初恋
ある夜、たくさんの星が降り、山が森が騒がしく光った。
木々がさわさわと光ることはたまにあることだが、こんなにも騒がしいのはルドもダーレスも見たことがなかった。
二人が騒がしい方へと慎重に森に入ってみると、最も光りざわめく中心に一人の少女が倒れていた。
見たこともない異国の服を着て、意識はなく傷だらけだったが、生きてはいた。
ダーレスが抱えて山小屋に連れて帰って手当をしてみると、大したけがはなく眠っているようだった。
目を覚ました少女は世羅と名乗り、星降る夜に空の向こうから落ちて来た子だった。
年下に見えた世羅は、ルドと同い年で、不思議な子だった。
言葉は難なく通じるが、文字は一切理解していない。世羅が書く文字は何種類もある上に、ルドもダーレスも見たことがない形だった。
控え目なのか我が儘なのか、世羅の為人も統一性がなく、ルドには分からなかった。態度は謙虚だが、要求がとても我が儘だったのである。
ルドとダーレスは、他に行く所のない世羅とこのまま一緒に住んでしばらく様子を見ることにした。
すると世羅は、まず家事を手伝いだした。しかし、掃除も洗濯も料理もほとんど出来ない。
スイドウは? センタクキは? ソウジキは? スーパーは? と意味不明なことを言いながら挑戦するも、どれも満足に出来なかった。
出来なくても手伝おうとする心根はあったが、世羅は慣れてくると我が儘を言いだした。
こんなごはんじゃ嫌だ。
お肉食べたい。
お菓子が食べたい。
お風呂に毎日入りたい。
かわいい服が着たい。
テレビもゲームも無くてつまらない。
面白い話をしてよ。
川の水なんて飲めない。
炭酸が飲みたい。
ポテチ食べたい。
言われたルドは考えた。
肉、僕もお腹いっぱいに食べたい。
菓子など年に数回手に入れば良い方だ。
お風呂に毎日入るなんて、どこぞの国の姫だ? ダーレスが魔法で水を出せるから毎日身体を拭けるじゃないか。すごいことなのに。
かわいい服って、ドレスのことか? この山小屋で?
テレビモゲームモ、ってなんだ?
面白い話……この間ダーレスが山で滑って転んだ時にズボンの尻が破けた話とかか?
川の水や湧き水以外何飲むんだ? あ、魔法で出した水か? あれ味気ないんだよな。川の水の方が美味しいのに。
タンサンガってどんな飲み物?
ポテチ……これはなんか美味しそうだな?
そんなことをのんきに考えていたルドは、ダーレスを見てこれはヤバいと思った。
ダーレスは静かに怒っていた。それがルドには分かったのである。
世羅がルドに強請ったのは、王子であるルドを差し置いた贅沢で、ダーレスが許すはずもなかった。
次の日、世羅はダーレスにより山小屋から追い出された。
ルドとてダーレスに守られている身。ダーレスが決めたことはルドのためなのである。それを最初から否定することはルドには出来なかった。
それでもルドは、少ししたら世羅を迎えに行こうと考えていた。この短い間でも、ルドは世羅の意地っ張りだが繊細な性格を見抜いていた。
そして、世羅はその心に傷を抱えていることも、ルドは感じ取っていた。
きっと世羅はいじけて自分から謝れない。
世羅はまわりに大事に守られていることに気が付いていない、自分の殻に閉じこもった子どもだ。
そうルドは思ったが、その予想は外れ、世羅は自分の行いを反省して自分から泣いて謝った。
ルドは世羅を見直すと同時に、たくさん話をし、たくさんの時間を共に過ごすようになっていった。
きっと、もうこのあたりから、ルドの世羅に対する想いは芽生えていたのだろうと、ダーレスは後に語った。
初恋。
それにルドが気が付くのは、もう少し後のことである。
世羅は一度山小屋を追い出されてから我が儘を言わなくなったが、元の世界の暮らしで当たり前だったことをポロリとルドに求めてくることはあった。
たとえば、たまにはお風呂に入りたいという希望。
世羅は元の暮らしでは毎日お風呂に入っていたというから、ルドも世羅が入りたくなるのは理解出来た。
だが、それをするためには身体が浸かるくらいの桶を作らなければならないし、そこに張る水を川から汲んでくるには二十往復はしなければならない。
ダーレスが魔法で水を出せるが、魔力には限りがあるため、風呂に水を出すと畑に水をやれなくなり、結局は川から水を汲まなければならなくなる。
湯を沸かすためには、鍋で湯を沸かしてから桶に移すか、熱した石を何個も水に入れるかしなければならないので、大量の薪が必要になる。魔法で大量の湯を沸かすのはやはり難しい。
風呂に入るというのは大仕事なのである。
入りたければ、自分で用意するしかない。
そう説明すると、世羅はちゃんと理解した。
風呂に入りたい、という一言がとんでもないことで、しかもそれを毎日と言う精神が信じられないと思われることを、きちんと理解した。自分で出来ないことを対価なく要求していることを理解した。
理解した世羅は飲み込みが早かった。
そうやってルドが小さなことでも一つ一つ話をしていくと、世羅はこちらの生活に順応し、掃除や洗濯、畑を耕し、あまり膨らまないがパンを焼き、簡単なスープを作るくらいは出来るようになっていったのである。
世羅と一緒に暮らすようになってから三回目の満月の夜。
この山の頂にある願いを叶える精霊が住む泉に十三歳になったら願いを叶えてもらいに行く。
元の世界に帰れるように願いを叶えてもらえば良い。
ルドが世羅にそう言った時、世羅は初めて家族のことをルドに告げた。
帰ってもあたしはいらないんだから、願いはいいや、と。
世羅が抱える心の傷は、家族だった。
弟を優先する両親の愛情に飢えて、弟が羨ましくて憎い。そう思う自分が本当に嫌いだと世羅は吐き出した。
この世界に来る直前も、弟の希望で出かけた先で三人で楽しそうにしている姿を見て、わざとはぐれてみたのだと世羅は言った。そして足を滑らせて急な坂を滑り落ちてしまったのだという。
ああ、世羅は、少し自分と似ているのだ。
そうルドは思った。
父しか見ていない母、国と母しか見ていない父。
僕を邪魔としか思わない祖母。
そんなまわりに立ち向かう力のない自分が一番嫌いだ。ルドは、逃げるだけの自分が嫌で仕方なかった。
気が付けば、ルドは世羅に自分のことを話していた。
話すつもりはなかったのに、話していた。
追われる王の子。
お母さんを探したい。
お父さんに会いたい。
寂しい。
ルドは世羅と寂しさを混ぜあって分け合って肩を寄せ合って、少し泣いた。
繋いだ手の温もりは母よりも温かくて、ルドが世羅に無自覚に完落ちした瞬間だった。