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護衛騎士ヘンリー・ブラッドの悲嘆 1



 あれから、どのくらい時間がたったのだろうと、ヘンリーは考える。

 約束を果たす時を迎えた足は、迷うことなくあの日彼女を見送った場所へと進む。

 後ろから、あの三ヶ月共に旅したエドガーとマリが付いてきている気配がしたが、ヘンリーにはどうでもよかった。


 ただひたすらに、彼女に会いたかった。





 護衛騎士、ヘンリー・ブラッドは寡黙で無表情な騎士だった。

 真っ黒な髪に、紫苑の瞳を宿したヘンリーは、代々近衛騎士を勤める侯爵家の三男だった。

 幼い頃から剣術に優れた彼は、当然のように近衛騎士を目指し、当然のようにその職に就いた。


 ディシャール国の騎士は、まず国と国民を守る王宮騎士団と、国内外の王族・貴族を護る近衛騎士団の二つに分かれ、更に近衛騎士団は大きく三つの組織に分かれている。

 ひとつは国内外の貴族を守る、通常の近衛騎士。

 もうひとつは、騎竜と呼ばれる竜に乗り空から王族・貴族を護衛する騎竜騎士。

 そして、王族とそれに連なる者を直接護衛する護衛騎士である。


 近衛騎士と言うだけでこの国では名誉職であるのだが、竜に認められないとなれない竜騎士は花形であり、そして王族を直接護衛する護衛騎士は近衛騎士の中でもエリート中のエリートしかなれない精鋭だった。

 ヘンリーはその剣術の素晴らしさで、15歳で近衛騎士となり、20歳と言う若さで国王ディオールの護衛騎士になった天才である。

 そのディオールから、王太子の婚約者であるシルベチカ・ミオソティス・マスティアートの護衛騎士となるように命じられた時、彼は表情にこそ表さなかったが不服だった。

 王の護衛騎士から、王太子ならともかく王太子の婚約者への護衛騎士など格下げもいいところであるからだ。

 後に、当時の上司がまだ若かったヘンリーに経験を積ませ、ゆくゆくは王太子妃となるシルベチカの筆頭護衛騎士とさせて、ヘンリーの地位を10年かけて確かなものにしようとしていたと知るのだが、この頃の彼にはそんなことは欠片も分からなかった。

 だが、今となってはどうでもいいことである。


 この時、ヘンリーは23歳であった。

 対して、顔合わせした公爵令嬢は、わずか7歳の少女だった。

 柔らかな青い髪と、真白の瞳をしたシルベチカを見て、ヘンリーは名誉職である近衛騎士として表情にこそ出さなかったが、どうしてこんな小娘を護衛騎士として守らないといけないのだろうかと思った。

 それほどまでに、この時のシルベチカはヘンリーにとってただの少女だった。


 だが、ヘンリーはすぐにその認識を改めることになる。


「おうまさん! おうまさんに乗りたいわ! ヘンリー」

「ダメです、シルベチカ様。大人しくお勉強なさってください」


 シルベチカはただの公爵令嬢と言うにはお転婆で、無邪気と無垢がドレスを着て歩いているような少女だった。

「剣をおしえて!」にはじまり、「馬に乗りたい」は可愛い方で、「町へ行きたい」や「木に登りたい」というおねだりはしょっちゅうだった。

 ほんの3秒目を離しただけで、庭に紛れ込んだウサギについていって、よく分からない洞穴で見つけたことは片手で足りないほどだった。

 何か起こる度に、ヘンリーは怒鳴りたくなる心を押さえながら優しく言って聞かせた。

 無表情を更に冷たく尖らせながら言って聞かせれば、シルベチカはいつもにっこり笑って「はい! 分かったわ!」と答える。

 返事だけは立派なのだと、頭を抱えたのは一度や二度ではない。

 シルベチカは確かに、一度言って聞かせたことは二度とやらなかったが、それでも毎度やらかした。


 「ウサギにはついていってないわ! 今回はリスさんだもの!」


 と言い返された時、ヘンリーは思わず天を仰いだ。

 ただの小娘だと思ったが、シルベチカはいつだってヘンリーの想像の斜め上をいった。


 それでも、2年も仕えれば、扱い方がよく分かってくる。

 シルベチカは、自由であった方が扱いやすかった。

 馬に乗りたければヘンリーが相乗りしたら満足したし、木登りしたいと言われたら手を添えて低い木に座らせればいいし、町へ行きたいと願われれば、治安のよい町へ兄妹に扮して散歩するだけでシルベチカは満足そうに笑った。

 さすがに剣を教えるのは憚られたが、護身術と称してちょっとした体術を教えるだけで彼女は楽しそうだった。


「ヘンリー! 治癒魔法の練習に付き合って頂戴!」


 そう言って幼いシルベチカは、ヘンリーにいつだって触れて、その柔らかくも温かな魔力でヘンリーを癒してくれた。


「ヘンリーはすぐに傷を増やすのね」

「お嬢様の騎士ですから」

「そう? それなら私がちゃんと治さなくてはね。いい練習になるわ」


 そう言って笑う、お転婆な少女の小さな手の暖かさに、絆されていったというのが正しいだろう。

 3年もすれば、ヘンリーにとってシルベチカは、愛しく、大切な、唯一無二の主になっていた。


 お転婆で、公爵令嬢らしくなかったけれど、微笑んだ顔は妖精のようで、我儘を無下にしても癇癪は起こさず、拗ねはするけれど褒めればパッと顔を明るくさせて笑う、幼くも愛しい主。

 それでいて芯が強く、一度決めたことはやり通す頑固さも、たった一人の主として愛しかった。


 一度、シルベチカが誘拐されかけたことがあった。

 彼女が8歳の時の話で、その際に身を挺して守ったヘンリーが怪我をした。 

 誘拐自体は未遂であり、ヘンリーの怪我も流血はしたが軽傷であったが、誘拐犯に迫られても気丈に振舞っていたシルベチカが、泣くのを耐えながらヘンリーを治癒してるのを見て、ヘンリーはもう二度とシルベチカにこんな顔をさせないと誓った。


 彼女に仕えたこの長い年月、唯一無二の大切な主が、王太子を恋い慕う様子をヘンリーはずっと見ていた。

 いずれ恋が愛に変わり、婚約者が王太子妃となり、王妃になるのをずっと見守っていくのだと思っていた。

 そうなるのが当然と、疑うことすらしなかった。



 シルベチカが王に死を願われたその日、

 ヘンリーは護衛騎士として、その場に同席していた。


 7歳から8年、護り続けてきた少女の死を決められて、ヘンリーは言葉を失った。




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