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Episode05;Holiday(リフレッシュ)

 §南米連邦・アルゼンチン・サンタクルス州 2374年06月(現在年月)



 まるで酸漿ほおずきのような太陽が西へ傾く。鈍く赤いオレンジの真円が、放射状に薄く棚引く帯状の筋雲を朱に染め、それは思わず立ち止るほどの美しさと怪しさだ。


 何もない、との表現が一番しっくりとする。乾燥した風が常に吹き抜ける広大な平原。西風は太平洋からチリとの境、アンデス山脈を越えてやって来る。東風はアフリカに端を発してマルビナス(フォークランド)を経て大西洋から、南風は南極とホーン岬を経てフエゴから、北風はパンパを越え、そのどれもが痺れるほど冷たいのだ。

 今は西風が吹いている。触ればパリパリッと音を立てて砕ける枯れた灌木がガサガサと音を立て、細かい土埃が舞う。

 少年が一人、ネットのないゴールにボールを蹴り入れている。ボールは枠を切り裂くと転々と大地を転がって行く。少年は走ってボールを止めると、鋭いドリブルでゴールを潜り抜け、元の位置、ゴールから15メートルほど離れ2,30度左側に寄った場所に立つ。洗い晒しが元の色を判別不能にするTシャツ。そして色落ちが激しいパンツ。ゴール横に置かれた毛布を纏っているかのように見える外套。この辺りでは時間は500年以上も動いていないかのようだ。

(今、24世紀後半ではなく20か21世紀だ、と言われたら正確に違う、と反論出来る自信はないな)

 思わずそう思った彼女自身も、最近流行の『ユニセンチュリー』と言われる世紀不詳ファッションの代表、黒い革ジャン(もちろん動物の皮ではない)に、成層圏から地上へダイブする高高度侵入兵が地上で着用するダブダブの降下兵ズボンを履いている。細いレンズのサングラスを掛けた彼女の方こそ2,3世紀時代を遡った様相だった。

 この荒野、もう1000年以上も何一つ変わらない不毛の大地、あらゆるものが文明と利便な機器類により変貌を遂げた世界にあって数少ない、見捨てられたような土地だった。

 このような場所にも生活があり、人々が暮らしている。彼女がホバーを停めて夕焼けを眺める場所はある町の外れで、この周囲50キロ内外では最も人が住んでいる。ここには雑貨や日用品を扱う昔ながらの商店や、比較的新しい州政府直営の食料品店がある。彼女は買い物の帰りだった。

 町の子供たちの遊び場となっている、町営競技場とは名ばかりのフィールド。サッカーゴールを両端に、それと直交してバスケットゴールも2つ、どれも錆だらけで壊れ掛けていて網などはない。夕陽は赤土剥き出しのフィールドを更に朱に染め、フリーキックを練習する少年の影が随分と長くなって来た。

 サッカーの少年は12,3歳位だろうか、ゴールを間に幾度も往復する少年を眺めるシンディに気付くと、ボールを片手に、仰ぎ見る。逆光で、短い髪にキャップ、革ジャンと彼女のその格好が若い男性に見えたのか、少年はいきなりボールを離すと地面に落ちる直前に左足で蹴り抜き、ボールは放物線を描いて30メートルほど離れ数メートル高い場所にいた彼女の前に落ちる。少年は大きく手を振って、こっちこっち、と声を掛けた。

 シンディは腕組みを解くと、ボールを蹴る。これも見事に少年の前に落ちて止まった。

「ねえ、やろうよ!」

 相手の実力を見極めた少年が甲高い声で誘う。無表情のシンディは、風に降下兵ズボンを靡かせ、前を開けた革ジャンを膨らませ小走りに少年の前に行く。

「あ・・・お姉さんだったのか!」

 幾分驚いた表情の少年に彼女は少年と同じカスティーリャ語で、

「町の子?」

「そうだよ。お姉さんは見かけないな」

「この先リオ・フエンテの谷に一ヶ月間だけ滞在している」

「へえ、何もないとこじゃない。なにかの調査?」

「唯の旅行者だよ。調査は多いのか?」

「たまにね。先住民の遺跡があるんだ」

 そして痺れを切らしたように、

「ねえ、やってくれるんでしょ?」

「ああ、いいよ。キーパーをやろう」

「やった!今度ガジェーゴスで試合があって、レギュラーになれるかどうか瀬戸際なんだ。コーチにシュートの正確さが足りないって言われていてさ・・・」

 少年が蹴りシンディが受け止める。それは完全に陽が沈み目の前に翳した両手が見えなくなるまで続けられた。



 §ヨーロッパ連合・イギリス・ヨークシャー 2374年06月(現在年月)


