第1話 災禍たちの夜明け
人の役に立つ事が好きだった、のだと思う。だが、もうそんな感情も薄れてしまっていた。
僕は、賢者と呼ばれていた。怪我を治し、身体の機能を助け、人々の生活を豊かにする魔法を作った功績で、そう呼ばれるようになった。
呼ばれていた、というのは──。
「……ムカつくんだよ、クソ災禍どもが!!」
乾いた殴打の音と共に、僕の体が宙に浮き、そのまま固い壁に叩きつけられる。
災禍。それは、突然この世界に転移させられてきた僕たちに与えられた蔑称だった。この世界は優秀な人材を異世界から召喚し取り入れているが、僕のようにこの世界で役立てないと考えられた者は、薄暗く、石の温度が直に肌に伝わるような路地裏に隠れ住むしかない。
なぜなら、この世界の人たちは優秀な災禍によって職を奪われた。そんな人たちにとって、僕たちに与える居場所など、どこにもなかったからだ。
世界の端にある小さな街。その中のさらに小さな路地裏だけが、僕たちの居場所だった。
消えかけている体力で激昂する男を睨むが、その視線の先に見えたのは、容赦のない第二の拳だった。
「お前達のせいで、俺たちの人生はめちゃくちゃだ!!」
僕の頭が三度、四度と叩かれるたびに意識が薄くなっていく。やがて彼は、満足したのか──はたまた手が痛くなったのか、どこかへと消えていった。
この世界で僕の持っている魔法は大した力にならない。かといって、肉体的な力もない。僕はただ、この日常を受け入れることしかできなかった。
ふらふらと立ち上がり、男がいなくなったのを確認する。殴られた頬をさすりながら、手をつき、よろよろと歩いていると、汚れたガラスに自分の姿が映った。
すでに艶を失くした灰色の髪。頬はこけ、黒い双眸は虚ろに光っている。黄土色の着古したローブが、自身が没落してしまっているという現実をまざまざと見せつけていた。
思わず自嘲してそこを離れようとした、その時だ。突然、背後から声がかかる。
「よっ、賢者様」
ガラスを見ると、子供のように小柄な金髪の少女が、こちらに軽く手を挙げている姿が反射していた。彼女の手には身長ほどの朱色の旗が掲げられている。その特徴で、僕は彼女の正体を確かめる必要はなくなった。
「……ユニカ」
「そんなウザそうな顔すんなって。これでも心配して声かけてるんだぜ? ほら、ほっぺ」
彼女が自分の頬に指を刺すのを見て、僕は反射的に自分の頬をさすった。そこで初めて、鏡に写っていなかった頬がひどく腫れ上がっていることに気付いた。
鈍い痛みに弾かれるように慌てて頬から手を離すと、彼女は気にする様子もなく、僕の隣の壁に腕を組んで寄りかかる。
「んで、考えてくれたかよ? 私の──」
「君の国を作るための参謀になる、という話だろ?」
僕の言葉に、彼女の赤い瞳が輝く。その真っ直ぐな視線から目を逸らし、僕はいつものようにため息混じりで答える。
「勿論、お断りだ」
「えー、なんでだよ?」
「君一人しかいないのに、建国なんて成せるわけないだろ。それに、僕だって賢者とか言われてるけど、政治や経済に強い訳じゃないんだ」
そうだ。僕は賢者などという偉そうな名前で呼ばれるような存在ではない。僕ができるのは、新しい魔法を作ること。それも、この世界では僕の魔法は古代魔法だと皮肉られているが。
「だから、それでいいんだって! ねー頼むってー」
僕の腕を掴んで、ぶんぶんと振り回すユニカ。こんな勧誘を、ここ数日ずっと受け続けていた。
最初に出会ったのは、彼女がこの街に来て初日のことだ。宿を探していたら路地裏に迷い込んだらしい。少女のような見た目の彼女がこんな場所にいるのは相応しくないと考え、宿の場所を案内して以来、付き纏われるようになった。
「しつこいな。第一、なんで君は僕にそこまで執着するんだよ」
「そりゃ、染まってないからだよ」
また、同じ答えだ。最初の頃に彼女に聞いたことがある。その時と一字一句同じ答えを、彼女は当然のように答えた。
「……なんにせよ、もう無理だ。この街は、今夜──」
「革命、だろ?」
ユニカの答えに、僕は無言で肯定する。だが、彼女はつまらなそうに口を尖らせると、
