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Episode03;凍結湖畔の死闘

 §スウェーデン王国 1920年11月(到達年月) 2374年05月(現在年月)



 3人は完全に凍結した湖面を風速15メートルの雪嵐が駆け抜けて行くのを見守っていた。

 針葉樹ばかりの鬱蒼とした森と細長い湖、全てが白く閉ざされ人を、動物を拒んでいる。僅かに生活を思わせるものは、湖から直ぐに斜面を成して自然の造った畝となる丘の上に建てられた城館と、それを越えた麓にある小さな集落だけだった。しかしそれも今は時折視界が0となる雪嵐に沈み、人の動きは見えない。僅かに城館の狭間から覗く灯りだけが白と黒の中、生き物の存在の証となっていた。

「しかし、あいつを狙って何の得があるかなぁ」

 スペンドは目の前の光景に顔を顰めていた。寒いのが大の苦手なのだ。

「私も詳しくは勉強していないが、彼は20年後にドイツの命運を担うのだろう?今でもそれなりに有名人だが、数年先にはもっと有名になり人目に付く。だからTCの奴らはこんな場所で狙うのではないかな」

「正義漢ぶるなら、あのオデブさんより先に片付けなきゃならないのがいるでしょうに、今頃ミュンヘンでスパイの真似事をしている御仁が」

「ちょびヒゲの男のことかい?まあ、あっちは常駐巡回がばっちり監視しているし、それをTCも知っているだろうからね。それにあの男を殺したってこの時の情勢では第2、第3の独裁者が現れるはずだって教えられたがね。それに、オカルトに属する話もあるよ。君は経験がないかも知れないが、私はあの男を救うミッションに3回ほど参加した。妙なことに我々が何かする前に何故かTCの連中にトラブルが発生する」

「聞いたことがあるよ、旦那。仕掛けた爆弾が機能不全になる、保護対象が突然『ゲームブック』と違う道順で移動する、マシンが作動不良を起こす、ピッカーが暴走する・・・」

「そういうことだ。何もあの男に限らない。私の先輩、ナポレオンもそうだし、そうそう、エンリケ航海王子なぞ、狙う機会は星の数なのに一度として成功しないそうじゃないか。こちらが間に合わないタイミングで駆けつけたら勝手にTCがのびていた、何てこともあったらしい」

 スペンドは吐息を吐くと、

「そういうのも歴史の修復効果の一環なんですかねえ。先行して直す、とか。それにしてもそういう運のある奴に限って悪役だ、っていうのもどうだかな」

「歴史の防衛効果、と呼んだ方が近いのかな?それとスペンド君、ドサクサ紛れにナポレオンまで悪役にしないでくれたまえ」

「あれ?悪役じゃないの?ヨーロッパ全体から見たら彼のやったことはちょびヒゲの男と変わらないよ?」

「しかし、英雄と呼ばれているだろう?誰もヒトラーを英雄とは呼ばないだろう?」

「『英雄、人を欺く†』ってね」

「中国の詩人だったか、そんなもの引っ張り出さなくても・・・」

「じゃ、これなんかどう?『悪にかけても善にかけても英雄がいる‡』。これは旦那の先輩の言葉だよ」

「ロシュフーコーだろ?分かったよ、君には叶わない」

 ウィンは両掌を上向けてお手上げのジェスチャーをすると、これはシンディに、

「で、『ゲームブック』の予測ではそろそろだが、本部はまだ何も言って来ないんだね?」

「ああ、まだだ」

 シンディは相変わらず独り離れた場所にいて、荒涼とした湖の様子を伺っている。この何処かにTCがいて、彼女たちと同じく保護対象(TCにとってはターゲット)を待っているはずなのだ。しかし実体化前の捕捉は海原の針一本の例え同様に不可能と言って良い。だからこうして相手が動き出すまで待つしかない。それに今回のミッションは緊急出動ではなく・・・

「『ソースは明かせないが、ある人物が狙われている、こちらの指示通り行動して貰いたい』」

 スペンドは彼らに指示をしたある上官の口真似をして、

「ワシントンの時もそうだった。ったく、上の連中、一体何考えているんだか・・・」

「おっと、スペンド。口を慎むんだね。それ以上言うと抗命ととられても仕方がない」

 両手で抑えて・抑えて、とやるウィンを睨み付けると、スペンドは何時ものように指先に思考制御タブレットを挟むと口に放り込み、バリバリ音を立てて噛みしだく。

「今回は『ゲームブック』も完璧じゃないし、予測不能の因子ってのが多過ぎる。大体、保護対象Bの素姓すらはっきりしてないじゃないか?」

「私に怒っても始まらんよ、スペンド。それにあの男の『正史』には不明な部分が多い。特に大戦が終わってからミュンヘンに現れるまでは空白だらけじゃないか?情報部を攻めちゃいかんよ。彼らも精一杯仕事をしているのだからね」

 作戦部一筋のスペンドと違い、ウィンは情報部で2年ほどデスクワークを経験している。膨大な真偽様々の情報から『正史』を取り出す仕事の困難さを彼は知っていた。


 『ゲームブック』とは過去の様々なソースと独自の「現地調査」で得た事実を積み重ねた正史の記述だ。主にライブラリー用に作られた年毎に編纂した年記分冊と、史上の重要人物、TPで言うところの『ファンクションキー』毎に纏められた人物伝記がある。

 重要ポイントに配置される情報部の駐在、半常駐の捜査員エージェントからの至急報や、TPとは別の国際協約機関、時空監視センターからの亜空間侵入警報などから出動することが多い彼ら機動執行班が頼りにするのは自分たちの忠実な相棒、ピッカーとこの人物伝記ゲームブックだった。

 そこには保護対象の歴史が記載されている。とは言うものの、判明している細部は漏らさず記載されているが、自ずと限界はある。何年何月何日、何時何分何十秒と、分かっている範囲では対象のトイレの回数まで記録があるが、分からなければ、最も可能性の高い行動予測や信用性が比較的高いと思われる風評が載っているだけ。つまりは、保護対象の大体の行動は分かるが後は現地で臨機応変、これが機動執行班に求められているのだ。