「さあ、入った、入った」

 ジョーの手招きでスペンドはホバー自走式のトランクを先に走らせ、丸太小屋ログハウスの入り口を潜る。スペンドの足の再生治療は上手く行き、怪我から2週間ほど経った今では微かに引き摺るだけで歩行にも生活にも問題はなく、あと2週間もすれば任務にも支障はない、と医者に太鼓判を捺されていた。

「むさ苦しい所で申し訳ないね」

 ジョーはキッチンへ急行し電磁コンロのスイッチを入れ、湯を沸かしに掛かる。

「さあ、その辺に適当に座って休んでくれ」

 スペンドは自走ホバーのトランクを部屋の片隅へ追いやると、座り心地の良さそうな革張りのロッキングチェアを試すかのように揺らした。同じチェアが4つ、荒削りな丸太の壁に良く似合う。その壁には鹿の角が6頭分、いずれも立派なもので、場違いな有機EL照明を受けて飴色に輝いている。

 入り口から見て部屋の奥、両側にドアがあり、左側手前はジョーが湯を沸かすキッチン、反対の右手前は先に続く廊下となっている。

 スペンドは正面にあるガラス張りの引き戸から表へ出る。外は庇が張り出した広いバルコニーで、先へ進むと小さな庭と小屋全体を囲む針葉樹の林になっていた。

 彼はそのまま庭へ降り、そこにあるバーベキュー用のコンロと岩で出来た水場、丸太を削り出して作ったテーブルと切り株を転がしただけの椅子を見て回る。やがて、林と庭の境界で、そこに転がっていた朽木に座り、そこから改めて小屋を詳細に眺めた。

 この丸太小屋自身が建ったのは少なくとも5,60年は前のように見える。しかし、良く手入れされていて、設備も文明から拒絶した一軒家、といった外観からはがっかりするほど近代的だ。屋根は最新の光転換エネルギー蓄積素材で覆われ、小屋の入り口側には2基の風力発電用フィンがゆっくりと回転しているのが見える。照明は有機ELボードで、床は磨かれた松材のように見せかけた温冷床、空調コントロールも小屋全体に満遍なく行なわれている。全く都会の平均的な住宅と同じ設えだった。

「なんだ、そんなところにいたのか?」

 ジョーが大きなマグに入った飲み物を持って来る。手渡されて一口、口を付けると、甘く濃く熱い紅茶だった。

「君の部屋は向かって左側のドアだ。ベッドと机、ドレッサーだけだが許して欲しい。ここにはあまり客人は来ないんでね。」

 ジョーはスペンドを真似て近くの朽木に腰掛け、小屋を眺め、問わず語りに話し続ける。

「奇妙な丸太小屋、だろう?隣の家まで1マイルは離れていて、荒地の果てにあるのに随分と現代的な設備だ。昔ながらの生活をするならこんな設備一切放り出して、火を熾し焚き火を明かりに酒でも飲めばいい。でも、中に入れば普段の生活と変わりない」