「ふーん、お前さ。あいつらと組むつもりなんだ? やめといた方がいいと思うけどなぁ」
「何が言いたいんだ?」
「あいつらは、多分お前の思ってるような奴らじゃないぞ?」
「……っ、お前に何がわかる!」
「そいつらのことは知らねえけど、お前のことはそれなりに見てきたつもりだぜ?」
彼女は見透かしたような、それでいてどこか自慢げな瞳をこちらへ向けてくる。だが、きっと彼女は知らない。僕たち災禍がどれだけひどい日常を送ってきたか。どれだけ、この日のために血の滲むような準備をしてきたか。
「……ま、結局はノアに任せるけどよ。いつでもお前のために門は空いてるからな」
「お気遣いどうも」
去っていく彼女は、後ろ手に手を振り僕の言葉に答える。そして、彼女と入れ替わるように、力強い手が僕の肩に置かれた。
「知り合いか、ノア」
「いや、別に。気にするようなことじゃないよ、ダンケル」
振り返ると、そこには僕の身長よりも頭ひとつ抜けている大男──ダンケルがいた。今夜の革命のリーダー。そして、僕を誘ってくれた親友だ。
「決行は今夜だ。今夜限りでこんなクソッタレな日常は終わらせてやろうぜ」
「ああ。僕たちの居場所を作り上げてやろう」
「居場所……まあ、結果的にはそうだが……」
ダンケルはどこか引っかかると言った様子で僕の言葉を反芻するが、それ以上追求してくる様子はない。彼の真意を追求すべきか悩んでいると、先にダンケルが口を開いた。
「さて、計画はもうバッチリだよな?」
「もちろん。この街の建物を数個ほど爆破して、人質を取りこの街を乗っ取る、だろ?」
「そうだ、頼むぜ。相棒」
この計画は、僕が考えたものだった。勿論、爆破するのは空き家で、滅多に人が通りかからないことも織り込み済みだ。
爆薬の調達や仕掛けは彼らに任せているが、人に危害が及ぶ可能性のある場所は事前に伝え、避けるように指示しているので問題はないはずだ。
僕達は獣ではない。人として、この世界に存在を認められるために立ち上がるのだ。
「しかし、さすが賢者って呼ばれてただけのことはあるよな」
「よしてくれ。今はただの災禍の一人だ」
「そりゃそうだが、凄いのは変わらねえよ」
ダンケルの心底嬉しそうな笑顔に、僕もつられて笑ってしまう。
今夜で、路地裏の石畳で寝る夜は終わるはずだ。
そう信じていた。
胸の奥が、嵐の前の、あの奇妙な静けさのように妙に静かだった。
そして夜が来た。世界が裂けるような轟音が響き、次の瞬間、赤い空、人々の叫び声、炎、崩れ落ちる屋根が視界を埋め尽くした。
音が鳴り響く先には、僕が絶対に爆破してはいけないと厳命していた、人の住む場所があった。
革命――そう呼ばれていたものの正体を、僕はこのとき、初めて知った。
足元には、この街に住んでいた人たちが転がっている。男性に限らない。女性や老人。幼い子供さえもが、無残な姿でそこに転がっていた。
「……なんだよ、これ」
誰にも聞こえない呟きが、乾いた喉から漏れる。だが、返事はない。
呆然と立ち尽くしていると、ローブを、気が付かないほどにか弱い力で引っ張られる。恐る恐る下を見ると、顔の半分を火傷した幼い男の子が、震えながらこちらを見上げていた。
「お兄さん、助けて……」
それだけ言うと、彼は力を失い倒れてしまう。そしてそのまま、ぜんまいが止まった人形のように、二度と動かなくなった。
肌がチリチリと焼けるような感覚が残る中、僕は冷たく硬い彼の肌に触れた。
刹那、僕の理性の糸が切れた。地面に亀裂が走るほど強く蹴り上げる。その破片が地面に落ちるよりも早く、僕は矢のような速度で炎の中を駆け抜けていた。
頬の肉が後ろに引っ張られるような感覚を無視して、ダンケルの姿を探す。
筋肉の節々が悲鳴をあげている。当たり前だ。古代魔法と皮肉られていた肉体強化の魔法を、全力で使って無理矢理走っているのだから。
そして、見つけた。目に映るのは彼と、彼の持つ刃を向けられている子供だ。
「おお、ノア。早いなあ、それが魔法ってやつか?」
「……肉体強化の魔法だ。それより、一つ聞かせろ」
「ああ?」
「これは、お前の望みか?」
ゆっくりと、こちらへ体を向けたダンケル。炎に照らされた彼の表情は、まるで鳩が豆鉄砲を食ったようなそれで──、