 もう一つタブレットを口に放り込んで黙り込んだスペンドを見てウィンも口を閉じる。スペンドは1ヶ月前の『ワシントン救出』の一件以来どこか機嫌が悪い。別に当り散らす訳ではなく、口数が多少少ないのと上層部批判が増えた位だが、普段、我関せずの態度からは大きな違いだ。

 あの日はあれから待機室でスペンドの黄太線(逮捕執行50回)祝いのサプライズパーティが開かれ、機動執行課で仲の良い隊員や整備や総務の人間に囲まれ、楽しい一時だったのだが、お開きになるとスペンドは珍しく早めに自室に帰り、それ以来、何か考え事をする様子が垣間見える。

 その日から今日まで出動は4回。全て待機中の緊急出動で、内3回は観光目当てのブラックツーリストだったり、TPに察知されたのに気付いたのか相手が出現しなかったりと楽な任務。ごく平穏な毎日だったと言えるのだが、それが却ってスペンドに考えさせる時間を与え、何時までも引き摺ることになったようだ。

 そろそろ何とかしないといけない。シンディはそんなスペンドの様子を横目で見て眉を顰める。どこかに心を置いていると、僅か5から10分程度の実体可能時間でケリを付けなくてはならない彼女たちの仕事では大きなミスに繋がりかねない。それは自分の安全だけでなくチーム全体の問題でもある。

 それに・・・この2週間ほど4班には休みがなかった。

 4班と同じ日に出動し、正史的にはその8日後に現着、第一次サラトガの戦い(フリーマン農場の戦い)に介入しようとしたTC傭兵と死闘を演じた7班はまだ一線に復帰していない。

 しかも年に2度の長期休暇リフレッシュに当たる6班と11班、そして大掛かりな組織的時空侵犯事件を引き起こした首謀者がマシンを繰って逃亡中のため、5つの班が情報部のエージェントと共に専従追跡活動していて、今や16班あるAD機動執行班は半減の8班しか動いていない。中でも4班はエース中のエースとして常に当てにされる存在で、待機所詰めも通常の倍近くに伸びていた。

 この2日ほどはTCの出没が頻繁になっていた18世紀巡回警備班へレンタルされ、慣れないパトロールをさせられている。今回の出動も緊急要請で19世紀から直接急行して来たのだ。

 これらが精神的にも肉体的にも負担にならない訳がない。もちろん精神疲労も肉体疲労も薬で対処出来る。医療班から疲労回復に優れた効果のある各種タブレットやアンプルが出ているし、長時間待機を強いられた後はリラクゼーション施設と強制睡眠療法で精神疲労を回復してはいる。だが、たとえ医療や健康推進で効果が実証されようとも、彼女たちも生身の人間である。健常でいられる時間は確実に短くなり疲れやすく睡眠不足になり勝ちな状態に陥っていた。

「スペンド」

「・・・何ですか?」

 シンディから声が掛かるのは任務中といえども珍しい。それで一瞬返答に間があったスペンドだった。

「あなた、これが終わったら2週間休みなさい」

「え?何のこと?」

「休暇を申請する。私がね」

 シンディは呆気に獲られたスペンドの目を捉え、

班長チーフが休養中、班は自動的に休業する。規則にはそうあったと思ったが?」

「そうだな。その通りだ」

 ウィンは考え込むように腕を組んで、

「ここのところ、ちょっとばかり忙しかったからな。来週には11班が休暇明けだ。代わって貰えばいい」

「しかし」

「しかしは、なしだスペンド」

 シンディはにべもない。

「理由は自分自身が一番よく知っているはずじゃないか。それに・・・」

 スペンドは我が目を疑う。反論しかけた言葉が消えた。

「本当は私が休みたいのさ。ここ2年、ほとんど何も考えずに仕事をして来たからね。総務が休めと煩かったから反対はされないだろうよ」

 よく話すシンディは珍しい。しかしそれ以上にスペンドにとって珍しかったのは、微笑とはいえ笑顔のシンディだった。陰口の通り彼女の笑顔は一緒に行動する彼ですら殆んど見たことがなかったのだ。が、それも長くは続かなかった。その顔が吹き消されるロウソクの炎のように無表情に変化する。

「見ろ!」

 シンディの指差す先。降りしきる雪の中、黒い森の中に輝くものが見える。

「来たな」

 思わずスペンドが腰を浮かす。実体化因子の輝きは赤味掛かっている。まるで沈む夕陽のようだ。

「2名。少ないな」

「シンディ?」

 と、これはウィン。どうする?と問い掛けている。

「事前偵察に見える。様子を窺った方がいいけれど・・・」

「賢明だね。後から少なくとも2,3人は・・・シンディ?どうした」

 シンディの顔は例の無表情。だが、彼女の眉間に微かに現れる皺を認めたウィンが問うと、

「・・・本部からだ。実体化し、様子を見て拘束せよ」

「なんだって!」

 スペンドはほとんど驚きの表情でシンディの顔を見つめる。ウィンも腕組みを解いたのは不服と言えないまでも「意外」の表明だ。

「残りのTCが見ているかも知れないのに姿を晒すんですか?」

「スペンド」

 シンディは驚いた顔に穏やかに声を返す。

「命令。実体化し、偵察、後にTCを拘束する」

 暫く視線と視線が絡み合う。4つの目が感情を伺わせない焦茶色の目を見つめるが、直ぐに、

「了解」

 と、これはウィン。スペンドは目を伏せてから目の前の湖を見やり、やや遅れてロジャ、と呟く。シンディは表情を動かさずに頷くと、

「距離およそ300、か・・・ここなら相手から見えないな」

 彼女たちが見下ろしているのは、丘に向かってうねる様な起伏が上って行く林の中。窪地の陰で実体化すれば相手からは見えないだろう。

「クイーン。ポイントはここでいい、開扉用意。タイマーを第二規制10m00sに設定。アラートもセット」

「了解しました」

 彼女は『天』からの声に頷くと2人に、

「いいかい?」

「何時でも」 「いいですよ」

 並ぶ返事に答える代わり、彼女は声を張る。

「クイーン、開扉しろ!」



§同地・同年紀同日19分後



 仄かに藍色の光が感じられるだけで、そこは穴倉のような場所だ。 

 気を失っていたのはほんの数分間だったようだ。気が付くと目の前にバズが佇んでいた。しかしそれはスペンドの見慣れたバズの姿ではない。3次元擬装を停止して、無骨なメタルの身体を晒している。その身体も無数の打痕や擦過痕と焦げ痕だらけ。脚は両方とも亀裂から迸った潤滑液が流血のような跡を付け、右腕に至っては肘から先が切断されている。