 そう言ってジョーは自分のマグから飲むと、

「ここは親父から譲り受けた。親父と言っても育ての親だがね。古風なところのある21世紀人、君の生まれた頃にスカウトされたそうだ」

「お父様の家でしたか・・・」

 言葉少なにスペンドが呟くと、ジョーは黙って頷く。暫く地面の泥濘に残った足跡を見つめていたが、やがて、

「君はスカウトされてまだ3年だったか、私の話は聞いたことがなかったかな?」

 そういうと、首を振りながら笑い、頭を掻く。

「自分で言うのもなんだが、私はちょっとした突然変異なんだ。だから皆が密かに噂する、ほら、あれが『タフィーズ・サン』だよ、ってね」

「ええ、その名前は聞いたことがあるような気がしますが、どうも私は噂話に耳を傾けるって手合いじゃないもんで」

「だろうね。じゃあ、止めておくかな」

「いいえ、そこまで話して頂いたのなら、最後までお願いしますよ」

 ジョーは頷くと西へ傾き始めた日を仰ぎ、脚を組むと話し始めた。


 ジョージ・ウォーカーの義父、セシル・ウォーカーはTPが正式に発足した2345年当初から捜査官として活躍した。タイムマシンの第一世代が開発された2330年代に、TPの前身である研究機関により21世紀から『招聘』される。それは何もセシルに限ったことではなく、研究機関を構成する約半数が過去からスカウトされた人々だった。


 今に受け継がれるスカウトによる人員補給は、正史である24世紀の人員だけでタイムマシンを扱う機関を運営すれば時代に対し公平さを欠くという考えと、優秀な適格者を獲得することが時代の先端である正史の24世紀よりも数百倍容易であることなどが理由として挙げられる。

 せっかく過去へ行けるのだから利用しない手はないだろう、と言う訳だ。

 もちろん、闇雲に優れた人員を引っ張って来る訳ではない。そこには手探りで始まり現在も修正が加えられる厳格なルールが存在する。

 現在TPでは補給支援部スカウト課が人員獲得を行なっている。

 15世紀から先の各時代・各地域から、IQ150以上で独創的若しくは友好的で正義感が鋭く、天涯孤独かそれに近い身、身体的に頑強、致命的な持病を有さない、など30項目に該当する人物を候補にスカウトする。事前に情報調査部が該当人物の周辺や思想を当たっているため、申し込まれた人間は男女を問わずほとんど断る者はいない。万が一断った場合は、その者の思考を操作し、スカウトに会った記憶を喪失させる。旧来、神隠しにあって帰って来たとされる人物の中にスカウトを拒否した者がいる。

 ここで大事なのは、該当人物が歴史上の有名人物やファンクションキーと呼ばれる歴史上のキーパーソンでないことだ。その人物を失っても歴史はその自浄作用により数日で正史に戻る、周囲の人物や警察などもその人物の失踪に対しすぐに関心を失う、そんな人物でなくてはならない。

 もう一つ大事なのは、いくら優秀で完璧な人物であっても同一人物を複数獲得しない、というルール。マシンにより過去の有様が正史の航跡のようだ、と判明して以来、因果律は否定されたものの、同じ人物を複数、過去から見て未来である正史(=現在)に連れて来たらどうなるのか、その矛盾は空恐ろしいものがあり、歴史が自浄作用を持つことから途轍もない事態になるのは目に見えている。これは犯罪でもあり、幾度かTCたちが仕掛けたこの手の陰謀をTPは事前に防いでいる。 

 とは言うものの、一つだけ前例がある。マシン開発の最初期に怖いもの知らずの研究者が20歳と40歳の同一人物を現在に連れて来た事があり、この時は40歳の方が数日後心臓発作で死亡する、と言う事態になったが、これが自然死だったのか歴史の自浄作用だったのか、今日では禁止された行為なので未だに論争が絶えないでいる。スカウトされ24世紀で死亡した人間は2度とスカウトしない、というルールもあるほど、これはタブーとなっているのだ。

 現在ではTPの要員の内3分2に当る人員が過去人であり、その比率は作戦部や情報部など一線に立つ部署ほど高い傾向にある。

 そしてその候補となった過去人誰もが資質を虱潰しに調査され、言わば丸裸にされた状態でTPに集められ、お陰でTPは国際協約機関の中でも最も秀才の揃った機関、と皮肉混じりに言われるのであるが、そのTP所属の過去人でただ一人、スカウトでなく事前調査もされず人員確保ハンティングの候補にもならないまま、TPの捜査官となった男がいる。


