聖獣との出会い
警戒を緩めることなく、ゆっくりと近づきながら動かない虎の様子をうかがっていると、突然虎のお腹が鳴った。
どうやらお腹が空いているようだ。私の昼食の香りに釣られてここまでやって来たのだろう。
私はスープを取り出して分けてあげることにした。私がスープを虎の前に置くと、虎は少しだけ体を起こしてスープの匂いを嗅ぎ始めた。
しばらくすると舌でスープを少しずつ舐め始め、次には前足を使って器を持ち、凄い勢いで飲み干してしまった。
あまりに美味しそうに食べてくれるのでもっと食べさせてあげたくなってしまった。
「お代わりあるけどいる?」
言葉は伝わらないと思いながらも聞いてみると、目を輝かせながらコクコクと頷いた。どれだけ食べたいと思っているのかも私に伝わった。こんなに喜んでくれるのは単にお腹が空いていたからというだけでなく、私の料理を気に入ってくれたからだろう。
私が器に追加のスープを入れると、今度はすぐに飲み始めた。
『助けてくれてありがとう。このままでは危ない所だったよ。』
急に頭に声が聞こえてきた。私が驚いて困惑していると、再び声が聞こえてくる。
『慌てないで。君の目の前にいる僕がテレパシーで脳に直接信号を送っているんだ。』
私は目の前にいる虎の方をじっと見た。
「君が私の頭に声を届けているの?」
『そうだよ。声に出さなくても、考えるだけで僕には言葉が伝わるよ。』
考えるだけで伝わる、ということを信じなかった訳では無いが、慣れていないから言葉を発することにした。声に出す前に相手に伝わっているのだとしても、声に出すのが当たり前になっていて無言の会話というのは変な気分になる。
「君の名前はなんて言うの?」
『僕はスワイグと呼ばれているけど、決まった名前はないよ。この名前も人間が勝手につけただけだからね。僕は昔からここに住んでいて、聖獣と呼ばれている生き物の内の一匹なんだよ。』
(確か昔読んだ本にも聖獣の中にスワイグと呼ばれる生き物がいたな。スワイグって言い難い名前だから略してしまおう。)
「どうしてスゥはお腹を空かせていたの?」
(聖獣は昔から存在していて精霊よりもさらに長生きで、ほとんど食事を取らなくても生きていくことができるはずだが、間違いだったのだろうか。遥か昔のことで間違って伝わってしまった可能性もあるけど。)
現に本に載っているスワイグという聖獣とは体の色が違っていた。
本では白色の体に黒色の模様がついていたが、実物は黄色の体である。見た目だけで言えば普通の虎とあまり変わらないようで、虎に混じっても普通の人間は気が付かないだろう。
『昔はここには果物がなっている木が沢山あって困ることが無かったんだけど、一度ダンジョンから大量に魔物が溢れ出してここを焼け野原にしちゃったことがあってね。それで木どころか草すらも生えなくなってしまったんだよ。当然花もここには無いよ。もう10年くらい前の話かな。』
そういえばこの付近は何も無くただの山、じゃなくてただの丘だった。周りを見渡しても動物だけでなく虫の一匹すらも見つけることができなかった。ここは標高1000m近くもあり、頂上まで行くとおそらく2000mは超えるだろう。それでも今は夏だからそこまで寒いということは無い。むしろ暑くもなく、私からすると丁度いい気温だった。数は少ないだろうけど、この時期に虫がいないとは思えなかった。10年も前から果物がならず、花も生えず、草も生えないこの地域では普通生活できないだろうし、見当たらないのは納得だ。
「そんなに前から何も食べていないの?」
『そうだよ。』
予想以上に長い時間食事をしていないようだ。食事をせずに生きることができるとしても、栄養を取らないと体の調子は悪くなってしまうだろうし、生活に余裕を持てなくなってストレスの原因にもなる。私だったら死ぬ事はなくても10年間も耐えることはできないだろう。
『それにしてもこのスープとても美味しいね。お腹が空いていて美味しく感じるのか、僕の知らない間に料理が進化したのか、作った人が上手なのか・・・それとも他の理由があるのかな?』
