考える足(後)
鳴海さんが大学一年だった、ある夏の日。
芽衣が、ふと思い出したように言った。
「そろそろあれじゃない?」
【リベロ】の一角で、4人で駄弁っていた俺たちは、その言葉が意味することは察しがついていた。
この地域ではこの時期、小さなお祭りがある。
小さなとは言っても人出は多く、締めの花火は地元でも評判だった。
その発言に丸岡は「行こう」と言った。
俺と鳴海さんも賛成した。
もう何度も繰り返したやり取りである。
芽衣が提案し、丸岡が真っ先に賛成。
俺と鳴海さんも少し遅れて賛成する。
鳴海さんはもうすっかりこの店にも、この面子にも馴染んだ。
もはや、このお店に関しては俺よりも常連かもしれない。
ほとんど顔を出しているし、丸岡も行くときはいつもいるとか。
とてもここが気に入ったようだ。
そうして、当日の予定を相談しつつ、俺たちは祭りの日を迎えた。
集合については現地集合ということになった。
俺は会場までのんびり歩きつつ、階段まで来ていた。
隣には緩やかなスロープ状の砂利道がある。
この祭りは地元の河川敷で行われ、車道とは別に、歩行者用のスロープも設けられている。
ふと見ると、歩行者用の道で鳴海さんが立ち往生していた。
そっと近づくと、彼女は助かったみたいな顔で事情を話してくれた。
少しの段差ができており、今の車椅子の力だとうまく越えられなかったようだ。
見える段差はたった五センチほど。俺なら、何も気にせず越えてしまう高さだった。
俺は、あの時と同じように車椅子の取っ手を握り、後ろから押し上げた。
鳴海さんは、ありがとう、と言いながらはにかみ、俺たちは他の二人と合流するのだった。
合流した俺たちは、出店を回った。
早めの時間に集まったため、人はまばらだ。
出店を一通り周り、近くの開いているスペースで駄弁っていた。
そして、いよいよ花火の時間だ。
花火は盛大に上がり、夜空と一緒に俺たちを照らしていた。
ふと、鳴海さんの顔を見る。
花火に照らされた彼女はとても綺麗だった。
恒例の花火が終わったことで、皆帰り始めていた。
俺たちもその流れに乗る。
前に芽衣と丸岡、俺は鳴海さんの車椅子を押していた。
ふとなんだか違和感がある。なんだろうか。
謎の違和感の正体を探ろうと周りを見ると、分かった。
俺たちを追い越す人たちが、鳴海さんを見ている気がした。
すれ違う瞬間、視線が斜め下へ落ちていく。
その視線が、好奇なのか、同情なのか、それとも別の何かなのか。
俺には分からなかった。
鳴海さんは、気づいているのかいないのか。
たまに俺を見て、「ごめんなさい」と小さく言う。
何に対しての謝罪なのか、俺には分かってしまう気がして、余計に胸が詰まった。
そんな気に病むことはないのに、と思いながら、もしかしたら彼女はこれと似たことを毎回経験しているのだろうか。
さすがにそんなことを聞くわけにはいかない。
ただ俺は、車椅子の取っ手を少し強く握りしめた。
里桜と知り合って数年が経ち、俺と鳴海さん――里桜は付き合うようになった。
俺は社会人1年目、里桜は大学4年生だ。
社会人という大きな節目を迎えて、日夜てんやわんやだ。
それでも、優しい先輩たちにあたり、充実した日々を過ごしている。
そして、里桜との時間は大事にしている。
里桜の方は就職活動で悩んでいるようだ。
元々、障害を持つ身であり、希望している花業界の倍率が高く、なかなか内定に至れていないようだ。
里桜は、できれば住み慣れた地元で就職したいと考えている。
慣れない土地への移住は、本人としては考えていないみたいだ。
もうすぐ6月へと差し掛かろうとしていた。
周りが内定を取り始める中、里桜の中で焦りが芽生え始めている。
そんな里桜を見ては、焦る必要はないと言っているが、昨年は俺も同じ思いもした。
だからこそ、焦って変な企業を選んでほしくはなかった
面接から帰った里桜を迎えに行ったことがある。
その日は、いつもの明るさにどこか陰があった。
7月が過ぎた。
里桜は花業界ではない別の業界の一般職も視野に入れ始めた。
俺は何も言えなかった。
懸命に練習した面接も、一緒に考えたエントリーシートもあまり響かなかったらしい。
就活だから、そういうことがあるのは身をもって知っている。
だが、1社くらいあってもよかったじゃないかと思うのは、俺の色眼鏡だろうか。
希望業界でうまく内定が取れず、次第に苦しそうにしていたが、範囲を広げてみたらそんな感じは少し和らいだ気がする。
8月頃には内定を取れるようになった。
内定が取れていないことに焦っていた彼女は、初めての内定を取ると嬉しそうに俺に連絡してきた。
正直、俺も安心した。
これで一旦、滑り止めと言ったら悪いが、できて希望する花業界に専念できると思った。
だが、この時点で大方の選考は終わっていた。
地元の企業は選考を早めに終了しており、残ったのは少し遠めの企業だけだった。
里桜もそれはわかっており、今回取れた内定企業に就職すると俺に告げた。
本当にいいのか、それは喉まで出かかった言葉だった。
せっかく、喜んでいた里桜にまた、苦しい思いをさせるのが俺はできなかった。
これからまたゆっくり会えるね、といった里桜の笑顔はどこか張り付いたようで、長く見てはいけない気がした。
何とも言えない胸の奥に引っかかるものはすぐに消えていった。
それからは二人でいろんなところに出かけ、遊び、一緒に過ごした。
俺は消えたそれを時々思い出しながらも、考えないようにしていた。
