Episode04;Quartette(カルテット)
§TP本部第3会議室 4日後 2374年05月(現在年月)
「20世紀常駐隊の救援が遅れた点につきましては、組織的欠陥と問責されても致し方ないと思われます。以前もこの問題に付き検討し、改善を図って来たところではありますが・・・」
検証課長は咳払いをし、ボトルからグラスに水を注ぎゆっくりと飲む。触れたくない問題を語っている時に間を取って、聞く者の意識を分散させる。見え透いた常套手段だ。
「この点については、今後、最重点課題として関係各部諸氏の意見を取りまとめ、若しくは評議委員会に付託し、方針を速やかに提出することを勧告致します」
(やれやれ。お前さんたちは以前も勧告しただろうに・・・)
実際現場では、作戦部の管轄である現行犯の逮捕執行に情報部の管轄下にある世紀常駐巡回警備隊は手を出さない、という不文律が出来上がっている。それでなくとも作戦部と情報部は表面上仲良くやっているようだが、テーブルの下では足を蹴り合っている。これを正すのは一苦労だが、そろそろなんとかしないと現場に犠牲が出る。
(本気で取り掛かった方がいいのは分かっているのだが・・・)
そう思った男は暫し目を瞑る。欠伸が漏れそうになり、かみ殺す。長々と御託を聞いて来たせいだ。深呼吸を一つ、二つ、目を開け向かい側を見ると、一部の隙もなく制服を着込んだ男が茶番の仕上げに掛かるところだった。
「・・・これらの検証結果から、TCの行動を亜空間からの監視に留まらず、実体化して偵察せよ、と命じたことは作戦の常道として的確であった、と認めます」
1人2人わざとらしい咳払いをする。
「検証課の結論として、今回作戦部が4班に対して行なった命令・指導は全て順当である、と結論します。」
最後に声を張って検証課長の話が終わった。
「ありがとう。これで少し肩の荷が下りたよ」
作戦部長が大げさに肩を竦めた。
(相変わらずの茶番だな)
男は会議室の隅、部課長職が並ぶ列の反対側に陣取っている。その男が見つめる中、情報部長は横の作戦部長と何か話した後で、
「結局、TCの目的は何だったんだね?」
作戦部刑事課長が苦々しげに口を開く。
「まだ取り調べの最中だが、インターポリスの時空犯罪取締局が早く引き渡せとしつこくてね。詳細はあちらが調べるだろうよ」
課長の話によると結局捕まったTCが知っていたのは、あのタイミングでTPを待つこと、TPを発見次第攻撃し、ゲーリングがTPに保護拘束されることを防ぐこと、ゲーリングには手を出さないこと、という不可思議な指示だけだ。相手はTPに過去痛い目に合わされて意趣返しをしたかったのかも知れない、と刑事課長は付け加えた。
TPが保護対象を一時的にせよ拘束することはまずありえない。歴史不介入という、いわゆる不磨の大典がある。尋問した捜査官がそれを指摘すると、ある男は、そんなことは知ったことじゃない、指示されたことをやり遂げるのがTC傭兵だ、と嘯いていたという。その指示を出したはずの依頼人については、毎度の事ながら特定にまでは至らなかった。
TC側の損害は、重傷9名に軽傷5名、10体全てのピッカーを破壊された。
TP側は4班3名のうちスペンサー少尉が重傷、残り2名も軽傷を負い、ピッカーは1体が全壊廃棄処分、残り2体も大修理を要する損傷を受けた。応援に掛け付けた巡回警備班は10名中2名が軽傷を負い、ピッカーも数体が軽度な損害を受ける。
「今回のTC傭兵は全てヨーロッパ連合出身者で、よく訓練され連携が取れていたようだね。20世紀前半部常駐隊の報告では、制圧に第1規制時間の5分を使い切っても全員を逮捕出来なかったようだ。2人ほど取り逃がしているが、これは緊急脱出シューターを使ったと考えられる。奴らがバルト海で溺死しなかったことを祈るよ」