「何言ってんだ? 当たり前だろ」
その言葉は、あまりにも端的に、僕の全てを打ち砕いた。
そこで、ようやく気付いた。僕が今まで何に手を貸していたのか。そして、彼らの中に渦巻く憎悪は、僕の計り知れないほどに大きくなっていたのだと。
「こいつらはな、ずーっと思ってたんだよ。俺らみてえなクズは死んで当然だって。お前だって感じてたろ?」
「それは、そうだけど……」
「一緒だよ。俺もこいつらみてえなクズは死んだ方がいいって思ってた! だから、めちゃくちゃにしてやったのさ!」
心底嬉しそうに、何の迷いもなく笑顔を浮かべるダンケルに、言葉が詰まる。
その時、ぽつぽつと雨のように小さな笑い声が聞こえてきた。周囲に目を向けると、認識のある災禍の人たちが、堪えきれないといった風に笑っていた。
そこには、病気の妹のために元の世界に戻りたいと語っていた彼も。元の世界では教師をしていて、子供たちを教えるのが生き甲斐と言っていた彼女も。
みんなみんな、狂ったように笑っていた。
次第にその小雨のような笑みは、豪雨のように大きくなっていく。燃え盛る炎に比例するかのように、人々の悲鳴の大きさに比例するかのように。
僕は、ぽつりと呟いた。
「……そんなのは、おかしいだろ」
自分にしか聞こえないほどの大きさで呟いたそれは、誰にも届かず、炎の中に消えていく。僕は項垂れることしかできなかった。この地獄を作り出す手伝いをしたという事実に、優しいと思っていた人たちの本性を目の前に突きつけられて。
だから、ダンケルの刃が少年に振り下ろされるのに、気付けなかった。
「うわああ!!」
断末魔に弾かれるように、僕は顔を上げる。思わず駆け出そうとするが、直感的に間に合わないと確信する。
それでも、偶然でもなんでもいい。これ以上、誰かが死ぬのを見たくない。その一心で手を伸ばす。
あと十歩。
あと五歩。
あと──、
一歩のところで、刃は振り下ろされた。
だが、その刃は少年ではなく──、
「……な、言ったろ? こいつらはお前の思ってるような奴らじゃないって」
ユニカの手に持つ、朱色の旗が、血に濡れることなく刃を防いでいた。
「っ、だれ──」
「あああああぁっ!!」
叫び声と共に、僕の拳がダンケルの頬にめり込む。そのまま体重を乗せて振り抜くと、彼は鈍い音を立てて地面に倒れた。
降り注いでいた、憎悪の雨が、止んだ。
「聞いてくれ! 誰かを殺してまで、みんなは元の世界に戻りたいのか!? 違うだろ!」
喉を痛めてもいいほどの大声で、僕は彼らに問いかける。
しかし、帰ってきたのは束の間の静寂。そして──、
「……ふざけんじゃねえぞ」
額に、鋭く重い何かがぶつかる。少し遅れて、生温かい血が流れる感触が、それが石だと教えてくれた。
「引っ込めよ、裏切り者が!」
「ノアさん、信じてたのに!」
「英雄気取りかよ、ふざけんなっ!」
次々と僕の体を傷つけていく石礫と怒号。ここでようやく、僕は気付いた。彼らと話をするのは、もう無理だと。
目を見開き、呆然としていると、ダンケルがゆっくりと立ち上がる。彼は腫れ上がった頬をさすりながら、こちらを睨むと、
「……そうか、そういうことかよ」
「ダンケル、聞いてくれ! 何も誰かを殺してまで──」
「友人だったよしみだ。そのガキどもを連れて消えろ。……消えてくれ」
それは、これ以上にないほどに明確な、断絶の言葉だった。
僕はユニカの手を掴み、空いた手で泣きじゃくる少女の手を掴もうとする。
だが、ユニカはそんな僕の手を振り払い、叫んだ。
「ノアは間違ってなんかいない! 間違ってるのは、お前達の方だろうが!!」
彼女の手にある旗が、炎を煽る風を受けて大きくはためく。真紅に染まる周囲よりも、より一層目立つ朱色の旗。全ての災禍の視線が、その旗の下のユニカに集まっていた。
「勝手に諦めて破壊を選んだお前らが、ノアを糾弾する資格なんてねえだろ!」
ざわめきが波のように広がり、最初は小石の音のように、やがて炎を煽る風のように膨らんでいった。焦げた風が吹いても、旗は微動だにしなかった。まるで、彼女自身の強い意思が布を支えているかのように。