「私は、1780年、ロンドンの生まれだそうだ」

 ジョーは苦笑交じりに言う。

「赤ん坊の私はTP捜査官であった義父ちちに助けられた。夜の街に捨てられていたそうだ。その時、父は手配犯の再犯を阻止し現行犯逮捕した直後だったそうだが、偶然、捨てられていた私を発見し保護してくれた。君も知っての通り、こいつは内規違反だ。何せ、TCを取り締まるTPの正規執行捜査員が自ら掟を破ってTC同様の歴史介入をしたのだからね。

 しかし、私と義父にとっては幸いなことに、四半世紀前、創成期のTPは義理人情がまだ生きていた世界でね、義父の行為は本人への訓戒で済み、表沙汰にされずに済んだそうだ」

 ジョーはマグの茶を飲み干すと、マグを大切そうに両手で包み、

「義父はね、孤児だった。まあ、スカウトされる人間はほとんどそうだが。君もそうだろう? しかし、私と違って両親を識ることが出来る歳まで父母が生きていた。私を見つけた義父は見捨てて置けなかったんだろうね」

 スペンドはかける言葉が見付からず、黙って聞いていた。ジョーは手の内のマグを弄びながら小屋を眺め、話を続ける。

「私はTPの中で育った。義父は独身だが、独りで私を育ててくれた。もちろんTPには今も昔もシングルのための養育施設があるし、福利厚生面は手厚いからね、義父が任務をこなしながら私を育てるのは世間一般よりも容易だったのかも知れないが」

 ジョーはマグを朽木の窪にそっと置くと、両手を頭の後ろに回し、暮れ始めた空を眺める。

「私とは少し違うがTPの施設内で生まれ育った人間も多い。中にはそのままTPで働くことを選び、認められた者もいる。そんなに多くはないがね。しかし、私は何時の頃からか夢を抱いたんだ。父のように捜査官になると」


 それは口で言うほど簡単なことではない。確かにジョーの言うようにTPの主要部門で活躍する『TPチルドレン』もいる。整備課のニーなどはその代表例だが、現場の前線で活躍する捜査官は義理やコネ、僥倖でなれるものではない。あくまで能力がものをいい、過去からのスカウト組が多いのもそれを裏付ける。彼らの所属する機動執行には24世紀の人間はたった2人だ。素質と能力。TPは慎重に自分たちの根幹を成す人材を選んで来た。

「最初は相手にされなかったよ。あれは9歳の時だ。私は義父に内緒で作戦部の知り合いに会いに行って捜査官になりたい、と言った。その女性は当時、常駐捜査員のオペレーションをしていたが、彼女の知っている限り身内から捜査員に登用された例はないと言われた。無理だ、とね。私はその後も何人かの知り合いに会って自分の希望を知らせたが誰一人まともに掛け合ってくれなかった。そうこうしている内に私の行動が義父の耳に入った」

 ジョーは思い出し笑いをして、これは失礼、と言うと、

義父おやじはこう言ったよ。坊主、俺の仕事に就きたいのか?私は叱られるかと思っていたから黙っていた。すると彼は私の肩に手を掛けて、ならば明日からその準備をする、辛いぞ、ってね。それから3年ほど、まるでアスリートと鬼コーチのような日々が続いた」


・・・セシルはジョーをしごきに扱いた。日課は早朝4時の起床から朝のランニングとストレッチに始まり、セシルの非番の日には日が暮れるまで、一日中基礎的な軍事教練と格闘技から世紀を超えた様々な銃器武器の取り扱い方、歴史と政治の講義、物理と科学、英語以外の言語の基礎と会話術、基本的な看護医術と心理学、インテリジェンスの基礎まで、セシルの知る全てを養子に注ぎ込んだ。

 ジョーもそれに応え、セシルがいない日には独習、身体を苛め抜いた。やがてセシルの勤務日には、非番の仲間がやって来てはジョーの面倒を見てくれるようになる。ある捜査官は銃器の扱い方をみっちり叩き込み、ある情報部の女性士官は、その頃使われ出したTP仕様の攻撃型ピッカーやタイムマシンの事を詳しく教えてくれた。作戦部の体育指導教官は肉体戦闘術を教え、やがてジョーは油断して手加減した教官を投げ飛ばし、教官を感心させるまでになる。