刑事課長のジョークに笑う者はいなかった。
「まあ、このTCに不意打ちを受けたにも拘らず、6対1の不利な戦いを互角以上に戦い抜いた4班には敬意を表したいものだ」
これには神妙に頷く者が多かった。
「班員の1名は重傷、もう1名は軽傷だが無理せず安静にするほうが良い、との医師の判断だそうだ。班長のクロックフィールド大尉にも同じ診断が下ったが、既に退院している」
情報部長はそう言うと言葉を切り、反対側に座る面々の一角を見やり、
「ジョージ。君の報告は見たが、何か付け加えることはあるかね?」
全員がややだらしなく座る大尉の制服を着た男を見やる。
男、ジョージは冷ややかと言っていいほどの態度でざっと辺りを一瞥すると、
「特に何も。報告の通りですよ」
「特別査察の君が何故あそこにいたか、などとは聞いてはいけないのだろうね?」
「ええ、申し訳ないですが」
(長官の犬が)
情報部長は胸の内で舌を打ったがそれを表情に表すようなことはなかった。勿論、古狸が、と思ったジョージも面白がるような表情は変わらない。
「まあ、ジョージ君たちには彼らの任務がある。そんな中、イレギュラーでウチの部員を助けて頂いたことを感謝する」
何か取り成すように作戦部長はそう言うと頭を下げた。
「いえ、たまたま居合わせただけで。彼が命に別状がなくてよかったですよ」
作戦部長は大きく頷くと、
「他に何かあるかね?」
皆、何も言わなかった。わざわざ午前11時という忙しい時間に召集している、皆、自分の仕事のことを気に掛けるか、そうでない者はランチを何にするか迷っていることだろう。
「よろしい。ご苦労さまでした。散会する」
ジョージは皆が立ち上がる中、僅かに肩を落とし、椅子の背に身体を押し付け、頭上に白く輝く有機照明壁を見つめる。
TP・時空保安庁が『公正』であるために、疑義が生じた事例が発生した場合、自主的に開くと規定されている検討会。何時ものように茶番を見せ付けられることになった。結局身内の『溝』を覗く時は目を瞑り鼻をつまむ、そういう事だ。
とはいうものの、ずっと見て見ぬ振りを続ければ、何れ組織は淘汰される。組織の膿を出してしまいたいと考える人間も少なくないはず。また、部課長職はなんとか現状維持で当たらず触らず、取りまとめたいと考えている。このギクシャクとした関係がTPを弱め歪めて行くと言うのに。
(さて、どうする?・・・ひとつ酔狂と言われてみるか)
ジョージは立ち上がり、出て行こうとしていた作戦部長を引き止める。
「ニックおじさん、一つお願いがあるんですがね」
作戦部長はたちまち警戒の顔色を浮かべる。
「なんだね、ジョー。お前さんが馴れ馴れしくする時にはガキの時分から無理難題を吹っかける時だって決まっているが」
「まあ、そう言わないで、一つかわいい後輩のお願いを聞いて頂けませんかね?」
§TP本部 機動執行班待機所 5日後
「シット!」
グラスが壁に当たり砕ける音。ドサリ、と椅子に座り込む音。テーブルに脚を投げ出す音。誰も何も言わなかった。
その時まで待機所にはBC3班のメンバーもいたのだが、彼らは目線で頷くと部屋を出て行く。悪意ではなく、居たたまれなくなり気も使ったのだが、残された3名にはそれすら彼らを避けているように思えてしまう。しかし、その感想を言う者もいない。
三人三様。彼らはいつでもそうだった。任務の時でも非番の時でも、それは変わらない。無口で感情表現の乏しい女リーダー。生まれも育ちも紳士だが熱血漢でもあるセカンド。若さと明るさで騒々しいがその実複雑な性質のサード。それが最も良く表れるのが、こうした組織に対する不満を感じる時だった。
「俺が一番頭に来るのは」
