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Episode06;再起動(後)

 §同地・447年7月・2時間後


 山海の珍味を並べた食卓。警護と側近たち、周辺国から人質として差し出され保護されている人々の吐く息で咽るような空気の中、乾いた銅鑼の音が3回響く。張り詰めたように立ち尽くす人々、その姿は実に様々だ。

 緋色のギリシャ風民族衣装を纏う者、ローマの皮甲を身に付ける者、ペルシャ風のチェニックを着る者、スキタイ系の皮兜を被る者、ブングルドの、東ゴートの、フランクの、ゲピートの、ゲルマン諸民族の女たち・・・征服し従順させた人々がひれ伏す中、神の鞭アッティラが登場する。

「クイーン。ミッション・カウント・スタート」

シンディがタグを通して囁く。

「現年紀時間1738。警戒域まで12m。待機続行」


 5世紀巡回警備班が監視を引き継ぎ、現場を離れると4班は王宮とされる巨大天幕の『天井』に陣取り、間もなく現れたアッティラを迎えていた。

 360度全方向、全面に擬似窓を広げ眺める中、まるでシネマのように歴史が展開して行く。見つめるスペンドは思う、こいつは何度経験しても緊張する、と。それは神の目線、擬似窓のせいで宙に浮く感覚、しかも見ている相手は彼らを見ることも感じることも出来ないのだ。

 アッティラは巨木を削って作られた呆れるほど重厚な玉座に座ると、辺りを睥睨する。そこに畏まる誰もがその視線を避け、目を合わせないように伏せている。アッティラは口の端に皮肉な笑みを浮かべると、横にかしずいたブロンドの髪が輝く青年に何事か囁く。するとその青年は立ち上がり、美しいテノールで平伏す人々に向かって謳うように何事かを伝える。それを聞いた人々は深々と身を伏せ、王への忠誠を唱えた。

 その時。


「シンディ、外の様子がおかしい!」

 シンディの耳元に女性の声。スウェーデンの一件で喪失した前任に代わり受領した彼女にとって6番目のピッカー、その名前は変わらずクイーンだった。シンディは素早く擬似窓を開き、外の映像を流すと・・・


 人・人・人。

 彼方に見えるドナウの流れから手前、埋め尽くすように人が・・・

「これは!」

 スペンドが呻いた瞬間。

 人の壁が崩れる。何かの合図でもあったのか一斉に雪崩を打つように王の天幕めがけ殺到する。外に配置されていたはずの衛兵の姿は見えない。手に様々な得物を持った人々は閉じた四方の入り口だけでなく天幕の合わせ目から中へと・・・その顔は一様に紅潮し目が異様に光り輝く。

「TCだ!先に行くぞ!」

 先に動いたのはジョー。誰もが、シンディですら突発事態に一瞬、思考停止する中での独断専行。緊急開扉用のコードを素早く打ち込むと、光彩を放ち開き始めたゲートへ思い切りよく飛び込む。続けて彼のピッカー、『アン』が続く。

「アン、APCだ!先にピッカーを抑えろ」

「了解」

 ジョーは実体化すると目前に現れた天幕を支える丸太組に下がる麻縄に跳びつき、その縄が切れる寸前まで垂直降下、残りの3メートルほどで切れた縄と一緒に飛び降りる。ちょうど玉座の左側、侍女たちが恐れおののいて潜んでいるテーブルの裏だった。

 アンの姿は見えない。亜空間で相手のピッカーと戦っているはずだった。

 ジョーは光学迷彩で己の姿が見えず、誰も彼の存在に気付いていないことを確認すると、素早くアッティラの後ろへ回る。立ち上がり辺りを睥睨するその男の周りでは、血生臭い光景が展開されて行く。誰彼構わず振り下ろす棍棒を血に染め、力尽くで人々をなぎ倒すゲピート族の男。刀剣を抜いて相手の腕を狙い、まるで剣舞を踊るかのようなフランクの男。白刃と棍棒、蛮刀と短剣、短槍と投槍。武器を持たぬ者はそこにあるものを投げ返し、折り畳みのテーブルを盾に突破する者もいる。己の生死を賭けて正に死闘が始まった。

 ジョーがアッティラの脇に降りた時には既に彼の近衛兵が周りを囲み、押し寄せる群衆に情け容赦なく太刀を振るっていた。常にアッティラの脇に傅くローマ出身の美青年2名も短弓を取り、辺り構わず連射している。それにも関わらず暴漢たちは次から次へと押し寄せ、広い部屋の中は敵も味方も入り乱れて、お互い刀剣や棍棒を振るう余裕がなくなりつつあった。悠然と迫り来る暴漢を睥睨していたアッティラも遂に自ら長槍を取り、押され気味の近衛兵越しに暴漢を射し貫いては抜き、血潮の海を深いものにして行く。

(まずいぞ、これは) 

 ジョーは押され始めた近衛の兵を見て舌を打つ。

 善良そうな人々がどうやって操られたのかは分からない。しかし、この暴徒の数、半端ではない。1000、いや、2000は下らないのではないかだろうか?

 この本営の周りにはアッティラ直卒のフン族兵士やその家族もいるはずだが、今のところ王宮の異変に気付き馳せ参じる者は少ないようだ。それとも、動きを封じられているのだろうか?

