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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

グッチー飼育日記

初めは普通にペットを飼う話を想像してたのに

なんでこんな話になったのか……

 ある日、お母さんが知らないおじさんを連れて帰ってきました。短パンにタンクトップ姿で、お腹はだらしがなく、頭の天辺が大分涼しそうなおじさんでした。お母さんにこの人は何なのか訊くと、

「ずっと犬を欲しがってたでしょう? 大事に面倒見てあげてね」

 と言いました。このおじさんのどこをどう見れば犬になるのか分かりませんが、おじさんはずっとハァハァと息づきながらベロを出し、あまり焦点の合わない目で私を見上げています。どうやらおじさんは自身を犬だと思っているようです。

「せっかく連れて来たんだし、名前を付けてあげたら?」

 お母さんはそう言いますが、どんな名前がいいのでしょう? いつか犬を飼うときのため、ひそかに考えていた名前はとてもおじさんには付けられません。私はおじさんの前で少し屈み、

「あなた、名前はなんて言うの?」

 と訊きます。おじさんはしばらく苦い表情を見せ、ひとしきり唸ったあと、

「……田口です」

 と絞り出すように言いました。このおじさんはまだ全てを捨てきれていないようです。

 私はおじさんにグッチーと名付け、飼うことにしました。

 人生初のペットですし、せっかくなのでこうして飼育日記を付けたいと思います。


 憧れていたペットとの暮らしが始まりました。ペットは生き物であり、とても大切な家族。しっかりお世話をしなくてはいけません。ですがご飯は一体何を食べるのでしょう? お母さんに訊いてみると、

「生後四週目くらいまではミルクをあげるみたい」

 とのことでした。体の大きなグッチーですが、犬としては産まれたばかりの扱いのようです。子犬用のミルクは無いので、牛乳で代用します。

 器に注いであげると、グッチーはびちゃびちゃと音を立てながらベロだけで飲み始めました。とても美味しそうに飲むので、つい嬉しくなって沢山牛乳をあげました。初めは喜んで飲んでいたグッチーですが、急に顔が青ざめたかと思うと、お腹をゴロゴロ鳴らしながらペット用トイレに駆け込みました。どうやらお腹は弱めのようです。トイレの仕方は教えていませんでしたが、グッチーは上手にウンチをすることができました。ほっとした様子でトイレから出てきたところで頭をよしよししてあげると、グッチーは何故か歯を食いしばり肩を震わせていました。


 グッチーを飼い始めて四週間程度経ちました。その間ずっと牛乳だけで生活していたグッチーは、頬はこけ、目は落ち窪んでいました。初めはあんなにだらしなかったお腹もいくらか引っ込んでいます。

 そろそろ牛乳卒業も視野に入れ、離乳食に挑戦させることにしました。まずはペースト状のものから始めるそうです。とは言え、やはり子犬用の離乳食なんて家に無いので、ヨーグルトで代用します。

 早速与えてみます。液体でないことが相当嬉しいのか、それまで生気の無かったグッチーは目の色を変え、鼻息荒めにヨーグルトを貪り始めました。気に入ったようで私も一安心です。

 この日からグッチーは喜んでご飯を食べるようになりました。稀にアロエヨーグルトを出した日なんかは、グッチーは大粒の涙を流し、ありがとう、ありがとう、と呟きながら食べていました。グッチーにはグッチーなりの苦労があるようです。

 八週目にもなると完全に乳離れをし、固形物をしっかり食べられるようになりました。ごはんは完全にドッグフードに移行しています。食費はかかるしわざわざ買いに行くのも面倒ですが、まさか私たちと同じご飯を犬にあげるわけにはいかないので、そこは飼い主の責任としてしっかりお世話します。初めてドッグフードを出したときは少し顔をしかめたグッチーですが、今では諦めたような目で素直にもそもそ食べるようになりました。


 あれから随分月日が経ち、もう四ヶ月になります。ドッグフードを食べ続けたグッチーの顔色はいくらか良くなりました。元気も取り戻したところで、そろそろお散歩を覚える時期です。犬にとってお散歩は大きなお楽しみの一つ。グッチーも喜んでくれることでしょう。首輪とリードを揃え、早速お散歩に出発です。

 我が家は住宅街のど真ん中なので、歩く道は基本殺風景な生活道路です。ですが、グッチーを連れていると何でもない道が少し楽しく思えます。しばらく歩くと、向こうから同じように犬を散歩させている人がやってきました。あちらの犬がいち早くグッチーに気付き、キャンキャンと吠え始めます。グッチーはすっかり怯えてしまいました。体は大きいのに心は小さいのです。ごめんなさいね、と向こうの飼い主さんと会釈を交わし、私たちはすれ違いました。

 そのまましばらく歩いていると、グッチーが遅れがちになってきました。どうしたの? と振り返ると、グッチーは随分小股になり、もじもじと気持ち悪い歩き方をしていました。そして家の方角をしきりに気にするのです。

