001
ここは病院の一室だろうか?
それが第一印象だった。
四方は白い壁に囲まれている。
一方の壁にはカーテンが引かれているのだが、かすかな陰影が無ければそうと気づかないほど壁面の一部と化していて、カーテンの開けても果たしてそこに窓があるのかと疑いたくなるような不穏な空気がある。
部屋の明かりは天井にある照明のみ。
しかし、壁面自体が発光しているような淡い輝きもある。
室内を包む色は清潔な白。
しかしさらりと手にさわりのいい白さではなく、ねっとりと絡みつくような白さだ。
白い壁に押しつけらるようにして、一脚のベッドがある。
胸元までをシーツで覆われて、少女が横たわっていた。
陶磁器のような硬質な白さを持つ肌。
唇は肉感的で赤い。
細い眉がそんな唇と、どこかアンバランスである。
まぶたは閉ざされている。
夜のように黒く長い髪が、ベッドをはみ出て、流れる水のように滑り落ちている。
果たしてこの少女は生きているのか?
眠り姫をかたどった人形ではないのか?
そう思えてしまうほど、ただ眠っているのだとしてさえ、少女からは生きている気配が無かった。
少女がゆっくりと目を開けた。
視界を包んだまばゆさに目を閉じ、再び目を開ける。
やはりまぶしい。
しかしそれは天井から降ってくる明かりのせいばかりではなく、室内全体が異様に白いからだった。
少女はゆっくりと体を起こす。
シーツが音も無く滑り落ちる。
それで彼女が着ているものも、また白色だということが分かった。
さっと部屋を見渡す。
まるで見覚えが無い。
ベッドから向けだそうとしたとき、コンコン、という音が室内に響いた。
少女が身構えるより先に、壁の一部が内側に開いた。
ドアがあることに少女は驚く。
入ってきたのは二人のナースだった。
一人はすらりと背が高く、もう一人はかなりの小柄。
二人が着ているナース服は当然白かった。
「エマさん、診察の時間ですよ」
背の高いナースの声を、エマは、一体何の冗談なのかと、いぶかしみながら聞いた。
美しいナースだった。
最初に目を引くのは、光り輝く黄金色の長い髪。
その色は、世界で一番美しい色といっても良かっただろう。
ふっくらした薄桃色の唇と細い眉が好対照を成している。
瞳は、青く澄んだ空の色。
彼女とエマは良く似ていた。
違うのは、瞳の色と、唇の色と、髪の色。
彼女にナース服は不釣合いだった。
似合う似合わないとなればもちろん似合うのだが、どこか滑稽に映る。
特定の職業を表す衣服からかもしれない。
シーツを羽衣のように纏うだけでいい――彼女の美しさを引き立たせたいなら、きっとそれがベストだった。
小柄なナースも相方と同じ肌の色をしていた。
ナース帽の下には癖の強そうな赤毛がある。
血色のいい唇。
きりりとした眉。
そしてその目――その目がひときわ強く印象に残る。
どんなときでもぎらぎらと物騒な光を放っている目だった。
いつも何かに飢えて、何かを求めているような目。
その眼光のせいもあり、彼女からは危険な気配が感じられた。
獰猛な獣の気配。
彼女は始終、口をもぐもぐさせていた。
ガムを噛んでいるようだ。
「エリザベータ…ナジャ・・・」
エマは呆れた。
「一体何の冗談?そんな格好して・・・」
「似合わない?」
エリザベータ――背の高いほうのナース――が、笑いながら腕を広げて見せる。
「そうじゃなくて!一体ここはどこなの?どうして私こんなところに?お父様は?」
「心配しなくてもいずれ分かるわ」
「今知りたいの!」
微笑むエリザベータにエマは噛み付く。
エリザベータの微笑は崩れない。
「相変わらずね、エマ。本当にせっかちなんだから」
「あなたこそ。そうやって笑いながら人の質問をはぐらかすところは変わらないのね」
「誤解しないで、エマ。私だってあなたと話したいことはたくさんあるのよ。でも今はそのときではないから」
いいながらエリザベータはナジャが押してきた医療用カートから注射器を取り出す。
アンプルから液体を吸引する。
注射器に移った液体を一噴き、細い針の先から飛ばす。
エリザベータの慣れた手つきを見守りながら、エマは
「何をするつもり?」
「言ったでしょ、診察だって。エマ、あなたは長い間外の世界にいたのよ。もしかすると私たちには有害だったかもしれない外の世界に。悪い病気にでもなっていたら大変でしょ?」
淡々としたエリザベータの物言いに、エマは不穏なものを感じた。
「それは何なの?」
エリザベータが目の高さにまで掲げた注射器を見つめながら問う。その声は硬い。
「もちろんお薬よ」
エリザベータはエマに笑顔を向ける。
「大丈夫。心配しないで」
柔らかな声。
笑顔。
少女のように純真な、聖母のように温かい笑顔。
不覚にもエマはその笑顔に魅入られてしまった。
澄んだ青いその瞳に見つめられると、頭の中が霞がかってくる・・・。
「ナジャ」
声にはっと我に返る。
エリザベータからナジャに視線を移すより先に、衝撃がエマをベッドの上に押し倒した。
エマはすぐに起き上がろうとした。
しかし体の自由が利かない。
両肩が強く抑えられているのだ。
幾重にも重なる分厚い鉄板が乗せられているように、ずしりと重い。
足を跳ね上げることも出来ない。太もももがっしりと押さえつけられている。
エマは覆いかぶさる人影を睨み付ける。
「どいて、ナジャ。どきなさい!」
「やだ」
エマに馬乗りになったナジャはそっけなく答える。
ガムを噛んだままなので、声はくぐもっている。
「さあエマ、おとなしくして」
声に横を向く。
エリザベータが近づいてくる。
「やめて…エリザベータ・・・」
微笑むエリザベータ。
「やめて!」