020
ベルの音が来客を告げる。
玄関の扉を開けると、いおが立っていた。
「あの人に変な事してないよね」
「いきなりそれか。してないよ」
ため息をついて答えるリュウギの顔は、どこか疲れている。
いおは、兄の言葉をもちろん信じた。
そんなことができる度胸がないことぐらいは、もちろん知っている。
「あの人は?」
「いるよ。テレビ見てる」
兄の体越しに、部屋の奥を見る。
確かにエマは、小さな丸テーブルに肘を付いて、テレビを見ていた。
自分の家に居るみたいにくつろいでいる。
なんだか気に食わない。
「エマ。いおが来てくれたよ」
リュウギの声に、エマが振り向く。
いおを見つけると、にっこりと笑う。
「いらっしゃい。いお」
確かにこの笑顔の前では、男女の別なく、どんな小さな警戒心も抱くことが出来ず、きっとエマを受け入れてしまうだろう。
しかし私は違う。
「すみません。私のためにわざわざ来ていただいて」
「お兄ちゃんに頼まれましたから」
あなたのためじゃない――とは、さすがに言えない。
しかし言外にその気持ちがにじむ。
確かに妹はエマを警戒しているようだ。
昨夜の会話を思い出しながら、リュウギは思う。
しかしそのことをたしなめるほど強くは出れない。
頼み込んだのはこちらなのだから。
「いお、着替え、もって来てくれたか?」
「持ってきました。出ないと来る意味ないでしょ」
「うん、ありがと」
機嫌が悪いなあ、と心の中で呟きつつ
「じゃあ、エマ、着替えちゃって。俺、外に出てるから」
「どうしてですか?」
心底不思議そうにエマが問う。
「どうして、て・・・」
言葉に詰まる兄に代わり、いおが答える。
「着替えを覗くなんて、礼儀に反することなんです」
「そうなんですか?私は別にかまいませんけど」
言葉を失ったのは、兄妹ともに同じ。
「あ、いや、そういうわけにもいかないんだ。だから外に出てるよ」
するりと妹の背後に回ると、彼女の背中を押し、部屋の中へ押しやる。
「後は頼んだ」
耳元で囁かれ、いおが振り返ったときには、もうドアは閉まっていた。
こんな時だけ、兄の行動は素早い。
「もう」
唇を尖らせるいお。
仕方ないので、靴を脱いで部屋に上がる。
「これ、着替えです」
右手に持っていた紙袋を、軽く持ち上げて見せる。
エマからは、何のリアクションも返ってこなかった。
とりあえず、いおは確認する。
「お兄ちゃんから聞いてますよね」
「はい」
「じゃあ、着替えちゃいましょう」
すっと、エマは立ち上がる。
大き目のシーツを羽織っただけのようにしか見えない格好に、いおが少なからず違和感を覚えていると、エマの体から、シーツがするりと滑り落ちた。
いおは真っ赤になる。
「何で裸なんですか!」
エマはきょとんとしている。
いおがどうしてそんなに驚くのか、まったくわかっていない顔だ。
「服は!服はどうしたんですか!」
「捨てました。あまりにもぼろぼろだったので、リュウギに捨てろと言われて」
「下着はっ?!」
「つけてませんでした。最初から」
平然と答えるエマに呆れつつも、どうあっても事の真相を兄から聞きださねばなるまい――と、いおは誓った。
「とにかくこれ、着てください」
目のやり場に困りながら、紙袋を差し出す。
さすがに下着までは用意していないが、別に構わないだろう。
いつまでも裸のままでいられるわけにもいかないのだし。
エマは紙袋を受け取ると、中身を取り出し、早速それを身に着け始めた。
いおは、ほっと胸をなでおろす。
「どうですか」
着替え終えたエマが、いおに感想を聞いてくる。
「似合ってますよ」
礼儀として、そう答える(もちろん似合っているのだが)。
いおがエマのために用意したのは、ゆったりとしたワンピース。
衝動的に買ったものには違いないだろうが、いつ買ったかも思い出せない、一度も袖を通していないものだった。
へんなところがないか確認すように、いおはエマの姿を上から下まで眺める。
おかしなところは特にない。
しかしワンピースの下は、素っ裸なのだ。
でもスカート丈も長いことだし、まあ大丈夫でしょう――と、いおは思うことにした。
よほど突飛な行動をしない限り、見えないだろうから。
エマのほうでも、腕を上げたり体をひねったりして、自分の姿を確かめていたが、やがて満足したのか、いおに笑顔を向ける。
「ありがとう、いお。とても気に入りました」
「はあ、どうも」
いおは、気のない返事を返す。
ともかく、エマも着替え終わったことだし、いおは回れ右すると、ドアを内側からノックし、そっと開ける。
「お兄ちゃん、終わったよ」
いおがエマの裸に驚いたときの大声は、ドア越しに聞こえていたのだろう。
リュウギはあからさまに、ほっとした様子でうなずく。
いおはドアを全開にはしないで、そんな兄をじいっと見つめた。
「お兄ちゃん、あの人との関係、後でしっかり答えてもらいますからね」