 ジョーが13歳になって間もないある日、セシルは何の説明もなしに彼によそ行きの服を着させると、TP本部へ連れて行った。作戦部のとある会議室に2人が入ると、そこには縦に長いテーブルが置かれ、その右側に12,3人の男女が一列に座っていて、向かい合わせに2人は腰掛ける。穴が開くほど見つめられるとはこのことで、ジョーは以前、作戦部のインテリジェンス・エキスパートから教えられたように、虚空の一点を見つめたまま身動きしなかった。

 暫く双方無言の緊張状態が続いた。するとその緊迫した空気を破り、居並ぶ人々の一番奥に座っていた男が何の前振りもなく口を開く。

「ジョージ・ウォーカー君。君は何故TPの捜査官になりたいのかな?」

 ジョーは質問者の方を見ると、軽く頷き、ほんの一瞬瞑目した後、質問者だけが部屋にいるかのように答えた。

「私の父はTP捜査官です。私はその父に育てられ、また、国際協約時空保安庁、通称TPタフィから多くの援助を得て現在に至っております。私の今日あるのは、この父とTPのお陰です。

 そのTPで捜査官として勤務する父を始めとする皆さんの背中を見て、私は育ちました。そして想ったのです。何時か父のようにTP捜査官として一線に立ちたい、と。その想いはいつ抱いたのか、私にも分からないほど幼い頃だったと思います。その想いはいつの間にか私の内にあり、今日ではそれは信念として私の目標となっております」

 13歳の少年は質問者から視線を外さないまま口を閉じ、静かに注視する。

「TPの意義を君はどう考える?」

 今度は中央やや右寄りの白髪の男だった。

「国際協約時空管理法第8条を要約しますと、過去を観察・保全・現在よりの隔離・侵入する者から防衛するためにTPを置く、となっています。私見を加えますと、TPは現在が成立した過程としての過去をありのままの姿で、『時空の壁』の果てへと消滅して行くまで見守り保護することが使命であり、それは歴史的文化財や野生動植物を保護するのと同義であり、また、過去と現在との関係が未だ不明瞭な状態で各研究者の重要課題である以上、何人たりとも触れてはならないサンクチュアリとして守り続けることがTP最大の任務であります。これは現代人にとって大変に意義深い行為であり、崇高な任務であると考えます」

 一瞬、会議室が水を打ったように静まり返る。沈黙を破ったのは質問者の真ん中に座った男。静かに語り掛ける。

「諸君に問う。今のウォーカー君の発言以上にTPの意義を語れる、という自信のある者がいたら手を挙げたまえ。傾聴しよう」

 その年齢不詳の男性は左右を見渡すと、

「いないようだね。私はこれ以上、時間の無駄と考えるのだが、如何だろうか?」

 拍手が起こる。一斉に。

「反対は、いるかね?」

「一つだけよろしいでしょうか?」

「なんだね?」

 その男の右隣に座った中年女性が、

「直ぐにでも、という雰囲気を壊して申し訳ありませんが、被服担当が彼に合う制服を誂えるまで2日欲しい、と申しております。承認辞令を渡す時、女性用で我慢しろとは言えませんから」

 笑いが巻き起こり、皆が一斉に立ち上がるとテーブルを回り込んで親子を囲んだ。ジョーやセシルの肩を叩く者あり、撮影する者あり、口々におめでとう、ようこそと声をかける者ありで、2人は揉みくちゃにされた。やがて先ほどの真ん中の男が、

「ジョージ・ウォーカー君。正式辞令は2,3日後になりそうだが、君をTP作戦部に迎える。最初は教育係に付いて基礎から学ぶが、その分ではそれもそんなに長いことではないだろう。作戦部長はスカウトの連中が持って来た資料の中に、なぜか紛れ込んでいた君の資料を見て、直ぐに引っ張って来い、何時の時代だ?と言ったそうだ。彼の第一印象に間違いはなかったようだね」

