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世羅 二十三歳

 

「ねえちゃん、本当に行っちゃうのかよ」


 祥太が固い声で世羅に聞いた。


「行くよ」


 世羅は当たり前だよ? という顔で弟の祥太に返事をした。


 生まれ育った家の居間に家族が揃っていた。

 世羅の父と母も寄り添いながら世羅と祥太を見守っていた。


 今日は世羅の二十三歳の誕生日。

 世羅が家を出て、嫁に行くという日。


 十年と少し前。

 ハイキング中に世羅は一時行方不明になったことがある。

 警察と一緒に散々探し回って、陽が落ちた頃にひょっこり現れた世羅は、足を滑らせて気を失っていたという。

 警察で事情を聞かれ、病院で診てもらってもけがはなく、夜中に家に帰って来たところで、世羅が信じられない話をした。


 自分はこの短い間で神隠しにあい、半年以上、地球とは違う世界にいたと。


 父は唖然とした後、警察にも迷惑をかけたというのに何を言い出したのかと怒り出し、母は世羅がおかしくなったと救急車を呼ぼうとした。


 そんな混乱の中、祥太がポツリと言った。


「本当でしょ? だってねえちゃん、背が伸びてるもん。ほら、ズボンの裾が朝よりつんつるてん。それにスニーカーもボロボロだよ」


 父と母が世羅の足下に目をやると、長ズボンが七分丈になっていた。


 半信半疑で世羅の靴を確認すると、履きつぶす直前のような草臥くたびれ具合だった。それは明らかにずっと履いていただろう靴で、山道を歩いた汚れだけではなかった。


 ズボンも靴も、ハイキングのために買った新品で、今朝おろした物だった。


「ほら。それに、ねえちゃんがそんな嘘ついてどうするの?」


 世羅の靴を持って玄関で立ち尽くす父が、手を額に添えて天を仰いでから溜め息をついた。


 居間に移動して、座って世羅の話を聞いた。

 既に夜中だが、先送りにしても良いことは無さそうだと皆が思った。


 世羅は自分に起こったことをたどたどしくも全部話した。

 ルドの気持ちなどは恥ずかしくて濁したが、こちらで過ごし、二十三歳になったら向こうの世界へ行く。

 信じてもらえなくても仕方ない。

 ただ、二十三歳の誕生日に世羅がここを出て行くことだけ理解してくれればいいと思って話した。


 話し終わった後、皆沈黙した。


 父は難しい顔をして考え込み、母はどう受け止めていいのか困惑していた。祥太は眠い目を擦ってなんとか起きていることに必死だった。


 沈黙を破ったのは父だった。


「早すぎる」


 何が? と世羅が聞く前に父が叫んだ。


「二十三歳など早すぎるだろう!? せめて三十三歳にしてもらいなさい!! 嫌だというのなら世羅はやらんぞ!!」


 ぽかんとする世羅に母も言った。


「そうよね。二十三歳なんて……大学に行ったら卒業してすぐじゃない。そんな早くに遠い所へ行ってしまうなんて……寂しいわ」


 思いも寄らないその言葉に、世羅の涙腺が崩壊した。


 泣きながら「お父さんもお母さんもあたしのこといらないんだと思ってた」という世羅を「そんなことあるか!!」と父も母も祥太も泣きながら抱き締め、その夜はそのまま家族四人で眠りについた。