「もしかして、おしっこしたいの?」

 グッチーはコクリと頷きます。お散歩に出る前に沢山水を飲ませて正解でした。

 周囲を見渡すと、丁度小さな公園が見えました。その隅に立つ木の根元までグッチーを連れていきます。

「さ、ここでおしっこして」

 グッチーは私の顔をじっと見上げました。普段は死んでいる目が今は大きく見開かれています。

「どうしたの? 犬にとってマーキングは普通のことでしょう? 手伝ってあげる。さ、大きく足を開いて」

 グッチーの足をこじ開け、お腹をぐいぐい押してあげます。すると堪えられずにちょろちょろと出始め、それで観念したのかおしっこが大きなアーチを描きました。おしっこを終えたグッチーは不思議と涙目になっていましたが、構わずお散歩を再開しました。


 グッチーが我が家に来て、めでたく六ヶ月になりました。この半年でグッチーは随分立派な犬になりました。初めてその姿を見た時は可愛げもクソもありませんでしたが、今ではどこに出しても恥ずかしくない大切な大切な家族です。

 ですがまだ、飼い主としてグッチーにしてあげなくていはいけないことがあります。今日がその決行日なのです。

「グッチー、ちょっとお出かけしようか。今日は車だよ」

 リードを引く私の隣で、運転手のお母さんが車のキーを回しています。初めは素直だったグッチーですが、ふと何かを思ったのか足を止めました。私、お母さん、私の順に顔を見上げ、怯えたように縮こまってしまいました。私はグッチーを優しく抱き、頭を撫でます。

「グッチー、怖くないよ。それにね、これはとても大事なことなの」

 そう、今日は去勢のために病院に行くのです。去勢は性器関係の病気を予防するだけでなく、性的なストレスも軽減できます。これからも健康で長生きするため、これは必要なことなのです。飼い主の私としても、グッチーが少しでも苦しむ姿は見たくありません。ですが、これもグッチーを思ってこそ。グッチーから嫌われることすらも、飼い主が捧げる無償の愛の証なのです。

「大丈夫、怖いのなんて一瞬だから。終わったらずっとずぅっと一緒にいるからね」

 不安を取り除こうとぎゅっと抱きしめます。しかしグッチーは私を突き放し、弾かれたように壁際まで後ずさりました。

「そそ、それだけは勘弁してください! 他なら何だってしますから!」

 グッチーは堂々と言葉を話しました。しかも二本足で立ち、足はガクガクと震えています。

 私はゆっくりと立ち上がります。まっすぐ前を見据えると、そこいるのはグッチーではなく、ただの薄汚いおじさんでした。

 急にめまいがしてきました。私のこれまでの努力は何だったのでしょう。精一杯お世話をしてきました。しつけもちゃんとしてきました。大事に大事に犬として育ててきたのに、それを全てぶち壊す所業。とてもではありませんが許せません。

「ちょっと、しつけが足りなかったんじゃないの?」

 そう言って、お母さんが鞭を渡してくれました。お母さんの言う通り、私はまだまだ甘かったようです。自分が何者か、何をしてよくて、何をしてはいけないのか、また一から教え込んであげましょう。

 それもまた、飼い主としての責任ですから。

 私は鞭を力一杯に振るいます。ぎゃあぎゃあと叫び声を上げるグッチーですが、それも次第にワンワンという鳴き声に変わります。それでも、またいつどんな拍子におじさんに戻るか分かりません。その後も何度も何度もしつけを施しました。

 大人しくなったグッチーは素直に車に乗り込み、予約していた病院へ向かいました。今日はそのまま入院。翌日迎えに行くと、無事に手術は終了していました。

 家に帰って数日間、グッチーはぼぅっとすることが多くありました。そして時折涙を零すのです。相当手術が怖かったのでしょう。しばらくは一緒に寝てあげることにしました。


 いつしか月日は流れ、グッチーは一歳の誕生日を迎えました。グッチーと過ごした日々は本当に楽しくて、時間が過ぎるのなんてあっという間でした。これからもこんな日が続くのでしょう。未来のことを考えると胸が高鳴って仕方ないのです。今年一年への感謝とこれから迎える日々を祝福して、今日は精一杯お祝いします。

 私たちの気持ちを察してか、グッチーも朝からそわそわしています。日中のうちに部屋の飾りつけとご馳走の用意を済ませ、やがて夜を迎えます。暗いダイニングに暖かなロウソクの明かりが広がり、その中央にはグッチーが座ります。ベロを出し、満面の笑みでハァハァ息づくグッチーを囲み、お誕生日の歌を歌いながらバースデーケーキを取り出します。勿論犬用のオーダーメイド、グッチーの好物ばかりで作られた最高の贈り物です。

 ケーキの上にはロウソクの明かりが一つ。グッチーの代わりにそれを吹き消し、盛大な拍手の中電気をつけます。明るくなったところでケーキを掬い口元へ運べば、グッチーはそれを頬張り、咀嚼し飲み込みます。

 おいしい? と顔を覗き込めば、グッチーは今までで一番澄んだ笑顔で、ワン! と答えたのでした。

これじゃただの拷問じゃないですか

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