 食事中王を護衛していた近衛の兵は50人、近従の者を含めても100人はいない。後は傅き女や奴隷、友好と従属の印にと送られた高貴な者の子息など人質たちと、友好部族の将士などおよそ300。今やそれぞれが自分の身を守るのに精一杯で、王の周りを囲む30人ほどが奮迅の戦いをしているだけだ。それも外から玉ねぎの皮を剥がされるように一人、また一人と暴徒の波に呑まれ、浚われて行く。王も冷静に槍を振るってはいるが、それもいつまで持つものか。

 ジョーの見ている前で近従の青年が喉に投槍を受ける。ごぼごぼと嫌な音を立て血飛沫が王の袖を染めた。ローマ人の美青年は槍を喉に刺したまま、信じられないといった驚愕の表情を浮かべ、王の方へ手を差し伸べたがそこで力尽き、白目を剥いて崩折れる。アッティラは野獣のように一声吼えると、手にした槍を迫る暴徒の一人に投げ、その男が顔を射抜かれ叫んでのた打ち回ると、蛮刀を抜き去り、近衛の兵を押しのけて寄せる人の波へ飛び込んだ。

(仕方ない、不磨の大典とやらを破るしかないな)

 ジョーは腹を括る。腰に下げたスティックを引き抜くとマシンガンモードにして、前に立っていた近衛の兵を突き飛ばすと暴徒に向けて放つ。ビーム状の高電磁波が人を焼き、跳ね飛ばす。

 一瞬、時間が止まるかのように人々の動きが止まる。前列がなぎ倒され焼かれ、その後ろの列も次々に焼かれると、パニックが広がり始める。再び怒声と悲鳴が溢れ出し、恐怖が人々を突き動かす。

 アッティラが何か叫んでいる。その顔は喜悦に歪み、叫びは野太い高笑いになる。ジョーの放つビームを、彼の信じる鬼神か何かの奇跡とでも思っているのだろう。王の周りは倒れた人々が山をなし、逃げ始めた暴徒を押し始めた近衛の兵と共に蛮刀を振るう王の様子は、鬼そのものに見えた。

 しかし。

 ジョーのビームが途切れる。バッテリーがアップしたのだ。彼は予め追随カーゴから取り出しておいたバッテリーカートリッジをズボンのマップポケットから取り出すと素早く交換する。そして再び放射を始めたが、その隙に新たな暴徒が天幕の中に入り始め、今まで以上に強引に、急速に押し寄せた。それは僅か数名になった近衛の兵を取り囲み袋叩きにし、近習と2名の将士に守られたアッティラも包囲される。ジョーの周りには死体の他は何もなかった。彼はそれまで、ただ威嚇に近い状態で電磁ビームのパワーを抑えて使っていたが、諦め、スティックをマックスゲインにして火炎放射器のように人々を倒した。しかし数が多過ぎる。ビームをものともせず、姿の見えない彼に迫り始めた人々を見て、最早、アッティラを救うことより自分の心配をしなくてはならない、と感じたその瞬間。

 宙から『炎の壁』が降りる。それは劇場のオペラカーテンのように天幕の両端に現れると、幕が閉じるように中央に向け走り、それに触れたものは人だろうが物だろうが瞬時に跳ね飛ばされ、引火した。その『炎の壁』はアッティラを囲んだ暴徒を分断し、怯んだ暴徒に我に返ったアッティラたちが刀を振るうと、暴徒は夢から醒めたかのように目を白黒させ、打ち倒されるか逃げ去るかして散り散りとなって行く。

「ジョー、大丈夫ですか?」

 マイクロタグを通してスペンドの声。

「天幕の梁にいます。ボスとウィンは外で『デモ隊』の侵入を防いでますよ。俺はボスの応援に行きます。拡散防壁を付けたスティックを置いてきますから、それで大丈夫ですか?」

「どの位持つ?」

「自動装填バッテリーを2個付けましたから5mは」

 するとジョーの目の前に擬似窓が開き、拡散防壁のコントロールパネルが表示された。バッテリー残5分、となっている。

「了解した。行ってくれ。こっちは大丈夫だ」

「では、後で」

「スペンド」

「何でしょう?」

「恩に着る」

「スウェーデンのお返しですよ」

 スペンドは外へ出て行った。

 ジョーは拡散防壁の出力を少し絞ると、防壁沿いに逃げ惑う人々を追いながら殺戮を繰り返すアッティラと近衛の兵を見つめながら、吐息を吐く。やがて、彼の視線を感じたのか、アッティラがふとこちらを見やると、ジョーはゆっくりと天幕の影に入り、身を隠した。光学迷彩が効いているとはいえ、勘の鋭い者は気配で分かる。もうアッティラは安全と見たジョーは、面倒なことになる前に天幕の合わせ目から外に出た。


 外の光景を見た途端、ジョーは思わず立ち止る。このドナウ河畔に住むあらゆる人々が集まった、と言われても信じてしまいそうな数の人間。男だけでなく女も手に武器を携えて、緩やかに波を打つように蠢いている。

 きっと先ほどまでこの天幕を目指し押し寄せて来ていたのだろう。今はシンディとウィンが手を変え品を変え行なった遅延工作によって倒され、のたうち蹲る人の山を前にして、呆けたように立ち止り、手にした棍棒や蛮刀を地に打ち付けたりしながら口々に何かを呟いている。シンディたちの姿は見えない。何処か丘の影にでもいるのだろう。すると・・・

「ウィンなら騎兵隊のお出まし、というところだな・・・」

 思わずジョーが独り言を呟くほど、それは見事な急襲だった。皮の兜を被り、短弓と短槍だけを手に足捌きだけで馬を駆る兵士の集団が降って湧いたように現れ、群衆に向けて雪崩れ込んで来た。彼らはおよそ300騎ほどだったが、数千にも及ぶ群衆をいとも簡単に蹴散らして行く。それまでに自分が何故この天幕に押し寄せたのか分からなくなり、混乱して立ち往生していた人々は、自分目掛けてフン族最高の騎馬隊、東西ローマの重装歩兵を散々に打ち破ったこの世界最強の精鋭が押し寄せるのを見て目が覚めた。砂の城塞が波に崩れるように、群衆は砕け散り、あらゆる方角へ逃げて行く。見やるジョーには、それもまた一種爽快な光景に映った。

 ジョーは擬似窓を開けるとコマンドをタッチ、目の前に追随カーゴが現れる。無論、彼以外見ることは出来ない。彼がスティックの交換バッテリーを取り出すと、天から声が掛かる。

「ジョー」

「アン、終わったのか?」

「ええ。敵のピッカーは3体。拘束してクイーンたちに任せたわ。それはそれとして、ジョー、気付いた?」

 バッテリーカートリッジを装填するとジョーは一言、

「TCか?」

「そう。ピッカーの数から3人と考えられるけど、何処にもいない。気配すらないわ。ピッカーに群衆の管理を任せるのは分かるけれど、実体化しないでこれだけの大仕掛けなんて出来るのかしら?」

「出来るんだろうな。慎重に少しずつ、時間を掛けて根気良く因子を埋め込んで行く。原因の種が芽吹くまで気付かれないように」

 ジョーはそう言うものの、自分でもそれを信じていない口調だ。

「そんなことしたら、いくらお金があっても足りないじゃないの・・・」

 アンが何かに気付き、沈黙する、と。

「ジョー!」

 アンが叫ぶと同時に火柱が天幕を囲む群衆の向こうに立ち上った。スティックに接続された拡散防壁アタッチメントの電磁バリアー。触れた人影が何人か吹き飛ばされるのが見える。それはフンの騎兵が刈り取って行く暴徒の壁の向こう側、フンの兵士たちもその光景を唖然と見やるのが見えた。

「シンディたちか!」

 彼女たちが発見され囲まれたのか?

