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第5話 憎悪の記憶

 ――これは、私の話だ。

 この街で生まれ、育ち、そして災禍を憎むようになった、

 セラという人間の記憶だ。


 私は、災禍を憎んでいる。

 それは誰かに教えられた感情ではなく、積み重なった記憶だった。


 最初の記憶は、戦争の勝利の報せを聞いた時だった。

 その頃の私は物心がつく前だったので、当時の話はあまり覚えていない。

 だけど、父が私に放った言葉はよく覚えている。


「セラ。君は災禍というだけで人を憎むような人になってはいけないよ」


 それに、何も考えず頷いたことをよく覚えている。


 次の記憶は、初めて友達ができた時の記憶だ。

 背丈が私よりも少し高いくらいの、男の子。


 彼はなぜかいつもボロボロだったが、明るくて面白い彼と過ごす時間を、私はとても大切に思っていたと思う。


 そんな彼と私には、可愛らしい秘密があった。

 お互い、秘密で犬を飼っていたのだ。小さな小さな子犬で、いつも元気に尻尾を振っている。

 焼きたてのパンのような毛色に、可愛らしい笑顔が特徴的な子犬。


 幸せだった。

 彼と私と子犬。ずっとこんな日が続けばいいと思ってた。


 だが、突然だった。

 少年は血塗れで倒れていたのだ。まるで、子犬を庇うように。


 血がいくばくか付着した杖を持ち、彼を見下ろす初老の男性は言う。


「そいつがいけないんだ。店の物を盗むから」


 言い訳するのではなく、当然のように男は言い放つ。

 私は彼に駆け寄り、膝をついて彼を見た。

 呼吸は荒く、目元は手で隠されているため表情は読めない。


 反対に、子犬の呼吸は一つも聞こえない。


「なんだ、その目は? お前もそいつの仲間か?」


 お前も、とは何のことだろう。

 怒りに塗れる頭で必死に考えると、その答えは辿り着かずとも彼の口から放たれた。


「こいつと同じ災禍か?」


 災禍。その言葉はよく聞かされる。

 戦争に敗れたその日から、残党が老人や女性から食事や金を巻き上げていく、最悪の存在。


 だけど、私には関係ない。そう思っていた。

 だが、そんな逃避を彼の懐に入った砂に塗れたパンが許してはくれない。


 事実だった。彼がパンを盗んだのも、子犬を巻き込んだのも。

 結局、私は彼や男に何も言えず、立ち尽くすのみだった。


 気がつくと、私は自分の部屋に戻っていた。

 私の足で帰ったのか、それとも誰かに連れられてきたのか、記憶が定かでない。

 それほどまでに、子犬の死はショックなものだった。


 それに、あの少年が盗みをしたというのもショックだった。

 彼は優しい人に見えていた。だから、騙されたという気持ちもあったのだろう。


 しかし、明日はきっと元の少年に戻っているだろう。そう願い、私は夕食を終えて早々にベッドへと潜り込む。


 目が覚めたのは、まだ太陽が昇り切っていない深夜だった。

 青白い色に染まる空の下には、悍ましいほどに赤黒く燃え上がる家がひとつ。


 そこは、昨日の男が経営するパン屋に他ならなかった。


 嫌な予感に背中を押され、私は寝巻きのまま、慌てて駆け出した。

 物珍しさに集まった者たちをかき分け、そのパン屋の男が立っているところへと走る。


 そして、その足元には──、


「違う! 本当に俺じゃない!」


 彼が、いた。

 数人の男に取り押さえられ、自身の無実を吠え続ける。


 だが、信じる者はいない。

 災禍であることを理由に、彼を糾弾する声だけが、響く。


 彼は放火していない。そう言いたいのに、私に矢印が向くことを恐れ、何も言えなかった。

 そんな私に、どんな声よりも小さいのに、不思議と耳に入る声があった。


「やっぱ災禍ってクズばっかだな」


 その言葉がトリガーとなったのか、彼は押さえている男たちを振り払う。

 そして、それを言った男に思い切り拳をめり込ませた。


「……で……たんじゃねぇ」


 彼は、泣きながら何かを呟く。

 そして、何かを振り払うように首を振ると、叫んだ。


「俺だって、好きでこんなクソみたいな世界に来たんじゃねえ!」


 その瞬間、彼と目が合ったような気がした。

 しかし、彼は否定しなかった。それどころか、彼は言葉を続けた。


「ここに来て、良いことなんかひとっつもなかった! 死ねよ、全員死ね!」


 その言葉は、群衆だけではなく――私にも向けられていた気がした。


 胸の奥で、何かが音を立てて崩れる。


 雪崩のように押し寄せる男たちが、彼に暴行を加えていく。

 しかし、もう私は彼を助けようとは思えなかった。


 もし、この世界がクソなのだとしたら。

 その中で生きている私も、同じなのだろうか。


 違う。


 私は違う。


 私は、彼とは違う。