スペンドはバーカウンターに寄り掛かり、そこにきちんと磨かれて重ねられたカットグラスをひとつ取り上げ弄んでいる。
「目に見えない誰かさんの思惑で明らかにおかしな命令を告げられ、人形のように動かされたことだ」
彼はその透明なグラスに何か素晴らしい模様でも描かれているかのように眺める。
「任務は仕方がない。理不尽なこともやる。例え歴史に汚点を残したような輩を救うためにも全力を尽くさねばならない、何故ならばそれがTPの存在理由だから」
弄ぶグラスを今度は右手で放り上げキャッチする。左手は肩から脇に掛けて大きなパッチで覆われ、手首から先しか動かせない。
「俺の初期順応指導教官殿はそうのたまったもんさ。更に曰く。善だろうが悪だろうが、正史は動かしようがない。だから過去の歴史をいくら弄くっても現代を変えることは出来ない。TPはその変えられない歴史の記憶を守るために存在する。文化財保護官のように。自然環境保護地区の監視員のように」
医務官は浮上車椅子といった感のあるミニマムホバーの利用を薦めたがスペンドは断り、古風な松葉杖を使うと言い張った。左足の再生治療には負担が大きいからお勧め出来ないと再度ホバーを薦める医務官に、ここに書き記すことが出来ないような罵詈雑言をぶつけた。ならば、と医務官は軽いパッチでの手当てを止め、部厚い包帯で左脛から膝下までをぐるぐる巻きにして固めてしまった。
「TCは変えられない現在という前提があるのに、何故過去に介入するのか」
彼は松葉杖を手が届く場所に立て掛け、カウンターに体重を預けている。
「それはそれが商売になるからだ。表面上戦争の消えた現代。刺激を求める一心で、一部の好事家が求める過去の改竄。もちろん、収益を現在に持ち帰ることは出来ないが、現在の知識を使い賭け事などで利益を得る不当収得。持ち帰れなくとも過去では使えるのだ。自分だけが観察する過去の改竄という楽しみに数億UNI支払う鬼畜もいるという」
最早スペンドは熱心に講義する教官と化している。
「過去は単なる現在の航跡、足跡などではなく、それはそれで連鎖し連続再現する現代正史の存在証明、そこに存在する生物は間違いなく生きていて、歴史を改竄することはその過去の積み重ねを否定することとなり、それは人間として不可侵の領域にあたる。この過去の在り様により因果律と未来は否定され、それにより神の存在すら否定される向きがあるが、それは行き過ぎというもので、因果律も後ろ向き、過去に対しては成立するし神も哲学、精神論や神学的には存在を否定出来ない。それを踏まえるのであれば、TCが行なおうとする過去改竄は神をも恐れぬ凶悪犯罪といえる」
ウィンはスペンドの講義をソファに沈み込み、テーブルに足を投げ出す、という普段の彼が示す規範から外れた少々行儀の悪い格好で聞いていた。手にはスペンドと同じくカットグラスを持っているが、琥珀色の液体が半分ほど入っている。
「・・・俺の指導教官はね、作戦部で20年、情報部で20年叩き上げて補給支援部スカウト課で10年、俺のような奴らを引っ張って来たそうだ。何でも知っている博識のおっさんでさ。でも、そのおっさんも内部の上下関係やらお役所的体質やら派閥抗争みたいなことは一つも教えてくれなかった。こんな訳の判らない状況で危険に晒されるなんて事もね!」
右手のスナップを利かせて投じられたグラスは直線に飛んで壁に当たり華々しく砕け散る。
「おいおい、4つ目だぜ。いい加減にしときな」
顎をオトガイに付けるまで沈み込んだウィンが物憂げに言うが、スペンドは答えず、
「一体、何なんだ、こいつは」
再び砕け散るグラス。
「5つ目。給仕がやってくる前に片付けろよ」