「行く?」

 ジョーは即決する。

「いや、TCを捕える。これで分かった。実体化していなくとも近くで操作している。それが元凶」

「でも、」

「シンディたちには少しの間踏ん張ってもらおう。じきにマスクレイドの部下が駆け付ける。さ、付いておいで」



 §同地・同年紀同時刻



「ウィン、6時へ!」

 彼の相棒ピッカー、ランスロットが叫ぶ。右・左ではなく北を12時とする古来の方向指示で間違いのない指示を与えたのだ。6時、南方。突然彼らに気付いたのか襲って来た敵に向かって右。ウィンは考えるより先に身体を投げた。追うように矢と短槍が彼の消えた地面に突き刺さる。ほっとしたのも束の間、短槍が伏せるウィンの左脇を掠める。直後彼を狙って矢が2本。それも転がりつつ避けた彼はそのまま手近の岩陰に飛び込み、タグを通して拡散防壁を構築しようとする。彼の右手、たった今槍と矢が放たれた方向へ展開しようと、彼が意識を逸らした瞬間。

「ウィン!避けろ!」

 左右両側から矢と短槍が放たれる。その数10。さすがの彼も避ける間はなかった。

当る!無意識下で出来る限り岩に身体を寄せ、背を向ける。それをまともに受けたのなら彼もただでは済まなかったのだが・・・

 カツーン、カッ、ガキッ。矢は金属が弾かれる硬い音を残し装甲合金アーマーに阻まれる。彼に覆い被さるようにランスロットが現れ矢襖を防いだのだ。

 ウィンは下からランスロットをちらり見上げる。擬似映像が一瞬ブレて中世の優雅な騎士姿からメタルの身体が透かし見えた。ウィンはその下から這い出し、次の矢が到達する前にそこを飛び退る。

「私はいい、行け!排除しろ!」

「承知!」

 ランスロットは消え、そこに暴徒が押し寄せる。すると、人々が見えない手になぎ倒され、太刀や弓矢をはぎ取られて行く。ウィンはその隙に拡散防壁の準備を終え、右手に電磁波の壁を築いた。

 拡散防壁が右側の暴徒を防ぎ怯ませた事に満足したウィンは左手を見渡し、暴徒に向けスティックをバーストさせる。すると彼の向かい側20メートルほど先にもう一つ、拡散防壁の火壁が立ち上がった。その手前には、まるで戦場を見晴るかす古代の将軍を思わせる堂々とした立ち姿でシンディがバーストを群衆に浴びせている。

「シンディ!」

 タグを通し声を掛けると、彼女に迫った数十人を排除したシンディが軽く手を上げる。

「無事か?」

「大丈夫だ、ランスロットに防戦を命じたが、これはすっかり介入してしまったな・・・」

 シンディがスティックを素早くバーストさせ、自分の前60度ほどを掃射する。ウィンは彼に向け投げられた槍をスティックで叩き落すと、持ち替えてマシンガンモードで暴徒に向けて掃射した。次に会話出来るまで数十秒が経過する。シンディは軽く息を吐くと不敵な笑いを滲ませた声で、

「こうなったら構いやしない。出来るだけ踏ん張って撤収する。ジョーやスペンドはまだ中か?」

「だろうね。声は掛けたのかい?」

「ああ。だが、返事はない」

「彼ら、平気か?」

 するとシンディは更に苦笑の気配を窺わせる。

「放って置いても大丈夫さ。スペンドはともかくジョーは前にもこんなことがあった」

「前にも?」

「いいから集中しな、来るよ!」

 シンディが再びバースト。ウィンは飛んで来た矢を瞬時にバーストで弾き飛ばす。群衆は外側をフンの騎兵に押されるせいか、彼らに向かう数を次第に増して行く。その暴徒が何もしていないのに倒れたり、武器を奪われたりしているのは、2体のピッカーが踏ん張っている証拠。2人は少しずつ後退しながら、2つの防壁の間に自然と背中合わせになる。そこが最後の砦、寄せる暴徒を前後にスティックで受け止め続けた。


 長い2分が経過する。漸く伝説の屍鬼のような魂のない人々の群れに、僅かな躊躇が表れる。操られているのは確かだが、その呪縛に裂け目が出来たのだろうか、それとも、時間経過による意識の回復だろうか。電磁波に焼かれるというのに次々と寄せる人の波は変わらないが、その勢いが少しずつ弱まって行く。 飛んで来る矢や槍の数も目に見えて減って行く。それは光学迷彩で完全に姿を隠し亜空間を蛙飛びに移動しつつ暴徒を排除するピッカーたちや、目標が4班へ移ったことで自然、外側から狩り立てるようになったフン族騎兵の活躍が理由でもある。しかし、暴徒の熱が醒めつつあることは次第に肌で感じられるほどになった。