 だから――


 私は理解した。


 災禍は、救えない。


 そして私は、

 彼ではなく――

 災禍という存在そのものを、憎むことにした。


 ◇◇◇


 カイムが剣を抜いた瞬間、空気の密度が変わった。

 細身の刃がランプの光を受けてゆらりと揺れ、その冷たい光が室内の空気を張り詰めさせる。


「さて。さっさと負けてくれると助かるんだが」


 その言葉が終わるより先に、ヴァイスが動いた。


 片手に握られた鉄パイプが横薙ぎに振るわれる。

 空気を裂く鈍い風切り音とともに、鉄の塊がカイムの頭部を狙った。まともに当たれば骨など簡単に砕ける、力任せの一撃だ。


 だがカイムは、それを片手で受け止めた。


 鉄と肉がぶつかる鈍い音が鳴る。

 しかし次の瞬間、妙な感覚が残った。


 重いはずの衝撃が、途中で抜け落ちたように見えたのだ。


 ヴァイスはすぐに鉄パイプから手を離し、体を捻って横腹へ蹴りを叩き込む。

 受け止められることを前提にした、間髪入れない二撃目。


 しかしそれさえも、カイムは片手で受け止めてしまう。


 ヴァイスは喧嘩慣れしている。

 だが、それでも明らかにカイムのほうが格上だった。


 それでも──違和感がある。


 ただ強いだけじゃない。

 何かが、噛み合っていない。


 考えるより先に体が動いた。


 僕は身体強化を最大まで引き上げ、カイムを睨み据える。

 筋肉が軋み、血流が一気に加速する。視界の輪郭が鋭くなり、周囲の動きがわずかに遅く見えた。


 床を踏み込み、一気に距離を詰める。


 狙うのは顔面──いや、違う。


 一瞬だけ体を沈め、フェイントを混ぜて軌道を変える。

 狙いは膝だった。


 だが。


 その蹴りも、カイムはあっさりと受け止めた。


 足首に硬い衝撃が走る。

 骨に直接触れたような感触だった。


 カイムはふっと笑い、そのまま僕の足を離す。


 突然支えを失い、体勢が崩れる。


 その瞬間だった。


 カイムの蹴りが、鋭い弧を描いて脇腹へ突き刺さる。


 鈍い衝撃が内臓を揺らし、肺の空気が一気に吐き出された。

 視界がぐるりと回る。


 床に手をつき、吐き気を押し殺しながらどうにか立ち上がる。

 目の前には慌てて駆け寄ってくるヴァイスと、相変わらず余裕の笑みを浮かべたままのカイムの姿があった。


「……おかしいだろ」


 思わず、口から言葉が漏れる。


 さっきの攻撃は不意打ちに近かった。

 ヴァイスの鉄パイプは、命中すれば骨を砕く威力がある。僕の蹴りだって、速度だけなら岩くらい粉砕できるはずだ。


 それなのに──


 まるで、最初から効かないと分かっているみたいだった。


「考え事かい?」


 声がしたのは、目の前だった。


 速い。


 言葉を理解するより先に、剣が振り下ろされる。


 反射的に地面を蹴り、体を転がしてそれをかわす。

 刃が床を叩き、火花と石の破片が散った。


 その間にヴァイスが僕の前へ飛び出し、鉄パイプを振り下ろす。


 カイムはそれを剣で軽く受け流す。

 金属が擦れる甲高い音が鳴り、その勢いをそのまま利用するように体を回転させた。


 次の瞬間、ヴァイスの横腹へ回し蹴りが叩き込まれる。


「が、ぁ……っ!」


 鈍い音とともに、ヴァイスの体が折れ曲がった。

 彼は脇腹を押さえ、その場にうずくまる。


 そこで、また違和感が走った。


 今の蹴りは、うずくまる程度で済む威力じゃない。

 ヴァイスが極端に貧弱とも思えない。鉄パイプの一撃を見れば、それは明らかだ。


 つまり──


「強くなっている……?」


 カイムは不敵に笑う。

 そのまま一歩踏み出し、剣の鞘へ手を添えた。


 構えようとしたその瞬間、隣で何かが倒れる音がした。


 振り向くと、ヴァイスが地面に崩れ落ちている。


「殺しちゃいないよ。明日君たちには活躍してもらうんだから」


「何を言って──」


 言葉の途中で、鋭く重い衝撃が鳩尾へ迫った。


 反射的に体を捻り、間一髪でそれをかわす。

 その勢いのまま体勢を崩しながらも、僕は拳を振り抜く。


 全力の一撃だった。


 拳は確かに、カイムの頬へめり込んだ。


 骨を叩いた確かな手応えがある。

 だが次の瞬間、その衝撃が途中で消えた。


 まるで、力そのものを吸い取られたかのように。


「……え?」


 次の瞬間、カイムとの距離が離れていく。


 違う。

 離れているのは、僕の方だった。


 視界が後ろへ引きずられ、背中が壁へ叩きつけられる。

 衝撃で肺の空気がすべて吐き出され、息が詰まった。


 視界の端が黒く染まり、音が遠のいていく。


 そして僕の意識は、そのまま闇の中へと沈んでいった。

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