ゆっくり
あれは、小学校、何年生のときだったか。
授業中に女の先生が言った。
「ここは、ゆっ……くり、読むところです」
オレとソウジは授業を聞いていなかった。
見ているのは黒板ではなく、その途中にある何かだ。
でも、その言葉だけが、なぜかオレとソウジの頭に突き刺さった。
「ソウジ、ゆっ……くりだ」
「ああ。ゆっ……くりな」
次の授業が始まっても、
「ゆ……」
オレ達は、それを続けた。
どっちが、間を大きく開けるのか。
それを真剣に競っていた。
その日が終わると、日をまたぎ。
「……くり」
どれだけ長く開けたのか。
その戦いは「くり」という言葉が入ると負けるルールに変わった。
いつしかそれは週をまたぎ。
月をまたぎ。
「くりやまくん」
オレがそう言った瞬間、長い戦いが終わった。
くりやまくんが席替えで、オレの隣りに座っていたのだ。
ソウジはまだ、「くり」を言っていない。
やっちまった。オレの完敗だ。
それから、小学校卒業と同時にソウジとは会わなくなった。
オレが遠くへ引っ越したからだ。
以来、ソウジとは一度も会っていない。
何十年目かの秋。
小学校が廃校になることを知った。
最後に見ておこうかと、オレははるばる、かつての学び舎を訪れた。
足取りは軽く、駆け出したい気持ちが湧き上がる。
街並みはすっかり変わってしまったが、街路樹や電柱の位置はあの頃のまま。
気が付いたら、オレは、あの時の帰り道を辿っていた。
だが、その先にあったのはソウジの家ではなく、見たことのないマンション。
こんなもんかと、顔を逸らすと、変わっていないものが片隅にひとつ。
ソウジと同じ年月を生きていると聞いた、クルミの木。
それは、オレの身長よりも遥かに高く。
おそらく、当時のソウジの家よりも背を伸ばし、高いところから枝を広げていた。
オレはふと、思い出し、その木に近づく。
地面には、枝から落ちたクルミが散乱している。
昔はよくこれを喰って腹を壊した。
記憶を辿る。
たしか道路側。
目印は何もない。
木と道路の位置。日差しの向きと影の長さ。
場所ではなく、感覚だ。
ただ記憶のままに、地面を掘った。
道具が無いので手掘りだ。
オレとソウジのふたりで埋めた、宝箱。
それがこの下にあるはずだ。
どのくらい掘っただろうか。
途中から、土がずいぶん柔らかい。
固い手触りを感じて、土の塊を掴み上げる。
オレ達が埋めたそれは、箱の形をした土だった。
オレは、慎重に土を払い落として、蓋を掴む。
何を入れたのか、まったく覚えていない。
くだらないオモチャやシールだろう。
そう思って、箱を開けた。
でも、何も入っていなかった。
中にあったのは黄ばんだ紙切れが1枚。
ボールペンで書かれていた。
「くり」




