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封印の姫と最後の騎士  作者: ラーナ


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プロローグ

プロローグ




  ——さもなくば戦火を覚悟せよ。




 夕刻を告げる鐘の音が、胸に響いてくる。


 死者の眼のように、濁った灰色の空を透かすステンドグラスを、リアム=ヴェルセリオン=ノルヴァンは腕を組んだまま見上げていた。


 ステンドグラスの色硝子が作る、祈る聖女アマリアの姿。


 みぞれ混じりの雨粒が、そのガラスの聖女の瞼に当たり、涙の一滴を描き添える。


 祭壇に跪くアルフリーダの声は細く、壁際のリアムには届かない。


 鐘の音、雨音、そこに姫君の祈りが混じる。


 祈りの文言が終わる気配に、リアムはゆっくりと壁から背を離し、異母妹に向かって歩き始めた。


 冷え冷えとした石の床を踏むブーツの音が、高いアーチの天井に吸い込まれていく。


 祈りの声は止んでいた。だが、彼女は絨毯の上で膝を折ったまま立ち上がろうとはしない。まるで、ステンドグラスの聖女そのもののように。


「アルフリーダ」


 華奢な肩が、微かに震えるのをリアムは見た。衣擦れの音を残し、アルフリーダがゆっくりと立ち上がる。祭壇に捧げられた幾つもの蝋燭の炎が、姫を引き留めるように、ゆらりと揺らめいた。


 リアムと同じ紫の瞳は、彼を見ていない。両手も、彼を拒むように絹のマントの中に隠されている。


「こちらだ」


 リアムは容赦なく、手を差し伸べた。


 わずかの間を置き、アルフリーダはまるで薄氷の上を踏むように、そろりと足を踏み出した。リアムの唇が、笑みの形に歪む。


 アルフリーダの左手が伸び、リアムの掌に重ねられる。その刹那――


「……っ!」


 突如、彼の掌の上を、小さくも鋭い光が霞めた。遅れて、痛みが襲う。


 思考より、体の方が先に動いた。アルフリーダの手から短剣が滑り落ち、微かに血の飛沫が飛ぶ。


「そんなに、私が憎いのか?」


 片手で、アルフリーダの手首を捻じり上げる。


 血が滴るのも構わずに——。むしろ、その痛みごと、自分を傷つけた相手を抱き寄せる。細い体が、リアムの腕の中で彫像のように強張った。


「憎くはありません。ただ、今一度考え直して頂きたかっただけでございます」


「ほう。お前は誰かの心を、剣で動かそうと言うのだな?血は争えぬものだ」


 僅かに唇を近づけると、案の定アルフリーダは顔を背けた。はちみつ色の髪からベールが外れ、ふわりと音もなく落ちる。


「…私を、隣国へやって下さい。それしか戦争を止める手立てがありません」


 リアムは眉を上げた。


「隣国へやれだと?政略に用いるために、お前を呼び戻したわけではない」


「陛下のご恩情には、感謝しております。ですが、私はエルノヴァの姫です。ザイレムでも、アヴァリーでも、どこへなりと嫁ぐ覚悟はできております。どうか陛下のご英断を——」言葉の最後が悲鳴に消える。


蠟燭が一つ震え、音もなく光を失った。


「お前はなぜ、私を”陛下”と呼ぶのか?」


 白い手首に、リアムの指が食い込む。アルフリーダは痛みに歪んだ顔を上げて、リアムを見つめ返した。


「私は…、臣下です」


 言い切るその目の中に、炎が燃えている。


 紫焔。王族の証。幼いころから見知っているとは言え、今それが自分に向けられていることに、リアムは小さな痛みを覚えた。まるで、身を噛む細い棘のように。


「なるほど、良かろう。お前は私を王として見ているのだな?ならば、王として命じる。お前はどこにも嫁がせぬ。それが国の決定だ」


 リアムの手の中で細い手首がわずかに軋んだ。アルフリーダの届かない抵抗がそのまま彼女に跳ね返り、小刻みに拳を震わせる。


「…両国が敵に回れば、わが国に勝機はありません。戦火に呑まれ、灰になるまで焼き尽くされることでしょう」


 リアムの脳裏に、両国の親書の文面が浮かぶ。丁寧な文言に包まれた忠告。礼節の皮を被った干渉。そして、どちらも言う事は同じ。”姫を、我が国に差し出せ。さもなくば、戦火を覚悟せよ”