「おい、大丈夫か?」

 バズが身体を軋ませ、彼の横たわるシートを少し起こした。

「・・・大丈夫かって・・・お前こそ無様だな」

「ああ、ちょっとな・・・スペンド、こいつを。さっきの人が応急手当はしたが、直ぐに痛みが戻ってくるからな」

 バズは左手で持っていた鎮痛剤のアンプルを、片手で器用に千切ってスペンドの鼻の前へ持って行く。スペンドは顔を顰めながらも深呼吸を4,5回、気化した薬液を吸い込んだ。

「痛みなど判らないくせに・・・まあいい、ありがとう」

 スペンドは次第に身体に染込む吸入アンプル剤の効果を、武者震いのような震えで感じ取る。目を瞑り、暫し頭を整理すると、まるで数時間前のように感じるが僅か10m前までの出来事が浮かび上がる。

(シット!酷いもんだ・・・皆はどうしただろう?)

 スペンドは鈍く痛み出した脇腹や脚を無視する。間もなく鎮痛剤が効いて来るはず。それにしても・・・

(・・・あれは誰だ?)



§同地・同年紀同日19分前



 実体化因子輝くゲートをすり抜けた3人は、吹き付ける雪に顔を顰め、フェイスガードをきっちり当て直すとカーボンスティックを構え、油断なく森の中を進み始めた。窪地の縁からそっと覗くと、程なくTCを視認する。2名のTCは光学迷彩スーツで見え難いものの、生体送受信チップ(マイクロタグ)を通して熱線感知センサーが追尾する情報が視覚化され、その姿は白い雪の中、淡く輝く亡霊のように映っている。ゆっくりと湖畔に向かって歩いている。

 雪はそれほど深くなく凍て付いていて、踏んでも表層のパウダースノーだけが剥げ落ちる。音を立てぬよう気を付けながら歩くが、滑り難い擬似ゴム素材で出来たブーツの底でも足元が覚束なくなりそうだった。

 対象Aこと元ドイツ帝国陸軍の飛行将校、ヘルマン・ゲーリング大尉がまもなく緊急着陸することになる湖。ゲームブックによると、彼はこの雪嵐で機位を失い、燃料も乏しくなったため目的地に向かうのを断念、緊急着陸が出来そうな場所を探しこの湖を見つける。完全に凍結していて長さも十分、軽い曲芸飛行仕様のハンザ・ブランデンブルグ機なら簡単に着陸出来るこの自然が造った滑走路に降り立つこととなる。

 それにしても、とスペンドは思う。こんな結構な天候に、帆布と木材をワイヤーで括っただけの代物で空に飛び発つとは余程の阿呆だ。勇気がこんな馬鹿げたことで示される時代とはいえ、直前の戦争を生き残ったと言うのにオメデタイこと甚だしい。

(いや、いっその事、ここで死んで貰った方が世界のためだな)

 スペンドは上司たちが聞いたら卒倒しそうな不遜なことを考え、弄ぶ。大体、この後ナチスのナンバー2に上り詰めることが分かっているファッティ(デブ)を何故助けなくてはならないのか?

 もちろん、スペンドはその答えを知っているし、理解もしている。例え心情的にどうであれ、そう、無垢の人々が、それも数百万単位で死ぬことになる原因の一端を担う男であろうとも手を触れてはならないことを。

 彼は幸いにもこれまではそんな『げんなりする』任務に就いた試しがなかった。だが、その運も今日で終わったと見える。逆の見方をすれば、それだけ上に信用されているとも言えるが、そればかりはどうしても『信用』出来ないでいるスペンドだった。

 シンディはTCが湖畔に近い倒木の陰に消えると手を挙げて2人を止め、振り返って指のサインでウィンを左手、スペンドを右手へと分ける。そうしておいて右手を示し、5本の指を立てると握って下に引き下ろし、自身はその場に伏せた。意味を読み取ったスペンドは右手の森、針葉樹の枝が重なり折れて吹き溜まりになった場所に腹這いとなる。ほぼ同時に左手20メートルほど離れたウィンも身体を沈め、彼の視野から消える。

「確認する。TCは前方150メートル、7時の方向から湖に向かって伸びる倒木の辺り。2名」

 マイクロタグを通してシンディの声が耳元で囁く。開発当初はテレパシーの実現と賞賛されたこの技術も、既に1世紀前の技術だった。

「何か意見は?」

「特になし」

 と、これはウィン。

「ここで待つんですかね?」

 と、これはスペンド。

「だろうな。クイーン、本部に送信。本文。TC2名は対象Aの上陸ポイント付近にて待機の模様。以後の指示を・・・回避しろ!」

 最後の指示はピッカーを含む全ての者に発した警告だった。全てが一瞬の内に始まった。


 スペンドは本能とも呼ぶべき判断でスティックをマシンガンモードにし、後方90度の扇状にビームを拡散、『敵』の動きを封じようとした。しかし相手の方が先手を取った分2秒は早く、彼がスティックを向けた時にはプラズマ弾がスペンドの左50センチの樹木に当り、木片と熱風が彼を襲っていた。

