09
「マースターぁ、早く、早くぅ」
急かされて、私は両手に紙袋を抱えて車に戻った。
「そんなに焦らなくたって、すぐに溶けたりはしないよ」
それでもアンドロイドは早く、早くと私を急かした。そのアンドロイドの両手にも、やはり紙袋がぶら下がっている。
「バニラでしょ、チョコレートでしょ、オレンジジュースでしょ」
袋の中身を検分しながら、アンドロイドは至極ご満悦の様子である。
事の発端は、昨夜だった。
夕食時、メニューは八種の野菜スープと、パンとフルーツ。お隣男は私の斜め前で、自ら焼いた肉に胡椒をかけて食べている。
円形の食卓。お互いに百二十度の角度で座って食事を取るのが、最近の日課になっていた。隣の家に住むお隣男も、食事の時は私の家に来る。
そして私の右斜め前では、アンドロイドがつまらなさそうに液体燃料の入ったマグカップをもてあそんでいた。カップをぐるぐる回すから、中身が零れてあちこちに飛んでいる。
「僕だけ、こんなの。つまらないのです」
ふてくされている。
「こんなのって、それがお前の食事なんだろう?」
「だって、おいしくないんだもん」
アンドロイドの言い分も解らないでもない。カップになみなみと注がれている灰色とも蒼ともいえない液体は、確かに見るからに不味そうだ。
「そういうのって、お前には美味しく見えるものなんじゃないのか?」
虎や獅子が生肉をご馳走と感じるように、アンドロイドもそういうものだと思っていたので、少し意外だった。
「知らないよぅ」
ブツブツ良いながらも、アンドロイドは液体燃料を口に含んだ。本当に不味そうに飲むのを見ていると、私の食事も不味くなってくる。だからと言って、アンドロイドには胃も腸もないのだから、私と同じものを食べさせるわけにもいかないのだ。どうしようもない。
「あぁ、そうだ。君にお土産があるんだ」
昼間、街へ降りていたお隣男が、立ち上がって台所へと消えた。戻ってきたその手には、ケーキの箱がある。
「なに、それ」
「ケーキだよ。アイスクリームでできてるやつ」
「いや、そうじゃなくて」
このタイミングでこんなものを出すなんてどういうことだと、男を見上げると、男は朗らかな笑みを返してきた。
「違う違う。嗜好品として、液体に還元できるものなら、食べても大丈夫なんだって。ちゃんと確認してあるから大丈夫だよ」
「…………ほーぅ」
思わず関心する。これも製作者の遊び心なのだろうか。そんな機能まで備えているなんて、もしかするとこのアンドロイドには胃や腸まで搭載されているかもしれない。むしろ搭載されていても、もう驚かない。
アンドロイドは眸を輝かせて箱を見ている。
「だって。良かったな」
「コレ、食べていいんですか?!」
「そう、そのために買ってきたんだからね」
歓声を上げて、アンドロイドはケーキの箱を開けた。液体燃料はすでにテーブルの端に追いやられている。
「こら、そっちをちゃんと飲み終わってからだぞ」
叱ると、あれだけ渋っていた液体燃料をそそくさと全部を飲み干した。
「これは? こっちは?」
「こっちはバニラ。こっちはチョコレート。これはミント味だねー」
アンドロイドは三色のホールケーキにざっくりとスプーンを入れると、嬉しそうに頬張った。
「冷たいのです! 甘いのです!」
「おまえ、甘いとか解るの?」
「味覚が糖分を検出したのです!」
味覚が搭載されていたのかと、私とお隣男は顔を見合わせた。
「俺の分も食べていいよ」
「食べ過ぎて、お腹を壊すなよ」
結局アンドロイドは、一人でホールケーキを全部を平らげて、至極ご満悦だったのである。
というわけで、私たちはアンドロイドの嗜好品を求めて、街まで降りてきたのだった。
「言っておくけど、アイスクリームは一日一個だからな」
ハーイと気前よく返事をするが、どこまで守られるのか解ったもんじゃない。それでも、能天気なで上機嫌な顔を見ていると、こちらまでつられて笑ってしまう。
食は生活の中で大きなウエイトを占める。人間と行動をともにし、感覚も人間に近づいているアンドロイドが、そのうち人間の食べ物を羨望しだすことを考えた上での機能なのだろう。私は、アンドロイドを造りだした技術者たちの遊び心に、感謝した。
「それにしても、街はずいぶんと寂しくなりましたね」
「そうだな」
何度か、アンドロイドを街に連れてきたことがある。私も久しぶりに街へ出たのだが、車を走らせていても、シャッターがやたらと目に付く。確かに以前は、もう少し活気があったように思う。
「ここにも、たいぶ砂が入り込んできたからな。みんな住みやすい場所へ移動していくのさ」
ステアリングを切りながら、飛んでくる砂に目を細めた。
「アイスクリーム屋さんは、いなくなったりしませんよね?」
「さぁ、どうだろうね」
アンドロイドの問いを、適当にはぐらかす。もっともアンドロイドは、はぐらかされたとは気づかずに、袋の中身に夢中のようだ。
そうして私たちは、立ち上る砂塵の中へと潜っていく。