まだ太陽が高い。酒を飲むには早い時間なので、待機所のリラクゼーション区域はセルフサービス時間となっている。
「お代は俺に付けてくれ、ってな」
6個目のグラスが散った。
(まずいな)
シンディはウィンの座るソファの左、一人分の間を空けて座っていた。他の2名が制服の上着を脱いでシャツ姿なのに対し、彼女は制服をきちんと着たままだった。
(まずいな)
再び彼女は思う。別にスペンドの態度やウィンの様子を思ってのことではない。彼らは彼らで、いわゆるガス抜きを行なっている最中というだけだ。まあ、スペンドはマックスゲージを示しアラームがしつこく鳴っている、といった状態ではあるが・・・人間である以上、いた仕方がないことであるし、こちらが気を付けてケアを入れるよう心掛ければいい。
ただし・・・この状況は、まずい。TPを直接攻撃するTCが出て来たと言うのに上は・・・
あの日。
彼女たちは最近TCの出没が多い警戒年紀である18世紀後半、そう、あのアメリカ独立戦争やフランス革命期の世界へパトロールに出かけていた。機動執行はそもそもパトロールをしないものだが、駐在や捜査班だけでは対処し切れない、また、機動執行への出動要請が間に合わないケースが連続し、巡回警備班の補強として任に就いたのだった。
パトロールは、最初からTCとの遭遇が決まっている逮捕執行の出動と違い、実体化することも少なくTCと鉢合わせすることなど滅多にない。年間5、600件ほどの検挙を行なうTPで、8割は機動執行班が挙げたもの、残り2割の内、昨年を例に取れば巡回警備班が挙げた件数は20件に満たない。しかし彼らは6から10名を一班とする巡回警備班を300前後揃え、作戦部で一番大きな勢力となっている。実際彼らの活動によりTCは迂闊に歴史に介入することが出来ずにいるのだ。的確な情報網と地道な活動でTCの計画を察知する情報部の常駐員や機動捜査員と共に、神出鬼没の巡回警備はTCたちに圧力を掛け続けている。
機動執行の人間が巡回警備を手伝うことは、ない訳ではないが珍しい。これは機動執行が作戦部のエリート的存在であり、精鋭であることと無縁ではない。本庁捜査一課のエリートが所轄署捜査本部へ手伝いに行くようなものだ、お互いの感情を考えてもごく普通の管理職なら出来るだけ避けようとするだろう。だが、最近のTPは少し普通の状態ではなかった。
「いやあ、助かるなあ、あの有名な『ブラックダイアモンズ』が我々『地回り』をお手伝い頂けるとはね、しかも5日間も。 正に夢のようだねえ」
18世紀を担当し常駐する責任者の中佐は3名を前にして、おべっかとも皮肉とも取れる態度で握手を求めた。それは事前の不安が的中した瞬間でもあった。
3名はエリートTP捜査官ならそうであろうと誰もが考える態度、無表情の直立不動で握手を受け、担当時空域とタイムスケジュールを受け取ると、直ちに18世紀後半のヨーロッパ、中世から急速に近代へ向かう大きな歴史の中へ踏み込んで行った。
シンディたちが緊急通信を受けたのはパトロールを始めて2日目、フランス革命直前のフランスを見て回っていた最中のこと。
それは作戦部作戦企画課の中佐からのタキオン通信だった。通信は別系統で同時に18世紀巡回警備班にも回され、シンディたちが突然持って行かれることに、ほら、見たことか、と諦めとも妬みとも取れる反応が起きていた。
企画課の中佐はシンディたちとは初対面だった。彼女たちとの秘話通信に切り替え命令を伝え終わると、時間差の影響で黎明期の2次元通信映像のようにコマ落ちのする画面上の中佐は愛想よく彼女に語りかける。
「以上が概要だ。保護対象のゲームブックは直ちにそちらのライブラリーへ転送するよ。もちろん、作戦詳細もだ。具体的な質問は移動中にそれを読んでからして貰いたい。何かあるかい?」
