そして僕らは絶望した 1
あの日から、何度も君の夢を見る
夢のあの懐かしく輝かしい日々の中、確かに君に名を呼ばれたのに
僕はもう、君の声も、笑顔も、思い出すことができない
『 』
確かに名前を呼ばれたような気がして、ユリウスは目を覚ました。
夢の中で掴もうと伸ばした手が空をかき、彼はまた重い溜息を吐く。
真実を知ってから4年。
シルベチカがいなくなってから数えて、6年目を迎えた春。
25歳になったユリウスは、苦悩の中にいた。
*
あの日、ユリウスの目の前に2年ぶりに現れたシルベチカは、ガラスの棺の中で穏やかに眠っていた。
柔らかな、ふわふわとした長い髪は短く切られ、幼い少年のように見え、ウィステリアの幼い頃に少し似ているように思えた。
飾り気のないシンプルな礼装に身を包んでいたが、小さな青い花が棺の中の彼女を華やかに彩っていて、お伽話に出てくる眠り姫のようにも見える。
「……シルベチカ?」
喉に声が張り付いたような感覚がした。
胸の上で、小さな手が組まれているものの、眠っているようにしか見えないはずなのに、ユリウスの心を、あってはならない事実が明確にかすめる。
そんなはずがない。
こんなのは質の悪い冗談だ。
目の前にいるシルベチカが、息をしていないだなんて信じられない。
ユリウスは、ゆっくりと棺に近づいて、眠るシルベチカの顔を覗き込む。
あどけなく眠るその表情は、ユリウスが好きだった幼馴染で、妹のように10年慈しんできた婚約者の顔だ。
そっと揺り動かせば、幼いあの頃のようにゆっくりとまぶたを開けて、真白の瞳にかすかな金色を揺らめかせながら目を覚ますはずだと思ったユリウスは、そっとその頬に触れる。
シルベチカの体は、柔らかさを保っているのに驚くほど冷たかった。
あぁ、こんなところでこんな格好で眠るから。
そう思って、ユリウスは抱いていたはずの憎しみを忘れて優しく話しかける。
「……シルベチカ、シルベチカ? こんなところで何で眠っているんだ? 風邪をひくから目を覚ましてくれ……な?」
返事はなかった。
それどころか、シルベチカはピクリとも動かない。
肩を起こして揺り動かそうとしたところで、ユリウスは衝撃を受けた。
殴られたのだと、そう理解するまでどれほどの時間が流れたのだろう。
頬に滲む熱に手を伸ばしながら、王太子に狼藉を働いたウィステリアを見れば、その真白な瞳は憎悪に満ちていた。
「シルベチカに触れるな愚か者」
そう言って、ウィステリアはユリウスを突き飛ばすと、最愛の妹に近づいてその頭を撫でた。
「すまなかったね、シルベチカ」と言いながら、ユリウスが乱した彼女の眠りを整える。
「どうして」
ユリウスの口からそう言葉が漏れた。
ユリウスには、どうしてシルベチカが眠っているのか分からなかった。
マーガレットへの残虐非道ないじめを行った件について、彼は確かに激怒していたし、二度とその顔を見たくないとも思っていた。
けれど、死んで償えと思った事はないし、死ねばいいと思ったこともない。
ただ、自分がしたことを悔いながら、国外で慎ましく懺悔して暮らせばいいとしか思っていなかった。
シルベチカが死ぬだなんて、
こんな形で再会するだなんて夢にも思わなかった。
「どうして」と言うユリウスの言葉に、ウィステリアは「はっ」と嘲るように笑う。
「どうして? 今どうしてと言ったのか?」
「なぜだ、何故シルベチカは息をしていないんだ? 追放先で何があったんだ」
「あぁ、本当にお前は何も知らないんだな。……シルベチカ、もういいよな……お前の兄様はちゃんと約束を守ったからな」
ウィステリアはそう言って、許しを得るように眠るシルベチカの額を撫でた。
それから静かに、ユリウスに真実を語る。
15歳になってすぐ、その命を捧げろと言われたこと。
それが王命だったこと。
15歳のシルベチカが、それを受け入れて2年耐えて過ごし、
マーガレットを次代の王太子の婚約者とするために奔走したこと。
自身の理不尽な死を、ユリウスに気づかせないために悪役令嬢として振舞い、
断罪されるための証拠を揃え、追放され、あの華々しいユリウスの卒業式の翌日、
それを知る誰もが運命の日と呼んだその日に、月への門を自らくぐって永遠になったことを。
ウィステリアは、かつて親友であったユリウスに全て、投げつけるようにぶちまけた。
「……そんなの嘘だ、ありえない。……みんな俺をだましていたのか?」
「マーガレットも?」とユリウスは最愛の少女を振り返る。
マーガレットは涙が零れる瞳を両手で押さえながら俯いた。それがなによりも明確な答えに見えて、ユリウスは言葉を失う。
それでも信じられなかった。
信じるわけにはいかなかった。
それが真実なら、騙されていた愚かな王太子である自分は、シルベチカに何をしてしまったのかと自覚しなくてはならなくなる。
「嘘だ、そんなこと、俺は信じない」
「……っこの」
未だ、現実を受け入れられないユリウスに、ウィステリアは掴みかかった。
不敬にも胸ぐらを掴まれ、鬼の形相で自分を睨み付けるウィステリアと見つめあう。
「信じられないなら陛下に直接お聞きになるといい、俺の妹を、最愛の、たった一人の妹を、シルベチカがなんで死んだのか、殺したのは誰なのかっ……お前が、お前たちがっ……」
「……っ、もうおやめくださいウィステリア様っ! ……ここは、シルベチカ様の御前です」
マーガレットのその言葉で、ウィステリアはハッとしたようにユリウスの胸ぐらを掴んでいた手を緩めた。
真白の瞳から、絶望の涙が溢れ、ウィステリアは悔しそうにそれを片手でせき止める。
それを見ながら、ユリウスはずるずると力が抜けて膝をついた。
幼い頃から、親友として共に育った男が泣いている。
滅多なことでは涙を流さない親友が、酷く苦しそうに涙を流すその姿が、ユリウスには何よりも真実に見えた。
ユリウスは、ようやくの想いで立ち上がると、棺の中で眠るシルベチカを見た。
穏やかな姿だった。
最後に見た、あの何かを耐える辛そうな表情ではなく、肩の荷をすっかり下して、楽になったようなあどけない寝顔。
けれど、微笑んでいるようには見えない、そんな表情だ。
確かめなければいけないと思った。
ウィステリアが言うことがすべて真実なのだと、国王から突き付けられなくてはいけないと思った。
ユリウスは、呆然としながらシルベチカに背を向けると、教会を後にして、城へと戻った。
それが、真実の意味でシルベチカに謝る、最後の機会だったと知ったのはそれからほんの少し後の事だった。