「シンディ、こちら側の連中は動きが鈍った」

「予備カートリッジは?」

「あと1個ある。そっちは?」

「私も1個持っている、こちらも収まりそうだ」

 彼女は今一度プラズマを発射すると一瞬だけ振り返り片手を振る。暴徒の波が弱まって来たことを感じてからは、節約のためバーストを止めていたのだ。

「制限時間まであと2m30sだ、天幕はどうだ?」

「もう人は疎らだ。騎兵が100騎ほど周りを走り回って残りを排除している。対象アッティラはもう大丈夫じゃないかな?」

「よし、ぎりぎりまで残ってから退避する。もう少しだけ、」

「シンディ、通信」

 クイーンが割って入り、タキオン通信をリンクした。

「こちら5世紀常駐巡回警備12班、あと1mでそちらへ実体化する。損害はないか?」

「こちら機動執行4班。応援を感謝する、今のところ損害はない。保護対象は健在、先にそちらの様子を確認してもらえないか?班員2名との通信が途絶しているので、我々はそちらを確認したい。あと、天幕内で拡散防壁を使用した。回収もお願いしたい」

「了解した、任せろ」

 通信が切れると、ウィンが秘話でぼやく。

「何であいつらは何時でも終わった頃にやって来るんだ?」

「どうしてだろうね。逮捕執行への不介入っていう不文律もあるからな」

「こういう手柄なら横取りされても文句は言うまいよ」

 ウィンのぼやきにシンディは密かに笑う。もう暴徒はただの烏合の衆、彼女たちに害を及ぼす者は皆無となり、騎兵に追われ群衆は細切れになり次第に広く散って行く。と、片側の拡散防壁がすっと薄くなり、幾度か瞬くと消える。もう一基も追うように消えた。バッテリーが尽きたのだ。あと3分も押されていたら危ないところだった。

「際どかった・・・バッテリーを余計に持って来て正解だったな」

 すると彼らの耳に明るい声が響く。

「手伝えないで済みません、こっちもそれなりに忙しかったんで」

「スペンドか、ちょっと心配になって来たところだったぞ!大丈夫か?」

 ウィンが驚いて声を掛ける。

「大丈夫だよ、そちらは?ウィン」

 ウィンは傍らに戻って来て帽子を取り挨拶する『騎士』を見やりながら、

「無事だ。ジョーは一緒かい?」

「さあ?中にいるんじゃないんですか?」

「君は何処にいる?ジョーも君も識別子マーカーを切ってるじゃないか」

 しかしスペンドはそれには答えず、

「先にマシンへ帰っていてもらえますか?ジョーの様子を見て、一緒に帰ります」

「スペンド?」

 シンディが訝しげに聞く。

「では、あとで」

「待て、スペンド」

 しかし彼は通信を切ってしまった。防壁用に地面に刺したスティックを回収してクイーンが戻る。シンディは彼女にだけ見える女神に微笑んだ。ウィンは天幕の周りを駆け回る騎兵と、既に数十人の単位で逃げて行く人々を見やりながら、

「スペンドの奴、何か隠しているな」

 シンディは彼に近付きながら、ウィンが驚くほど楽天的に、

「任せるさ」

 そしてこちらに気を割く余裕の出来た騎兵数騎が駆けて来るのを見て、肩を竦める。

「さあ、時間切れだ、ずらかるよ。あとは防衛チームと2人に任せよう」



§同地・同年紀同時刻



 スペンドは亜空間にいた。時間経過のないマイナスエネルギーで満たされた、『存在』を得られない空間。 全てのものは形状のない、分子電子すら一定の形状を保てない『ガス』のようなものとなって漂う。間近にバズもいるはずだが、彼もバズも識別子を断っているためお互いを視認し会話をすることは出来ない。しかし、すぐそこにバズがいることを彼は研ぎ澄まされた感性で感じていた。


 どのような環境下、超光速下でも質量を変化させない木星由来の元素Muの発見、それによる光速度輸送手段の完成と虚数域(亜空間)への侵入方法の解明、元の形状を記憶・再生する実体化因子の発見と改良など、様々な研究・開発により時空超越、いわゆるタイムトラベルは可能になったが、その技術の中でもこの亜空間での生存は未だに解明されていない、偶然の発見による賜物だった。スペンドは何千回とこの虚数域の『亡霊』となっているのに、何かの拍子、未だに気味の悪い思いをする。

 全ての光景を擬似映像ビジュアル化するマイクロタグのお陰で、ガス状になった自分を意識することはない。本来は上下左右という方向性もなく、遠近長短もなく、時間もない、そんな不気味で何も見えない真の闇の世界である亜空間も、一定の視点から見た世界として認識されている。擬似映像なくしては五感が働かず、生の実感を得ることは難しい。徳を積んだ修道僧や僧侶でもない限り己を捉えることは出来ず、狂気に陥るのは時間の問題となるだろう。


 その、今は藍色に塗り込められた、少年の想像する宇宙空間を実体化したような広大な空間を前に、スペンドは遠く霞んで見える光の粒を見ていた。粒は1つだけでなく、2つ3つと付いては離れ、また付くといったことを繰り返している。

 良く見ると、その粒は至るところに浮遊して、異次元を飛び回る蛍と言ったところ。それは一つ一つが亜空間に存在する識別子を持つ異物、マシンやカーゴ、そしてピッカーや人間だった。通常の状態なら、スペンドを見るものがいればあの蛍火のように見えるはずだ。 しかし、今彼はあの蛍火を発していない。

 亜空間の中で共有するスペースを仕切り、その中にいる者だけがお互いを認識し合う。同じスペースの外や、別のスペースにいる存在は、あの芥子粒ほどの光点でしか表示されない。

 共有するスペースのことを『オリジナル』と呼び、光点を『識別子マーカー』と呼ぶ。オリジナルは時空走路や常駐ベース、年紀に侵入する際の待機所などのために作られ、識別子は虚数域の中で衝突したり行方不明にならないようにレスポンダーとしても使用される。今、スペンドはその識別子を切っている。長時間続ければ再実体化不可能になることもある危険な行為、重大な服務規程違反だった。


 スペンドは虚数域を『泳ぎ』ながら、ある識別子を捜していた。とはいえ、あの蛍火は時間も距離も存在しない虚数域に浮かんでいる。近くと見えて実は数百年前後して存在していたりもするので、星図で調べないまま肉眼で、夜空に瞬く暗い一個の星を探すより難しい。普通なら徒労に終わる行為であり、大海で針を探すに等しい行為だったが、彼には勝算があった。直前にその対象の識別子、正確には対象に『付随』するものが放つ識別子に『異物』を加えたのだ。