 しかし、彼は絶望的な状況で幾度も自分の命を賄って来た男。普通の人間なら怪我を恐れて思わずたじろぐところ、咄嗟に硬い地面へ身を投げ、熱風と木片の大半をやり過ごす。

「バズ!」

 しかし相棒からの返事は無い。バズはバズでピッカー同士の戦いをしているのだ。彼らはそれぞれの相手と単独ひとりで戦うしかない。

(バズ。やられるなよ)

 彼は貴重な一瞬バズに思いを馳せると、すぐさま身を起こし走り出した。状況を確認しようにも、次から次へと彼を狙うプラズマ弾に対処するのが精一杯、伏せるのを諦め、全速で木々の間を走り抜けることにしたのだ。

(どこかで形勢を立て直さないと直にやられる。ほんの一瞬でもいい、状況を見極める時間を得なくては。スティックを構える時間もないのは、まずいな。やはりピッカーがいるといないのでは・・・)

 次々に浮かぶ雑念。それは彼をこの窮地から生まれる敗北の予感、諦めと絶望感から遠ざける。

 彼を狙う敵、それは紛うことなくTCだが、総勢10名は下らないであろう彼らの内、スペンドを追って来たその数は3。彼を中央、シンディの方向へ追いやろうと向かって左側に射線を集中したのはプロの仕業。普通はそんなことをしなくとも3人集まろうとウィンは左、スペンドは右と中央に寄ってシンディと合流したはず。左を狙いシンディとの連絡を可能とし隙が出来た、そこには何か意味がある。スペンドは咄嗟に逆らい射線が集中した左へワザと走ったのだが、木々を抜ける間に追いかけるプラズマ弾も激しさを増し、遂には連射のビームに変化、これは敵の焦りを意味しないか?ならば、敵は逆を突かれたのだ。

 その時、彼は漸く『ひと息を付ける場所』を見つけた。彼の走る方向30メートルやや左前方に大地の切れ込みが見えて来る。密生する針葉樹がそこで途切れ、それは湖へ流れ込むか流れ出すかは分からないが小川のはずで、正に自然が形作る塹壕だった。この季節では凍結するか涸れているはず。激しさを増すビームに左右の木々が焼かれ、焦げくさい臭いが漂い出している。

(TCの奴ら、お構いなしだな)

 射撃に容赦は感じられない。プラズマ弾は出力を可変出来るが、この様子では最大出力(フルスペック)、当たれば致命傷を負いかねない。フルスペックはTPでは禁じられている。TCの連中は彼を殺す気でいるのだ。これは非常に珍しい。

 『過去』では双方動員は限られ、実体化も様々な要因で制限されるため、TPとTCが本気で殺し合うことなど滅多にない。大体、戦争ではないのだ、殺しあうことが目的でもなく、何の意味もない。TCにすれば少しの時間(実体化可能な僅かに最長10分間)TPの動きを止めればいいのだ、殺すことにより厄介事が増えはしても彼らの仕事が楽になどならない。

 TPが活動を始めておよそ半世紀が過ぎたが、その間、事故を除く殉職が十数人だ、ということが普通の犯罪者と警察・公安との関係との違いを表す。TCにしてもTPにより止む無く殺害されたのはたった8人に過ぎない。ただしこれらの数字は24世紀の高度に発達した医療抜きには語れないが・・・


 スペンドは小川に辿り着くとその岸に倒れていた朽木を飛び越え、短い斜面を滑り落ちた。そして漸く全てが仕掛けられていたことに気付く。

(シット!なんて愚かな・・・)

 小川は想像通り涸れていて雪に覆われていた。しかし、そこに歓迎されざる者たちが待っていたのは想定外だった。TCは最初からこれを狙っていた。

 わざとセオリーに逆らえばスペンドは深読みし、シンディへ向かうのでなく逆に離れること、分散することで各個に対処しようとすること、そしてその先に遮蔽物があれば迷うことなく飛び込むこと。飛んで火に入る夏の・・・

「スティックを離せ、手を上げろ」

 小川は湖に向けて緩やかに下っている。彼はその真ん中に立っていたがその左手、10メートルほど小川の上流に光学迷彩スーツを着た男が2人。そのうち一人が手を差し伸べている。フェイスガードで顔は伺えないが、声は明瞭に届く。

「さあ、余計なことを考えるなよ、囲んでいるからな」

 全くその通り。右手の湖側にも2人、向かい側の斜面の上から見下ろす1人、そして後ろから追い付いた3人。当然見えないがピッカーもいるはず、どう考えようが全く勝ち目はない。

ないはずなのだが・・・

「ほら、急げよ、そんなに時間もないからな」

 そう、相手側にも時間がない。間もなく対象が現れるし実体化時間も限られる。こちらの実体化時間。残り・・・4m58、57・・・スペンドはゆっくりと屈み込む。スペンドの動作は正にスティックを置くかに見えた。TCが僅かに構えたスティックを下げた瞬間。

「馬鹿な!」

 思わずTCの一人が叫ぶ。

 スペンドが思い切りジャンプ、向かい側の斜面に取り付く。と、足を滑らせるが踏ん張り、そこを駆け上がる。TCは不意を突かれた一瞬、手を拱いたがすぐさまプラズマ弾を発射する。しかし、スペンドにはその1秒が貴重だった。

「この野郎!」

 スペンドは叫びながら向かい側斜面の上から見下ろしていたTCに飛び掛る。周りでプラズマ弾が掠め、炸裂し、熱風や土塊、木片などを浴びせるが無視、スティックを警棒のように使い、構えた相手の腕を薙ぎ払う。

スペンドが味方との格闘に持ち込んだため、TCはスティックを撃つことが出来ず、2人が倒れ込む斜面の上へ殺到する。

(ありがたい、ピッカーが介入して来ないな、まだ連中同士で遣り合っているのか。こいつを振り払って、この先へ。あと3mほど逃げ延びれば制限時間、アラートを設定したので実体化は緊急解除され、俺はマシンに強制収用される・・・なんとかこいつを倒して先へ・・・)

 次の瞬間、彼の動きが一瞬弱まる。ほんの0コンマ何秒の躊躇。

(こいつ女か)

