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ポチ・イン・バイオハザード

作者: 音無

 僕の名前はポチ、犬である。この世に生まれて3年と4ヶ月が過ぎた。


 ちょうど今僕に餌をあげているのがタナカサン、他の人間がみんな彼をタナカサンと呼ぶので僕もそう呼んでいる。


 僕とタナカサンは二人でこの2階建の家に住んでいる。タナカサンはいつも朝と夜の2回散歩に連れて行き、同じく2回ごはんをくれる。


 僕はもっと散歩の回数を増やしてほしいしご飯もいっぱいほしい。何度かタナカサンに訴えたりしたけど聞き入れてくれなかった。


 ある日、タナカサンは二日間も散歩をしてくれなかった。僕はタナカサンに散歩に連れて行けと大声で言ったけど、タナカサンは慌てて僕の口を押さえて黙らせた。


 僕は何度も玄関に行き散歩の催促をしたが、タナカサンは頑なに散歩に連れて行ってくれなかった。僕は不貞腐れて家の中で走り回ったりおもちゃで遊んだりした。


 その次の日、僕が寝てる間にタナカサンはこっそりと外に出て行った。僕は慌てて玄関に行ったが、すでに扉が閉まっていてタナカサンの後を追えなかった。


 それから数時間後、タナカサンは大きな荷物を抱えて帰ってきた。僕はタナカサンになんで外に連れてってくれなかったのかと叫んだが、タナカサンは困った表情で優しく僕の頭を撫でてくれた。タナカサンからは何故か鉄の匂いがした。


 タナカサンは袋から僕のご飯が入っている袋をいっぱい出して、それを大きな器に盛り始めた。僕はこんなに多くのご飯がお皿に盛られているのを見たことがなかったので、つい大はしゃぎでタナカサンの周りを走り回った。


 タナカサンはそれからまた大きな器にお水をいっぱい入れて、ご飯と一緒に床に置いた。僕は大慌てでご飯を食べた。タナカサンは何か言いながら食べるのに夢中な僕の頭を撫でた。


 この日、僕は初めてご飯を残した。あまりの量にこれ以上食べれなくなったのだ。それを見たタナカサンはまたご飯を追加してきた。


「ねえタナカサン。なんでこんなにご飯くれるの?」


 僕は率直な疑問をぶつけたが、いつも通りタナカサンはよく分からない事を言って、また僕の頭を撫でた。


 そしてこの後、タナカサンはさらに信じられない行動に出た。いつもは散歩に行く時以外、絶対に開けない外への扉を少しだけ、ちょうど僕が通れるくらい開けたのだ!


「タナカサン!散歩!?散歩行っていいの!?」


 今日はなんて特別な日なんだろう!僕はタナカサンが来るのを待てず、外に飛び出した。久しぶりの外は曇りだったけど、最近は暑かったのでこれくらいがちょうどよかった。


 しばらくして、タナカサンが来ないことに気がつく。僕は変だなと思い、家に戻るとタナカサンは頭がおかしくなったのか、自分の身体を紐で椅子に結びつけていた。


「タナカサン!何してるの?!扉開いているよ!散歩行かないの?僕一人でいっちゃうよ!?」


 そう言うと、タナカサンは両手で僕の頭をワシワシと撫で回した。


「ポチ、△◯×⬜︎・・・」


 タナカサンはまた意味のわからない言葉を発した。自分の名前以外よく分からないが、この感じは怒っているわけではないようだ。


「僕、行っちゃうからね!」


 そう言い残し、僕は扉の方に走って行った。タナカサンは追いかけて来なかった。


・・・


 外に出たものの、行くあては全くなかった。悩んだ挙句、僕はよく行く散歩道を歩くことにした。いつもなら横にタナカサンがいて、僕の首に輪っかがついているのだが今日は僕を縛るものは何もない。


 しばらく外を歩いていると、色んな人にすれ違った。なんだかみんな足を引きずっていたり、歩くのが遅かったりといつもと様子が違っていた。何よりみんな鉄の香りを発していて僕は少し気分が悪くなった。


「あれ、もしかしてポチ君?」


「この声と匂いは、マリーちゃん!?」


 河原近くを歩いているとよく散歩の時に会うマリーちゃんと偶然会った。マリーちゃんは毛が長くお上品な感じの犬で、散歩の時よく会っては話していた。


 お互い社交辞令のように肛門を嗅ぎ合い、挨拶を済ませる。


「マリーちゃん久しぶりだね!最近タナカサンに散歩連れてってもらえなかったから寂しかったよ」


「そうなのね。実は私は2日前から外に出てたの。….ちょっとここだと危ないから私について来て」


「危ない?うん、わかった!」


 僕はマリーちゃんの言っている意味がよく分からなかったが、言われたとおりマリーちゃんの後についていき、辿り着いた茂みの中に入ることにした。


「ポチ君はここ最近外に出ていなかったの?」


「うん!今日タナカサンが外に出て良いよって扉を開けてくれたの。それにタナカサンはついて来なかったから一人でここまで来たんだよ!」


「そう、そうなのね」


「マリーちゃんの飼い主はどうしたの?」


 それを聞くと、マリーちゃんは何故か寂しそうな顔をした。


「ちょうど二日前に私を置いて外に出かけて行ったわ。それからずっと帰って来なくて、私お腹減っちゃったからなんとか家から外に出たの。今はここの茂みが私のお家で、色んなところ歩いて拾い食いしながら暮らしてるわ」