 ジョーは興奮を抑えながら返した。

「ありがとうございます、長官」


 ・・・回想を語り終えるとジョーは立ち上がり、

「その日から私はタフィーズ・サンだ。言い得て妙だが私は嫌いだ。私はセシルズ・サンなのだから」

 そして小屋を振り返ると、

「ここはね、義父おやじの生まれ育った場所なんだ。2050年頃には環境破壊が深刻で、この辺りも湿地帯になっていて人が住むには少し難しい場所だった。ウォーカー家は先祖代々の土地にしがみ付いて暮らしていた。

 義父が24世紀に来て、初めてこの土地を訪れた時、ここは森になっていたそうだ。持ち主は『連合(EU)』の規約から不在地主に認定されてしまい、売りたがっていた。EUでは不在地主は投機目的と認定され高額納税を押し付けられるからね。義父はTPから承諾を得てここを買い、家を建てた。

 義父は当時の家を思い出しながら小屋こいつを再現したが、昔ながらの工法で建てることに固執した建築士が暖炉や煙突を設計に加えると、義父はそんなものはいらない、設備は現代の物を、と譲らなかったそうだ。思い出の中に生きるのではない。義父はそう言っていた。

非番の日が2日もあればここへやって来て過ごす。私を伴うこともあれば独りの時も多かった。何を考えていたのか、今なら分かる気もするよ」


 自分は、どうだったろうか?と、スペンドはふとそう思う。父母の記憶は残っているが、今では懐かしさだけがある。決して平穏な生活でも時代でもなかった。貧困に喘ぎながら自分を苦労して育てたであろう両親は、戦争初日の一斉自爆核攻撃で瓦礫の中に消えた。

 セシル・ウォーカーはその両親と同じ頃の生まれだ。あの戦争へと世界が滑り落ちて行く直前に24世紀へと迎えられ、TPで順当に昇進した。そして彼の義理の息子も夜霧の中で消えて行く運命から救われた。親子共々運が良い。しかし、本当にそうであったのかは当人だけが知っている。

 スペンドの生。狂気の時代。最後の核戦争。世界人口の半数を失う史上最悪の戦い。その中でゴキブリのように生き残り、生き残るためだけに争い、人を殺し、そしてそのか細い生すら諦めたその時に彼等スカウトがやって来た。それは運が良いとは言わないだろうか?


「あなたは、運のいい人ですね」

 スペンドの口調に棘はない。だからジョーも素直に頷く。

「あらゆる意味でね。『運』という言葉を抽象以外で使ったとしたら、我々はTP士官として失格者なのかも知れないが、それでも私は運がいいのだろう。偶然という言葉は因果律否定によってますます意味深な現象となったけれど、私はその偶然を多く得て来ているのは間違いないところだからね」

 すっかり日は暮れた。小屋には自動で明りが灯り、元から点いていた部屋の明りは夕暮れ時にふさわしい薄いアンバー色に変わる。

 ジョーはポン、と手を打つと、

「さあ、飯の支度をしようじゃないか。腹が減った。君、ジビエは大丈夫だろうな?頼んでおいた処理済の野ウサギと鴨が届いている。この時期は秋よりは味が落ちるが、南米ほんぶではまずお目に掛かれない代物さ」

「お忘れですか?私はウェールズの出身です」

「了解した。今夜は大陸のワインなんか飲むもんか。どこかにハイランドの20年ものが眠っているはずさ。それとも『本物の』ビーフィーターズ・ジンがいいかな?」

「あればどちらも」

「よろしい。では、相棒、出陣といこう」


 日付も変わり、午前3時。

 スペンドは自分に宛がわれた部屋のアンテークなベッドに寝転がり、窓から差し掛かる月光が作る紋様のような影を見ていた。ジョーの料理の腕は大したもので、鴨のローストもウサギのシチューもロンドンの老舗パブでお目に掛かるような代物、ハイランドスコッチの芳醇な香りと共に、彼は久々に寛いだ気分になっていた。