 途端に肩へ激しい一撃。咄嗟に女を放し、回転して地面を蹴る。そこへさらに一撃。追い付いた2名のTCが代わる代わるスティックを打ち下ろす。

 痛みに顔を歪め、スティックで相手のスティックを受け流す。鋭く高い、刀が打ち合う時のような金属音。中世期の日本の戦闘の如く、立ち上がったスペンドはスティックを振り上げ、薙ぎ払う。腕に伝わる鈍い衝撃と共に相手のスティックが宙を舞い、空かさず相手の鳩尾目掛けスティックで突く。相手は妙な声を上げるともんどりうって倒れた。その瞬間。

 眩い光と衝撃音、そして信じられないほどの痛みが左足を走る。勢いで1メートルほど飛ばされた彼は空を見る。まるで宙に浮いていて、灰白色で深く低く、手を伸ばせば触れられそうな・・・そこを雪が舞う。そして、黒く大きく猛禽のような・・・

(ザマはないな、奴ら間に合わない)

 咳き込むようなエンジン音がか細く聞こえ、原始的な飛行機械が今一度旋回してくる。降りられるかどうかを確かめる前大戦のエースが身を乗り出して下を見ているのがほんの一瞬見え、再び視野から消える。身体全体が痺れているようで、だるい。目を閉じ浅く呼吸を繰り返す自分を感じる。

(これで奴らの計画はむちゃくちゃだ・・・それにしても俺は何でのんびり空なんか見ているんだ?それに奴らはどうした?どうして止めを刺しに・・・)

「おい、大丈夫か?」

 落ち着いた若い男の声だった。歳は彼と幾ばくも離れていないだろう。直ぐに彼の視野にフェイスガードが現れる。

「ああ、見えているね、意識はあるか。アラートは解除させてもらった、手当てが先だ。心配するなよ、直ぐに収容するからね」

 重くなりつつある頭を傾げると、2名のTCが折り重なるように倒れている。他のTCもこの男一人で倒したのか?男の顔はフェイスガードに邪魔されて分からない、が身に着けた防寒光学迷彩スーツは彼が着用しているものと同じTPのもの。階級章が・・・大尉・・・所属・・・『00―023』。

(・・・00、だと?)

「・・・あいつ等を・・・」

「喋るな、酷くやられているからね・・・おい、悪いが少し痛いぞ」

 男は彼の足と肩にパッチを当て、左腕を取るとバトルスーツの上から救急キットの増血剤と安定剤のスピンドルを打ち込む。急速に身体へ浸透する薬剤の衝撃的な痛みにスペンドは何かを叫んだと思った瞬間、気を失った。



§同地・同年紀同日25分後



 彼は左足の裂けて千切れた防寒バトルスーツから覗くパッチに顔を顰める。鎮痛剤のアンプルは嗅いだが、この傷だ、数時間で効果は切れるだろう。パッチを貼られる際に見ていたが、プラズマ弾が掠った後は肉がごっそりと剥ぎ取られ、黒く焼け焦げている。白い骨が見える位だが、ありがたいことに折れてはいない。後は左わき腹が吊ったようになっているが、これも骨は折れていない様子。無数の打ち身や裂傷は無視する。

「だから何度も防護インナーを装着しろ、って言ってるのにな、スペンド」

 すぐ隣から声がする。皮を剥いだ金属製の人体模型、といった感じでバズが直立している。

「次にあんなことが起きたら俺は保障出来ないぜ」

「何ほざいてやがる、バズ。お前になんか保障して貰わなくたって・・・それにお前も同じようなザマじゃないか」

 スペンドは拳を振り上げ、左隣の空を殴るが、わき腹に鈍い痛みを感じ、それ以上大きく動くことはなかった。感覚を鋭敏に残したまま痛覚だけを麻痺させる吸入アンプル剤を使ってもこの痛みだ。やはりわき腹の筋も傷付けたらしい。

「あれはこの厚着の下に付けると締め付けがきつくて動き辛いんだよ・・・」

 スペンドの声は語尾が掠れて消えた。

「ほら、寝ていろって。どうせ救助されるまでする事がない」

「バカいうな。皆がどうなったのか知らなくちゃならない」

 バズの声は少し怒っているように変化する。

「そのままお返しするぜ、オオバカ野郎、大人しくしてないと殴ってでも寝かしつけるぞ!」

「この・・・おせっかい焼きのピッカー野郎が・・・」

 しかし言葉とは裏腹に、スペンドは大人しくシートに凭れ目を瞑る。バズの言う通り、今は何も出来はしないのだ。それにしても・・・

「バズ、お前はどうしたんだ?」

「話せば長いぞ?まあ、時間はあるか・・・」

 バズはどこかの接続回転軸でも歪めたのか、動く度に金属の擦れる軋み音を立てる。泣く事が出来ないバズの泣き声か・・・。鎮痛剤は判断力を鈍らせないタイプのはずだが、スペンドは目を開けると何か感傷的にバズを見つめた。そんなスペンドを知ってか知らずか、バズは感情の表れない擬態の抜けた機械の顔で語り始める。

「敵TCは18名ほど、ピッカーは10体いた。ボスが警告しなかったら完全にやられていただろうな。済まなかったが事前に察知出来なかった。APCアンチ・ピッカード・サイクルを仕掛けやがって。あいつらがそんなもの使うなんて初めてじゃないのか?お陰で少々手こずったが・・・」

「TCがAPCだって?」

「ああ、何時仕入れたんだ奴らは?俺たちの専売特許じゃなかったのか?まともにAPCを喰らったのは体験学習以来だったな。全く胸糞が悪くなるぜ、全身麻痺状態で一方的にやられるんだからな」

「俺たちは何時もその手でTCに対して来ただろ?そろそろ相手も同じ玩具ガジェットを用意したっておかしくない。今まで相手のピッカーはお前と同じ想いだったろうよ。それにしても、よくその程度で助かったな?」

