10
猛暑が続く。
雨は少なく、埃がひっきりなしに宙を飛ぶから、水撒きを兼ねて、庭の木に水をやっておくようにとアンドロイドに伝えておいた。
最近、世界はやたらと暑い。空気も乾き、かと思えば、突然豪雨がやってきたり、冷え込んでドカ雪が降ったりする。世界は少しずつ、デタラメに造り返られている。
どうなっているのか、正確な情報はいつだって私たちのような末端の人間までは降りてこない。
解らないから、世間は無駄に不安を騒ぎたて、自ら不満を煽って増長させていく。
手元に、一通の手紙があった。
目の前にいるお隣男が、黙って私を見ていた。
世間を転がしている人間たちは、私たちのことなどお構いなしに、新しい世界を造ろうとしているらしい。前から薄々感じていたが、手紙を読んで、それが確信に変わった。
「マスタ。水やり、終わりましたよ」
「ありがとさん。庭の木、まだ生きてた?」
「水をあげたら、生き返りました」
「裏の盆栽は?」
「水をあげたら、生き返りました」
それまで私を見つめていたお隣男が、そこでふっと笑って視線を外した。
「ボンサイって、渋い趣味だよねぇ。爺さん婆さんかっていう話」
どうやら彼は、盆栽という単語を聞くたびに、そう言わずにはいられないようだ。もちろん私は、彼の呟きをいつものように聞き流す。
「そ、ご苦労さん。冷蔵庫にアイスがあるよ」
労ってやると、アンドロイドは歓声を上げて、キッチンへと駆けていった。
「買ってきたのは俺なんだけど」
「ありがとさん」
お隣男にも同じように労ってやると、彼は苦笑して片手を上げた。
「それにしても、暑いねぇ」
窓の外に視線をやって、お隣男が小さくぼやく。つられて私も外を見た。
そろそろ夕暮れだというのにと炯炯とした太陽が、世界を焦がす勢いで一面を照り付けている。熱を消費しきれずに、至るところで陽炎が立ち昇っていた。もはや蝉も鳴かない。
「南のほうで、またひとつ、街がなくなったそうだよ」
世間話の延長のように、お隣男がそう呟いた。
「前から、半分以上が砂に侵食されていたらしいけどね。今は住民も全員避難が完了して、街は完全に飲まれたっていうのが、噂話」
私はお隣男の顔を見据えた。
「――――で、噂話以外の話は?」
「結局、避難した人間なんて一人もいなくて、全員まとめて処分されたっていうのが、多分、本当の話」
ふぅんと、私は手元の手紙に視線を落とした。愛想の欠片もない、淡々とした文字の羅列。それを見ながら、私もひとつ『噂話』を思い出す。
「東のほうでは、新型のウィルスが発生したらしいね。近隣は軒並み『処分』の嵐。ここも、いつまで保つのかなぁ」
「ここは、まだもう少し大丈夫だよ。君がいるし、俺もいるしね」
「当てにならないな。私はコレに興味がないし、切られるのはきっと早いと思う」
台所から、アンドロイドの呑気な歌が聞こえてくる。私たちの間に、少しの沈黙が降りた。
「君は、避難所には行かないの?」
手元の手紙。それは避難所への招待状だった。
「俺も、君も、望めばシェルターに入ることが出来る。席が確保されているんだ。許されているのは、認められているごく一部の人間だけだ。俺たちは認められているんだよ」
いつになく真剣なお隣男に、だが私は首を横に振った。
「止めないよ。好きにすればいい。ただ、私は行かないと思う。悪いけど」
手紙はあくまで『招待状』だ。強制的なものではない。お隣男の言うとおり、私たちは顔も知らない『エライ人』から選択肢を与えられた。でも、私は思うのだ。
「結局のところ、どこに逃げたって、行き着く先は一緒でしょ」
それならば、わざわざ惑わされることもない。後々悔いるような選択をしたくないと思う。
私たちは少しの間、見つめあった。先に視線をそらしたのは、お隣男だった。彼は少し困った顔をして、溜め息を吐く。
「実は、君ならそう言うんじゃないかって思ってた。でも俺も諦めないよ」
「酷くなる前に、とっとと避難しといたほうがいいんじゃないの?」
冷やかすと、「俺を追い出したいのかよ」と、お隣男は憮然とした。
「いいかい、君は俺の飯の種。ずっと一緒にやってきた相棒だろ。置いていけないし、俺ひとりが逃げたって意味ないっつーの」