そして僕らは絶望した 3
愛していたから、変わってしまった君を許せなかった
愛していたから、裏切られたようで辛かった
幼い頃からの、あのまばゆい思い出が全てで、
いつだってすぐそばにあったから当たり前すぎて気が付かなかった
今だからこそ自覚する
君が俺の初めての恋だった
25歳になったユリウスは、毎年運命の日の次の日にある場所へと向かう。
王宮に隣接する教会の地下深く、代々の王族を弔う墓所の程近くにある、歴代の聖人、聖女を弔い、聖遺物を保管する精霊廟と呼ばれる場所だ。
王ですら、容易に開けることのできないその精霊廟の前には昨日供えられたのであろう、美しく華やかな花で満たされていた。
ユリウスは、その手に小さな青い花のブーケを携えていた。
昔、彼女の名の由来だと聞いた青い小さな花だ。
バラや百合のように豪奢ではない、どちらかというと野に咲く花だけれど大好きなのだと言っていたその花を、ユリウスはたくさんの花の中に紛れるようにして供えると、精霊廟の固く閉ざされた扉に手を添えて目をつぶる。
ユリウスの初恋の少女は、ユリウスが真実を知って4年以上経った今も、あの頃のままの姿でこの冷たい扉の向こう側で朽ちる事無く眠っている。
ユリウスは、その姿を生涯一度としてみることは叶わなかった。
ユリウスがそのことを知ったのは、真実を知って幾許かしてからだった。
初恋を自覚してからだったかのようにも思うが、記憶は定かではない。
ただ、単純に、シルベチカに会いたかった。
けれどもユリウスは、シルベチカに会うことは叶わなかった。
シルベチカの遺骸は、その時すでにこの精霊廟の奥に安置されてしまっていたからだ。
狂った頭で事情を問いただせば、シルベチカの体は月の門をくぐった段階で息を止め、朽ちることも老いることもなく、精霊神の物である聖遺物となるという。
命あった者は、聖遺物となった瞬間に精霊神の宝物となり、聖遺物は古くからこの精霊廟で厳重に保管するのが決まりだ。
先代の贄の遺骸も、この精霊廟で保管されていると聞くが、ユリウスには定かではない。
確かに言えることはシルベチカはこの扉の奥で眠っていて、特殊な精霊魔法のかかったこの扉は、王ですら開けることはできないという事実だった。
当時、一目だけでもと願ったユリウスに、無情にも教会の神官は言った。
『この扉は、どんなに望んでもその時でなければ開くことはありません』
精霊廟は、要するにこの国にある精霊神の持ち物を保管する、宝物庫のようなものだ。
開閉には精霊神の意思が介入し、精霊神が開閉を望まない以外に決して開くことはないのだと言う。
それを聞いた時のユリウスの絶望は計り知れなかった。
あの再会が、最後のチャンスだったなんて、思うわけがない。
せめて顔を見て、謝りたかった。
どうして教えてくれなかったのだと詰りたかったし、
初恋の少女に、愛してると伝えたかった。
全て今更だと理解していたけれど、そうしたかった。
救われたかったのだと思う。
この後悔から。
だがそれは、到底許されない話だ。
シルベチカを、
今更自覚した最愛を、
あれだけ傷つけて、最後までその健気な心を切り刻んで、泥をぶつけたユリウスが、救われていいわけがない。
真実を知った今だからこそ、ユリウスはウィステリアの憎悪を理解できる。
真実を知ってから今までの間、誰も彼もユリウスを責めなかった。
娘を失ったマスティアート公爵ですら、ユリウスの所業を「娘が望んだことですから」と許そうとした。
その度に、ユリウスの心臓に鷲掴まれたような痛みが走る。
許されたい自分と、許されるわけがないと願う自分が、自身の心を引き裂こうとしているのだろう。
いっそ、そのまま引き裂かれて死んでいたら楽になれただろうと思う苦しみだ。
ユリウスは、それが自身に課せられた罰なのだと自覚していた。
彼には、シルベチカを思い出す縁さえなかった。
何も知らない愚かな自分が、シルベチカの国外追放が決まったあの日、彼女との思い出の品を全て処分してしまったからだ。