 この技は整備班のニーが教えてくれた。半年ほど前、暇を持て余していた彼がピッカーの整備場でぼんやりと整備の様子を眺めていた時のことだ。


 数体のピッカーを同時並列にして定時点検をしているニーが、ふと整備場のキャットウォークで彼女を見下ろしているスペンドに気付き、手を振り、手招きした。

「ご苦労様。器用なもんだな」

 近寄りながらスペンドが褒めると、キャップをぐいっと上げて笑顔を輝かせた少女が、

「こいつがあたいの仕事だからね」

 2人はニーが休憩と称して用意したマテ茶の入った古風なカップをアルミのストローで啜りながら色々な話をした。ふと、スペンドが亜空間でTCの存在を確認出来たら仕事がもっと楽なのに、などと話したら、ニーはタグの秘話に切り替えて、悪戯っぽく言った。

「もしも事前に相手に仕掛けることが出来るのなら、その方法、あるよ」

 そしてニーは整備班でオカルトとされたある方法をスペンドに教えたのだった。


 先ほど、スペンドはその方法を試した。天幕を出て以来、ずっと監視していた対象が拡散防壁の立ち上がるのに驚いた隙に、スティックに装着したある物質をミニマムゲインでライフル射撃、見事それは対象の『相棒』の背中に吸着し、同化した。それは普通目に見えない電磁波に『着色』するために用いる因子の一つで、その目的から『曳光弾』と呼ばれる。普段はバッテリーと並列化して使うのだが、スペンドはニーの教えで弾丸状に改造し、何時か試そうと装備に忍び込ませていたのだった。

 対象が亜空間に消えると、スペンドも後を追った。虚数域に入ると何時ものように軽い眩暈と全身総毛立つような身震いと嫌悪感が訪れるが、それも耐える間もなく直ぐに消える。既に相手をロストしている。それは当然のことだったので、じっくり焦らずニー語るところの『赤い一等星』を探した。

 識別子は様々な色をしているが、普通は紫から黄色にかけてのグラデーション、赤は珍しいのだ。やがて・・・

(いた!赤く輝く一等星。感謝するぜ、ニー)

 スペンドはゆっくりとその赤い星に近付く。赤い星は付かず離れず1つの光点に寄り添っている。彼は相手に悟られないぎりぎりの距離と判断した位置で停まり、タグを意識で調整し、相手のオリジナルが発する座標を読み取る。聴覚を同期させ、音声を確認すると視覚も同期させる。いわば目と耳だけを相手のオリジナルへ滑り込ませた。

 まるで暗幕が振り落とされたように光景が飛び込んでくる。真っ白な部屋、窓はなく、床も壁も天井も全てが白い。その白に光学迷彩の何ともいえぬ黒灰色がぽつねんと見える。その横にはメタルシルバーの鈍い輝き。バトルスーツの光学迷彩もピッカーの擬似映像も効かないのは、スペンドが視覚・聴覚ただ2つの感覚だけを使って情報を得ているからだ。そしてもう一つの黒い影。これも光学迷彩スーツを着た人物。顔はフェイスマスクに覆われ窺い知れない。スペンドは見たこともない女だった。

 その時、スペンドは背筋に鳥肌が立つような感覚に襲われる。聴覚と視覚しか侵入させていないのにも拘らず、これは・・・

(・・・何かが『外』にいる・・・オリジナルがこの外にも・・・?)


「あの人・・・」

 白い部屋を模した擬似空間オリジナルの中ではジョーのピッカー、アンが呟いた。アンの偽装は絵本から抜け出した19世紀の英国少女風だというが今はメタルの身体が剥き出しだ。

「すまないな、お前は2年前に私の下へ来たし、『外』での付き合いを知らないから」

 ジョーが苦笑する。寛いだ様子で、ここが騒動の渦中にあることを感じさせる緊張感は微塵もない。

「紹介しよう、スウェーデンではちらりとしか拝見出来なかったろう?彼女はマリア、私の元同僚だ。」

「・・・どうも、マリアなにがしさん」

 アンは挨拶にも無反応の女に皮肉を込めて、

「どう見てもTCの方にしか見えないけれど」

 ジョーは笑って、

「そうさ、今では彼女は正真正銘のTCなのだから」

「どうしてそんなにのんびりと、」

「まあ、今は黙っておいで」

 アンは渋々引き下がる。それを横目にジョーは、TCの女に向き合った。

「やあ、暫くだ、マリア。随分と探したよ。しかしまあ、よく一人であれだけのことを・・・恐れ入ったよ」

 すると女は一歩下がり、彼らと間合いを取った。その顔はフェイスマスクでよく見えない。

「初めに言っておくが、どうして君をこの空間オリジナルへ誘い込めたのか、なんて聞かないで貰いたいね。これは開発班の最新の『おもちゃ』さ、まだ評価が終わってない、と渋るところを借りて来た。君はAPCまで手に入れたしね。あの後も我々が進化しているところを自慢したくてね」

 ジョーは無言のマリアに追い討ちを掛ける。

「こいつは君の知っているTPのオリジナルではない。TPの識別子を持たない者が一旦入ってしまえば、内側からは一定時間出ることが出来ない。解除コードはないよ。それに識別子をオンオフしての打鍵交信モールスも出来ない。外から見えるのはいわば残像。そういう風に作ってあるんだ」

 女はその言葉に微かな反応を示した。肩の力を抜くように両手を一旦だらりと下げる。すると唐突に両手を顔へ持って行くとフェイスガードを巻き上げる。そして縁のないサラダボウル型のヘルメットを脱いだ。

 黒く長い髪が背中へ流れ、ヘルメットを左小脇に抱えた彼女は右手で顔に掛かる髪を掻き上げた。東洋系の細面、美形だが少しきつい顔立ちの30女、その黒い瞳は力強くジョーを睨み付けている。