 そう言われて僕は茂みの中を見渡した。確かにこの中はマリーちゃんの香りに溢れていて、そこらじゅうにお菓子の袋や食べ物の残りが散乱していた。


「そうなんだ。あとなんかマリーちゃんなんか後ろ足から変な匂いするけど大丈夫なの?」


「ああ、これね。さっき道を歩いてたら突然人に襲われて噛まれちゃったの」


「人が噛んだの!?信じられない!みんないつも優しいのに!」


「そうなの。だからポチ君もくれぐれも人間には気をつけてね。大声出したりするとすぐに集まってくるから」


 それから僕とマリーちゃんはしばらく行動を共にすることにした。一緒にご飯を探しに行ったり、おしゃべりしたり、追いかけてくる人から逃げたり。いつもは少ししか遊べなかったからずっと一緒にいられるのはとても楽しかった。


 いくばくかの時が過ぎた頃、マリーちゃんの具合が次第に悪くなっていった。


「マリーちゃん、なんか具合悪そうだけど大丈夫?」


「ごめんね、なんか後ろ足がどんどん痛くなってきちゃって….」


 マリーちゃんは途中から走るのが極端に遅くなり、とうとう歩くのもままならなくなった。僕たちは茂みに戻り、休むことにした。


「マリーちゃん、ほら、食べ物だよ。これ食べて元気出して」


「ありがとうポチ君。いただくわ」


 随分と弱々しくなったマリーちゃんを見て、僕は不安になった。マリーちゃんは食べ物を食べてもすぐに吐き出してしまい、息遣いも荒くなりどんどん体調が悪化していった。


 もう何度目か分からないが、僕はマリーちゃんを置いて食べ物探しに出かけた。ここに来た時にはまだこの辺にはいっぱい食べ物が落ちていたが、気が付けばだいぶ減っていたし腐っていて食べられないものもあった。


 僕は少し遠い場所へ行き、なんとか食べられそうなものを見つけて茂みに帰ってきた。すると驚くことにマリーちゃんがしっかりと四本足で立っていたのだ!


「マリーちゃん!よかった、元気になったんだね!もう歩けそうなの?」


 僕はマリーちゃんとした約束を忘れ、つい大声で声をかけてしまい慌てて口を塞いだ。しかしマリーちゃんからは全く反応がなかった。


「マリーちゃん?どうしたの?」


「・・・・」


「マリーちゃん?」


 僕はマリーちゃんのただならぬ様子に少々不安を抱きつつ、恐る恐る近づいてみる。


「ヴゔヴ」


「えっ?」


 謎の呻き声が聞こえたと思ったら、その正体はマリーちゃんだった。僕が顔を近づけた途端、マリーちゃんはものすごい勢いで僕のことを噛んできた。


「うわっ!何するの!?」


 反射的に大声で吠えたが、マリーちゃんは止まる気配がなかった。マリーちゃんの顔を見ると自慢の長い毛がだいぶ抜けていて、ただれた地肌が見えていた。


「マリーちゃん、なんかおかしいよ!お願いやめて!」


 僕は必死にマリーちゃんに静止を促したが、全く聞き入れてもらえない。それどころかマリーちゃんの攻撃はどんどんエスカレートする。


 僕は耐えられず茂みの外に出ていった。辺りを見渡すと僕たちが大声で騒いだせいで人が数人集まっていた。彼らの顔を覗くとみんな顔がおかしくなっており、鉄の匂いでとても臭かった。