「ひとつだけ。どうやら執行時の命令はそちらから出るようですが、ミッションコンプリートの条件を示して頂けますか?万が一の時の判断基準にしたいので」
「いい質問だね。残念だがそれは今示せない。現着したら指示するよ。申し訳ないがこれは上の指示だ」
中佐は、それでは幸運を祈る、といって通信を切った。
「やれやれ、あっちこっちと人気者だこと」
スペンドが吐息混じりに肩を竦める。ウィンも首を振りながら、
「あちらの冬は寒いね。ここの集積所に余分な冬季防寒戦闘スーツなんてあるのかな?もちろんサイズも合わないと」
「もうバズに連絡させてるよ。寒いのはどんな時代も一緒だからあるはずだ」
スペンドはそう言うと、目を細め、ポツリ、と続ける。
「俺は命令の後に『幸運を祈る』と言う人間は信用しないことにしている」
シンディは無言で移動手順のファーストフェイズを始めた・・・
ドアが開く。
無意識に爪を噛みながら物思いに耽っていたシンディが顔を上げると、中肉中背、瑠璃色の瞳を持つ若い男がリラクゼーション区域バールームのドア口に立っていた。彼女はそれが誰であるかを認めると、微かに眉を顰める。
「お邪魔かな?」
明るい空色の制服は卸し立てのように折り目がきちんと見える。古風な儀礼用の制服だった。肩章からシンディたち同様実行部隊の大尉だと知れるが所属を示す右肩のナンバーはなく左肩の『撃墜マーク』もない。
「いいえ。そちらさえよろしければ」
ウィンが試すかのようにゆっくりと返す。
「ここは少々、騒々しいですがね、大尉どの」
と、これはスペンド。
「ありがとう。では、お邪魔させて頂くよ」
男は制帽を脱ぐとふわりと放り投げ、マチの高い制帽はスペンドの寄り掛かるカウンターの上へ見事に着地する。短く刈り詰めた金色の髪が露わになった。彼は3人が注視する中、ひょいとバーカウンターを跳び越え、並ぶボトルを眺めると10世紀も頑固に同じ製法で造られるアイラのモルトを選ぶ。慣れた様子でショットグラスを取り出すとスコッチをツーフィンガー分注ぎ、スペンドの横から彼が6個無駄にしたカットグラスを取って、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すとなみなみと注ぎ、一口含む。
「さて、まずは皆さんの健康に」
男はスコッチのグラスを掲げると一気に呷った。
この声、まさか!・・・スペンドの目が見る見る大きくなり、口がぽかんと丸くなる。まるで驚く人間を模ったマネキンのように固まってしまった。
大尉という階級の割に男は若い。どう見ても25は越えていないだろう。であるのに、その態度物腰は15は上のもの、気障に思える行動も、絶やさない微笑みや溌剌とした仕草により嫌味には感じない。それは人を惹き付ける何か、カリスマに近いものに思えた。
「その後、どうだね?その分だと元気は取り戻したようだな」
男はショットグラスに再びスコッチを注ぎながら何気にスペンドへ話しかける。やはり『あの声』だった。
「おかげさまで。あの時はありがとうございました」
神妙に、そして慎重にスペンドが返す。
「それはよかった。しかし、松葉杖か。医者に叱られただろう?」
「ええ、まあ」
男は笑う。幅広い年齢層の女性に好感を与えるであろう柔らかい笑いだった。
「意地を張るのは根性を示すのにいい方法なんだけどね、きっちりと早く直すことの方がプロとしては及第点を貰える。あんまり無理をするものじゃない」
「・・・肝に銘じます」
「うん、いい返事だね。やっぱりスペンド君は唯の跳ねっ返りじゃなさそうだ」
「失礼ですが、大尉殿。スペンサー少尉とは顔見知りのご様子ですが、本官もご挨拶させて頂いてよろしいでしょうか?」
ウィンが立ち上がって敬礼する。