 リアムは唇を歪めた。


「戦火、か。さて、どちらが戦火に呑まれるのか?」


 アルフリーダが息をのみ、その視線が床に転がった短剣を探る。


「どこを見ている?」


 手首を放し、リアムは代わりに顎へと指を滑らせる。こちらを向かせるのは造作もない。指先一つで事足りる。だが紫焔の瞳は、床の短剣から離れない。


「剣と言えば、エクリア=ノクスはどうした?」


 震える唇が、キュッと引き結ぶ。


「唇を噛むな。…まあいい。私には、あのような遺物は不要だ」リアムの声が静かに熱を帯びる。


「もうじき私は”竜”となる。ヴェル=ノクスの源流に触れたその時には、もはや脅威と呼べるものはなくなる。ザイレムも、アヴァリーも。お前が継承したエクリア=ノクスも。そしてお前自身でさえ、全てが私の前に跪くだろう」


 雨音が勢いを増し、紫焔が冷たく吹き込む風に揺れた。アルフリーダの肩が、逃げ場を求めてわずかに身じろぐ。


「その日まで、お前を封じる事にする。なに、待ちわびる必要はない。お前の美しさが損なわぬよう、時のくびきすら断ち切ってやろう」


 リアムの手が再びアルフリーダの手首を乱暴に引き上げる。彼女の喉から漏れた声が、雨音の隙間を縫って、リアムの耳に届いた。痛みと恐怖の音色。彼女がその旋律を奏でる度に、ひどく静かな熱が灯る。


 リアムは、そのまま抵抗する隙を与えず、扉に向かって歩き出す。アルフリーダが自分の手中にあると言う実感が、彼を満たしていく。冷たく。深く。


 彼のブーツに、コツンと固い短剣の柄が当たる。それは彼の注意を引きもしない。リアムの視線は前だけを向いている。”物”が手離した”物”に意味はなく、ただ無力な抵抗の残滓に過ぎない。


 アルフリーダのドレスが床を擦る音を耳に、彼は礼拝堂の扉を開けた。


湿気を帯びた冷たい空気が胸の内側に流れ込む。中庭に居並ぶ騎士たち。雨に打たれた銀のヘルムから、粘り気のある水滴がしたたり落ちている。誰もが俯き、こちらを見ようとはしない。


 リアムは、礫のような氷混じりの雨の中をアルフリーダの手を引き、主塔へ足を向けた。彼女の髪を容赦なく霙が打ち付け、微細な氷の粒が、金の髪に絡まり鈍く光る。


 主塔へ向かう階段の傍らの騎士。何故か、その姿がリアムの目を引いた。肩をこわばらせ、固く握りしめた拳はかすかに震えている。


 ”道具”が…何を考えている?


「そこの者」


 騎士の肩が微かに跳ねる。リアムは、ヘルムの向こうに隠れた騎士の目を一瞥した。


「何か、言いたげだな」


 俯いていた騎士がゆっくりと顔を上げると、握った拳を胸のあて、服従のポーズを取る。


「…ノルヴァン王…。恐れながら、 血が…」


 リアムは自分の掌を見下ろした。落ちた霙が、流れる血と交じり合い、掌の筋を伝って石畳にまで細く、赤い筋を引いている。


「お前には、これが血に見えるのか?」


 リアムは掌を下ろし、ゆっくりと騎士に近づいた。アルフリーダが躓き、微かな声を漏らす。リアムは若い騎士の目の前に、掌を突き付けた。


「これは、涙だ。我が愛する妹の、な」


 騎士の喉がピクリと動く。だが言葉は出てこなかった。


 次の瞬間、空気が震えた。遠く、尖塔の上で鐘が鳴る。


一度、二度。三度——。その音は、まるで世界の終わりを告げるように、静かに深く、冷たく濡れそぼつ夕闇を、夜へと塗り替えた。








 その夜、光が空を裂いた。全ての光という光。色という色を混ぜ合わせた揺らめきが立ち上り、濡れる夜空の上で、一つの形を成した。


 異世界ヴェル=ノクスの竜。——ヴェル=アリム。


 竜が王を飲み込んだと言う者。王が竜を纏っていたと言う者も。いずれにせよ、その光が終わりの始まりだった。


 先に、鉱山と軍事に秀でたザイレム。次に、騎士の誉れ高きアヴァリー。飛来したヴェル=アリムが放つ光は、神々しいまでに妖しく、禍々しいと思うには美しすぎる輝きで都市を包み込んだ。


 人々は光に魅了され、ただただ空を仰いだ。領民も、騎士も、貴族も、そして王族も——。


 果たして、誰が悲鳴を聞いただろうか?


 ヴェル=アリムに魅了された者は、亡者ノクスベインとなり果て、互いに互いを殺し合った。


 空には竜。地には死者。生者に逃げ場はない。


 二つの大国は、わずかな時の間に灰と化した。


 やがて静寂が訪れる頃、ヴェル=アリムは姿を消した。


 かつて二つの大国があった場所には、草木も生えず、崩壊した町と、永劫の時をさまよい続けるノクスベインだけが残された。

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