 僕はこれ以上ここにいてはまずいと思い、走り出した。後ろを振り向くと人間がゆっくりと追いかけてきているのが分かったが、何とか逃げきれそうだった。


 この時必死に走りながら僕は初めて人間からする鉄の匂いとマリーちゃんの足から漂っていた匂いが同じだと気がついた。


・・・


 僕はひたすら走った。途中でマリーちゃんを置いてきたことに気がついたが、もはやそれどころではなかった。


 どれくらい走っただろうか。いつも紐で繋がれていて体力の限界まで走ったことが無かったから、限界に気がついた時は息切れが激しく呼吸もままならなかった。


 僕は家の目の前に立っていた。家を出てからどれくらい経ったか覚えていない。でも無性にタナカサンに会いたくなってきた。


「ただいま」


 僕は家を出て行った時と同じ扉の隙間をくぐり、家に帰ってきた。すると家の中には強烈な鉄の匂いが立ち込めており、僕は思わず顔をしかめた。


 玄関を抜け、リビングに行くとタナカサンが家を出て行った時と同じように椅子に座っていた。


「タナカサン、ねえ聞いてよ。僕タナカサン抜きでずっと外にいたよ。ご飯だっていつもは拾い食いしちゃダメって言われているものいっぱい食べたよ」


 少し自慢げに話してみたが、タナカサンはうんともすんとも言わない。


「散歩の時によく会うマリーちゃんにも会っていろんな事したけど、なんか喧嘩みたいになって別れたんだ。あとね、変な人もいっぱいいて….」


 僕はそこで話すのをやめた。いつもなら僕が話しかけるとタナカサンは嬉しそうな顔で頭を撫でながら聞いてくれるのに、今は何もしてくれない。


「ねえ、タナカサン!僕の話を聞いてよ!」


 僕は椅子に座っているタナカサンを見上げながら話しかける。タナカサンは家から出た時と同じく、身体を紐で椅子に縛り付けた状態だった。


 下からではタナカサンの表情や状態が見えないので、僕は隣の椅子に乗ってタナカサンの顔を見ることにした。その時にわかったのが、タナカサンは身体の手前にあったテーブルに突っ伏しており、頭に何か棒みたいなものが突き刺さっていた。タナカサンの顔は苦痛な表情で固まっていた。


「タナカサン、なんでそんな苦しそうな顔をしているの?」


 タナカサンから返事は無い。そういえば家に帰って来る途中で今のタナカサンと同じような表情をして倒れている人がいたのを思い出す。その人の身体からは鉄臭い液体が流れ出ていて、息をしていなかった。


 そして、タナカサンの頭の周りからもその人と同じ鉄臭い液体が流れ出しているのをみて、僕はタナカサンも二度と動かないのだと察した。


「ねえ、タナカサン。タナカサンも今日のマリーちゃんみたいに具合が悪かったんでしょ?だから他の人みたいに僕を襲わないように自分の身体を紐で縛ったんだよね?」


 僕は声が裏返りながらそう言う。でもタナカサンから返事は無い。


「ご飯をいっぱいくれたのも僕がお腹を空かせないためでしょ?家にご飯がなくなっても困らないように家の扉を開けてくれたんでしょ?」


 結局何を言ってもタナカサンは返事をしてくれなかった。


「嫌だよタナカサン。返事してよ。またいつもみたいに頭を撫でてよ」


 僕は椅子から降りてタナカサンの足元で丸くなる。タナカサンが椅子に座っている時は、タナカサンの足元が僕の定位置だった。タナカサンの足は冷たかった。


ガタッ


 玄関から物音がした。僕はすぐにそれが人間の足跡だと分かった。多分さっき僕が大声を出したから外にいた時みたいに鉄の匂いがする人間がいっぱい寄ってきたんだ。


 数人の足音が玄関から僕がいるリビングに近づいてくる。僕はこのままタナカサンの足元にいれば外にいた時みたいに襲われることをわかっていた。でももうタナカサンのそばから離れたくなかった。


 とうとう足音がリビングまで到達し、僕は身構える。


 すると足音のする方から聞いたことのある人の声が聞こえてきた。


「あ!ショーコだ!」


 そこに現れたのは何ヶ月かに一度この家に訪れる女の人だった。歳はタナカサンより断然若く、たまにきてはタナカサンと一緒に食事をしていた。タナカサンが彼女のことをよくショーコと呼んでいたし、ショーコはタナカサンのことをオトーサンとも呼んでいた。


 もう一人、ショーコの隣に男の人が居た。この人は最近家にくるようになったのでまだ名前を覚えていない。でもショーコと仲が良さそうなのでいい人だと思う。二人とも外の人達のように鉄の匂いはしなかった。


 ショーコはタナカサンを見るやいなや膝から崩れ落ち、とても悲しそうに泣いた。一方男の人はショーコの肩を支えながらショーコの隣にいた。


 それからショーコ達は僕のところに来て、めいいっぱい頭を撫でてくれた。僕はそれが嬉しくて尻尾をブンブン振りながらショーコの顔を舐め回した。


 しばらくして、ショーコは僕に首輪と紐をつけて外に連れ出そうとした。僕はタナカサンから離れたくなかったから何回か抵抗したが、ショーコ達は無理矢理にでも僕を連れ出そうと引っ張った。


 僕の紐を引っ張っているショーコはとても悲しそうな目をしていた。そんな目を見て、僕は動かなくなったタナカサンの方にも目をやった。僕は大好きなタナカサンがもう動かないことをわかっていた。


 そして僕は抵抗するのを辞め、タナカサンの方に振り向いた。


「タナカサン、行ってくるね」


 これが僕がタナカサンを見た最後の姿だった。僕はその後タナカサンの方を振り返らず、いつもより重い足取りでタナカサンとの思い出が詰まった家を出て、ショーコ達と共に外へ出て行った。





 マリーちゃんに噛まれた右後ろ足がひどく痛み始めたのは、それからしばらく後のことだった。

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