誰にとっての幸せか
あれだけ心待ちにしていたルド自身の二十三歳の年。
水晶に映る世羅は幼さが抜けてはいたが少女のまま、前とは違う制服を着ていた。
あれ以来、泉の精霊が世羅のことを教えてくれることはなかったが、どんどん世羅との年の差が開いていっているようにルドには見えた。
世羅を待って十年。
この十年で三回、星の降る夜があった。
その度にルドは、世羅が戻って来てくれたと探し回っては見つからず、魔力を貯めて水晶を覗けば、まだ少女の世羅の姿が映り……を繰り返した。
あちらの時間の方が早く流れる時もあるということは、こちらで十年経つ前に世羅が来る可能性もあるということ。
ルドは心のどこかで期待しただけ、叶わない時の落ち込み具合が凄まじかった。
そしてルドの心は少しずつひび割れていった。
この年に併せて準備していたルドの戴冠式と結婚式は、戴冠式だけ行われ、結婚式は無期延期となった。なにせ、花嫁がまだいないのである。
国民は十年前と打って変わって善政を敷く王家を支持し、ルドの戴冠を喜んだ。
ルドの結婚についても、前王のことがあるため、ルドの望むようにと受け入れられていた。
けれども。
ルドが二十四歳になっても。
二十五歳になっても。
二十八歳になっても花嫁が現れないと、国民はルドが良き王で良き青年だからこそ、不満に思うようになった。
うちの王様、早く幸せになって欲しい。
そう願うようになっていったのである。
しかるべき女性を王妃に迎え、ルドが待ち続けている女性は第二妃にすれば良い。そんな民の声は日に日に大きくなっていった。
王家の血筋は、ルドの弟のアーネルが無事に成人している。
その下にも妹が二人生まれているため、このままルドが世羅を待ち続け、万が一、一生涯独身であっても王家の血は繋がっていく。
そう公式に説明しても、うちの王様をこんなに待たせるなんて、と、国民の不満は世羅に向かってしまっていた。
そんな中、もはや定例となった世羅を覗き見る会で、ルドは『覚悟』を決める時が来たのかも知れないと、小さく息を吐いた。
水晶には、家の中で若い男性に寄り添い穏やかに笑う世羅が映っていた。出かけるところなのか、世羅は荷物をたくさん持っていた。
二人は何かをやり取りした後、世羅が男性の耳に唇を寄せ、囁いて照れたように男性にはにかんで笑った。
声は小さくてこちらには届かないが、届かなくても、世羅が男性に向ける愛しさが溢れているのは、見て分かる程だった。
男が正面から世羅を抱き締めたところで、水晶は光を失った。
「泉の精霊よ……願いの条件を忘れてはいないよね?」
ルドは力なく呟いた。
「無論。あの子を元の世界に一旦帰す。あの子の二十三歳の誕生日にあの子が望むなら、その時がこちらに戻る時、であろう?」
ルドは世羅には言わなかったが保険をかけていた。
ルドは自ら望んで精霊の名の下に誓いを立てたが、世羅は違う。
十年経って世羅がこちらに戻ることを嫌がる可能性は皆無ではない。ルドの冷静な部分では、むしろ充分に考えられることだと判断していた。
だから、願いの文言に、世羅が望まない場合の世羅の逃げ道を、世羅に気付かれないようにルドは用意していた。
世羅が望まなければ、こちらに戻って来ない。
もう、来ないのである。
ルドの胸が張り裂けそうに痛んだ。
世羅に望まれないという事実が、ルドの世界を急激に灰色にしていった。
愛しい世羅にルドはちゃんと選んでもらいたかった。選んだ上で戻って来て欲しかった。
一方で、世羅が望まないなら、こちらに戻ることは不幸でしかない。望まないなら、来ない方が世羅は幸せになれる。
精霊に願った当時、十三歳だったルドは、世羅への熱に浮かされながらも、世羅の幸せを考えていた。
そして今も、どんなに心が乾いてひび割れても、ルドが最後に望んだのは、世羅の幸せだった。
だけども自分は一生世羅のものだから。
それを世間に知らしめても尚、王として他の女と添えと言われるのならば、あとはアーネルが国を導けばいい。
自分は、一生、世羅を待つ。
それだけだ、とルドは笑った。
「陛下……病みすぎでしょう」
「はは、とっくのとうに、昔からだよ」
「……もう、決められたのですね?」
「ああ」
「セラ様が好きすぎてエアセラ様が見えているわけではないのですね?」
「え、何それ見たい」
ベーデガー侯爵は、溜め息をついて、意見を翻し、無期延期していた王の『結婚式』を執り行うことを支持した。
結婚式と言っても、来月行われる建国祭の中で正装したルドが『世羅だけを妻とする』と、国民の前で誓うだけとした。
そこはベーデガー侯爵が譲らなかった。リアル結婚式を王が一人で行うなど、国民の精神上見ていられないと頑なに拒否したため、ルドが折れた。
ある意味、我が国のドゥリーミングボーイは永遠のボーイでいることを宣誓するわけだが、まあ、恥ずかしいことでもないし、この国の長い歴史上にそんな愚かで愛おしい王がいてもいいと、ベーデガー侯爵は思った。
建国祭は熱気に包まれていた。
祭事はもちろん、ルド王の結婚について、王自身から発表があると宣言されていたため、国民は国民の望む慶事の発表に違いないとの期待が最高潮となっていた。
王妃となる方は一体どなたか。
民の間では、あの人だこの人だと様々な予想がされていた。
まもなく、王が王城のバルコニーに現れると予告されると、皆がバルコニーに注目した。
今回の王の声は、魔法の伝達により国中に届けられる。
それほど重大なことであると皆受け止め、広場では誰もがバルコニーを見上げ、ルドの登場を待っていた。
外套をまとってフードを頭から被り顔を隠した一人の女性も、群衆の中からルドが現れるバルコニーを見上げていた。
黒い髪はまとめてフードで隠し、見上げる黒い瞳は既に涙で潤んでいた。
世羅だった。