里桜は笑っている。なら、下手に掘り返す必要もない。
ある日、里桜の部屋に花の本があった。
埃は被っておらず、短期間で何回も読んでいるのが分かった。
その本を開くとあるページに目が止まった。
ブルーデイジーのページだ。
生態や花言葉などが記載されている。
不思議なことにそのページに何かの跡があった。
1粒大の水滴が落ちたような…これは…。
そして俺は考えた。
彼女のためにできること。
いつもの目覚ましが鳴った。
まどろみがなくなった頃に私はアラームを消し、窓を見る。
カーテンから朝日がこぼれていた。
起きようとして、体を右に向ける。
左足をもって右足側に倒し、その後両手で柵を掴んで体を起こした。
ベッド横につけていた車椅子の固定を外し、引き寄せる。
位置を確かめ、もう一度固定する。
車椅子のひじ掛けに手を置き、反対の手でベッドを押す。
一瞬だけバランスに気を配り、勢いをつけて体を移した。
もう何度も繰り返してきた動作だ。
進さんと付き合い始めて何年も経過した。
今のところ、不満はちょっとある。
なんだか最近ほんの少しだけ、会える頻度が少なくなった気がする。
別に、会うといつものように優しいし、連絡の頻度はお互いが好きなようにしている。
返事がそっけない、ということもない。出会った頃と変わらない。
なんだか、最近忙しくはなっていると聞いた。少し前に昇進したとか言ってたっけ。
無性に進さんに会いたい。
今日は【リベロ】で進さんと会う予定だ。
連れていきたいところがあると言っていた。
いつもは事前にどこに行くと二人で予定を決めていたから、こういうのもたまには悪くはない。
ふと、机に目を向けた。
昨日開いていた花の本が置いてある。棚にしまい忘れてしまった。
結局、私は、花に関する業界に就けなかった。
仕事自体はあるのだけれど、場所が遠かったり、バリアフリー非対応だったりで上手くいかなかった。
就職浪人は避けたかったから、他の業界も選んだ。
何とか1社受かって、ずっとその会社で働き続けている。
リモートワーク様様だ。
職場環境にも恵まれ、安定して生活ができている。
花を仕事にすることはあきらめたけど、こうして花に関して調べることはやめてない。
また、進さんにいい花があることを教えなきゃ。
最近、また知識を増やしているようで知らない花が出てきたりする。
ゲテモノというか変わった花の話が多く、面白い。
花のことを考えていると、たまに思い出の花、ブルーデイジーのページを見てしまう。
あの時の【リベロ】の経験があったから、私は花の業界へ行きたいと強く意識ができた。
誰かの力になれることと、自分の思いに花に乗せて応援できることが夢だった。
…物思いに耽っていたら、そろそろ時間だ。
私は身支度を始めた。
【リベロ】に行くと、テンチョーと奥さんがいた。
二人に挨拶すると、テンチョーから。
「進君から伝言、ここに行ってほしいって」
そういうと、メッセージで住所を送られた。
場所はここから近い。
私はお礼を言うと、お店を出た。
お店を出る時、奥さんの口元がにやにやしていたような気がした。
送ってもらった住所に行ってみる。
確かこの辺は、カフェがあったが数か月前に閉店したはずだ。
「あっ」
途中で、芽衣と丸岡さんと会った。
「こんにちは、鳴海さん。進が待っているよ」
芽衣はにやにやしている。
どういうことだろう、たぶん進さんに言われて私を待っていた感じだけど。
何も聞いていない。
私は困惑しながら、二人に連れられるように目的地に向かった。
連れてこられたのは、花屋だった。
【リベロ】と同じイメージカラーは青だ。
今日から開店だったのか、フラワースタンドがある。
差出人は【リベロ】からだ。
そういうことだったのか。
新しい花屋が今日開店するから、私を連れてきたんだ。そう思った。
なら、どうして今回、テンチョーや芽衣や丸岡さんも巻き込んだのだろうか。
そして、【リベロ】から開店祝いのフラワースタンド。
テンチョーの知り合いが開いたのだろうか。
その答えはすぐに出た。
「来たね、里桜」
進さんが出てきた。その店のロゴが入ったエプロンを着ている。
えっ、どうして?
全然状況が分からない。
進さんが私の元へ来る。
「俺気づいたんだ。就けるところがなければ作ればいいって」
えっ、私のためなの。
「進さん、仕事は」
「実はこの前やめたんだよ。これからは自営業さ。ちょっと怖かったけど会社員時代に貯金はしていたから何とか開店までこぎつけたよ」
本当に怖かった。そもそも、こんな大規模なサプライズは初めてだったし、5年間勤めた会社も辞めてしまっている。
里桜から見たら向こう見ずな計画だと思われて、捨てられるかも、とも思った。
それでも君にもチャンスはあるんだと。
テンチョーにも色々相談してさーと続けた。
感情が追い付いていかない。
「ここで働いてくれないか、店長。しばらくは俺が切り盛りするから、気が向いたときに店長やってよ。」
お店には、車椅子用のスロープがある。店内を見ると地面に花を置いてはおらず、必ず棚に置かれている。
その棚はちょうど車椅子の足部分を差し込めそうな空間が広がっていた。
進さんがエプロンを私に差し出す。
まだ思考が追いついてなくて言葉が出てこない。けど、私は嬉しくてエプロンを取った。
エプロンを持つ私の手は震えていた。
店の名はブルーデイジー。
花言葉は「幸福」だ。
胸の奥で、何かが静かにほどけていくのを感じた。




