強がりな余命宣告
付き合いはじめから、なんとなく、ずっとわかってた。
私達は、ずっと一緒にいることはできないと。
でも、まさかこんなふうに別れがくるとは・・・・・・。
ある日無茶していた体が急に悲鳴を上げた。
最初は、ただの風邪の引きはじめだと思っていた。
体がだるいだけだったからだ。
晴美は、この春、ようやくデザイン学科の専門学校に通えるようになったところだった。
それまでは、お金を貯めるため、一生懸命働いていた。
その無茶がたまり、学生になって気がゆるむと病気になったのだと思っていた。
周りは、自分より若い子達ばかりで、それを除けば働いていた頃よりずっとストレスは軽減され、ストレスは、ないに等しかったからだ。
春は花粉症が辛いと感じながら、マスクをして、晴美は病院へ向かった。
すぐに入院が決まった。
日本人の死因に最も多い、癌が見つかったのだ。
癌は、本人が想像していた以上に大きく、もはや手術で取り出せない領域まできていた。
医師は、「ここまで放っておいてよく動けているものだ」と首をひねった。
晴美は、自分の置かれた現状を自分でも驚くほど冷静に、客観的に受けとめた。
このまま放っておけば、明日にも倒れる所まできていたらしい。
強い薬は、晴美の体を蝕み、一ヵ月もすると、一ヵ月前の晴美の姿とは見違えるほど外見がかわってしまった。
彼氏である翔也とは長い付き合いになるが、お互いに忙しく、デートをする事は少なかった。
その少ないデートでさえも、晴美は適当に理由をつけ断った。
変わり果ててしまった自分の姿を見られたくなかった。
外見だけで翔也は人を嫌いになったり、幻滅したりはしない。
わかっていた。
それでも、変わりすぎてしまった自分の姿を見て、嬉しいはずがない。
そのうち、まともに体が動かなくなることも多くなってきた。
癌は、小さくなる気配を見せない。
持って後、1ヶ月だと伝えられた。
吐き気や髪の毛が抜け落ちる抗がん剤から、薬物接種にかわった。
ついに、医師からも見放されたか、と、晴美は空さえ見えない病院の窓の外を見た。
見えたのは、隣接している別館の病室の壁だけだった。
覗けば見える青空も、晴美には、覗く元気すらなかった。
いきなり、ケータイが鳴った。
画面は、翔也の文字を表示していた。
薬の体の負担が減ったおかげか、割と調子が良く、晴美はケータイを手にすると、ベッドに腰掛けながら電話に出た。
「はい、もしもし。」
『・・・・・・最近晴美、やっぱりおかしいよな。大丈夫か?何があったんだよ?』
会ってなくても、やはり気付かれるものか、と思いながら、晴美は少し笑いながら答えた。
「え?何もないよ。大丈夫、大丈夫。」
だが、ちっとも何もないようには聞こえなかった。
顔も声も、笑えてはいなかった。
声は変に擦れ、高くなり、呼吸も以前に比べてかなり浅くなっていた。
『・・・・・・晴美のお母さんに電話して聞くぞ?』
「え、何でよ。」
ケータイ越しの懐かしい声も、ちっとも笑っていなかった。
不意に窓から入り込んだ風が、ふわりとカーテンを揺らした。
クリーム色の柔らかな日差しを帯びた光が優しく、晴美には眩しすぎるようにすら思えるカーテンが弧を描いてから、網戸に張り付くまでを晴美は、じっと眺めていた。
『何でって、確認だよ。何にもないなら別に電話したっていいだろ。』
「余計な事しなくていいよ。」
晴美は、ベッドに横たわった。
ベッドが、いつもよりかたく感じた。
ベッドのきしむ音が日に日に少なく、軽くなっていくのを無視して、晴美は、ケータイに耳を押しつけた。
『じゃあ本当の事言えよ。本当に大丈夫なのか?』
晴美は、カーテンを睨むように目を細めてから、「ごめん。あんまり元気じゃない・・・・・・かな?」と告げた。
翔也は、確信したのか呆れたのかわからないが、ため息をつくと、『彼女が元気か元気じゃないかなんてな、声聞けば一発でわかるんだよ。』と言った。
時折、このような翔也の優しさは痛い。
大切だからこそ、嬉しいからこそ、離れたくないと強く願うからこそ、翔也の優しさは痛くて仕方なかった。
それでも晴美には、なんとなくわかっていた。
付き合いだした高校の頃からずっと、きっと翔也と自分は、ずっと一緒にはいられないだろうということを。
現在、付き合ってかなりの年月が経っているが、それでも晴美は、手放したくなかった。
一緒にいてほしかった。
一度手を離したらもう二度と翔也のような男を捕まえることができないとわかりきっていた。
そもそも、翔也とは、奇跡に奇跡を重ねて付き合うことが決まったようなものだった。
本来の晴美なら、翔也と付き合うことはなく、友達止まりで終わっていただろう。
翔也と過ごす時間は、あまりに心地よく、安心できた。