 バズは機械の身体で肩を竦めると、

「最初の一撃を喰らったところで、クイーンが自壊モードにして束縛から抜けた。全く恐れ入るぜ、勇気あるよな、彼女は。そうしておいてこちらからもAPCを発動したのさ」

 仰向けにシートに横たわるスペンドに、バズはピッカーたちの戦いを語った。


 APCを伝播されるとおよそ20分、仕掛けられた側のピッカーたちは実体化出来ず、動けない。亜空間での亡霊ゴースト状態のままでフリーズする。そこを相手側の亜空間に侵入したピッカーが物理的な方法、たとえばバズのようなTP仕様のピッカーなら両腕に仕込んであるカーボンスティックを使ってプラズマやビーム状態の電磁波を浴びせる、ストレートに殴る、蹴るなどの方法で意のままにする。

 ところが、そうなる直前にクイーンが自壊モードを作動させ、自らの身体を破壊するという奇策に出たのだ。クイーンは『脳幹』と『身体』を切り離し、単なる『人工電脳コンピュード』の拠点として敵と渡り合おうとした。身体を捨てたことにより『呪縛』が解け、自動的にキャッシュをリセットし再起動された電脳はAPCの支配から外れた。そこでクイーンも相手に対しAPCを発動し、互角へ持ち込んだのだ。

 クイーンらの亜空間に侵入していたTCのピッカーたちもその状態でフリーズ、『彼ら』もゴーストのままその場で戦わざるを得なくなる。

 勿論、ゴーストと化し動けなくても相手を『視認』し『攻撃』出来る。僅かに機能維持のためAPC発動下でも働き続ける電脳の一部を使い、いわゆる電脳戦を仕掛けるのだ。

 こうしたゴースト同士の戦いは21世紀初期の古いゲームのようで、お互いの思考の中、擬似3次元空間を偽像アイコンとして移動しながら微弱電流を武器として相手の脳幹や身体を狙う。通信回路や遠隔制御回路のポートを通して相手側に致命的な量の弱電流を注ぎ込み、電脳や諸機能を焼き切ろうとするのだ。

 クイーンは敵から真っ先に狙われる。先ほどAPCを発動したため、体内には最低量のバッテリー残量しかない。こうなると脳幹にある非常用のマイクロバッテリーは機能維持活動以外に振り向けることは出来ない。本来、ピッカーの無制約な活動を保障する水素発電ターミナルはクイーン自身が壊離した『腰』にあるからだ。

 スクラップと化したコンピューターと言ったところのクイーンを、バズやランスロットが敵の攻撃から守った。弱電とはいえ、ゴースト状態では何万ボルトの高圧電流に匹敵する威力を有する。防壁を破られれば軸や筋を吹き飛ばされ、焼き切られることになる。


「クイーンやランスロットはどうしたんだ?」

「判らない。さっきも言ったが俺はクイーンの脇でTCの攻撃を防ごうとした。先手を取られているから防御一辺倒だったが・・・3体ほど防壁を焼き切ってやったところでこっちも腕を吹っ飛ばされてね。どうやら同時に脳幹に侵入されたらしい。どうもその後のことは覚えていないんだ。ああ、俺の頭を調べたってだめだぜ。記憶野にも何も残ってないからな。スペンド、あんたと一緒だよ、気付いたらあの人がいた」

「あの人?」

「あんたも助けられたんだろう?本部ゼロゼロの大尉さんだよ」

 落ち着いた若い男の声。彼のアラートを解除し、重傷を負ったままマシンに強制収用されないようにした。歳は彼と同じ位・・・階級章・・・大尉・・・所属、00―023。

「そうだ、彼はどうした?」

「知らない。俺は気が付いたらあの大尉さんの『偽像アイコン』が見下ろしていて、その時には回りには誰もいなかった。APCも解けていて、マシンへ行け、そこにあんたがいる、ってね。大尉さんは俺に、任す、と言って消えたよ」

「そうか・・・大尉は確かに00、だったんだよな?」

「所属か?3次元映像の『吹き出し(キャプション)』に『00―023』と出ていたな」

 スペンドはうんうん、と熱心に頷くと、

「あの人の右肩横にそいつを見た気がするんだな・・・00は長官の取り巻きだって言うのは知ってるが・・・教えてくれ、お前さんのその素晴らしいオツムで。00―023って言うのは何処だ?」

 するとバズは、

「いいのか?腰を抜かすぞ」

「見ての通りもうとっくに腰は抜かしてるよ、悪いがな。さあ、何処だよ」

「長官直属・特別査察官」

「023が?」

「09―224が俺たちだ、というのと同じ位に正確にな」

「たまげたな。00の連中を見たのも初めてなのに。なんでそんな人間がこんな現場に?」

「それを俺に聞くかな?一介のロボットに過ぎない俺に?」

「都合のいい時だけ人形になりやがって・・・まあいいさ、面白くなって来たじゃないか?」



§同地・同年紀同日24分前



「だろうな。クイーン、本部に送信。本文。TC2名は対象Aの上陸ポイント付近にて待機の模様。以後の指示を・・・回避しろ!」

 シンディの警告と同時にプラズマ弾が彼の背後から4,5発。

 熱風が伏せたウィンの被る略帽を焦がす。炸裂と何かの破片。再び熱風。うまくかわしたはずがこの熱量。相手はTCだろうがなんだろうが知らないが、スティックのエネルギーゲインをフルスペックにしている。スティックは普通、ウィンたちTPのようにミドルスペックにして火傷か破裂の際のエネルギー放出で吹き飛ばすかくらいを狙う。フルスペックで当れば身体はプラズマごと持って行かれるか、当たり所によっては松明のように燃え上がること必至。

(おいおい、本気か?)