「その3つの理由の他にも、新鮮でいい食材を使っているというのもあるんじゃないかな。」
『高級食材なの?それなら悪いことしちゃったな。』
「別にいいよ、自家製の食材だし。」
料理に使った食材達は精霊の住処で育てられたものだ。自家製とは言ったが、自然に育っている物や、他の精霊が育てた物で、私の実家で育てた食材はひとつも無い。
『そうなんだ。料理を貰ったお礼がしたいんだけど、何がいいかな?聖獣にお願いができるなんて滅多にないよ。命を助けてもらったようなものだし、できる範囲で叶えてあげる。』
聖獣は伝説の存在と言われるだけあって、大抵の願いを叶えることができるだろうけど、私はそんなに欲張りではないから、今困っている事をお願いをする事にした。
「今キメラの丘に向かっている途中なんだけど、迷っちゃって。どこにあるのか分からなくて困ってるの。だから、その場所を教えて欲しいかな。」
ずっとこの丘にいる聖獣なら近くにあるキメラの丘の場所は知っているだろうと思った。この場ですぐにでも叶えれるお願いだし、聖獣も困らないだろう。
『そんなことでいいの?』
「いいの、このままじゃいつ帰れるのか分からないし。」
『それなら連れて行ってあげるから、僕の背中に乗って。ここから100kmくらいだからすぐに着くけど、ここは山だからね。丘はもっと東にあるよ。』
(全然近くないじゃないか。ここからも1人だったら本当に危なかった。空を飛べばどこかの町までは戻ることはできるだろうけど、ダンジョンは空からだったら簡単には見つけられないだろうし、そのまま歩いていたら、さらに離れていくところだった。そういえば今思い出したことだが、ギルドマスターに東北と言われていたのに北に向かっていたような気がした。地図によると丘にはちゃんと木は生えているし、こんなに高いということもない。もっと早くに気づくべきだったが、ここまで気づけなかったのは恥ずかしいな⋯⋯。)
*
私はスゥの背中に乗せてもらい、キメラが生まれるというダンジョンまでやって来た。
キメラの丘はこの近くにあるダンジョンの中でも突出して危険だと言われている場所で、Aランクの冒険者パーティーでも大変で、複数パーティーが合同で挑むこともよくあるダンジョンだった。
『ここのダンジョンは危険だよ。心配だから僕も一緒に行くよ。君の願いにダンジョン攻略は含まれていなかったけど、僕の自己満足だから。ダメって言われてもついて行くからね。』
「ダメだよ、あまりスゥを困らせたくない。」
『大丈夫だよ、僕がついて行きたいだけなんだから。ユミルが気にすることじゃないよ。』
(私いつ名乗ったっけ。)
『名乗ってはいないけど、相手の名前くらいは聞かなくても分かっちゃうよ。心が読めるんだからそれくらいはできるよ。』
「それは怖いな。どれだけ個人情報が漏れているの?」
(もしかしたら私の正体にも気がついているのだろうか。)
『分かるのは表面的な情報くらいで、流石に心の奥の方までは読めないよ。でも、君が精霊であることは見ただけで分かっていたよ。心を読むまでもない。』
(どうして私の心を読む前に気がついたのだろう。誰にも気づかれないようにしていたつもりだったんだけど。聖獣には特別な力があるのかもしれないな。)
「それが分かるなら、なぜついてくるの?確かに私は小さいけど、子供じゃなくて成長しきった上位精霊なんだよ?」
『僕を見つけた時に直接空気中のマナを操作していたから気がついたんだよ、人間にはそんなことできないからね。でも、上位精霊でもこのダンジョンを1人で攻略できる精霊は精霊王くらいだよ。』
「それなら大丈夫だよ。私、精霊王よりも強いから。」
『ありえない話ではないけど⋯⋯、やっぱりおかしいよ。精霊王は全属性の精霊魔法が使える変異種で、その中でも最も高い実力を持つ精霊がなるはずなのに。』
「純血の精霊ではないからかも。私は精霊と人間のハーフだから。」
『でも、もし精霊王よりも強かったとしても心配だから僕も行くよ。1人よりも2人で行った方がいいでしょ?』
「そうかもしれないけど、スゥのことが心配だから⋯⋯。」
この後も私たちの口論は長い間続いていた。