 食事も酒もいささか量を超した彼は、夜半に目を覚ましてしまい、そのままベッドでぼんやりとしていたのだ。喉の渇きを覚え、水を飲もうと立ち上がる。ふと、窓の外を見やる、と、そこに・・・ジョーがいた。

 彼は湯気の立つマグを丸太のテーブルに置いて、何か独り言を呟き始めた。

 スペンドは急ぎトランクからデジタル式双眼鏡を取り出し、目の前に浮遊させ、マイクロタグへ音声を流す。

『・・・そう。では、彼女はやっぱりあそこにいたんだね?・・・そう、それを疑っていたから出張ったのさ・・・いいや、確認をしたかっただけだよ、スキーをやるにはちと・・・いやジョークジョーク、それはないよ。全く疑り深い・・・ああ、そうだね。シンディの腕は知っての通りだし、他の2名も保証するよ。ああ、それで思い出した。ねえ?これが一段落したらウチの人員にもう一名プラスしてもいいかな?・・・その通り。御明察。・・・ああ、分かったよ、総務のことはよく知っている。そこを00のご威光ってやつでさ・・・ごめん、それも分かっているけどさ・・・え?彼女が?・・・まあ、そう言いたくなるのも分かるけどね、そんなことはないと思う。彼女は絶対に諦めない。きっと狙ってくる。・・・うん、くれぐれも気を付けるよ。・・・ハハハ、それはいい、今度教えてね。では、又』

 スペンドはジョーが立ち上がると素早く双眼鏡を外し、トランクへ入れ、自分はベッドに入る。と、同時に人影が月光を通して床に映る。スペンドはじっとして動かなかった。やがて影がさっと離れ、消える。後は紋様が不思議な陰影を床に描いているだけだ。

 ジョーは生体送受信機マイクロタグを通じて遠距離通話をしていた。長距離通話は思うだけでは感度が落ちる。声を出していたのがその証拠。あの様子では地球の裏側にだって届きそうな通信だった。と言うことは、南米・TP本部というのがまずは妥当な推理だが・・一体誰と話をしていたのだろう?



 §南米連邦・アルゼンチン・サンタクルス州 2374年06月(現在年月)


 最早少年は彼専属のキーパーを女と認識していない。

 24世紀は男女の差を、DNAそして「付いているか否か」でのみ判断する時代ではあるが、ここは男尊女卑がしぶとく最後まで生き残った過酷な土地柄、少年もその深層に彼の祖先が抱えていた男女感を持っている。しかもスポーツは未だ男女差を認めざるを得ないものである。

 そんな彼が、キーパーの性別を意識しなくなるまで時間は掛からなかった。

 初日の僅か30分、彼は夢中で左脚を振り抜いたがゴールを割ることは出来なかった。その動きからキーパーを買って出た異邦人の女が、サッカーに関しては見て知っている程度の知識しかない、と見破ったものの、その身体能力は彼が知る全ての人間を凌駕していて、彼は女に畏怖を感じ始めた。

 真の闇にフィールドが陥る前に女はボールを手渡しして、ここまでだ、坊や、と言う。

「お姉さんは明日も来る?」

「いいや。明後日寄るかもしれない」

「それ、夕方?」

「寄るとしたら同じ時間だ」

「じゃあ、ここに来てよ、また30分だけでいいからキーパーしてくれない?」

「約束は出来ない」

「構わないよ。試合は10日後、メンバーはその3日前に発表されるんだ。」

 シンディは軽く手を挙げて、歩み去った。少年はドリブルしながら帰路に着いたが、ホバーの音にふと振り返ると、彼女の車のヘッドライトが一瞬暗闇に踊ってからふっと消える。来てくれるといいな。少数民族のカテゴリーに属する彼にはチームに友だちがいなかった。


 2日後。

 彼は独りでボールを蹴りながら待っていたが、結局彼女は現れなかった。

 所詮旅行者の少し長いだけの滞在、地元の素姓の知れない子供の相手など真剣には考える訳がない。彼はそう考えると肩を落とす。

 その翌日。

 彼がチーム練習の後で、何時ものように居残って練習していると、甲高い指笛がする。さっと振り返ると、彼は破顔し、思い切りボールを蹴った。

 ボールは指笛の人物目掛け飛んで行く。そのボールを胸でトラップして蹴り返した人物は小走りに彼に近付き、バイオマスボトルのミネラルウォーターを投げる。少年はそれをキャッチすると、