 ウィンは歯を剥き出す。瞬間、そのまま6時へ、シンディの方へと走る。ボワッ、ボワッ。 間違いようのないスティックのプラズマ発射音。複数。ウィンは雪と泥で得体の知れぬぬかるみとなった地面に滑り込みながら、横目で敵を見る。掠めるプラズマは4つ。最低4人の敵。上等じゃないか。

「ランスロット!」

 返事はない。敵のピッカーとの戦いが始まったのだろう。シンディが応射するのが見える。大胆に立ち上がりフルバーストのビームで叶う限りの範囲をなぎ払う。ありがたい、敵の頭を抑え、ウィンやスペンドが近くに寄る時間を稼ごうというのだ。早速利用させてもらおう。迷うことなく立ち上がると中腰で木々を縫い、シンディのところへ、10メートルほど先の窪地へ。

 敵が撃つ。シンディは危ういところで窪地に伏せる。追い駆けるように撃つ敵の数が増え、走るウィンの左右両側にも着弾する。

 一発が彼の直後に着弾し、破裂の風圧でウィンの身体が浮く。素早くスティックを負い皮で腕に引っ掛け、身体を丸めて一回転、大柄の身体からは信じられない猫のような身軽さで両足を踏ん張って着地、滑るブーツから泥がきれいな放物線を描いて弾かれる。

 そのまま窪地へスライディング、背中へ回ったスティックを引き寄せ、シンディの脇に倒れ込みながらプラズマを1発、最も発射焔の多い真正面へ放つ。

「お待たせ」

 シンディの横で何時もの調子で話し掛ける。視線は敵の動向を探るのに忙しい。

「スペンドは?」 

「いや」

 ウィンは了解、とだけ言って、敵の射撃に隙が出来たのを幸い、もう1発プラズマを撃つ。

「そこまでにしよう、様子を見る」

 タグを通してシンディの声が耳に届き、ウィンは身を伏せ、敵の挟射を上方にやり過ごす。

「確かに、寄せて来ないな」 

「我々の頭を抑えるだけのようだ」

 とっくに交互援護で押し寄せて来ても良いはず。こちらは今の所2人、敵は最低でも8人。ここに釘付けを狙っているのか、はたまた増援を待っているのか。前者だとしたらプラズマのフルスペックはエネルギーの無駄使い、後者としたら4対1のくせに随分慎重だ。それともこちらが「ブラックダイアモンズ」だと知っての行動か?光栄じゃないか。しかし、何かがおかしい。

「時間まで抑えて追い払う気か?」 

「さあな」

 その時、何処かで破裂音が複数。こちらと対峙する敵ではない。となると、スペンドが一人、この近くで戦っているのだ。

「スペンドの奴」 

「ああ」

 今はお互いそれだけ。どうしようもない。

(死ぬなよ、スペンド)

「後・・・4m15。本部は何と?」

「クイーンが使えなかった。敵襲、とだけ伝えたと思うが確証はない」

「ではミッションを放棄して撤退かい?」

 するとシンディの苦笑する声が。今日の彼女は珍しく人間味に溢れている。

「そうするしかあるまいが・・・しかし、敵も無理だな」

 相変わらず同じ位置からプラズマをシンディたちの頭上に放つだけの敵。プラズマ弾の破裂音の間、最初は途切れ途切れに、やがて連続した甲高いエンジン音が響く。ウィンが仰ぎ見る。最初は横殴りの雪に紛れ見えなかったが、風のいたずらで空の一角からほんの一時雪が消えると、白い空を背景に黒い無骨な飛行物体が掠めた。

「来たか」

 対象Aことゲーリングは、曲がりなりにも戦争を生き抜いた男だ。それも22機撃墜のエースとして。地上に見える交戦の様子など飽きるほど見ているはず。ならば、事情が判らずとも、触らぬ神に祟りなし、戦闘の気配が見て取れるこんな場所に降りようとはしないだろう。

「しかし、奴さんが降りて来ないとなると、正史通りでなくなる・・・奴はここに不時着し、対象Bこと将来の夫人、カリンと出会う、あの城館で・・・それを阻止するのが奴らの目的かな?この状態を演出し奴さんが降りて来られないようにして」

「そのはずはないよ、ウィン、手間が掛かり過ぎだ。あいまいな要素が多過ぎる」

 シンディも眉を顰め考える。全く何かがおかしい。彼女らの持ち時間も3分を切った。空を行くゲーリングが降りて来るとしたら、もうシンディたちには助ける時間がない。もしもあの男がそこまで愚かならば、だが・・・しかし、そのまさかが起きようとしていた。

「シンディ!」

「ああ。分かっている」

 エンジン音が咳き込むように途切れ、再び唸っては消える。ゲーリングの乗る曲芸仕様のハンザ・ブランデンブルグ機は極端までに装備を外し軽量化を図っているはず。何か機体に損傷を受けたのかも知れないし、この雪嵐でエンジンがいかれたのかも知れない。

 2人が仰ぎ見る中、不安定に吹いては止み、左から流れたと思ったら右からと、方位を目まぐるしく変える風雪にふらふらと煽られつつ、帆布と華奢な木材で出来た原始的な飛行機械が高度を下げる。上空より湖面の方が気流が安定していないのか、着陸の態勢に入っては複葉が弾かれるように上下動、翼端が凍結した湖面にあわや触れるか、と思うようなヒヤッとする瞬間もあって、ようやく機は湖面に滑り降りる。

 シンディは一瞬、アラートを解除するかどうかで悩む。

 後20秒で彼女たちは強制的に実体化を解除され、マシンに転送されてしまう。一度実体化を解くと、再度実体化が可能となるまでに最低でも3分掛かる。戻って来た時には、対象・ゲーリングが殺されているかも知れないし拉致されている可能性が高い。ならばアラートを停めると、今度は実体化可能限界の残り10分間、亜空間へ戻ることは出来ない。

 実体化時間は『第一規制』5分、『第2規制』の10分、そして『限界時間』20分と定められており、20分以上連続で同年紀に存在することは出来ない。それ以上の滞在は歴史の浄化・修復作用が始まるとされているため厳禁されていた。これは大抵のTCも守るタイムトラベラー全体の掟のようなものだった。

 これだけ派手な歴史介入ではたとえ限界20分以内でも危険、死を意味するかも知れない。今は牽制するだけのTCが、残ることに決めた2人を見て、殲滅するために動き出す、その可能性もある。