だけど、晴美がどんなに一緒にいたいと願っても、きっとずっと一緒にはいられない。
翔也がどうこうではなく、直感がそう告げていたのだ。
いつかは、別れてしまう。
このままではいられないと。
まさか、その別れ方がこんな別れ方になるとは晴美には予想もしなかったわけだが、晴美は、翔也の優しさに触れれば触れるほど、好きになればなるほど、怖いと思った。
自分の居場所がなくなるだけではなく、自分そのものが削られてしまうような気がした。
それほどまでに、晴美と翔也は似ていて、趣味も話も合ったのだ。
『晴美?』
「あ、うん・・・・・・。」
『そんで?どうしたの?』
翔也は、慣れた様子で晴美が愚痴り出すのを待った。
晴美は、骨と皮になった自分の腕を見てから、静かに問うた。
「・・・・・・もし、私が死んだら、翔也はどうする?」
『なんだよ、いきなり。』
「答えて。」
『俺を置いて逝こうとしないでな?俺、マジで泣くよ?』
「そうか、泣いてくれるか。なら、私も幸せ者だなぁ。」
『いきなり、どうしたんだよ?』
「いや、幸せ者だなぁ。と。」
『そうじゃなくて。』
「じゃあ、次に、私が別れようって言ったらどうする?」
俺を置いて逝こうとするなと言われても、この現状では、それは無理な話だ。
それならせめて、翔也を晴美という束縛の中から解き放ってあげようと思ったのだ。
『・・・・・・ごめん。俺、晴美と別れるとか考えられないんだけど・・・・・・え?晴美は、別れたい・・・・・・の?』
「いいから、答えて。」
ケータイ越しに、普段動揺を表に出さない翔也が、動揺しているのが伝わってきた。
いつも優しい翔也は、感情の起伏があまりないのでは?と心配になるほど感情が表に出づらい体質だった。
その彼が動揺をしている。
かなり焦っているようだ。
意味も理由もわからずに、別れたいと意味が似た言葉を言われれば、それは焦るかもしれない。
それから、翔也は、『晴美がそうしたいんなら・・・・・・。』と言った。
「そうかそうか、じゃあ、別れる?」
『え?何で?俺、なんか不味いことした?』
「違うよ。私と付き合ってても利益ないから、別れたほうがいいと思うよって。」
『利益とか、なんだよ?それ。俺の気持ちは俺が決めることだろ?晴美にそんなこと言われたくないよ。』
「やめときなよ、こんな死にかけ女。」
『・・・・・・晴美、本当にどうしたんだよ?』
「私、死ぬの。」
その言葉は、あっさりと出てきた。
まるで、死を弄ぶかのような簡単な響きだった。
死を死として扱っていないようにさえ、受け取れた。
『・・・・・・は?いや、まてまてまて!早まるな!今どこにいる!?どっかの屋上とか、言うなよ!?』
晴美は、ちょっとした出来心から、「じゃあ、どっかの屋上。」と返した。
『ふざけるなよ!マジで今どこにいる!?』
どうやら、翔也は、こちらが自殺をする気だと思っているらしい。
「・・・・・・ベッドの上。」
『まわりに刃物は!?』
「ない。」
『家だよな!?』
「病院。」
『・・・・・・は?』
「だから、病院。」
『病院?なんで・・・・・・自殺未遂でもしたのか?』
「してないから。」
『じゃあ、なんで・・・・・・。』
「・・・・・・言ったでしょ?こんな死にかけ女やめておけって。」
『やめるわけないだろ!こんな時こそ、傍にいるべきじゃないか!』
いつも優しい翔也が、いつになく怒鳴り声を発していた。
窓の外には、相変わらず薄汚れた壁だけが存在していた。
窓の外側に柵がなければもう少し広々とした景色が見られるのかもしれない。
『病院どこ!?』
「来ないで!」
『何で?』
「・・・・・・来ないで。私、ずいぶん変わっちゃったから。来ないで。」
『・・・・・・俺は、外見だけで判断したりしないよ?』
「わかってる・・・・・・でも、今までの比じゃないよ。まるで別人。だから、来ないで。」
『・・・・・・どうしても?』
「私が、見られたくないよ・・・・・・怖いし、自分の姿を見るのさえ嫌なの、だから・・・・・。」
『・・・・・・わかった・・・・・・ここは、晴美の意志を尊重す・・・・・・るよ・・・・・・。早く退院しろよ。』
「私が、骨になったらね。」
『・・・・・・退院、できるんだろ?治るよな?』
「・・・・・・このまえ、医師にも見放されたところ。」
『前言撤回。病院どこ?言わないなら、晴美のお母さんに聞き出すよ?』
「・・・・・・私のこと、かすみそうって聞いたり見たりしても、思い出さないでね。じゃ、さよなら。」
晴美は、電話を切った。
もう体力の限界だった。
そのまま目を閉じると、妙に自分はこのまま死んでしまうのだな、という実感がわきだしてきて、震えが止まらなくなった。
そんなときでも、睡魔は襲ってくる。