「やあ、変わらないな、君は相変わらず美しい」

「あなたも変わらず嫌味なほどの男振りね」

 ジョーはにこやかだったが、マリアは冷たく言い返す。その声は小柄な身体に似合わず低く大きい。

「それはお褒めの言葉と取っておこう。私のやり方は君もよく知っている」

「よく知っている?そう、よおく知っているわ」

 マリアの瞳は漆黒で虹彩も見えず底がない。その目がジョーを射抜く。

「さあ、逮捕しに来たのでしょう?さっさと執行しなさいな」

「ほう、随分と諦めがいいね」

「あなたはチェスが得意だもの。どうせ私がどんな手で来るのか読んでいるのでしょう」

「チェスね、最近はご無沙汰だな。私のはヘボなチェスだよ。義父おやじに勝ちたいがばっかりに過去の棋譜から奇手ばかり集めて試したものさ。お陰でピッカー相手には連戦連勝だが義父とは4回に1回くらいしか勝てない」

 ジョーは両掌を仰向けてお手上げの仕草をすると、

「ま、私の話などどうでもいい。先ずは追随カーゴを離して貰おうか」

 するとマリアの右側に巨大なメタルの繭といった風のカーゴが現れる。繭は現れるなり外に向かって皮が剥けるように外郭を倒し、中身が崩れ小山になった。スティック、バッテリー、口糧、緊急医療キット、工具・・・

「ありがとう」

「何時から私を追い駆けていたの?私はスウェーデンの一件であなたから逃げるまで気付かなかった」

「君を探しに現場に出たのはあの時が初めてだよ。その1ヶ月前のサラトガの一件で君の痕跡を見付けて調べて見る気になった。君がウチに浸透していないか、それも気になってね」

「で、どうだったの?」

 彼女は不敵な笑いを浮かべ腕を組む。ジョーは肩を竦め、

「その兆候はなかったね。私はてっきり君が昔のコネを利用して誰かを籠絡し情報や技術を手に入れているとばかり思っていたが・・・さすがだね、ウチの外からここまでやるとはね」

「本当に浸透していない、と言えるの?」

 ジョーは笑い出す。

「その手は、なしだよマリア。ウチもまだまだマニュアル遵守のボンクラどもと、保身に長けた官僚主義者に毒されてはいるが、あの時のようなことはない」

 その言葉にマリアの瞳は更に鋭く、更に冷えた。

「あなたは本当にそう言い切れるの?それほど組織に自信を持てるの?」

 搾り出されたかのような声は、呪詛のように聞こえ、傍で見ていたアンが思わず身構え半歩前に動くほどだった。

「あのご都合主義。時空を守るよりも自分たちの組織を守ることだけに熱心な上層部。優秀な捜査員が何人も傷付いたり死んだりしたのに、一向に変わらない体質。今の状況があの頃と違うとあなたは言い切れるの?」

 ジョーは再び笑顔を深くしたが、目はもう笑っていない。

「痛いトコを突くね。確かに変わっていないのかもしれない。しかし、時空犯罪の摘発と防止、という本来の目的はあの時以上の達成率だ。もちろんこんなことで、私や義父は満足していない。満足していないから、私や仲間は何とかしようとやっている」

 笑顔と裏腹に声は真剣そのものにジョーは続ける。

「こういうのは一朝一夕にはいかない。言い訳に聞こえるだろうが、巨大化した組織という集団の意識は、内側からゆっくりと変えないと却って堕落に向かう。損得勘定にばかり長けた人間に対して性急に物事を推し進めれば、そこにあるのは精神的な職務放棄だ。現長官に代わってからゆっくりとではあるけれど、この組織は本来の誇りと厳しさを取り戻しつつある、と思う。君の企画を2度までも潰したこの4班がいい例さ」

「あなたはいつでもそういう理想ばかりね」

 マリアは視線を外さずに一歩下がる。

「私がどんな目に遭って来たのか、あなたは知っているでしょう。私には彼しかいなかった。ジョシュが死んだ時、あなたが何を言ったのか、あなたのお父さんがなんと言ったのか思い出すがいいわ。尊い犠牲は無駄にしない式の美辞麗句。それがこの様?全く吐き気がする」

 きっと顎を上げ、長い髪を振る彼女は怒りに打ち震えた。

「みんな潰れてしまえばいいのよ!」

「それは間違いだ!」

 ジョーは珍しく声を荒げる。

「君は個人的な感情で歴史を、無垢の人々を翻弄し傷つけているんだぞ!それが分かっているのか?」

「誰にものを言ってるの?あなたのご立派な組織の一員だった私がそんな事が分からないと思う?」

「確かにジョシュは可哀そうだった。助けられなかったのは我々のせいだ、それは認める。しかし君が行なっているのは私怨を世界にぶつけている八つ当たりに過ぎないんだぞ!君に関係のない過去人が犠牲になった。それはテロと変わらない、そんなことが何故分からない?」

「ええ。確かに私怨よ。その責任は取るつもり。でもその前に、TPにも償って貰うわ。あなたのお父さんやシンディ、もちろん、あなたにも」

 その途端、アンのセンサーに多数の熱源が察知される。それは何の予兆もなく突然降って湧いたように現れた。近い!・・・この擬似空間オリジナルが見た目より広いとしても・・・2メートル後!

「ジョー!」

「ああ、気付いている」


 白い壁はもちろん虚構だが、その壁をぬっと抜けて来るものがあれば、分かってはいても余り気味のよいものではない。増してやそれが艶やかに輝く無骨なロボットだとすれば・・・

 最初の一体は出現するや彼らの背後に立った。続けて前、左右。蛹から殻を破って抜け出す蝶のように、それは壁から生まれ出て来るようにも見えた。次から次へと出現し湧き出したロボットは総勢30体にもなりきちんと整列し円形に彼らを囲む。

「私の、この行動は、読んでいた?ジョー」

 メタルの身体の向こうから声がする。

「いいや。一本取られた。どうやったんだ、と聞いたら答えてくれるかな?」

 マリアは嗤う。

「どうやったか、なんて聞かないで貰いたいわ。こちらも進歩しているのよ、あなたたちばかりでなく」

 彼女は後ろに流した髪を片手で弄る。優位に立った者の余裕だ。

「ひとつだけヒントをあげる。ここは今までのTP仕様とは違うオリジナルよね」

「・・・なるほどな。君は私のオリジナルを包括するように巨大なオリジナルを作ったのか。既存のTP仕様は実体化因子が合わないからそんなことは出来ないが、コイツなら・・・なるほど。それにしてもアンのセンサーに引っかからなかったのは、」

