうことかしら?」
エリザベータの呟きに答えるように、彼女と同じように後部座席にもたれ、モニターに映っている映像を観察していた男――白衣を着ている。金色の髪は短く刈り込んでいて、清潔感があふれている。年は二十歳前後、すぐそばにエリザベータがいるためか、緊張の様子が伺える――が言った。
「もしかすると・・・」
しかしエリザベータの視線を感じると口を閉ざす。
「何?言ってみなさい、ケント」
エリザベータに促され、ケントは言葉を続けた。
「もしかすると、あの薬のせいかもしれません。あれは本来エマさまの孤独感を麻痺させるものです。心拍の変化を察知し、血中のナノマシンが血流をコントロールし、エマさまの感覚を麻痺させる――そういったものです。エマさまの吸血衝動の引き金になっているのは、その孤独感です。薬の作用によってその感覚は消えているはずです。なのに吸血衝動を起こされた。僕たちの予期しなかった変化が、エマさまの中であった、と考えるべきではないでしょうか」
「でもたんに薬が効かなかったとも、考えられるでしょう?」
「ええ。ですが何らかの作用が働いて、エマさまの中で変化が起きたのは確かでしょう。そうでなければ梁瀬リュウギはあの時点で死んでいるはずです。ただの人間として」
「そうね。でもほかにも要因は考えられるわ」
「何ですか?」
「肉体的接触があったのかもしれない」
「肉体的接触?」
問うたのは、エリザベータとケントの間に挟まれるようにして、シートに座っていたナジャだった。
しかし彼女は、モニターを見たり見なかったりと退屈そうにしていたのだが、エリザベータの先の言葉には、なぜか興味を引かれたようだった。
エリザベータは答えた。
「いけないこと、よ」
「いけないこと?どんなこと?」
「それは言えないわ。ナジャにはまだ早いから」
「ええ、なんでえ」
ナジャはぷうと頬を膨らませる。それから
「ケントは知ってる?」
矛先を隣りの青年に向けた。
「いえ、僕も知りません」
ケントは顔を赤くしながら答えた。
「どうしたの?顔、赤いよ?」
「だ、大丈夫です、何でもありません」
さらに顔を赤くしながら、ケントは答えた。
実際、彼らは知らない。
エマを監視しているのは、組織のエージェント(黒服)だし、エリザベータたちは必要に応じて、エマが監視されているその映像を見もするが(実際、今がそうだ)、覗き魔のまねはしていない。
「じゃあ、撤収しましょうか。最悪の事態も起こらなかったことだし。後の勝利は彼ら(黒服)に任せましょう)
途端に抗議の声が上がる。
ナジャだ。
「えー、もう終わり?ナジャ、まだ何もしてないよ」
「面倒が起きなくてよかったじゃない」
「よくない。つまんないよ。体がうずうずする」
ナジャの予想では、エマが男を返り討ちにし、そのエマをナジャ自身が完膚なきまでに叩きのめすはずだったのだろう。
「仕方ないわね」
不平を並べるナジャに、エリザベータはため息をついて
「戻ったら私が相手をしてあげるから。それでいいでしょ」
「ホント?やった!」
ナジャは歓声を上げると、挑むようにエリザベータを見る。
「負けないからね。今度はナジャが勝つから」
「それは無理ね」
即答するエリザベータ。
「勝つったら勝つの!」
ナジャがむきになっている横で、ケントは運転席に座る黒服に指示を出し、車を発進させた。
薬云々の件は、我ながら胡散臭すぎる。科学的知識があれば、もう少し説得力のある嘘八百が並べられるのだろうか?