「私はピエール・ド・ウィンスラブTP中尉であります。こちらは私の上司、AD機動執行第4班班長、シンディ・クロックフィールドTP大尉です」
シンディも立ち上がり敬礼する。男は慌てたようにグラスを置き、再びカウンターを跳び越えると居住まいを正して見事に答礼する。
「これは無作法をしました。申し訳ない」
そして再びあの笑顔を浮かべると、
「私はジョージ・ウォーカー。TP大尉を任じられている」
「ウォーカー?で、ではあの『タフィーズ・サン』・ウォーカー大尉殿でありますか?」
19世紀の騎兵将校を演じていたウィンは途端に24世紀のウィンに戻り、驚きの声を上げた。
「その渾名は余り好きじゃないし、陰での通り名だからね、中尉。出来たらジョーと呼んで欲しい。こちらもウィンと呼ばせて頂きたい」
「ご随意に・・・ジョー」
「ありがとう、ウィン」
そしてそこまで一言も口を訊かないシンディに、
「随分と暫くだね、シンディ。私のこと、忘れた訳じゃないよね? 5年振り、『エリザベス事件』以来・・・かな?」
「そうね、ジョー。何度か本部でお見掛けしたけれど、何時でもお忙しそうで声を掛けられる様子じゃなかったわね。変わらずお元気そうで」
「それは大変失礼した。こんな私でもそれなりに忙しい時があって・・・」
「ウィン。彼は一体、何者なんだ?」
2人のやり取りを眺めながらスペンドがマイクロタグを通して秘話で尋ねる。『タフィーズ・サン』を知らなかったスペンドを責めるかのように、ウィンは言葉少なくずばり正体を教える。スペンドは言葉を失った。
「ああ、そうだった。大事なことを片付けよう」
ジョーは改めて敬礼すると、右手人差し指で空に四角を描く。するとそこに擬似窓が開いて通達命令書が映る
「私、ジョージ・ウォーカーTP大尉は本日付で長官直属から異動、作戦部機動執行課AD機動執行第2中隊第4班に『欠員補充』として配属となりました。なお、指揮命令権は従来通りシンディ・クロックフィールドTP大尉にあり、私は只今よりあなたの指揮下にあります。以後、よろしく、皆さん」
彼が擬似窓を『投げる』とそれは空を切ってシンディの前へ飛んで来る。彼女は右手で受け止め、一瞥した後、指で何かを書き込む仕草をしてから『畳む』と、それは一瞬で消えた。
「受領しました。大尉、ようこそ。こちらこそよろしく」
「しかし・・・」 「何だってウチに・・・」
異口同音とはこのことで、ウィンとスペンドは唖然として2人を交互に見やる。ジョーは困った、といった心配そうな顔付きで2人に、
「私では役不足かな?これでも一応作戦Aクラス任担の資格はあるし、3年前には作戦部でTCを追っ駆けていたこともある。と言っても、機動執行ナンバーワンの君たちと肩を並べるのは、やはりおこがましいかな・・・本部のデスクワーカーが何しているんだ、ってことになる前に十分訓練を積んでおくよ」
「いいえ、滅相にない。たい、いえ、ジョーの噂は聞いていますから・・・逆に光栄ですよ・・・でも、なんだって現場へ?」
ウィンは赤ら顔だが酔いも醒めてしまった様子で困惑しながら尋ねた。
「さあ、何でだろう。私は好奇心旺盛な男でね。子供の頃からよく言われたもんだ、ジョーが覗かない所はない、ってね」
謎めいた笑顔で煙に巻くと、カウンターに置いたショットグラスを取り上げスペンドに乾杯の仕草で上げて見せると、
「そちらも、よろしくな、スペンド。君とは馬が合いそうな予感がしているんだ」
「あ・・・ええ、まあ。こちらこそ」
スペンドは何故か浮かない顔をして曖昧に返事をする。と、何か思い出したようにジョーへ、
「大尉は上層部を良くご存知なんですよね?それにこの間、私を助けて頂いた。この間の茶番は一体何だったのか説明願えませんか?」