「ジョー。時間切れよ。そうやって時間を引き延ばして何か考えようなんて見え透いたことをしないで」

「戦闘もやむをえない、か」

「この状態で勝てると思って?言っておくけれどAPCはこの子たちに効かないわよ。私がジャンク品から育て上げたから。この子たちには元より錯乱する感情などないの・・・」

 そこでマリアは抑え切れない笑いを漏らす。空気が張り詰めた中、ガラスにひびが入るようなか細く甲高い冷笑。

「味会わせて上げる。ジョシュが最期にどんな想いを浮かべたか、思い知るがいい・・・行け・・・」

 マリアが呟くように命じた瞬間、一斉にロボットたちが襲って来た。


「嘘でしょ!」

「やるだけやるさ!アン、『死ぬ』なよ!」


 アンの悲鳴にジョーが叫ぶと、最初に右手から迫ったロボットに何時の間に取り出したのかスティックのプラズマを放つ。ピッカー型だが装甲を外され、所々部品が欠けているように見える銀色のロボット、『レイドロイド』はプラズマをもろに受けてもんどり打つ。

 しかし、それをぼんやり眺めている間などない。2体のレイドロイドが競うように迫る。どうやらスティックのような飛び道具は装備していない様子だが、本来民生品でも50万ワットを持っているロボットだ。この軍用と思われるレイドロイドは100万ワットに近いパワーを持つはずである。そんなものにメタルの拳で思い切り殴られれば、ジョーの頭など千切れて数メートル転がるはずだ。ジョーはそちらにもスティックを向け弾き飛ばす。

「アン!もっと寄って後ろを守れ!」

「やってるって!やってるけど」

 レイドロイドの攻撃には何の秩序も指揮系統も見られない。ただ普段の動きの延長で襲ってくる。倒しても、倒しても、崩れ倒れた味方の上を跨いで踏み砕いて寄せて来る。

 連射していたアンのスティックのバッテリーが切れる。TP仕様のピッカーが両腕に仕込むスティックは、体内電力からの供給ではピッカーの性能をフルに発揮出来ないため、人間が使うようにバッテリー給電で使う。今もカートリッジを交換するほんの2秒が致命的だった。

 アンがスティックを剥き出しにした右手を構えた時、その腕を掴まれる。それをなぎ払い、透かさず一発打ち込んで相手を破壊した瞬間、後ろから抱き付かれた。それも振り払おうとすると右側からもう一体に腰を掴まれ、更にもう一体反対側から抑えられ、身動きがままならなくなった。前からは一体のレイドロイドが思い切り殴りかかり、左手一本でそれを防いでいたアンだったが、やがて強烈な右のカウンターを喰らってしまう。

 メタルとメタルが激しくぶつかり合い、細かい火花が飛ぶ。アンの視野は数秒の間ノイズで閉ざされた。が、機能が回復すると同時に反撃に出て、ゼロ距離でスティックを連射、殴った相手を炎上させて打ち倒す。

 しかし後ろから抱き付く味方越しに殴り付けるものがいて、それは執拗に頭を狙った。レイドロイドの頭部に実はAIはないのだが、視覚と聴覚のセンサー、それに音声発振器官は人型故に頭部に集中する。アンは振り払おうともがくが、腰と背後を抑えたレイドロイドは全く動じない。次第に視覚処理機能が損傷し、ノイズ交じりの白黒映像でしか周囲を認識出来なくなって来た。もちろんアンは痛みなど感じはしない身体だ。しかし、機能不全と損傷を知らせるアラームはしつこく鳴り響き、その数が増すに付け、動作が緩慢になって行くのを感じる。するとレイドロイドは折り重なるように殺到し、過熱して歪み始めたスティックを振り翳すアンは、ゼロ距離の掃射で2体を倒した後、遂に右腕をもぎ取られ、左脚部を弾かれてバランスを崩し、大きな音を立てて床に倒れた。


 ジョーはアンの背後でスティックをバースト、暫くはレイドロイドを寄せ付けなかった。しかし、こちらもバッテリーを交換する間に距離を詰められ、一体に腕を取られる。そのまま引き倒されたジョーは強か背中を打ち、一瞬息が止まるが、隠し持っていた可塑性焼夷爆薬を相手の腕に貼り付け、自分の腕が炙られるのも構わず起爆させた。

 レイドロイドの腕は一瞬にして焼け焦げ、離れ、彼は燃える左腕を叩いて火を消しに掛かる。その隙にもう一体に覆い被され、床に倒されると、装甲を外しているとはいえ未だ150キロ近い身体が圧し掛かる。そこへ次々と寄せるレイドロイドが見えた。

(まいったな、あいつらが圧し掛かったらピザ生地みたいになっちまうぞ)

 視野の隅では倒れてあがいているアンの姿が見え、次第に意識が遠ざかる中、それでもスティックを近付く相手に叩き込んだ。


 その時。白い部屋が黄金色に輝いて染まる。

 すると覆い被さっていたレイドロイドが突然加熱し、吹き飛ぶ。反動でジョーも床を転がって壁の近くまで飛ばされ、被さろうと近付いていた2体のレイドロイドも前のめりに転倒した。ジョーは歯を食いしばって意識が遠退くのを堪え、横から踏み付けようとした一体をゼロ距離射撃で吹き飛ばし、よろよろと立ち上がろうと腕を突いたが、目の前に現れた人物にさっと手で制され、動きを止めた。

「そこで寝ていて下さい、後は引き受けた!」

「・・・すまない」

 スペンドはスティックを2本束にして抱え、フルバーストの抗力に両足を踏ん張って辺り構わずビームをばら撒いた。その後方。

 冷笑を顔に張り付かせてジョーの苦闘を見ていたマリアは突然背後から羽交い絞めにされ、そのまま腕を取られてねじ上げられる。鋭い痛みに声を上げると、耳元で男の声がする。