 5・・4・・3。シンディはちらっとウィンを見る。ほんの0コンマ5秒程度。ウィンの目が語っている。その目は落ち着いていて温和ですらある。

 ・・2・・。彼女が空を払うような仕草をすると目の前に擬似窓が開き、赤いボタンが現れる。彼女はそれを拳で叩く。

「アラートが解除されました。以降、強制解除時間まで解除は出来ません。強制解除まで、後9m52・・51・・50」

 マシンオペレーターの自動音声が2人にだけ流れる。と、同時にTCが一斉射撃を行い、窪地に伏せた2人に、熱風と溶けた氷雪や泥を浴びせた。

「奴ら、気付いたか?」

 しかしウィンの問いにシンディは答えなかった。じっと虚空を睨んでいる。ウィンが彼女を見やったその時。

「シンディ、逃げろ!」

 ウィンは視野を掠めて飛んで来た物体に反応し、彼女に注意を与えると自らは窪地の隅に向かってダイブ、重なって横たわる朽木の陰に飛び込んだ。その直後。

 爆発と閃光。出来るだけ地面に密着するように伏せたつもりのウィンだったが、気圧の急激な変化と酸素の燃焼により局所的な爆発を引き起こす空気手榴弾は強烈で、泥濘に半分埋もれていたにも拘らず身体が浮き上がり、叩き付けられる。

 吸い込んだ空気が全て肺から押出され、強い衝撃に空気を吸い込むのもままならない。鼓膜を破られないために口を開け耳を両手で塞ぎ、その格好のまま肘を耳朶に押し付けて頭部を隠していた彼。口に得体の知れぬ泥濘が入り込み苦味と嫌悪を与えるが、かろうじて焦げ臭い空気を貪った彼はそのままじっと動かなかった。

 案の定、2発目。 再び浮揚感と肋骨に響く衝撃と塞いだ耳にも響く破裂音。

 それをやり過ごすと、彼は驚くほど素早く立ち上がりスティックを構え、最初に飛び込んで来た光学迷彩スーツとフェイスガードの影に向け、容赦なくプラズマ弾を放つ。

 そのTCが弾かれたように吹き飛ぶと続けて2発。後に続いた2名のTCが視野から飛び去る。

 次。一瞬の間を置いて、僅かに角度を変えた前方に2人、本能的にその方向へスティックを構えた瞬間、実戦を経験し九死に一生を得た兵士だけが持っている第6感、敵を目前にした元フランス陸軍騎兵少尉ウィンスラブは強いて振り返る。

 そこには今や彼を狙い撃つ寸前のTCが2人、振り返り様の連射、その2名はかろうじて伏せるが、ウィンにはそれ以上相手をする余裕はない。もう一度振り返った時には前の2名がプラズマを放つ寸前だった。


 時が止まる一瞬。緩慢にすら見えるTCの動きに魅せられたように止まるウィン。もう、何をするにも間に合わなかった。

 プラズマがそれぞれのスティックの先から鈍いオレンジに輝いて膨れ、正に離れようと・・・当たればただで済まないが、距離は僅か5メートル、外れることはあり得ない。

(19世紀に生まれ24世紀に生きて20世紀に死ぬ。何て壮大な人生だ・・・)

 しかし、彼はまだ死ぬ運命にはなかった。


 ウィンの目の前でTCがもんどり打って倒れる。最後の最後でスティックの角度が変わりプラズマはあらぬ方向へと飛び去る。その後、思わず目を覆いたくなるような眩い光、あれは・・・

 実体化因子。TPのそれは燃え立つように黄金色に輝く。存在を誇示するそのマーカーを目にしたウィンの口から深いため息が漏れた。

 光はアーチ状のドアの形、中から黒いシルエットが一人、また一人。都合10名を吐き出すと輝くドアは瞬時に消え去る。

「大丈夫か?」

 光学迷彩を施したフェイスガードに防寒光学迷彩バトルスーツ。スティックを片手で保持し、右手をウィンに差し出した。左袖に黄色や白の線。右肩に07―2015とステンシル文字。

「これは、これは隊長殿。騎兵隊のお出ましだ、という奴ですね」

 ウィンの受け答えに幾分皮肉が混じるのは致し方ないかもしれない。それだけ際どいタイミングだった。

「これでも急いだんだ。済まない、少々手間取ってね」

「ウチの若いのが一人、逸れている、そっちを、」

「判っている、そっちはある人に任せたよ。さ、後始末を付けなくてはならん。ここで大人しくしているんだな」

 男はウィンを片手で引き起こすと仲間を追って窪地を飛び出して行った。至るところで破裂音や何かが倒れる音、裂ける木の音等が繰り返されている。

(後始末を付ける・・・何かこちらがドジった、とでも言いたいのかよ・・・)

 ウィンは首を振って口の中に残っていた泥を吐き出す。と、辺りを見回し、シンディを探した。いた。窪地の先、湖側の一本の木に寄り掛かっている。

「無事だったか・・・」

 ほっとしながら彼女に近寄る。

「ああ」

 生死の境目を越えた同士の再開にしてはそっけない挨拶だったが、ウィンにとってはその方がシンディらしく、思わず笑みがこぼれた。

「巡回警備班の隊長だったね」

「ああ」

 気のない返事に彼女の視線の先を追うと、かのゲーリングが自分の機を後に、湖面を反対方向へ走って行くところがかろうじて見える。ウィンが見やった直後、その姿は雪の渦に消えた。

「保護対象A、危険を脱する、か。反対側にもTCがいないことを祈るよ」

 ウィンはフランス人らしく大げさに肩を竦めると、

「どうする?」

「待つしかないな」

「・・・後4m・・・時間切れまでかい?」

「ああ、仕方がないね」

 2人は並んで、何事もなかったかのように雪に沈む北欧の湖を見つめていた。



※出典

†李攀龍攀 「唐詩選―序」

‡ラ・ロシュフーコー 「道徳的反省」



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