目が覚めたとき、晴美の母がベッドの隅に腰掛けていた。
「・・・・・・お母さん?」
「あら、晴美。起きたの?」
それから、「彼氏にも病院の名前くらい教えてあげたらいいのに、心配してたわよ。」と付け足して弱々しく笑った。
ずいぶん気疲れしてしまったのだろう。
自分が弱くなることで周りにも迷惑がかかってしまう。
こんな姿、見たくなかった。
「お母さん、もう帰っていいから。ちゃんと寝て。私は大丈夫だから。」
無理やり母親を病室から追い出すと、体が痺れてきた。
もう全ての感覚が狂ってきたようにさえ思う。
自由に指が曲がらなくなり、書けていた文字も、書けなくなってきた。
抗がん剤ではないだけ、体の負担は減ったし、もう延命治療する必要はないと、ふっと遠くを見た。
外は暗くなっていた。
電話に出るべきではなかった。
後悔が晴美を襲う。
翔也が理由を知れば、別れないと言い張るに決まっていた。
なのに告げてしまったのだ。
自分が病気である事を。
もう、余命も短い事も。
峠は1ヶ月後。
いや、数週間後。
それまでもつかもたぬかの瀬戸際である今、明日、自分が死ぬかもしれなかった。
やはり、別れるべきだった。
理由を告げづに別れれば、嫌われてしまえば、翔也の傷は最小限で押さえられるかもしれない。
だけど、伝えてしまった。
いつもみたいに甘えてしまった。
翔也の隣は、私にはあまりにも居心地がよすぎる。
きっと今のこの考えを伝えれば、翔也はまた怒るだろう。
もっと頼れと言ってくれるだろう。
だから私は甘えてしまう。
それがさらに傷つけるかもしれないと知っていて。
忘れていいよ。
うそ、忘れないで。
だから最後の最後まで往生際悪く、かすみそうと聞いても思い出さないでねなんて伝えてしまった。
かすみそうは、なんとなく好きな花だった。
華やかなわけではないけれど、紫陽花や桜といった花も好きだが、かすみそうが何故か一番好きだった。
私のお墓には、かすみそうが飾られるのかな?なんてうすぼんやり考えているうちに、寝てしまった。
翌朝、翔也が来たのであわててカツラをかぶり、口に綿を詰め込んで肩まですっぽりと毛布をかぶった。
「そんな事してる元気あるなら退院、できそうじゃん。」なんて翔也は笑ったが、それは私の濃い化粧に対して述べた感想で、目もあてられぬ程痩せ細った私の姿を見て言ったわけではなかった。
「明日、もし私が死んだら、どうする。」
「しゃれにならんこと言うな、お前は。」
「新しい恋しなよ、翔也。」
「あほか・・・・・・俺の初恋は晴美だぞ。」
「うん、それだけで十分。私の最後の恋は、翔也だ。」
「まだ、生きててくれよ。」
「余命宣告、1ヶ月。1ヶ月ってたったの四週間くらいしかないんだよ。知ってた?それ考えたら、あともって二週間。私はこうして話ができるだけ奇跡。」
「だから、そーいうこと言うな。」
「私は幸せだったよ、ありがとね。」
「晴美?」
「ごめん。少し寝かせて・・・・・・。」
―――――――
翌朝、彼女は死にました。
俺が昨日見た姿とは全く違っていました。
目は落ち窪んでいたけど、頬はこけていて、血色はわるく、体は骨と皮だけのようでした。
死んだことが信じられずに俺は茫然と立ち尽くしました。
もっと早く異変に気付いていればよかったと、もっとたくさん連絡をとればよかったと、自分を怨みました。
そして、最後の最後まで彼女に無茶をさせていた自分に無性に腹が立ち、何もかも、やるせなくなりました。
四十九日が終わり、ようやく放心状態から抜けてくると、初デートの時、「私は下心あるからね(私のこと、離れてても忘れないでね)。」と笑ってくれたプレゼントを目にし、人知れず、泣きました。
目が痛くなり、苦しくなり、中学時代から想っていた記憶が頭の中で大量に流れていきました。
彼女が、彼女意外に全くいなかったわけではありません。
一度は、彼女を忘れるべく、別の彼女と付き合い、その人を好きになったこともありました。
俺はそれでも彼女をまた好きになりました。
その願いが届いたのは高校二年の秋でした。
それから俺たちは付き合ってきましたが、こんな別れ方をするなど、誰が想像できたでしょう?
あまりの自分の無力さに、すべてやる気をなくした俺は、髭をそることさえせずに、目を泣き腫らしたまましばらく放心していました。
晴美、元気でやってますか。
俺はきっと君をずっと忘れないでしょう。
初めて俺らが出会った中2の春から考えても、俺たちの付き合いは長すぎた。
きっと年寄りになって、認知症になって、君が死んだことさえ忘れても、俺には君を忘れる事はないでしょう。
俺はまだ死ぬことはできない。
だから、寿命を全うするまでもうしばらく、そこで待っていてください。