「直ぐにこいつらへの命令を解除しろ!」

「無理よ!もう停まらない」

Merdeくそっ!」

 男は突然マリアを振り向かせると平手を顔に見舞い、彼女が怯んだ隙に電子錠を両手首に掛け、押し倒す。

 

 部屋の中では形勢が逆転した。現れたバトルスーツの3人と3体のピッカーはスティックをフルスペックでバースト、レイドロイドを片端から打ち倒し、容赦なく破壊する。

 ものの1分で30体のレイドロイドはメタルのスクラップと化して床に転がっていた。


「離せ、このブタ野郎!」

 マリアの叫びは既に狂気を予感させた。

「この下衆げす、この・・・」

 叫びは拘束具と自殺防止のボールギャグでもごもごと呻き声に変わる。

「済まない。あなたの様な素敵なご婦人の罵声は聞くに堪えない」

 電子錠の後に拘束具を手際よく付けるウィンが呟く。その顔はひたすら悲しげだった。


「で、一件落着かい?」

 まだ白い床に座ったままのジョーをシンディが見下ろす。両手を組んで、その褐色の顔に浮かぶ表情は相変わらず何の感情も窺わせない。ジョーは一度日本に行った時、NOUという舞謡芸能を鑑賞したが、あの時に見た仮面のようだ。そこにあるのは一見、ニュートラルな顔だが見る者によって様々な感情が覗く。今、シンディが浮かべているのは、まるで姉がやんちゃな弟を見やるような、そんな親愛の情だ。

「ああ、とりあえずは、ね」

 ジョーはそのまま痛む背中を無視して肩を竦め、

「よくここが分かったな」

「スペンドに礼を言いな。彼があんたを尾行して外の様子に気が付き、私らを呼んだんだ」

「申し訳なかった。君たちまで巻き込んでしまった。こいつは私の、言わば落とし前だったが・・・」

「あんた、忘れてるよ」

「え?」

 シンディが笑うのを見てジョーは目を見張る。ほとんど彼女の満面の笑みなど見た記憶がなかったからだ。

「マリアが恨んでいたのはあんただけじゃない、当然私も、いや、TPの人間全てを恨んでいたんだ。

 確かにその理由が、たとえ恋人の死を、指を咥えて見ていた我々に対する復讐だったにせよ、歴史に介入し、我々の邪魔をする理由とはならないよ。でもね、ジョー」

 シンディは笑顔を吹き消すと、何か疲れたように首を振り組んだ腕を解き、右手を差し出す。

「我々は、そんな個人の恨みに左右されるほど柔になっているのかい?」

 暫くジョーはシンディの瞳を見やるばかりだった。その強い眼差しに何か正解が示されているかのようにじっと見つめた。しかし、その目は語っていた。そいつはあんたの仕事だよ、と。

「そうだな。そいつを何とかしなくちゃならないね」

 ジョーは彼女の手を取ると、シンディは力強くその手を握り、彼を引き起こす。

「済まない。少しばかり時間をくれ。私は君たちの期待を裏切らないようにやって見るから・・・」

 立ち上がったジョーはシンディの手を離す前に今一度力を込めて握り返し、力強く頷く。シンディも頷くと軽く首を仰向けた。

 その背後ではランスロットに抱えられたマリアが拘束具を引き千切らんばかりに呻き暴れている。そこへウィンが素早く上着越しにスピンドルを打ち込み、その薬室から強力な精神安定剤を注入した。マリアは打たれた瞬間、全身を痙攣させ拘束具を軋らせ何か叫んだが、すぐにぐったりと脱力しランスロットの腕の中へ崩れた。ウィンは悲しげに首を振り、シンディを見やる。

 シンディはウィンに深く頷く。ふと、この白い空間の惨状に目をやった。

白い床は滑油や冷却液などで黒く汚れていた。そこに様々な形状に細分され焼け焦げて撒き散らされた元ピッカーたちの残骸が折り重なっている。マリアが少しずつ各地から集めたお払い箱の中古ピッカーたち。完全に破壊され沈黙するものもいれば、動力源が未だ生きていて、片手だけ、片足だけになってもまだ動こうとあがいているものもいる。彼女はその姿に過去の『クイーン』たちを想い、瞑目した。

 壁に寄り掛かりながらずっとその様子を眺めていたスペンドが、手品のようにタブレットを取り出すと口に放り込む。そして穏やかに声を掛ける。

「さあ、そろそろお開きにしましょうや、皆さん方」

 何か達観したような言い方にジョーは苦笑する。

「スペンド。私は君にありがとう、と言ったかな?」

「何か最初に聞いたような気がしましたね」

「では正式に。本当にありがとう。君らが応援に駆け付けなかったら今頃は本当に死んでいたところだったよ」

「帰ったら本物のアイラのボトル1本で手を打ちましょう」

「いや、6本にしておこう。その代わり相伴させてくれ」

「ありがたくお受けしましょう」

 ウィンがまだマリアを見つめながら言う。

「ここはどうする?」

 ジョーはさっと辺りを見廻すと、足元に落ちていたレイドロイドの部品を拾い上げ、

「位置特定因子をくっ付けて放っておくしかないね。後で誰かをやろう。証拠はコイツだけで十分さ」

 部品をひょいとアンに投げる。片腕と顔を半分潰され全身打痕だらけ、AIの言語域も潰されて声を失い喋ることも出来ない、見るも無残な姿のアンは片手でそれを受けると自分の腰に触れ、そこに開いたポケットに収納した。ジョーは部屋の真ん中にウズラの卵ほどの大きさの発信機を置く。

「さあ、帰ろうか」

 シンディはそう言うとクイーンを手招く。すると部屋の真ん中に金色の扉が現れた。シンディが潜り、クイーンが続く。その後をスペンドがバズと並んで抜けて行く。悲しげに振り返りつつウィンはマリアを抱えるランスロットに続いて入った。最後に足を引き摺るアンを先に、と促してジョーが扉を閉じた。忽ちその白い部屋オリジナルは亜空間の闇に沈んで消えた。



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