02
乾いた風が皮膚に当たる。この分じゃ、着くのはお昼を過ぎるかもしれない。
首に引っかかっているストールを巻きなおした。さっき転んだ時に、ほどけてしまったみたいだ。
日差しが強いから、帽子代わりに頭からかぶる。それを首に何回か巻いて、ハイ、出来上がり。
マスタは僕の髪をキレイだと言ってくれた。今は日差しで随分と褐色化してしまったけれど、美容も大事、紫外線は敵だ。最低限のケアを怠ってはいけないのだ。
直線距離なら、ほんの数百メートルの道。
昔なら、行くのに数分で済んだ道のり。でも今は、僕の足では数時間もかかってしまう。砂丘を登ったり降りたりする代わりに、僕は砂のてっぺんを、山の峰を縫うように歩く。
この道を何回、僕は歩いたかな。今日で何回目だろう。数えようかな。やめておこう。だって、着いたから。
少し先で、地面が途切れていた。砂は崖なんておかまいなしに、潔くサラサラと落ちていく。
その手前、そこが僕の目的地だ。僕は腰を下ろした。
「マスタ、僕ですよ」
砂から、少しだけ頭を出している石。積もった砂を払い落とす。
「今日もずいぶん、埋もれましたね」
昨日より嵩が高くなったぶんだけ、砂を掻き出す。
「日差しが強いです。これをどうぞ」
僕は自分のストールを外して、一枚を渡した。
風で飛ばされないように端と端を結ぶ。二枚重ねで持っていたのだ。僕に抜かりはない。
「まったく、道路事情は最悪です。今日は二十六回も転びました。あいかわらずです」
自分のストールを巻き直すと、僕は向き直った。
「さて、今日は何の唄を歌いましょうか?」
僕はここで、夕暮れまでを過ごす。
それが僕の日課。
陽がすっかり落ちてから、マスタの家に帰る。
玄関前の砂を掻き分けて中に入って、靴箱の上に置いていた水瓶を外に出す。
マスタの鉢植え。サボテンっていう。今はこれだけ、他はみんな枯れてしまった。マスタが大事にしていた花も、草も、木も、ボンサイも。
――――ボンサイ、渋い趣味。
そう言ったのはお隣さん。やっぱり、今はもういない。
マスタのボンサイも、もうこれしかない。
そうだ、マスタの部屋。ドアの前にある砂をどけよう。これ以上積もると、どかすのが大変になる。
部屋の隅からホウキとチリトリを持ってくる。でも掃いても、掃いても、あまり変わらない。これじゃダメかな。
どうしよう。どうしようかな。そういう時には頭を使え。ハイ、マスタ。
チリトリで掬うようにして、砂を外まで運んだ。
終わるまで、一六七七一秒。僕はお掃除専門じゃないんだからね。マスタ、仕方ないんだからね。
また砂が積もると面倒だなぁ。ここのドア、もう開けておこうかなぁ。
ちょっとだけ考えて、僕は少しだけドアを開けた。マスタの部屋、勝手に開けると怒られるから、ちゃんとノックをする。
「マスタ、入りますよ」
マスタがいない時に、勝手に入ると怒られる。
でも、もう何回も怒られたことがあるから、平気なのだ。だって僕は、マスタの部屋が大好きだから。
久しぶりに入るマスタの部屋は、砂こそあんまり積もってなかったけれど、埃がすごかった。ドアを開けた瞬間に舞い上がって、窓から差し込む月明かりに、少しだけ反射した。
マスタの部屋は、前より少し汚れている。でもそれ以外は、何も変わっていない。
作業用の大きな机。それに椅子。窓辺にも椅子。こっちのはゆらゆら揺れる。僕専用だ。
それから大きな本棚がたくさん。本もたくさん。向こうまで続いて、あっちの陰にはドアがある。マスタの寝室だ。
マスタの椅子には、少しだけ砂が積もっていた。
軽く払うと、縁からさらさらと落ちていく。作業用の椅子はマスタの専用。だから僕は、いつもと同じように、ゆらゆら揺れる椅子に座った。
ここに座って、マスタとたくさんお話をした。ゆらゆらするのが楽しくて、いつもちゃんと座りなさいって怒られた。
マスタは机に向かっていたり、窓辺で本を読んでいたりしながら、僕の話を聞いてくれた。
マスタは本を読みながら、僕の唄をつくりながら、それでも僕が話せば、いつだってちゃんと聞いてくれた。
たまに相槌を忘れられたり、追い出されたりしたけど、それでも僕が話している時は、耳だけはちゃんと僕に向けてくれていた。
マスタ、会いたいな。マスタとおしゃべりがしたい。
今夜も、空に雲はない。
月が蒼くて、空も蒼くて、とてもキレイだから、マスタにも教えてあげたいと思う。
でも、いつも僕だけが、夜を越えていく。
たくさんの夜が過ぎていって、忘れないうちに、今日も僕は掌のネジを巻く。
檻のように沈む夕陽。
少しずつ擦り切れていく指先。
宵と暁が混ざり合うたびに、歯車は軋んだ音をたてる。
古い柱に刻まれているのは記録と記憶。
砂がつまって、時計の振り子は動きを止めた。
やがて、サボテンも枯れた。