幼かった彼女が、ユリウスを想ってはじめて刺繍してくれたと言うハンカチーフも、こっそりと訪れた街で見つけた、王族に手渡すには安物な、それでも不思議と味のある彫り細工のブローチも、全て、自らが魔法で起こした青い炎の中にくべて、灰になるまで燃やしてしまった。
その灰すらも風にさらわれ、手元には残っていない。
故に、最早シルベチカとの思い出はユリウスの記憶に残るものだけだった。
それすらも、年々失われていっている。
最初にシルベチカの声を忘れた。
どんな声音で、どんな心を込めて自分を呼んでいたのか思い出せない。
次にシルベチカの笑顔を忘れた。
耐えるような、泣き出しそうなあの表情で苦しそうに自分を見つめるシルベチカを思い出せたらまだいい方で、夢の中に現れるシルベチカの表情は、なぜだかいつだって判然としなかった。
柔らかな髪を撫でる感触は、どんなものだったかすら思い出せない。
かろうじて思い出せるのは、ガラスの棺で少年のような姿で眠るシルベチカだが、それすらも曖昧だ。
ただ、あの日彼女に触れた時のひんやりとした冷たさの絶望だけ、やけに生々しく残っていた。
だからユリウスは1年に一度だけ、シルベチカが月へと門をくぐった次の日にこの精霊廟の前に訪れる。
もうそこしか、彼女を感じられる場所がユリウスにはなかった。
本来、ここは王族以外がおいそれと近づける場所ではない。
それでも、彼女の命日とされる日だけ、真実を知る者にのみだが彼女を弔うことを許したのは、国王の恩情だろう。
国外追放されたと言うことになってるシルベチカは、ここに眠っているという事実を公表されていない。それでもその日だけは、この精霊廟の前で彼女を知る者たちが彼女を偲んでいると聞く。
だが、ユリウスは命日にこの場所に行かなかった。
行けるわけがない。
どんな顔で、彼女を慕う者たちに会えばいいと言うのだろう。
彼女の名誉は、未だ地に落ちたままだと言うのに。
真実を知ったユリウスは、すぐに彼女の名誉の回復を願ったが、それすらも国王に「シルベチカが望んだことだ」と一蹴されてしまった。
故に、追放されてから6年経った今でも、シルベチカは悪役令嬢のままだ。
巷では、マーガレットとのユリウスの恋物語を題材にした芝居まであるようで、そこでもシルベチカの役回りを持つ令嬢の役は、真実の愛を引き裂こうとする悪女として登場していると聞く。
何を馬鹿なと、ユリウスは思った。
真実、マーガレットと真実の愛で惹かれあったとしても、シルベチカがいなければマーガレットは、王太子の婚約者にはなれなかったといっても過言ではない。
あれ以来、マーガレットは彼女なりに自分の側にいてくれるが、ぎくしゃくとした違和感があるままだ。
あの頃、確かに感じていた恋情は消えない。
マーガレットを愛しく思う気持ちは変わらない。
だがしかし、何も気が付かず、最愛を傷つけた手で、マーガレットに触れることがどうしてもできなかった。
シルベチカが認め、育て上げたマーガレットと言う花は王太子とは名ばかりの愚か者が、触れていい花ではない。
その花と、半年後に婚姻することが決まっているが、ユリウスはそもそも、自分が王太子であることに疑問を感じていた。
健気に咲く花を手折る事しかできなかった自分が、王太子として、ゆくゆくは国王としてこの国を治めていけるのかと。
現状、国王の子はユリウスだけだ。
正当なる直系の王位継承者はユリウスしかいないが、王族の血を引く親類がいないわけではない。
今まで帝王学の教育を受けていないにせよ、今の愚かなだけのユリウスからすればよほどマシだろう。
少なくとも、何も知らずに手のひらで踊る愚者ではないはずだと、勝手にそう思う。
「王太子を退いて、死んでしまえば君に会えるだろうか」
「……逃げるつもりか、ユリウス」
ぽつりとつぶやいたその言葉をかき消したのは、真実を知ったあの日からずっと、顔を合わせていないウィステリアだった。




