2.ミニカツ丼
「まぁまぁコウ。そんなに殺気立たないの」
母さんの言葉に、いつの間にか殺気立っていたことを自覚したので1度深呼吸をする。
「あれ?母さん。なんでそっち側に立ってるのかな?」
父さんの疑問を笑顔で受け流す母さん。
「はい、あなた。ミニカツ丼よ」
父さんの前にお茶碗に入ったミニカツ丼が置かれた。
「え?え?」
戸惑っている父さんはカツ丼と母さんの顔を何度も見た。
さっきから姿を見ないと思ったら、まさかこんなモノを作っていたなんて。
しかし、この流れには乗るべきだろう。
「それ食ってさっさと吐いちまいな」
僕はカツ丼を食べるように薦めると、父さんはこれ以上ないくらい驚いた表情を僕に向けてきた。
「いや!もうすでに色々と吐いてるし!それにさっき夕食を食べたばかりでこんなの食べたらホントに色々と余計なモノまで吐いちゃうんだけど!?」
父さんの言い分はわかる。
僕も今ミニカツ丼を出されたら食べ切れる自信はないし、例え食べ切れたとしても当分動けなくなるか最悪の場合は吐くね。
でも父さん。あいにくと僕の横に笑顔で立っている母さんが、食べないという選択を許さないだろう。
「あら、あなた。私のカツ丼が食べられないの?」
ほら。やっぱり。
「………………………」
父さんが無言の抵抗をしていると、母さんの笑顔の圧力が強くなった。
「食べれないの?」
母さんは問いかけるように聞いているが、その言葉の裏には、食べなさい、という言葉が隠れて見えた。
「………………………食べます」
母さんの笑顔の圧力に屈した父さんはしくしくと涙を流しながら頑張ってミニカツ丼を食べ始めた。
ご愁傷さま。
内心で手を合わせる。
なんだか可哀想になったので父さんを尋問するのは止めにしよう。
スポットライトを消してからしまうと部屋の明かりがついた。
「住む場所と高校については納得したけど、荷造りはどうするの?」
何もかもそのままでいつも通りのリビングを見回した。
いつも通りそのままなのはここだけではなく、僕の部屋やキッチンに洗面所、お風呂、トイレなどもいつも通りのままそのままだった。
もしかしたら、それ以外の僕が入らないような場所や押し入れの中の荷造りをすでに終わらせているとしたら少しはマシなんだけどね。
「そうね。今から朝までに家の中の全部の荷造りは大変よね」
そんなことはなかったらしい。
だが、母さんに焦りはなく、手を頬に当てながらのほほんと微笑んでいた。
なんでそんなにのほほんと出来るのかがわからずに、僕は目を見開きながら母さんを見た。
「家全部の荷造りをしないといけないんだったら、そんなにのほほんとしてる暇ないでしょ!」
早く荷造りしに行かないと、と立ち上がろうとしたが、そんな僕の肩に母さんが手をのせて押さえてきた。
「母さん!」
「大丈夫よ。こういう時は神頼みすればいいのよ」
「はい?」
「神頼み」
母さんが笑顔で繰り返した。
母さんの言葉はしっかりと聞こえているのだが、まさかの言葉に僕の思考が停止した。
………………………………………。
はっ!ダメだダメだ!思考を止めちゃダメだ!
でも、こんな時間がない時に神頼みすればいいとか言われたら普通は思考停止してしまうよね。そうなってしまってもおかしくないよね。僕は間違ってないよね。
っと、また現実逃避してしまっていた。
これじゃあダメだと気持ちを切り替えて母さんの手を振り払って見上げる。
「母さん!冗談言ってる暇なんてないんだよ!」
僕が強く言っているのにもかかわらず、母さんはやっぱりのほほんと笑っていた。
「まぁまぁ。今は騙されたと思って、このままでは物語が終わってしまいます。どうにかしてください。と神様に祈ってみなさい」
さらにおかしなことを言いだす母さん。
「どう考えてもそれは神頼みじゃないよね!?」
物語が終わってしまうからどうにかして、ってどんな祈り!?しかも、それを叶えてくれる神様ってどんな神様!?
「いいからいいから」
優しく言い聞かせてくる母さんだが、その中に無言の圧力も混ざっていたのでこれはこれ以上言い返したりせずに母さんの言うとおりにすべきだろう。
ホントにもう何もかもがどうでも良くなってきたし、神頼みしておこう。
「このままでは物語が終わってしまいます。どうにかしてください」
母さんの言うとおりそう言った次の瞬間、リビングの中の物が一瞬で消え去り、代わりに段ボールの山が2つ出来上がっていた。
「え?え?え?」
もはや思考停止とか言ってられないことが目の前で起きた。
「ほら。荷造り終わったわよ」
「え?え?え?」
「コウったらさっきから、え?しか言ってないわよ」
いや。え?としか言えないんですけど?
ホントに何が起きたの?ホントに荷造り終わったの?なんで?どうして?どうやって?
しかし、いくら考えても答えが出てくるわけもなく、頭が混乱し始めてきていると、
「考えたってムダなんだし、荷造りが終わったのだからそれでいいじゃない」
母さんのその言葉が頭にストンと入ってきた瞬間、僕はそれでいいかと考えることを止めた。
「あとは引越し業者にお願いしてあるからコウはさっさと寝なさい」
「えっ?まだ早くない?」
今はまだ夜の9時前なので、全く眠たくない時間なのに。
「コウが明日乗る新幹線が朝の7時発なのよ」
「なんでそんなに早い新幹線なの!?」
ここから小説町近くの新幹線の駅までそんなにかからないはずだからそんなに早い新幹線に乗る必要ないはずだ。
「だってお昼前には向こうに着いてチョウちゃんから高校についての説明を受けることになってるもの」
「初耳なんですけど!?」
「今初めて言ったからね」
「確かにそうだけど!」
もう呆れて何も言えないでいると、
「ご、ごちそうさま、うぷっ」
「はい。お粗末様です」
父さんがミニカツ丼をなんとか食べきって机に突っ伏した。