「ありがとう。昨日来なかったからもう会えないと思ったよ」

 シンディもボトルのキャップを外すと一口飲んで、

「済まなかった。用事があってね」

「やってくれるんでしょう?」

「ああ。いいよ」

 シンディはゴールポストの下へ行き、少年は架空のフリーキックの位置からボールを蹴る。この日も辺りが暗闇に閉ざされるまで練習は続いた。

 その日から毎日、シンディは夕暮れ時にやって来て30分ほど彼の練習を手伝い、ボールが見えなくなると、今日はここまで、と去って行った。


 5日後。

 15歳以下のこの地区代表チームのメンバーに少年の名前があった。補欠として州都へ行くことになった少年は、先発メンバーからは外れたものの、コーチに練習の成果が出ていると言われ満足だった。

 何時ものようにボールを蹴りながら待っていると、彼女がやって来た。結果を彼女に伝えると、彼女は感情の籠もらない声で言葉少なく祝福する。それが彼女のスタイルなのだ、と既に少年も了解していた。

 少しボールをやり取りした後で少年は、

「お姉さんは、見に来れる?試合」

「申し訳ないが、明後日には出発しなくちゃならない」

「国へ?」

「そのようなものだ」

「残念だな・・・でも、本当にありがとう、練習に付き合ってくれて」

 すると少年が少し驚いたことに、彼女の顔に微笑が浮かぶ。笑顔を見せたことがなかった彼女の笑みは浮かぶと直ぐに消えてしまったが、少年の脳裏に焼き付いた。

「人に見せるためでなく自分のためにする努力は・・・」

 彼女の声はこの時間、常に吹いている西風の音に負けず力強い。

「いつか必ず見返りがあるものさ。今の気持ちを忘れないことだ」

 彼女は少年の肩をぽん、と叩くと去って行く。これでさよならだ、と少年は気付く。

「ありがとう、お姉さん。最後に、お願い!」

 彼女が振り向くと少年は西風に向かって大声で、

「僕、セルヒオって言うんだ! お姉さん、名前を教えてよ!」

「シンディ、だ」

「ありがとう、シンディ!」

 大きく手を振る少年に彼女は手を上げ、後は土手の陰に入って見えなくなるまで振り返らなかった。


 少年のチームは3日間の大会で10チーム中4位の成績を上げた。少年は5試合の内、2試合途中から出場して、3回シュートを放ったが得点はならなかった。

 チームはコーチの運転するホバーバスで4日振りに町へ帰って来た。すると、町の競技場の脇に停まったバスの中から、驚きの声が上がる。

「おい、みんな、見ろよ!」

「すげえ、ネットだ、ネットが張ってある!」

 少年たちは転げるように走り出すと、片方のゴールを囲む。錆びていたゴールは白くペンキが塗られ、真新しいネットが張ってあった。もちろん反対側のゴールも白く輝いている。すると少年の一人がその文字を発見した。

「『己を信じて精進するものは次の段階への扉を開く』・・・?」

 それはゴールの裏側、クロスバーにカスティーリャ語で書かれた何かの警句だった。


 事情は簡単な打ち上げの時、コーチから知らされた。ある篤志家が少年たちが帰る前に直して欲しいと町に寄付をし、町は大急ぎでネットを購入し塗装を施したという。これでボール拾いを置かなくてもシュート練習出来る、とレギュラーのフォワードが叫ぶと、全員が歓声を上げた。その篤志家は名乗ることも素姓を明かすことも拒否したそうだ、とコーチは告げ、その人に感謝を捧げよう、と手を組むと、皆、神妙に手を組んで、感謝の祈りを呟く。

 そんな中、ある少年だけは皆と違う言葉を呟いていた。

「ありがとう、シンディ。あなたは本当に最高の人だ」


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