執念と絶望
「長い想ひ出回想は終わりましたか?」
ベーデガー侯爵がぴしゃりと言った。
「想『ひ』出と言うな……」
頭を抱えたままルドが力なく言うと、ベーデガー侯爵はルドの抗議を無視して続けた。
「まったく、十五年もその想ひ出だけをおかずに、愛人も作らずによくもまあ……童貞を守り続け……」
わああああああッ!! とルドが再び遮った。
「またしても! 我、王ぞ!! 扱いひどくないか!?」
「はて、暴走する君主を諫めるのも臣下の務め。何か間違っていますか?」
ぐぬう、とルドは歯を食いしばった。
ここでどんなに喚いても宰相であるベーデガー侯爵が「うん」と言わねば議会も「うん」とは決して言わないのである。
王家が独裁とならないように。
貴族たちが慢心し暴走しないように。
王と議会が両輪となって国を導けるようにとルドが苦心して築き上げた関係である。
その関係がルドの希望の前に立ちはだかっていた。
「やめておきなさい。結婚式は花嫁のものとも言います。……不在のまま式を行うなど、痛すぎて正視出来ません。誓いの言葉はいいでしょう。誓いの口付けはエアですか? ああ、あれですか? 見える人だけに見えるという体でのエアキッスですか?」
取り繕うことなく呆れた声で年少者を諭すように言いながら、がっつり馬鹿にした目でベーデガー侯爵はルドを見た。
「セラ様がいらっしゃってから、きちんと好みを聞いて式を挙げることですな。そもそも何故にセラ様不在の結婚式など思い立ったのですか。通常の思考回路ではあり得ませんぞ」
ルドは急にシュンと項垂れた。
共に国政に奔走しているのは伊達ではない。息子とも言える年齢の王が、何かについて確信とも言える不安を抱えていることに、ベーデガー侯爵は気付いていた。
「何をそんなに不安に思っているのですか」
ルドは瞑目して、観念して話した。
世羅は、こちらには来ない、かもしれない、と。
けれども、自分は世羅のものだから、世間にそう示しておきたいのだと、力なく話した。
十三歳から十年という時間は決して短くない。
ルドは世羅が再びこの地に来た時のために、精力的に働いた。
要は国の平定に力を注いだのである。世羅と過ごすこの国が荒れていてはのんびりと新婚生活など出来ない。
賢王と呼ばれるようになっても、ルドの根底はそんなんであった。
ルドは膨大な魔力を持ち、魔法の才能があった。
世羅が戻るのは二十三歳の年で、待つことにしたのは自分だというのに、それまで一切音信不通であることには耐えられないとルドは思った。
世羅とこの世界は戻る時のために繋がったままのはずである。
それを見つけて辿っていけばどうにか世羅と繋がれないか、声を拾えないか、紙一枚でも送れないか、一目だけでも見たい会いたい抱き締めたいと、寝る間を惜しんで魔法を研究した結果。
「呆れた執念だ……」
そう、泉の精霊が思わず呟いた。
ルドは魔力を貯めに貯めて練りに練って、世羅の姿を水晶に映し出す魔法を捻り出したのである。
それがルド二十歳の時である。
あまりに大きな魔法であるため、魔法は泉の精霊の元で紡がれた。
城の奥の薄暗い部屋でブツブツと呪文を呟くルドを見かねた泉の精霊が、山の頂に招いたのである。
この山であれば、多少の魔力暴走は抑えることが出来る。
「なるほど……コレが『すとーかあ』というものか」
世羅の世界をたまに覗き見る泉の精霊がそう呟いたが、ルドの耳には入っていなかった。
水晶に映る世羅の姿にルドの目は釘付けだったのである。
「世羅……っ!!」
向こうの音は聞こえてこない。こちらの声も届いていない。ただ、この世界と繋がっているか細い線を辿って姿を映し出すのみ。