 その温もりで、世羅の凝り固まった心は、あっと言う間にほぐれていったのである。


 翌朝、家族四人とも泣きはらして開かない目を見て笑い合い、朝食を食べた後、改めて話し合った。


 誰に強制されたわけでもなく、世羅の意思として向こうの世界に行くことが揺るぎないものだと分かると、父も母も祥太も頷いて世羅の話の全てを信じた。


 この日から、まるで世界がひっくり返ったかのように、世羅と家族の距離は無くなった。


 共にいる時間が有限であることが目の前に突きつけられ、一日一日を大切にするよう肝に銘じた結果だった。


 あっと言う間に時間は流れ、今日、世羅は二十三歳となった。


「本当にもう会えない?」


「たぶんね」


「それでも行くのかよ」


「うん」


「十年も会ってないのに、そいつのこと、そんなに好きなのかよ」


 祥太からの問いかけに、世羅は祥太の耳に顔を寄せ、そっと答えた。


 早く、会いたいくらいにね。と。


 はにかんだ世羅は、幸せそうで綺麗だった。


 一緒に育った姉とのこの世での別離である。

 分かっていた。笑顔で送り出そうと決めていたのに、耐えられそうになかった。

 泣き顔を見られたくなくて、祥太は思わず世羅を抱き締めていた。


 その二人を父と母も抱き締めた。


「元気で、世羅。どこにいてもあなたの幸せを願っているわ」


「嫌になったらなんとしてでも帰ってきていいんだからな!!」


「うん。あたしはお父さんとお母さんの子どもで良かった。祥太のお姉ちゃんで良かった……っ!!」


 行ってきます。


 世羅がその言葉を言い終わらない内に、祥太が抱き締めていたはずの世羅の姿は消えてなくなった。


「は……マジ消えたよ」


 泣き笑いのような祥太の驚く声で、三人は更に泣いた。


 どうか、大切な世羅が幸せであるようにと、ありとあらゆる神と仏に願い泣いた。





 目を開けた時、世羅は山小屋の前に立っていた。

 しばらくきょろきょろと辺りを見回し、ルドのいる世界に帰って来たことを実感した。


「戻って来た……!」


 家族と別れ、生まれ育った世界と別れた寂しさと、またここに来れた喜びとがごちゃ混ぜになって止まらない涙を拭い、世羅は山小屋に恐る恐る入った。


 中には誰もおらず、埃が積もっており、今は誰も住んでいないようだった。

 世羅が住んでいた時に使っていた隠し棚を確認すると、少しずつ貯めていた世羅のお金がそのまま残っていた。


 空を見上げると陽はまだ高い。今から歩いても日暮れ前には村まで行ける。久しぶりにお世話になった宿屋に挨拶に行こうと世羅は歩き出した。


 背には大きなリュックを背負い、肩掛け鞄をたすきがけに二つ下げている。父も母も祥太もこれでもかと荷物を持たせてくれた。日本のお金は役に立たないからと、金や宝石のついたアクセサリーも持たせてくれていた。


 よたよたと歩いて夕暮れ前に村に着いた。


「え……!? セラ、か?」


 第一村人を発見して世羅が挨拶をすると、貫禄のある男性は世羅を指差し固まった。


 見覚えの無い男性に名前を呼ばれて世羅は首を捻ったが、十年も経てば知り合いも大人になって面差しが変わるだろう。


 世羅が昔の面影を探そうと、じっと男性を見ると、その横にいた少年が「お父さん」と不安げに男性の手を引いた。


「え、トリンド?」


 その少年は世話になった宿屋の息子トリンドにそっくりだった。


「十年経っても子どものまま……!?」


「そんなワケあるか! この子は息子だよ。そんなことより、お前今までどうしてたんだよ!?」


 え、トリンド、おっさんになりすぎじゃない……なんて失礼なことを考えていた世羅は、トリンドに腕を引かれやって来た宿屋にて、トリンドとすっかり髪の毛が白くなった女将さんから驚愕の話を聞くことになる。


 世羅がいなくなって十五年経っていること。

 ルドが五年前に王になっていること。

 来月の建国祭で、ルドが自身の結婚について発表すること。

 ルドは世羅をずっと待っている。けれども、王として、どこかの姫様を王妃として迎えると、そう、国中で噂されていること。


「十五年……じゃあ、ルドは二十八歳? 来月、結婚するの……?」


 自分ではない人と、ルドが結婚する?


「王の結婚について、王自ら何かを発表するとだけ皆聞いている。……お前、来るの遅いんだよ! 十年だって長いのに……。王は国民皆に愛されている。いつまでも独身であることを残念がられているんだ。お前を待っていたとしても、いつ来るか分からないお前を第二妃にして、王妃を迎えるってもっぱらの噂だ」


 世羅が何も言えないでいると、女将がトリンドの頭を叩いた。


「おやめ、トリィ! 世羅は何も悪くないじゃないのさ! 待たなかった王が悪いんだよ!!」


「母さん!! まだ発表があるってだけだろ!?」


 ハッとして女将が自分の口を塞いで世羅を見た。

 ばつが悪そうな顔をして「ごめんよ」と謝った。


「おばさま、トリンド、大丈夫だよ。私、直接ルドに聞きに行ってくるね」


 世羅は困ったように笑った。


 ルドが生きているということは、ルドの心は世羅にある。精霊の名の下に誓ったことは取り消し出来ないとルドは言っていた。

 それでも、王として他の人と結婚するとルドが決めたのならば。


 反対は、出来ない……。

 世羅は拳を握り締めた。


「ルドが他の人と結婚するなら、私は側にはいられないよ。第二妃だっけ? ……奥さんのいる人と結婚なんて、私には無理」


「セラ……」


「もうこっちに来ちゃったから、ここで生きるしかないの」


 セラは顔を上げてきっぱりと言った。


「けじめ、つけてくる」





 都へは建国祭に招かれていた村長が一緒に行ってくれることになった。高齢なので随行者を探していたところだという。


 世羅にとって十年前の都への旅路が思い出された。ルドの両親の結婚式の時も、村長が世羅を都に連れて行ってくれたのである。


 結婚式の御祝いに華やぐ都で、王城のバルコニーから手を振る豆粒のようなルドを見て、ルドとはもう会うことがないんだなと思った。それを寂しく思い、感謝を忘れないと誓ったことも世羅は思い出した。


 村長がそんな世羅の手を引いて、村に連れて帰ってくれた。

 世羅はもう大人である。今度は世羅が村長の手を引いての旅となる。


 たくさん背負っていた荷物は、都への旅で必要な物以外、宿屋で預かってくれることになった。

 宿屋の女将にぎゅうぎゅうに抱き締められ、これからどうするのであれ、一度戻ってくることを約束させられた。


 そんなひどい顔をしているだろうかと、一気にやつれた世羅が力なく笑った。


 きっと、世羅が戻って来たことをルドが知れば、世羅を望んでくれるだろう。


 その横に、ルドの妻がいたとしても。


 世羅の胃はキリキリと悲鳴を上げていた。


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