僕は、言葉を失っていた。目の前に立っている彼女が、誰よりも頼り甲斐のある、偉大な王のように見えた。
僕は、ここで決意をした。
「うるせえよ、クソガキがぁ!」
一人の男が彼女に近付き、その手に持った剣を振り下ろそうとする。そんな彼の横腹を、僕の速度を乗せた足が捉えていた。
「……門は空いている、だったよな」
「はは。ようこそ、賢者殿」
ユニカは心底嬉しそうに笑う。
僕は彼女の笑い声を背中に受け、武器を構える災禍達を睨みつける。
だが、ダンケルがそれを片手で制した。
「……一つだけ、聞かせろ。そこの旗持ったチビ」
「なんだ?」
「お前、何者だ?」
彼女はその言葉を待っていたかのように大きな笑顔を浮かべ、自信満々に答えた。
「私は災禍の国の王。ユニカだ」
「災禍の国? そんなの……」
「ああ、今はない。これから作るんだよ、ノアと一緒に!」
彼女は本当に嬉しそうな声色で、僕の肩を抱き寄せる。反対に、ダンケルはどこか諦めたかのような声色で、低く笑った。
「はは……もういい。消えてくれ、さっさと」
彼はそれだけ言うと、踵を返して歩いていく。彼らの周りにいた人々も同様に、静かに背を向けた。
その背中に、僕は声をかけることができずにいると、ユニカが顔を覗かせる。
「……安心しろ、お前は間違っちゃねえから」
「そうかな」
「ああ。だから、今ここに一人救われた人がいるんだろ?」
彼女が目を落とした先には、膝を抱えて泣きじゃくる少女がいた。
僕は膝を折りたたみ、彼女の目線に合わせる。
「大丈夫、あの怖い人たちは消えたからもう大丈──」
「違うの!」
少女は涙に濡れた頬を拭うそぶりも見せず、顔を上げて叫んだ。
僕は何が違うのかを考えて何も言えずにいると、彼女は続け様に言った。
「あのね、あそこにいた人たちの中に、昔勉強を教えてくれたお姉さんがいたの」
きっと、昔教師をしていたあの女性のことだろう。彼女の事は知っているが、この世界の子どもに勉強を教えていたとは知らなかった。しかし、僕の返答を待たず彼女の言葉は続いていく。
「教えて、お兄さん。私、本当は嫌われてたのかなぁ。あの時笑いかけてくれてたのって、ぜんぶぜんぶ嘘だったんだって、思うと、悲しくて……」
彼女は声をあげて泣き出してしまう。
そんな彼女の肩を抱きしめたのは、他でもないユニカだった。
「嫌われてなんかないよ。少なくとも、その時はね」
「……じゃあ今は、嫌いなの?」
「さあな。だけどさ、少なくともお嬢ちゃんのせいじゃない。全部環境のせいなんだ」
「かんきょう?」
彼女は顔を上げて、ユニカの顔を見る。ユニカはそんな少女の目を微笑みながら見つめ返す。
「その人のことは詳しくないけど、嫌われて、疎まれて……だからいつかどんな人でも憎いっていう感情に染まっちゃうんだよ」
「染まっちゃったから、その人はみんな嫌いになっちゃったの?」
「少なくとも、私はそう考えてる。だから、私はそんな環境が生まれないような国を作ろうって思ってる。君みたいに、災禍に傷つけられる人が減るように」
ユニカの手が少女の髪を優しく撫でる。
少女の啜り泣く声がユニカの胸から聞こえている中、僕は空が紅掛空色に染まってもなお火が燃え広がっている街を睨んでいた。
この街は、夜明けとともにダンケルたちに乗っ取られてしまうだろう。今から行っても、戦力差は歴然だ。そして、僕たちが救えたのはこの女の子一人だけだ。
この戦いは、まぎれもなく僕たちの敗戦だった。
唇をかみしめていると、いつの間にか背後に立っていたユニカが僕の背中を軽くたたく。
彼女は少女の手を握りながら、僕の目線の先——燃え盛る街を真剣な眼差しで見つめると、そのまま目線を移さずに言った。
「災禍の国を作ろう、ノア。二度とこんなことが起こらないように」
僕は、炎と血にまみれた路地裏から、ゆっくりとユニカの朱色の旗へ視線を上げた。
「ああ。君の旗がどこまで進むのか、それを見届けるのも悪くない」
彼女は目をつむって満足そうに微笑むと、焼け落ちる街に背を向け、迷いなく歩みを進める。その朱色の旗は、王冠のように背後で静かに揺れていた。
僕は、その小さな王女の背後を追うように、深く息を吐きながら歩き出した。