水晶には、髪が伸びた世羅と周りの風景が映っていた。同じ意匠の服を着た黒髪黒目の集団の中に世羅はいた。
真剣な顔をしている。少なくとも、辛そうではない。
「学校、か……」
ルドは世羅から様々な話を聞いていた。
あちらの学校には制服というものがあって、学校ごとに違う服を着ていることや、同じ服を着ている仲間と一緒に勉強したり競技をしたり遊んだりするのだと。
世羅は学ぶために帰りたいと言っていた。
こちらに来るために、自分の隣に立つために学んでいると思うと、ルドの目頭が熱くなった。
ふと水晶の映像が消えた。
「あ……。何年も魔力を貯めてもこれだけしか見れないのか……」
世羅の姿を見ることが出来、ルドの魔法は成功と言えたが、ルドにとっては満足するものではなかった。
学校に行っている風景は分かったが、家族とはどうなっただろうか。
コツは掴んだ。また魔力を貯めて練ってを繰り返し、次に魔法を発動出来るのは恐らく一年後くらいとなる。
七年ぶりに見た愛しい姿にルドは「あと三年もある……」と溜め息をついて、なんとか声のやりとりが出来ないか魔法の改良に励むことにした。
泉の精霊がまたしてもルドの執念に呆れたのは、ルドが二十一歳の時。
水晶に姿が映り、音も聞こえて来たのである。
聞いたことのない韻の言葉の意味はルドには分からなかったが、世羅は世羅によく似た面差しの少年と一緒にソファに座って寛いでいた。世羅が少年を「ショータ」と呼んだ。この子が世羅の弟だろう。随分と打ち解けて仲良さげに過ごしている。
ルドは何度も世羅に呼びかけたが、こちらの声は聞こえていないようで、目も合わずに水晶は光を失った。
ルドは、違和感を覚えた。
元々世羅は幼い顔立ちをしていた。よく外国の人からは大人でも子どもに間違えられる民族だとも言っていた。
世羅は弟とは五歳差だと話していた。だとしたら、世羅の弟のショータは十六歳のはずである。
世羅があちらに帰ってから生まれたルドの弟のアーネルは八歳になる。
ショータとアーネルは八歳離れているはず。しかし、ルドの目には同い年くらいにしか見えなかったのである。
ショータはとても十六歳の青年には見えなかった。
まさか。
まさか……時の流れがこことは違うのか?
ルドが絶望的な顔で泉の精霊を見ると、あっさりと頷かれてしまった。
「こことでは時間の流れが食い違う」
泉の精霊はいつか世羅に言った言葉と同じことをルドに告げた。
ルドはあまりの言葉に膝から崩れ落ちた。
「あと、二年……だと思っていたのに……いつ世羅はこちらに来るんだ……」
「あの子が二十三歳の誕生日に」
それは世羅が帰る時に決めたこちらに戻る日。それを事も無げに泉の精霊は言ったが、肝心なのはそれがこちらの何年後か、である。
教えて欲しい、という問いは『願い』となってしまう。
たった一つのルドの願いは現在進行形で叶えられている。
ルドは絶望しながらも、どうにかこちらとあちらの時間差を聞き出そうと思考を巡らせた。
「そう落ち込むものでもない。時の流れは一定ではない。故に答えは無い」
「一定じゃ、ない?」
「さよう。今はこちらの方が大分早い。今、あの子は十五を越えたところだ」
ルドは絶句した。
八年、世羅を迎えるためにひたすら突っ走ってきた。
それが、世羅にとってはたった二年程しか経っていないというのである。
このままの時間の流れであれば、向こうの一年でこちらの四年、向こうの八年でこちらの三十二年である。
世羅が二十三歳の誕生日にこちらに来た時、ルドは五十三歳である。
「これ、魔力を抑えよ。暴走するでない。今はこちらの方が早い流れだが、あちらの方が早い流れの時もあった。大人しくあちらの十年を待つがよい。我は約束は守る」
この日からルドの惑う日々が始まった。