022
店から出てきたエマの印象は、ずいぶん変わっていた。
「へえ」
リュウギは小さく感嘆の声を漏らす。
エマはジーンズとTシャツに着替えていた。
飾りのないラフな格好が、彼女の美しさをより際立たせている。
「靴に合わせてみたの」
いおの言うとおり、確かにスニーカーにジーンズは変かもしれない。
「どう、リュウギ。似合っていますか?」
「うん。よく似合ってる」
エマはうれしそうに笑う。
「これね。いおに貰ったんです」
リュウギに、右手に持っていた、店のロゴが入った紙袋の中を見せる。
そこには、きれいに折りたたまれたワンピースが入っていた。
「まあ、記念に」
いおが、そっけなく答える。
「そうか。よかったね、エマ」
「はい」
笑顔でうなずくエマ。
そんな彼女を、いおは注意深く見つめている。
どこかで昼食を食べようということになった。
よい店を探して、アーケード街を歩く三人。
エマとリュウギはこの状況を楽しんでいるようだったが、一人、いおだけは、そうではないようで、二人の後を歩きながら、先ほどと同じように、注意深くエマを見つめている。
「あー、疲れた」
突然、いおが声を上げた。
「もう私、歩けなあい」
リュウギとエマが振り返ると、いおが、しゃがみこんだところだった。
少女の突然の行動に目を向ける通行人にはかまわず、いおは甘えた声を出す。
「おにいちゃあん、おんぶしてえ」
リュウギは顔を赤くする。
何をやってるんだ、まったく。
ぶつぶつ言いながら、仕方ないので妹の元に向かう。
リュウギについていこうとするエマを、いおは慌てて制止した。
「待って。エマさんはそのままで」
「はい」
うなずいて立ち止まる、素直なエマだった。
下手な芝居を打ってまで、一体何のつもりだ?リュウギは思ったが、とりあえずその芝居に乗ってみることにした。
いおの前で立ち止まると、妹を見下ろす。
「お前をおぶうなんて、初めてなんじゃないかな」
「ん・・・うん」
見上げるいおは、兄の反応が予想外だったのか、戸惑いがちに声を返す。
リュウギは、いおに背中を見せる格好でしゃがみこむ。
「ほら」
背中を思い切りはたかれた。
「バカ。お芝居に決まっているでしょ」
強くはたきすぎた手のひらは真っ赤で、それがちょっぴり痛くて、涙をにじませながら、いおは叫んだ。
けほ、と咳き込んだ後、リュウギはすっくと立ち上がる。
「だったら一体どういうつもりなんだ」
問う口調は強い。
いおも、すっくと立ち上がる。
兄の視線をまっすぐに受け止める。
「お兄ちゃん、あの人のこと、どれだけ知ってるの」
「え?」
うかつにも、リュウギはその質問を予想していなかった。
「名前以外でも、当然知ってることあるんでしょ。学生なのかとか、社会人なのかとか、どこに住んでいるのかとか、そもそもどこの国の人なのかとか」
「お、おい」
「だって日本人には見えないんだもの。まあ、見えないだけで、確かに日本人なのかもしれないけど」
「それは・・・日本人だろう」
「やっぱり良く知らないんだ。お兄ちゃんてホントいい加減だね」
リュウギは言葉を返せない。
「もし外国の人だったら?もし不法滞在者だったら?お兄ちゃんにそのつもりがなくても、犯罪の手助けをしてるかもしれないんだよ」
「お前、よくそんなことが考えられるな」
「お兄ちゃんは何も考えなさ過ぎだよね」
「・・・・・・」
「私ね、あの人に色々聞いてみたの。どこに住んでいるんですかとか、学生なんですかとか、こんなことして家族の人は心配しないんですかとか。
ちゃんと答えてくれたよ。どこにも住んでいません、学生って何ですか? 家族、と呼べる人はもういません、て。
じゃあ、お兄ちゃんと会うまではどこに住んでいたんですかって聞いたの。そしたら、施設にいたって。ねえ、お兄ちゃん、これどういう意味だと思う?施設って何だと思う?――あの人、絶対やばいよ」
「お前・・・」
「ねえ、お兄ちゃん、警察に任せようよ。あの人、警察に連れて行こう?」
「なんてこと言うんだよ」
「でもそうでしょう。普通はそうだよ。ワケわかんない人は警察に突き出すべきだよ」
「いお!」
リュウギの一喝。
いおは口をつぐむ。
「そんなこと言うなよ。エマをまるで犯罪者みたいに」
「似たようなものじゃない」
「え?」
「似たようなものでしょ。まるでワケわかんない人なんだから。お兄ちゃんのほうがどうかしてるよ。そんな人を受け入れるなんて」
「いお!」
「私はおにいちゃんのこと心配して言ってんだよ!」
「余計なお世話だよ!」
いおの平手が飛んだ。
「お兄ちゃんのバカ!」
いおはリュウギに背を向けると、走り去って言った。
赤くはれた頬を押さえながら、リュウギは呼び止めることをしない。
どっちがバカだよ。
小さく呟いてから振り返る。
エマの姿がなかった。
「エマ・・・?」
白昼堂々、往来で兄妹喧嘩を始めたのだから、当然リュウギには、通行人たちの視線が、いくつか集まっている。
しかしそんなものを彼に気にしたふうはなく、視線をさまよわせ、エマの姿を探す。
いない。
「エマ!」
叫んでみたが、応えはない。
もしや先ほどの話を聞いていたのだろうか、聞こえていたのだろうか。
だから居たたまれなくなって・・・。
「エマ!」
ぞわぞわと、吐き気のような悪寒がせり上がってくる。
ぬるぬるとした、冷たく不快な汗が噴出す。
腹の底が抜けたような、脱力感がある。
息苦しいほどに、鼓動が早くなる。
「エマ!」
叫びながらも、リュウギは自身の変化に不自然を感じていた。
この孤独感は何なのだろうか、この絶望感は。
――まるで巨大な黒い穴のような。
同時に、一つの使命感も湧き上がってくる。
エマをなんとしても見つけなければならない。