するとジョーは含み笑いをし、手にしたグラスを一気に煽るとコトリ、とカウンターに置くやそのままひょいとカウンターへ飛び上がり腰を下ろした。儀礼用の硬い制服を着用しながらもその動きは、猫のようにしなやかで流れるようだった。
「君が知りたいのは・・・ああ、いや、ちゃんと説明した方がいいね」
ジョーは微笑を崩さずにじっとスペンドを見つめ、つとシンディの方へ視線を流す。
「君らはこう疑っただろうね。突然の転進命令。作戦目的も知らされない慌しい移動。TCが見つめている前での実体化命令。案の定の乱戦。これ全て仕組まれたのではないか、と」
ジョーは口を噤むと首を傾げ、どうだい?とでも言いたげな様子でスペンドを見る。しかしスペンドは無表情にその目を臆せずに見つめ返すだけだ。
「まあ、最前線でTCを追う君たちには余りにも申し訳ない話だ。今回の作戦企画課の命令に関しては、場当たり的で焦り過ぎの稚拙さが見え隠れしていたことは否めない。
私はね、ある数名の作戦部中枢に籍を置く若手が手柄を焦った、と見ている。情報部のアナリストが出した報告、通信傍受が捉えたTCの気配、常駐隊からの情報・・・正直な話、そこに陰謀や陥穽は見当たらない。それは私が保証するよ」
ジョーは再びシンディを見やると、
「本当に済まないと思う。こんな下らないことで君たちが窮地に陥るほどTPは官僚主義に毒されているんだ。シンディ、君は覚えているだろうが、少し前まではこんなことはなかった。一握りのプロフェッショナルが続々と発生する様々な形の時間犯罪に立ち向かい、自分たちは時間と歴史の番人であると胸を張って答えることが出来た。しかし、今は・・・」
ジョーは自身の右手をつと、眉間に持って行き鼻梁を軽く揉むようにする。
「情けないお話だな。しかし、その責任は私たちにある。だから最前線にいる君たちが2度とこのような危険な目に会わないよう、何とかして行かなくてはならない」
そしてジョーはカウンターを降りると、スペンドの前を過ぎてシンディの真向かいに立つ。
「私はそのヒントを知りたい。随分と現場の空気を吸ってないからね・・・こうしてお邪魔させてもらう訳だ。まあ、気に入ったらこのまま居付くのもいい、と思っているよ」
シンディは黙って頷く。ジョーが歩み寄って手を差し出す。シンディは一瞬待ってから手を差し伸べ、握手はほんの数秒だった。ジョーは笑顔だが、シンディは無表情を貫いた。
ジョーは続いてウィンと、これはがっちりと握手をし、最後にカウンターに寄り、スペンドの前へ行く。差し出される手にちらりと目をやると、スペンドはすっと手を出し、軽く握手して自ら離した。
ジョーはこれにも笑いながら、
「まあ、ゆっくりお互いを知ろう、スペンド。歳は4歳私が兄貴だ。出身は18世紀末イギリスはロンドン、ってことになっている。私の異動早々、明日からこの班は再建と休養の長期休暇だろ?君はまだどこで過ごすのか滞在地申請が出ていない。一体どこで過ごすんだい?」
「どこにも旅する予定はないですよ」
「そうか・・・シンディは大陸の南へ、ウィンは月、か・・・スペンド、君さえよければ私の別荘に何日か寄らないか?それとも一緒に火星見物にでも行くか?」
「・・・任せますよ。どうせやることもない」
「決まりだ。じゃあ、何か考えよう」
ジョーはそこで満面の笑顔になる。
「さあ、これでトリオがカルテットだね。4班は最強になったんじゃないかな?」
この漲る自信と明るさはどこから出るのだろう。本物だろうか?
ウィンは完全に氷が溶けてしまったウィスキーの水割りを啜りながら、値踏みをするかのようにジョーを盗み見る。シンディは例の無表情なまま、何の感情も窺わせず、ただ静かに立っていた。